13
心臓は百メートルを全力疾走した後のように激しく動悸し、大雨後の濁流のように血液は全身を駆け巡っていた。そして体中から止めどもなく汗が流れ続けていた。
女の子が、ぼくの家に来るだって!
我が家は今、女性は母親と姉の二人、男はぼく一人という構成だ。父親は海外へ単身赴任中で、海外の工場へ最初は三ヶ月の予定だったのに、三年経った今でもまだ帰ることができていない……。
だから女性など珍しくもないが、それは身内の話であって、ぼくが家族親戚でもない女子を連れてくるなんて、彩夏を除けば、何年ぐらい振りだろうか。
その上、相手はまだ出会って二日、しかも超美形。緊張しないわけがない。
帰宅部生があらかた下校した頃を見計らって、ぼくたちも学校を後にした。下校途中、神宮寺さんに何度か話しかけられたような気がするけど、話の内容は全く覚えていなかった。
自宅に到着し、家に入る前に車庫の様子をうかがう。母親はいつも帰りが遅いし、姉も夕方はバイトがあるから、どちらも今は不在のはずだけど、一応確認しておく。特に姉なんかに、女子を連れてきたところを見られでもしたらなんと言われるか、想像すらしたくなかった。
案の定、母親の自動車も姉のバイクもなかった。
「ど、どうぞ、むさ苦しいところですが」
そう言って、ぼくは玄関の扉を開け、彼女を家の中へ通した。
「あらあら、まあまあな家ね。とても庶民的」
ほめたいのか、けなしたいのかよく分からない。神宮寺さんには良く言えば率直、悪く言えば露骨なところがある。
神宮寺さんをリビングに案内した。
「鞄はとりあえず、こっちに置いて」
ぼくが指差したソファーに鞄を置くと、神宮寺さんは鞄から黒い、四角いトランシーバのような機械を取り出した。
「それは?」
「見ての通り、盗聴器発見機」
……見て分からないから聞いたんですけど。
そんなぼくにはお構いなしに、神宮寺さんは機械を握りしめて、リビングを徘徊し始めた。
盗聴器探索はそれほど時間がかからなかった。リビングから始まり、台所、トイレ、バスルーム、物置、そして二階に登って、両親の寝室へと、発見機片手に家中を歩き回った。築四十年、うぐいす張りのような我が家の廊下でも、神宮寺さんは猫のように物音一つ立てず静かに歩いていた。こういう姿を見ると、ああやっぱり彼女は諜報の訓練を受けた人なんだなあと思えてくる。
そして残りは姉とぼくの二部屋だけになった。
「早く開けて」
姉の部屋の前で、神宮寺さんはぼくにドアを開けるように催促したが、ぼくはどうしてもドアを開けることができなかった。姉は、ぼくの部屋にはノックもせずにずかずかと足を踏み入れてくるくせに——プライバシーの侵害だと何度訴えても、全く聞き耳をもってくれない——、姉の部屋には絶対に入るなと厳命してくるのだ。
「……まさか、姉が怖くてドアが開けられないの?」
神宮寺さんの軽蔑するような視線が、ぼくの肌を震わせた。
「そ、そんなことは……、ない」
神宮寺さんまでに、姉の命令に何一つ逆らえない弱虫だと思われるのは癪だ。ここは男を見せてやる!
ドアの把手を掴んで力を入れる。しかし手が自然と震えだし、どうしても開けられなかった。
「尾野くんって、どれだけ姉に身も心も支配されているの?」神宮寺さんが冷めた口調で言ってきた。「どいて、わたしだけが入って調べてくるから」
「だ、駄目だよ。他人が入ったって知ったら、姉ちゃんに何されるか。……それに身も心も支配とか、人が聞いたら勘違いするような言い方は止めてほしい」
あくまで年上の身内を尊重しているだけだ、……きっと。
「はいはい、大丈夫だから」
神宮寺さんは軽くあしらうような返事をすると、ぼくの脇をすり抜けて、一人、姉の部屋に入ってしまった。
ぼくはしばらく固唾を飲んで部屋の前で待っていた。この際だ、部屋の中を覗いてやろうかと思ったが、やっぱり万が一ばれた時のことを思うと体がすくんでしまった。
二分ほどで神宮寺さんは部屋から出てきた。額にところどころ汗がにじみ出ていた。表情も部屋に入る前に比べて強ばっているようだ。
「ど、どうだったの?」
神宮寺さんの声がうわずっていた。
「え、ええ、盗聴器はなかった。そ、それにしても貴方のお姉さん。す、凄いね」
凄いってなんだ、凄いって! しかもいつの間にか「お姉さん」って丁寧語になっているし!
謎は深まるばかりだが、神宮寺さんはそれ以上語ろうとはしなかった。気になってしかたがない。やっぱり覗けば良かった、と後悔する。それならば、とドアを開けてみようか考えたけど、やっぱり怖くてできなかった。
最後はぼくの部屋だ。
中に入ろうとする神宮寺さんの前にぼくは立ち塞がった。
「ちょっと邪魔なんだけど。あとはここだけ、早く終わらせましょ」
そういうわけにはいかない。ここはぼくの部屋だ。女の子に見せるなんて恥ずかしくてとてもできない。
「ここまで盗聴器はなかったわけだし、ここにもきっとないよ。だから終わりにしよう」
そう言って、ぼくは神宮寺さんの肩に手を当てて押し戻そうとした。しかし、彼女はびくともしなかった。
「何馬鹿なことを。尾野くんの部屋が一番可能性高いんだから」
逆にぼくの方が神宮寺さんに押しのけられてしまった。彼女は乱暴にドアを広げてぼくの部屋に乗り込んでいった。
「あ、ああ……」
我ながら情けない声を出しながら、部屋に入って行った神宮寺さんの姿を恐る恐る見つめる。
神宮寺さんは部屋の中央で仁王立ちして周りを見渡していた。「まっ、男の部屋にしちゃ、わりと整理されているじゃない」
神宮寺さんは発見機を持って部屋をうろつき始めた。ぼくはハラハラしながらその姿を目で追う。
「そんなにじろじろ部屋を見ないで、さっさと調査してよ。……だめだめ、本棚は漁らないで。……机の引き出しもやめて。……そこはクローゼット。……あっ! ベッドの下だけは絶対覗かないで。それも駄目!」
神宮寺さんは突然振り向くと、目を吊り上げてぼくを睨みつけてきた。
「あーさっきからうるさい。何恥じらう乙女みたいなこと言っているの! わたしは貴方の性癖とか特に興味ないから。別にベッドの下に男の大切なコレクションが隠されていても驚きゃしないし」
「何でそれを知ってるの!」
神宮寺さんは実は超能力者なのか! 特殊な能力で捜査協力する、超能力者捜査官って人たちが海外にはいるとテレビでやっていたっけ。……もしかして神宮寺さんも!
「そういう系の隠し場所なんて、大体相場が決まっているでしょ。そんなの諜報の訓練を受けてなくても、ましてや超能力者じゃなくても、分かるから。……うるさいから先に下行っていて」
そ、そうなんだ、納得した。
ぼくは絶対に漁らないでねと神宮寺さんに念を押してから、逃げるように一階に降りた。




