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ファウストの永久機関  作者: 三好ひろし
3 神宮寺江麻の論証
11/30

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 午前中最後の授業が終わって、ぼくはすぐに屋上へ向かった。いつもだったら弁当持参の生徒でにぎわう昼休みの屋上は、今日に限って誰もいなかった。昨日の放課後にしろ、ぼくと神宮寺さんが会うときは都合よく人がいないらしい。

 ぼくが到着してきっかり二分後に神宮寺さんが現れた。

「あの、神宮寺さん。ぼくがもやしってどういうことですか?」

 まずはそこをはっきりさせておきたかった。

「なんだ、聞いていたの」神宮寺さんは悪びれた様子もなく言った。「深い意味はないよ。見た目をそのまま形容しただけ」

「それが一番傷付くんですけど!」

 ぼくはがっくりと肩を落とした。やっぱりこのまま午後早退しようかな……。

「そんなことよりも、脅迫状の話」

「そんなことって、ぼくにとってはそんなことじゃないよ」と抗議しようとしたが、神宮寺さんの顔を見たら、声が出なくなってしまった。彼女はイラついているような表情で、とても怖かったからだ。「うっとおしいな、さっさとしろよ」と顔に書いてあった。

 ぼくはおずおずと胸ポケットから問題のルーズリーフを取り出して、神宮寺さんに差し出した。彼女はしばらくじっと脅迫状を凝視していた。その表情は真剣そのもので、女子たちに囲まれた時ののほほんとした明るい雰囲気は微塵も感じられない。

「《権益者たち》からの脅迫状で間違いないと思う。あまり意味はないと思うけど、一応この脅迫状は分析に回すから、わたしが預かる」

 と、言って、神宮寺さんは慎重な手つきでルーズリーフを自分のポケットにしまった。

「あの、……ぼくはどうしたらいいの?」

 心のどこかでは、やっぱり脅迫状は冗談じゃないのか、とも思っていたが、二回も送られたら、悪戯や冗談とはさすがに言い難い。急に不安が押し寄せてくる。

「昨日も言ったけど、あまり外を歩かない。だけどそれ以外はなるべく普通に暮らすこと。下手に気にするほうが相手の思うつぼだから。奴らはそうやって精神的に揺さぶってくるの」

「精神的に、揺さぶってくる?」

「そう、昨日は尾野くんに少し危機感を持ってもらうために殺すとか、大げさな表現も使ったけど。こういうのって、普通はいきなり実力行使したりはしない。行使する側も相当なリスクを負うから。向こうとしても単純な脅迫で相手が折れてくれた方が一番ありがたいわけだし」

「そうなんだ……」

 今日の朝、自宅が武装集団に包囲されていたらどうしようなんて思っていたけど、それはさすがに杞憂のようだ。

「まっ、最後はどうなるか分からないけど」

「えっ、どういうこと!」

 真面目な表情で、さらりと言わないでください。相当怖いです!

「……、まっ、大丈夫だって、そのためにわたしがいるんだから。尾野くんは大船に乗ったつもりで、どーんと構えて、今度の研究会に向けて集中してくれればそれでいい」

「まあ、発表するのは博士なんだけどね」

 博士は今頃どこでどうしているやら……。なんて思ったら、轟音と共に上空を飛行機が通過していった。雲一つない青空を背景に日光を反射して銀色に機体が輝いている。


 ところで、一つ疑問というか、不安な点があった。いくら守ってくれると言ってくれても、神宮寺さんは所詮高校一年生の女の子。一方、相手は世界を裏から操っていると言っても過言でもない、巨大な力を持つ存在。勝負になるのだろうか?

 その不安を素直にぶつけてみた。

「本当に、大丈夫なの?」。

「うん? まだわたし……たちを信用できていないのも無理ないか」神宮寺さんは肩をすくめた。「貴方を直接守るのはわたしでも、わたしは一人じゃない。尾野くんに姿を見せることはないけど、たくさんの人たちがわたしたちをバックアップしてくれる。だから安心して……とは言わないけど、わたしを信頼して」

 訴えかけてくるような目で神宮寺さんはぼくを見た。

「信頼……」

「そう、諜報活動全般に言えるのだけど、一番重要なのは相手との信頼関係なんだから。情報を与える側と情報を受け取る側、守る側と守られる側、お互いを信頼すること。じゃないとうまくいきっこない」ここで神宮寺さんは、何かを閃いたように人差し指を空へ向かって立てた。「……じゃあ、わたしたちの力がどのくらいあるか、例を示しましょう。そうすれば少しはわたしを信頼してくれるかも」

 神宮寺さんは周囲をぐるりと見渡した。ぼくもつられて周囲を見渡す。ぼくたち以外誰一人いない昼休みの屋上。

「今日に限って、屋上に誰もいないのは、わたしがそうなるように、生徒たちを操作したからよ」

「……はっ?」

 神宮寺さんが何を仰っているのかさっぱり分からなかった。

 生徒を操作する……、どういうことだ?

「本当だったら、いつも十人ぐらいの生徒が屋上で昼ご飯を食べているはず。しかし今日に限って誰もいない。それは何故か?」神宮寺さんが指をパチリと鳴らした。「もちろん、もし他人がここいたら、わたしたちここでゆっくり相談なんてできなくなるから」

「いや、それじゃあ、因果関係がおかしいでしょ」

 神宮寺さんの口振りだと、ぼくたちがここにいるから誰もいない、ということになってしまう。

 神宮寺さんは、クスリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「だから、今日は屋上での昼食をキャンセルするように仕向けたの。ある生徒には先生から用事があると吹聴して、別の生徒には、今日の昼屋上で害虫駆除をするから近づかないように、って情報を流して、他にも……」

 えっ、えっ、えっ!

 つまり、今ここにぼくたち二人なのは、神宮寺さんが普段屋上で弁当を食べている生徒たちに対して情報操作を施し、近寄らせないようにしたってことなのか!

「どう?」

 神宮寺さんは自信たっぷりに言った。

 どうって言われてもなあ……。

「怖!」

 と、ぼくは叫んでいた。

 普通できないだろ、そんなこと! しかも神宮寺さん、昨日この高校に来たばっかりだよ。この短期間でどうやってそんな情報を仕入れて、人の動きを操作できるんだ! これが諜報、スパイなのか!

 怖い、怖過ぎる!

「まあ正常な反応かな」神宮寺さんは冷静にぼくの気持ちを受け取っていた。「でもこれくらいの情報操作、相手側も軽くやってのけてくるから。……ただ、尾野くんに分かってほしいのは、わたしたちも決して相手にひけを取っていないってこと」

 神宮寺さん——正確には彼女とそのお仲間たち——の力が十分にあることは分かった。諜報、スパイという、映画にしか出てこないような存在が今目の前にいて、怖くもあったが、それ以上に、そういう能力を使いこなす神宮寺さんに、格好良くて少しだけ憧れちゃうなあと、思った。

「じゃあそういうことだから、少しずつでいいからわたしのことを信頼してほしい。……他に何か気になったことは? あれば何でも教えて」

「あ、そういえば……」

 ホームルーム前の出来事を思い出し、山ジイから聞かされた匿名電話のことをかいつまんで説明した。

「な、な、な、な、わたしと尾野くんがラブホテル……、なんでそんなことに?」

 話を聞いた神宮寺さんは顔を真っ赤にして、顎をガタガタと震わせていた。すさまじい動揺っぷりだった。

「知らないよ。先生たちもさすがに悪戯電話だろうって相手にしなかったみたいだけど。……これってまさか?」

 神宮寺さんの目つきが鋭くなる。「おそらく、奴らの仕業だと思う」

 情報操作か、……って、ずいぶんと下世話だな。

「精神的揺さぶりという意味では意外と効果的だから。特に地位の高い人たち。たとえデマだとしても噂が立ってしまえば、それだけで、その人の社会的地位に傷が付く」

 ぼくはしがない高校生だから、地位も名誉もありはしないけど、将来、博士のようなアウトローな人生を送るつもりもないので、社会的な評価が下がるのは困る。

 そう考えれば、なんていやらしい恐喝だろうか。

 神宮寺さんは腕を組んで考え込んでいるようだった。「でも、あまりに手が速い……。もしかして」

「もしかして、なに?」

 おうむ返しに尋ねると、神宮寺さんは難しい表情で答えた。

「かなりの高い確率で、《権益者たち》の工作員がこの学校内部、またはその非常に近いところにいると考えられる、かな」

 工作員! あれか、要人を拉致したり、暗殺したりする連中のことか! 聞き慣れない単語がまた登場するとは。

「ぼくを狙っている人が、この学校にいるってこと? ……誰?」

 神宮寺さんは首を振った。「分からない。でも尾野くんにとても近い距離にいると思う。例えばクラスメート、あるいは先生……」

 ……その推論はさすがに無理があるだろうと思い、反論した。

「それなら、神宮寺さんがそうしたように、相手もこの学校に入り込む必要があるでしょ。でも、神宮寺さん以外でこの学校に転校してきた生徒はいないし、最近新しく赴任した先生もいないよ」

「そうとも限らない。スリーパーって言葉を聞いたことは?」

 ぼくは頭を振った。さっきから新しい単語がわんさか出てくるなあ。

「こっちの世界の言葉でスリーパーというのは、工作員として敵地に送り込まれるけど、普段は一般の人々となんら変わらない生活を送っているの。そしていざ上からの指令があると、スパイとして活動する人たちのこと」

「……例えば、麻薬密売組織の潜入捜査官みたいなもの?」

「うーん、ちょっと違うけど、……とにかく、尾野くんの長い知り合いであっても本当は敵のスパイの可能性があるってこと。だとすると少々厄介なことになりそう……」

 予鈴が鳴り響いた。昼休み時間中、昼食もとらず、神宮寺さんとずっと話し込んでしまったようだ。

「もう戻らないと。大丈夫、わたしが絶対に守るから」

 と、最後に神宮寺さんは力強く言ってくれた。その姿がとても頼もしく思えた。

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