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ファウストの永久機関  作者: 三好ひろし
3 神宮寺江麻の論証
14/30

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 階段を降りてくる足音が聞こえ、リビングに神宮寺さんが姿を現した。

「終わった。大丈夫、盗聴器はなかったから。……ん、いい匂い」

 神宮寺さんがくんくんと鼻を嗅ぐ仕草をする。その姿もどことなく上品だ。

「ありがとう。ぼ、ぼくの部屋、漁らなかったよね……」

 台所からティーポットとカップを二脚、それにお菓子を載せた盆を持って、ぼくはリビングへ移動した。先に一階に下りて、紅茶を淹れていたのだ。博士の研究所から時々茶葉を貰い受けているので、我が家にもそこそこの種類が揃っている。……ぼく以外の家族は全員珈琲派なので、大抵余らせてしまうが。

「大丈夫、大丈夫、尾野くんが年上の巨乳好きだなんて誰にも言わないから」

「思いっきり、漁ってるじゃねえか!」

 やはり、ちゃんと見張っておくべきだった。

「……ん、その様子じゃ。当たったみたい?」

「なっ!」

 もしかして、鎌をかけられた? ……畜生、やりやがったな!

 唖然として固まっているぼくの手から、神宮寺さんは盆を取り上げ、リビングのテーブルに置いた。そしてソファーに深々と腰掛け、一人勝手に紅茶を注ぎ始める。

「あんまりだ……」

 神宮寺さんの対面に腰を下ろすと、目の前に紅茶カップが差し出された。

「はい、どうぞ。これで気を落ち着かせて」

 ……いや、この紅茶、ぼくが淹れたんですけど。

「ほんの軽い冗談だから。……でもまさか、ここまで簡単に騙されるなんて。もっと気を付けたほうがいいよ」神宮寺さんは両端が吊り上がった口元へカップを運ぶ。「……ん、どこの紅茶? おいしい」

 神宮寺さんの目が大きく開かれる。……一矢報いたと、ぼくは得意げに答えてやった。

「ウバだよ。今、丁度旬の季節だから」

 この前、博士が何処からか大量に仕入れてきた茶葉を少し貰ってきた。怪しい研究は多くても、博士が紅茶を見る目だけは確かなのだ。

「昨日、ドクターファウストの研究所でも淹れてくれたよね。尾野くん、紅茶淹れるのうまいね。一流のカフェでもここまでおいしく淹れるところなんてそうないのに」

 予想以上に、神宮寺さんはぼくが淹れた紅茶を気に入ってくれたらしい。そこまでべた褒めされると、さすがに恥ずかしくなる。

「い、いや、その……、茶葉が良いだけだよ」

「でも料理と一緒で、どんなに素材が良くても、淹れる人の技術がないと駄目なんでしょ?」

「うーん、どうかなあ。いつも博士の紅茶淹れてるけど、博士にはまだまだだって言われる」

「そうそう、それなんだけど。どうして健吾はドクターファウストの研究所にいるの?」

 ゲフッ! 危うく飲みかけた紅茶を吹き出すところだった。

 ……今、なんと言った、この娘は。

「あ、あ、あ、あのう、じ、じ、じ、じ、神宮寺さん……。い、い、い、いま、今ぼくのこと」

 ぼくの呂律の回っていない質問に、神宮寺さんは不思議そうに首を傾げた。

「あれ、下の名前、健吾じゃなかったっけ? それともケンジだったっけ?」

「健吾だけど、ど、ど、ど、どうして急に?」

 女性から下の名前を呼ばれるなんて、母親と姉以外に思い浮かばない。彩夏だってぼくのことを小学生の時から変わらずケンちゃんと呼んでいるくらいだ。これはいったいどういうことか!

「親しみと信頼関係を感じるには苗字じゃなく名前で呼び合う方がいいかなって、……いけない?」

「……えっと……その、別にいいけど」

 潤んだ瞳でそう訴えられては、駄目とは言えない。でもなんだか赤の他人に下の名前で呼ばれるのはくすぐったい。

「それともニックネームにする? 例えばジーパンとかテキサスとか?」

 趣味が偏ってますな! しかもめっちゃ古いし。

「それとも……、『ケンちゃん』でもいいけど?」

「それは止めてくれ!」

 神宮寺さんは驚いた様子で体を引いた。「ご、ごめんなさい。やっぱり『尾野くん』のままの方がいい?」

「こっちこそごめん。突然大きな声出しちゃって……」どうして大声を出したのだろう、自分でもわからなかった。「……いいよ名前で。……ところで、何の話だったっけ。神宮寺さん」

「だめ!」神宮寺さんは首を振った。「わたしが健吾のことを名前で呼ぶ以上、健吾もわたしのことを名前で呼ばなきゃ。わたしたちは対等な立場で信頼を築いていくべきだから。だから、わたしのことは江麻って呼んで」

 ゲフッゲフッ! また吹き出しそうになってしまった。

 なんだこの展開! ぼくは夢でも見ているのだろうか?

 でも、相手に頼まれた以上、そう呼ぶのが、れ、礼儀だよね、うん。

「え、江麻さん……。何の話でしたっけ」

 うわ、言ったぼく自身の顔が熱くなってきた。

 神宮寺さん……じゃなかった、江麻さんは一瞬、辛いものを食べたように顔を歪ませた。「まっ、とりあえずはそれでいいか。……そうそう、健吾と博士の関係について。身内じゃないんでしょ、どういう関係?」

「どういうって言われても、……ただの近所の偏屈じいさんだよ」

「どうして、そんな人のところへ、通っているの?」

 と言って江麻さんは、足を組み直す。……うおっ、白い太ももが露になって、ぼくは慌てて視線を逸らした。

「腐れ縁っていうか……、ぼくの家、両親がどっちも仕事が忙しくて帰りが遅いんだよ。父親は結構大きい会社で役職のあるエンジニアだし、母親も友人とブティックを共同経営しているから。で、小さい頃のぼくら姉弟を面倒見てくれたのが、博士なんだよね。当時はもう少し社交性があったみたいだし」

 今の博士に子供のお守りなんて頼んだら、激高してフラスコでも投げつけられそうだ。……偏屈に年は取りたくないものだな。

「あと博士は、《一応》物知りだから、宿題とか教えてくれるし。代わりにぼくは博士に紅茶を淹れたり部屋の掃除を手伝ったりしているんだよ。……そうしたらいつの間にか、助手なんて言われるようになっちゃったけど。……そんなところかな」

「そう。……健吾は、家庭的なんだね、ドクターファウストの身の回りの世話とかしているんだ。きっと立派な主夫になれるよ」

「そ、そうかな……。姉ちゃんには掃除も洗濯もまったくなってない、なんてよく言われるけど」

「そんなことない、健吾の部屋はちゃんと整理整頓されていたし。……そういう家庭的な男性がこれからはモテるんだから。わたしもそういう男の子、憧れるなあ」

「ゴホッ、ゲフッ、ガフッ!」

 口に含んでいたスコーンで危うく喉を詰まらせるところだった。

「大丈夫?」

 江麻さんがテーブルの隅に置いてあったティッシュ箱を差し出してくれた。

「あ、ありがとう」

 ティッシュを受け取って、ぼくは汚れた唇周りとテーブルを拭きとった。

 しかし、それにしてもどうして不意打ち的に、乙女チックな声を出してくるんだ。息と心臓が止まりかけたぞ。

 リビングに戻ってきたあたりから、どうも江麻さんの様子がおかしい。突然名前で呼び合うことを要求して、それにだんだんと話し方も優しくなってきているような……。

「ねえ健吾」と、江麻さんが声をかけてきたので、思考が中断された。「この家に盗聴器はなかったけど、それでもどこで《権益者たち》の手先が聞き耳を立てているか分からない」

「どうすればいいの、電話じゃなくてメールの方がいい?」

「メールも安全とは言えない。……健吾はスマホ?」

「うんそうだよ」

 ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。

「ちょっと貸して」

 江麻さんが手を差し出す。

「な、何に使うの?」

 両手でスマートフォンを隠した。そうしたら、「フフッ」と、江麻さんに鼻で笑われてしまった。

「大丈夫、画像フォルダに入っているものに興味はないから。通信の安全性を高めるアプリを入れたいの」

 どうして画像コレクションのことまで知っているんだ! と、一々驚くのも疲れたので、ぼくは「変なところは見ないでね」と念を押して江麻さんに渡した。

 江麻さんはしばらくぼくのスマートフォンをいじった後、すぐに返してくれた。

「そこに入れたアプリでわたしと連絡を取って。これを使うと、電話や普通のメールを使うよりも第三者に盗聴される可能性もずっと少なくなって、安全だから」

 ぼくは早速、指定されたアプリを立ち上げてみた。……アルファベットだらけでどう操作していいのかさっぱり分からなかった。「あの、これどう使えば?」

 江麻さんに聞くと、はーっと彼女は溜息をついた。「ドイツ語ぐらい読めるようにならないと」

 ドイツ語! 高校で習っているのはあくまで英語。分かるわけがないよ。

「しかたがない」

 と、言って、江麻さんはソファーから立ち上がると、テーブルを迂回してぼくが座っている側にやってきた。そしてぼくの肩越しにスマートフォンを覗き込んだ。

 彼女の黒髪がぼくの頬に触れ、ミルクのような甘い匂いが漂ってきた。たちまち心拍数が急上昇だ。

「まずはこのボタンを押すでしょ」

 江麻さんの腕が伸びて、スマートフォンの画面の一画を指差す。

「こ、これ?」

 ぼくは微かに震える声を出しながら、指で画面を触る。

「違う、そっち」

 苛立たしげに江麻さんが言うと、ぼくの腕を掴んできた。その瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けた。今日の朝も、腕を掴まれてびっくりしたけど、今回はその時を超える衝撃だった。

「あ、あの江麻さん」

「次は、このプルダウンから選択して……」

 ぎゅっと、江麻さんが体を密着させた。ぼくの頬に江麻さんの二の腕の感触が!

 おいおい、何だよこの恋人がいちゃつくような展開は……。

 と、ここで、ある一つの仮説が、神からの啓示の如く閃いてしまった。

 まさか江麻さん、護衛云々の話とは別に、やっぱり、異性としてぼくに興味があるってことなのか!

 その刹那、全身の血液が沸騰したかのように体が熱くなり、どっと汗が噴き出してきた。

 深呼吸だ、まずは深呼吸しろ、尾野健吾。気を落ち着かせるんだ。

 ぼくはいったいどこでフラグを回収した? 何のスイッチを押した?

 分からない……。だけど、冷静に検討してみよう。

 今打ち立てたこの仮定が本当に正しいか科学的に検証するんだ。

 初めに、この仮説を支持すると思われる事象はあるか?

 ……幾つか状況証拠的なものが挙げられる。突然ぼくを下の名前で呼び始めたこと。紅茶がおいしいとか部屋がきれいだとか家庭的で素晴らしいとほめてくれたこと。急に優しく甘い声で話しかけてくること。そして幾つかのスキンシップなど。これらが確かに仮説を支持していることは、過去の報告書——と書いてゲームやライトノベルと読む——により明らかだ。

「最後に、このボタンを押せば……」

 ……むにゅ。こ、今度はぼくの肩に、胸の柔らかい感触が!

 神宮寺さんの説明をそっちのけで、必死に頭をフル回転させる。

 次に、仮説の反証となるものはあるだろうか?

 今日の学校で江麻さん、女子生徒たちに向かって、ぼくみたいな草食系は興味ないって言っていたな。これは大きな反証となりうる。……でもこれは、ぼくとの関係を詮索されたくないための、江麻さんの方便じゃないだろうか? 彼女の真意はこの言葉と別のところにあるに違いない。うん、だからこれは証拠にならない。

 それから、学校の屋上や盗聴器を探していた時なんか、不機嫌というか怒っているような雰囲気だったよなあ。あまりに冷たい対応に怖かったよ。好意を寄せる人に対してこんな態度を取るだろうか? ……しかしこれも、江麻さんがツンデレ的属性を持っているのであれば話は変わる。むしろ強力な支持材料となるだろう。

 とにかく、以上の議論により結論が出た。

 仮説は限りなく真と言える。

 あとは本人の言質をとれば完璧だ。

「あ、あの江麻さん」

 衝動を抑えきれず、ぼくは江麻さんに声をかけた。

 その時、玄関先でブロローンブロンと、聞き慣れたバイクのエンジン音がした。

 姉が帰ってきてしまったようだ。

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