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ファウストの永久機関  作者: 三好ひろし
4 ドクターファウストの考察
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 ライトアップされた巨大な白い船体が、夕闇の中に浮かび上がっていた。

「……トンビにハンバーガー奪われた時みたいな表情している暇があったら、さっさと船に乗って」

 目の前の荘厳な豪華客船に目を奪われ、唖然と立ち尽くしていたぼくに向かって、神宮寺江麻が冷たい声をかけてきた。

 今日の彼女は、目のやり場に困るほど胸元が大きく開かれ、丈の短い真っ赤なカクテルドレスに、アイボリー色のショールを羽織るという、豪華客船に相応しいセレブな格好をしていた。

 ぼくは江麻に促され、出航前の準備で忙しなく動き回るガタイのいいおっさんたちや、豪華客船見たさに集まった野次馬連中を横目に船に向かった。野次馬連中はぼくの方へ「なんでこんなボンクラ男が豪華客船に?」と、言いたげな表情を向けている。

 ……ぼくも同感です。

 では何故、普通の生活をしていては目に触れる機会すらないだろう、セレブリティー溢れる豪華客船に乗船するかというと、借金返済を賭けた限定じゃんけん大会に参加……ではなくて、この船こそ、リヒャルト財団が主催する研究会の会場なのだ。てっきり、どこかの貸し会議室でも使うのだろうと思っていたのに。財団の力を思い知らされる。

 ともあれ、《権益者たち》によるさまざまな脅迫や嫌がらせを耐え忍び、ついにこの日が来たのだ。今日のレセプション、そして明日の研究会によって、博士の永久機関に関する研究が大々的に公表される。そうすれば、《権益者たち》の力の源泉となっていた、エネルギー利権が失われることとなり、彼らは破滅、世界に新たな自由がもたらされる、というわけだ。そして、ぼくらを狙うこともできなくなり、こちらも晴れて自由の身となれる。豪華客船は研究会の主催者リヒャルト財団が《権益者たち》に研究会を邪魔されないようにと、特別に用意したもので、実質、船が出港すればもう安全圏だ。

 長かった。なんでぼくは狙われているんだっけ? と忘れそうになるほどに。しかし、それも間もなく終わる。よく頑張った、尾野健吾! 自分で自分を褒めてやりたい。


 船員に案内され、意気揚々とタラップを駆け上がった。そして船の中へ入った瞬間、再び目を見張った。床一面フカフカな絨毯が敷かれ、天井にも意匠を凝らした照明が整然と並んでいた。まるで豪華ホテルのようだ。……もちろんそんなホテルには行ったことないので、想像との比較だけど。

 荷物を家の自室より何倍も広い客室に運んだ後、直ちにレセプションが開かれる会場へ向かった。白い制服を着た客室乗務員に案内され、会場前のラウンジに到着する。

 そこに集まっていた人たちは皆、今から宮中晩餐会でも始まるのか? と思わせるような格好をしていた。女性はドレス、男性もタキシードを身に着けている。

 おかしいな……、この日のために、元気に退院した姉にそれとなく、フォーマルな場にはどんな格好で行けばいいのかと聞いたら、「学生なら学生服に決まっているだろ」と言われたので、疑うことなくいつもの学生服で来たというのに。とても場違いな気がしてきた。港に向かう途中、江麻からは「格好なんて誰も気にしない」と、全く説得力のない格好で言われたけれども、せめて父親の礼服でもこっそり借りておけば良かった。

 華やかな照明の眩さに目がチカチカしながらも、ラウンジを見渡すと、奥から聞き覚えのある声がした。

「おい、助手!」

 片隅にあるソファーに、外国人風の男性と一緒に座っていた恰幅のいい男が、こっちへ向かって手を振っていた。

 久方ぶりに見る——と言っても一週間くらいだけど——博士だった。なんと博士すらもタキシード姿だった。懐が寂しいとか言っていた人が、どうやって準備できたのか?

 ……いや、そんなことはどうでもいい、逃走後、一度連絡を寄越したきりでその後は音信不通、どれだけ心配したことか! ぼくは博士と外国人男性が座っているソファーへ向かった。自然と早足になる。

「博士、無事……。あっ、もう飲んでる、早過ぎでしょ!」

 そこには感動の再会をぶち壊すような光景が広がっていた。テーブルには空になった紅茶カップ、そして、封が開けられたワインボトルが数本、置いてあった。レセプションの開始を、最初は大人しく紅茶を飲んで待っていたが、いつしか酒に変わったようだ。

「硬いこというな。ミスターコーネリウスが是非にと進めてくれたのだ」

 顔がほのかに赤くなった博士が、隣のソファーに座る外国人男性にぼくを紹介してくれた。「ミスター、彼がワシの助手じゃ」

 えっ、それだけ? 名前は紹介してくれないの!

 博士を睨み付けてから、外国人男性に向かって軽く会釈した。

「えっと……、ま、まいねーむいず ケンゴ オノ。セ、せんきゅー べりーまっち ふぉー いんばいてぃんぐ……せ、せみなー?」

 助手の肩書は否定しようと思ったけど、研究会をなんと言うのかかすらちゃんと分からない英語レベルでは無理そうなので諦めた。

 そんなつたないぼくの挨拶を聞いて、外国人男性は微笑を浮かべた。

「私はリヒャルト・フォン・コーネリウス。リヒャルト財団の代表で研究会の主催者です。こちらこそ、本日はよくいらしてくださいました」

 めっちゃ流暢に日本語しゃべれるやん! ……最初に博士が日本語でぼくを紹介した時に気づくべきだった。

 この人がぼくたちを招待し、そして江麻の雇主、というわけだ。ブラウン色の髪に青い瞳、精悍な顔つきのコーネリウス氏は、アカデミー賞でレッドカーペットを歩くベテラン俳優のような印象を受けた。

 コーネリウス氏と握手を交わす。氏の大きな手に、ぼくの華奢な手がすっぽりと包まれてしまった。

「君が、ドクターファウストが唯一アシスタントと認めた方ですか。今ちょうどドクターからいろいろお話を聞いていたところです」

 一体、どんな話をしたのだろうか? 博士を見ると意味深な笑みを浮かべながらワイングラスを一気飲みしていた。後で問いただしておこう。

 コーネリウス氏はぼくの後ろいる江麻へ視線を向けた。彼女はぼくたちから一歩退いて、立っていた。

「エマ、君もよくやってくれた。この研究会が無事開催できたのも、すべては君の働きだ」

「代表。わたし一人ではとても……。代表と仲間たちのバックアップがあってこそです」

 と言って、江麻は恭しく頭を下げた。

「やれやれ、昔から日本人はよく謙遜する性格らしいが、最近の若者も変わらないのだな。エマ、自分のやったことをもっと誇らないと、競争厳しい世界では生きていけないよ」

 コーネリウス氏の声は、オペラのバス歌手のような重厚で、それでいて柔らかさも含まれたような響きがあった。

「はい。ですが、……いえ、何でもありません」

 江麻は猫を前にした鼠のようにますます萎縮した様子で言った。

 普段ぼくは外国人や凄腕の実業家がなんと言おうと、謙遜のどこが悪い、奥ゆかしさこそ日本の美学、なんて「ザ・日本人的発想」だけれども、今回に限っては、コーネリウス氏の言う通りだと思う。江麻がいてくれたから、ここまで耐えてこられた。

 再び、コーネリウス氏がぼくの方へ振り向いた。

「研究会は明日、今宵はささやかなながら歓迎会を催します。どうか自分の家だと思っておくつろぎ下さい」

 その時、ボーッと汽笛が鳴ったかと思うと、ゆっくりと床が揺れた。

 船が動き出したようだ。

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