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気が付くと、辺りは一面暗闇に覆われていた。
頭がずきずきすと痛む。体も重い。
手を動かそうとしたけど、何かに引っかかったような感覚がして、自由が利かない。手足共に拘束されていた。
「どうなってんだ、これ……」
徐々に記憶が戻ってくる。
そうだ、彩夏にスタンガンで気絶させられたんだ。
暗さに目も慣れてきて、周囲の様子が認識できるようになってきた。ぼくはベッドの上に寝かされていた。微かに波の音が聞こえる。どうやら、暗い海の上に放り出されたわけではなく、まだ豪華客船の中らしい。じゃあここはどこかの客室のベッドルームか?
それにしても、まさか財団の船で堂々と誘拐を仕掛けてくるなんて、敵も大胆な。そしてあっさりと誘拐されてしまうぼくは一体……。
壁の奥から人の声が聞こえてきた。この船の客室はどれも入口がリビングルーム、その奥がベッドルームと、一流ホテル顔負けのスイートルーム仕様となっている。声が聞こえたのはリビングルームの方だった。
「先輩、大丈夫なんっすか、この作戦。俺、やっぱり不安っす。……のこと、どこかから監視されてたりしないっすかね?」
はっきりとは聞き取れないものの、若い男の声だ。すると今度は別の男の低い声が聞こえてきた。
「潜入……なんてそんなもんよ。大丈夫、俺たちが詰めているこの部屋付近には誰も近寄ってこねえから。それに、どう見たって俺たち、ただの客室乗務員にしか見えないだろ」
どうやらリビングルームには二人の男がいるようだ。再び若い男の声が聞こえてきた。
「でも……のど真ん中で……だなんて無茶苦茶っすよ。何考えてるんっすかね、吉見さんは?」
「おい、あの人のことはボスと呼べって何度言わせれば気が済むんだ。そして俺のことは先輩じゃねえ、カマメシだ、分かったな、アンパン」
「そのあだ名こそやめてくださいよ、先輩。俺には……ってちゃんとした名前があるんっすから」
「いいじゃねえか、いつもデスクでアンパン食ってるから。それで俺たちゃ、お前をそう呼ぶことに決めたんだ。これは……の伝統だからよ」
「今時流行りませんよ、こんなの。……の見過ぎっす、よ……ボスも、それに彩夏ちゃんも」
アンパンと呼ばれた若い男の言葉に心臓がどきりと飛び跳ねた。隣のリビングルームにいる、ぼくを見張っている男たちも、彩夏と同じ《権益者たち》の手先なのだ。
「うるせえ。俺やボスにとって……はバイブルも同然よ」ドンとテーブルが叩かれる音がした。「俺たちの世代は、あんな世界にずっと憧れてたんだ」
「分かってますって、カ……カマメシ先輩。この前も散々おでん屋で聞かされたっすから」
「いいや分かっちゃいねえ。この際はっきり言ってやる。お前みたいな普段デスクワークしかしねえ奴が、どうして今日、……に当てられたか、ボスの真意を理解してるのか?」
「えっ、ただの人手不足でしょ。……他になんかあるんすか?」
「……まあ、それもあるけどよ。アンパン、ボスはなあ、お前にもっと現場を知ってほしいと思っているんだ。型にはまった報告書だけじゃあ得られねえ、生の体験ってやつだ。どうだ……は?」
悪徳非道な《権益者たち》の手先の割には随分と緊張感のない会話だ。もっとマフィアや極道の世界で交わされるような仁義なきやり取りを想像していたのに。これじゃあ、居酒屋でくだを巻いている先輩サラリーマンと、それを面倒くさそうに聞いている後輩にしか聞こえない。
「だからその渾名は止めてください……。気分? 最悪っす。なんせ周りは……だらけ、生きた心地がしないっす。俺は足で稼ぐより、……みたいに紅茶を飲みながら……するほうがいいっす」
紅茶、という単語を聞いて急に喉が渇いてきた。ここに拉致されてどれくらいたったのだろう。部屋を見渡すと、サイドテーブルにLED時計があった。どうやら誘拐されて一時間ぐらい経過しているようだ。
「やれやれ、これだから最近の若いもんは。もっと彩夏ちゃんを見習え……」
「カマメシ先輩もボスも、彩夏ちゃんを褒めすぎっす、まだ高校生ですよ。……ところで俺たちってこれからどうするんです?」
グダグダな会話が終わり、ようやく話が本筋に戻ってきた。少しでも情報を得ようと、耳に神経を集中させ、彼らの会話を聞き逃すまいとする。
「とりあえず少年の方は確保した。残りは寺崎先生だな。今ラウンジにいるらしい。ボスが会場に紛れて様子を伺っている。人が少なくなったところで決行する予定だ」
「彩夏ちゃんは?」
「彩夏ちゃんは逃走経路を確認しに行っている。なんせ海上のど真ん中だからな、避難用ボートがどうしても必要だ」
「まさか一人で逃げる、なんてことないっすよね。彩夏ちゃん」
「お前じゃねえんだ、そんなわけないだろ……。あの子、今日の……に、自ら志願したんだからよ。すげえ子だよ。……お前も付き合うなら彩夏ちゃんみたいな子にしとけ」
「今は関係ないでしょ、その話!」
彼らの話を聞いていくうちに、敵の構成が分かってきた。客室乗務員に成りすまして乗船したアンパンとカマメシという変わった渾名を持つ男二人、同じく給仕として潜入した彩夏、そして彼らのボス、吉見という人物。……でも、どこかで聞いたことある名前だな? でも、珍しい名字じゃないし……気のせいだろう。
それよりも、早くこのことを江麻に知らせないと。それに博士が危ない。
でもどうやって?
……んっ、ズボンのポケットに堅いものが。
スマートフォンだ! スマートフォンがズボンに入ったままだ!
なんて間抜けな連中だろう、スマートフォンを取り上げておかないなんて。これぞ天の配剤……、って手足が拘束されているから、取り出せないじゃないか!
体や腰を何度かよじってみてもあと少し、というところで手が届かない。嗚呼、ニンジンを目の前にぶら下げ走らされる馬のようなもどかしさ!
スマートフォンを取り出そうと七転八倒していると、遠くからかすかにトントンと、ノック音が響いてきた。
壁の奥から、男たちがひそひそと何かを言い合う声が聞こえてきたが、しばらくしてガチャリと扉を開ける音がした。刹那、リビングルームが騒がしくなる。
「誰だ、お前」
「……うお、やってくれやがったな、……ぎゃひー!」
「うひゃー! そこは、そこだけは止めて!」
「コンチクショウ、大人を馬鹿にしやがって……、ひえぇー」
男たちの悲鳴が聞こえたと思ったら、すぐに静かになった。
……隣で何が起こっているの? 得体のしれない恐怖に、ベッドの隅で体を丸くして身構えていると、今度はベッドルームとリビングルームをつなぐ扉がガチャリと音を立てて開いた。
「大丈夫、健吾!」
そこに立っていたのは江麻だった。真っ赤なカクテルドレスが少し乱れていたが、リビングルームの明かりを背に立つ彼女は、まさに救いの女神が降臨したかのようだ。
江麻がぼくの元に駆け寄って、手足の拘束を外してくれた。
「ありがとう……。どうしてここが分かったの!」
すると、江麻はぼくのズボンのポケットを指差した。
「この前、健吾のスマフォにインストールした暗号化ソフト。あれに現在位置をわたしのスマフォへ転送してくれる機能も付いているの。たまたま見たら、健吾の所在地が誰も使ってないはずの客室を示してて。何かあったのかも? と思って来てみたら、この通り。……さっさとここから出ましょ」
江麻に片手を引かれながらベッドルームからリビングへ移動した。部屋中央には缶コーヒーとカップラーメンの空の器が置かれたテーブルがあり、その両脇に客室乗務員用の白い制服を着た二人の男が倒れていた。
「……もしかして、殺しちゃったの?」
侵入者には死の制裁を。刑事ドラマで登場する、噛ませ犬的麻薬潜入捜査員の末路を思い出した。
「……まさか」
そう言って、江麻は突然足を上げた。そしてぼくの大事な部分へ一直線!
「ひいぃ!」
思わず目を背ける。そして、下半身から脳髄へ向かって激痛が……走らなかった。
足はギリギリ手前で止まっていた。
「まっ、こんな感じでしばらく気を失ってもらっただけ。こいつらは後でゆっくり締め上げて胃も腸もカラカラになるまで吐かせてやるから……」
江麻はにやりと唇を吊り上げて笑っていた。先ほどの恐怖も蘇ってきて、背筋がぶるっと震え上がった。
「それでも今はとにかく、ここを離れて安全なところに」
ぼくと江麻はうなずき合うと、一緒に廊下へ一歩足を踏み出した。その時、
「ダメじゃないケンちゃん。部屋で大人しくしてくれないと」
声がした方へ、ゆっくりと顔を向ける。
そこには、メイド姿の彩夏がアサルトライフルを抱えて立っていた。




