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ファウストの永久機関  作者: 三好ひろし
3 神宮寺江麻の論証
10/30

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「尾野、きーさーまー!」

 教室に入るなり、目の前に森川が立ちはだかった。

「貴様という奴は、遠山さんのみならず、転校生の神宮寺さんまで侍らせての登校とは、いい度胸だな」

「え、えっと……」

 教室を見渡すと、男子たちからは羨望とも嫉妬とも取れるような視線を浴びせかけられ、女子たちからは唾棄すべきものを見るような目を向けられていた。

「尾野、一度お前には制裁を喰らわせんといかんようだな」

 森川はぼきぼきと腕を鳴らす。更に森川に加勢せんと男子が二人こちらに近づいてくる。三人そろって「グヘヘッ」と笑う姿は、核戦争後の世紀末に大量発生したチンピラ衆のようだ。

「も、森川が思っているほど、楽しいもんじゃないよ」

 登校中、ぼくを挟んで彩夏と神宮寺さんの間で繰り広げられた、アメリカと旧ソ連も裸足で逃げ出す冷戦状態に、胃に穴が開きそうなほどだった。そんな当事者たちは、彩夏はさっさと自分の教室に行ってしまい、神宮寺さんも用事があるとかで教室にはまだ来ていない。

 神宮寺さん、ぼくを付け狙う《権益者たち》をどうにかする前に、今目の前にあるこの危機的状況を何とかしてほしいです。

「恋愛ゲームもびっくりな展開で楽しくないなんて、どの口が言うんだ」

 森川はますます頭に血を昇らせていた。追い打ちをかけるように「その女たらしをやっちまえ!」と、男子たちが囃し立ててくる。

 森川はぼくの胸元を掴んで強く引っ張った。思わず前のめりになる。

 ……マジ? 本気なの!

「ちょ、ちょ、ちょ、待って待って。ぼくたち、友達だよね。親友だよね。心の友だよね!」

「うるせえ、お前との縁も今日限りだ。お前の悪行、たとえお天道様が許そうと、この森川様が許さねえ。月に代わってお仕置きだ!」

 その台詞は脈絡がなさ過ぎる、なんて突っ込んでる場合ではない。

 ただでやられるわけにはいかない、ぼくは起死回生の一言を放った。

「……じゃ、じゃあ、もう宿題見せてあげないから」

「うっ……」ピタリと、森川の体が止まった。「そ、それは困る」

「それに、この前頼まれてたゲーム、今日持ってきたんだけど」

「ほ、本当か尾野!」

 森川が手を離した。そして猫のように甘えた声——全く可愛くないが——で言った。「いやあ、尾野くん。持つべきものは友達だなあ」

 百八十度変わった森川の態度に、「ふっふっふっ、ちょろいな」と、ほくそ笑んだ。

 と、ここで横から本田さんが割って入ってきた。

「なに、みんなして三文芝居みたいなことやってるの」持っていたノートで森川とそれにぼくの頭をパンパンと叩いてきた。「森川は、ひがんでいる暇があったら、もっとモテるような努力をしたらどうなの」

「痛ってえな、本田」

 頭をさすりながら森川が言った。本当は本田さんはまったく力を入れてなかったので全然痛くはない。

「モテ男くんの方は、顔に似合わない、えげつない交渉なんてしない」

 モテ男って、もしかしてぼくのことですか!

「……それより尾野くん」本田さんの口調が真剣なものに変わる。「山ジイが呼んでた。できればホームルーム前に職員室に来てほしいって」

「お前、何かやらかしたな? 停学か?」

 森川はまだ頭をさすりながらも、悪人に天罰が下されたと、勝ち誇った表情を浮かべた。

「ま、まさか」

 一方、ぼくはブルブル首を振って全力で否定する。

「何喜んでるの、森川。アンタとは違うから。授業中に早弁したり、マンガ読んだり、エッチな雑誌を持ってきたり、そんなこと尾野くんはしないから。……きっとなにか、別のことだと思うけど、成績のこととか?」

「待て本田。最初の二つは認めるが、三つ目については言わせてもらうぞ。今、尾野の鞄の中には……」

「うわっ、うわーーー!」ぼくは大声で森川の言葉を遮った。「じゃ、ぼくは職員室に行ってくるから」

 森川にバラされる前に、慌てて教室を後にした。


 教室を飛び出してはみたものの、一応真面目に学校へ来て授業を受けている身としては、わざわざ呼び出される理由がさっぱりわからない。

 本田さんは成績とか学業に関することじゃないか、と推測していたが、この高校、留年しない程度に勉強し、法律に触れるようなことをしなければ、特に何も言われないという、良く言えば、生徒の自主性を重んじる、悪く言えば、いい加減な学校だ。一年生でしかも期末試験もずっと先であるこの時期に、成績に関する話を聞かされるとは思えない。もちろん法律を犯したつもりもない——森川に渡すために持ってきた、見つかれば女子からの好感度急降下間違いなしのゲーム……これは、まさかねえ。

 職員室に入って山ジイの席に向かう。先生はプリントの山やSL模型などが乱雑に置かれた机に、スポーツ新聞を広げていた。

 紙面から顔を離し、目を細めていた山ジイは、ぼくの存在に気づいて、顔を上げた。

「ああ、尾野か」

「用事って聞きましたけど、何でしょうか?」

「大したことじゃないが……、お前、昨日の夜の十一時ぐらいに、何処にいた? 外にいなかったか?」

「十一時? 自宅に決まってますよ……」

 昨日博士の研究所から自宅に戻ってきたのが夕方七時くらいだ。それから、神宮寺さんの言いつけ通り、一歩も家の外へは出ていない。先生は何が知りたいのだろうか?

「本当に」

 と、山ジイは観察するような視線を向けてきた。

「本当ですよ。ちょうどその時間帯、姉ちゃんの肩を揉んでましたから」

「何だ、お前。シスコンなのか?」

 山ジイが真顔で聞いてきたので、思わず「ちがーう!」と、大声で叫んでしまった。職員室にいた教師たちが、何事か? と、一斉にぼくの方へ顔を向けた。

「姉ちゃんが風呂から出た後で、ぼくが肩を揉むのが毎日の日課なんです……って、先生、話がずれてます。……と、とにかく、ぼくはそんな時間に外出なんてしていません」

「そりゃそうだろうな。尾野なら、そんな時間帯に出歩いたりはしないだろう。じゃあ行っていいぞ」

 と、あっさり解放を宣言してくれた。しかし聞かれた理由が分からないんじゃ、気持ち悪い。

「えっと、どうして、そんなこと聞くんですか? 気になるんですけど」

 先生は一瞬ためらうような様子を見せたが、ぼくがもう一度、「教えてください」と頼んだら、更に小さな声で説明してくれた。

「学校にちょっと怪しい電話がかかってきたんだ。その内容がちょっと信じられなくてな。でも一応確かめておこうと思ったんだ。……その、え、駅裏のことは知ってるか?」

「駅裏……、そりゃあ、まあ」

 駅裏の一角には恋人同士が利用するホテルやら、なんやらが軒を連ねている場所がある。その手の話題に興味津々なお年頃ではあるけど、さすがに近づくことはしない……、って、高校生でも笑って話せることを、どうして山ジイはとても恥ずかしそうに言うんだ? そんなんだからまだ独身なんだ。

「そこで、夜遅く、うちの高校生を見たって電話があって。で、それが、尾野、お前と、転校生の神宮寺だと」

「は……、はあっ!」

 また大声を上げてしまい、再び教師たちの視線がこちらに集まった。職員室の一番奥で席に座ってお茶を飲んでいた教頭が、わざとらしく咳払いした。

 ぼくは声を低くして言った。「そ、そんな馬鹿な話あるわけないじゃないですか!」

「でも、今日、お前と神宮寺、それに遠山が一緒に登校したらしいじゃないか? ……別に先生は恋愛が悪いだなんて言うつもりはない。ただ、高校生として健全な付き合い方があるだろう、と。……ああ、それに三角関係は気をつけろ、泥沼に陥ると面倒だぞ」

「だから、先生、話がずれてるって」神宮寺さんと一緒に登校したことが、教師の間でも知れ渡っていることについてはもはやどうでもよかった。「大体おかしいじゃないですか。制服を見れば、どこの高校の人間かはわかっても、それが誰かだなんて、どうして分かるんですか? そもそも、さっきも言った通り、ぼくはその時間に外に出ていません」

「もちろん分かっている。先生たちも匿名電話が悪戯だと思っているが、一応確認しておいただけだ。おっと、もうホームルームの時間だ。先に教室に行け」

 ぼくは追い出されるように職員室をあとにした。

 それしても嫌らしい悪戯電話だなあ。ぼくと神宮寺さんがラブホテルだって! ……ちょっと想像しちゃったじゃないか。


 教室へ戻ると、待ってましたと言わんばかりに森川が絡んできた。

「おい、どんな用事だったんだ、もしかしてテストで零点とったとか?」

 森川じゃあるまいし……。ぼくは「大した用事じゃなくて、ちょっと家のことで」と誤魔化した。本当のことを言えばそれこそ格好の餌食だろう。

 森川を追い返した後、ホームルームが始まる前に、鞄の中のノートを机にしまおうと、引き出しに手を突っ込んだ。

「ん?」

 予想していなかった感触があった。

 引っ張り出してみると、それはルーズリーフが雑に四つ折りされたものだった。

 ……こんなもの入っていたっけ?

 そっと、折りたたまれたルーズリーフを広げる。次の瞬間、体中の毛穴が一斉に広がったような感覚がした。

 ルーズリーフには〈研究会へ参加するな〉と書かれていた。

 二通目の脅迫状! しかも学校のぼくの机の中に!

 安っぽいルーズリーフだけど、文章は凝っていて、よくサスペンスドラマに出てきそうな、新聞紙や雑誌の活字を切り貼りしてあった。

 神宮寺さんに相談した方がいいだろう。朝からぼくを守るために一緒に登校してくれたのだ。彼女ならきっと力になってくれる。

 神宮寺さんは席にいたが、今は数名の女子が神宮寺さんを取り囲んでいた。神宮寺さんは無邪気な笑顔を彼女たちに向けている。……昨日の屋上や博士の研究所での彼女の態度を知る今となっては、ますます違和感がある。

「ちょっと、江麻ちゃん。今日、尾野くんと登校してたでしょ。どういうこと!」

 神宮寺さんの周りにいる女子の一人が言った。

 ……やはりその話題か。もはや学校中に広まっているんじゃないか?

 神宮寺さんは白い歯を見せて笑った。

「えっ。そのこと? たまたまだよ、たまたま。……わたしの家と尾野くんの家が近くで、今日ばったり会っただけ」

「……なんか怪しいなあ」

 女子の中の一人が言う。神宮寺さんの眉がピクリと動いた。「な、何が、怪しいの? クミちゃん」

 クミちゃんと呼ばれた女子は「フフッ」と笑った。「もしかして江麻ちゃん、尾野くんのことが好きなんじゃ……」

「へっ?」

 神宮寺さんは一瞬何を言われたのか分からなかったようで、目が点になっていた。そしてゆっくりとぼくの方へ顔を向けてきた。ぼくは急に恥ずかしくなって咄嗟に顔を背けた。周りの女子たちが「えー、やめときなよ。あいつ遠山さんにベタベタだろ」「そうそう、それにシスコンだって噂だし」などと囃し立てている。……ぼくへの罵りに聞こえるのは、気のせいだよね?

「そ、その!」

 慌てた様子の神宮寺さん。ぼくの耳が自然とそちらへ向けられる。

「全然そんなんじゃないから。本当に尾野くんとはたまたまなんだから。……それにわたし、ああいういかにも草食系のもやしみたいな男はちょっと……。全身日焼けしたワイルドな男子の方が興味あるんだから!」

 そうですか、ぼくはもやしなんですか……。って、周りの女子たち、うんうんと納得した様子でうなずかないで。そんでもって森川、勝ち誇ったような笑みを浮かべるな! もう二度と宿題は見せてやらないからな。

「えーそうなんだ。……ねえねえ、ところで昨日出た雑誌なんだけど……」

 などなど、女子トークの方は、ボロボロに傷ついた男のことなど忘れて、キャッキャと続いていた。

 もう、今日はもう早退したい気分だったけど、これからのことを考えるとそうもいかないので、脅迫状のことを昨日教えてもらった神宮寺さんの携帯メールへ送った。ホームルームが終わり、一限目の授業が始まる直後に、返信が返ってきた。

 本文は簡潔に〈昼休み、屋上で〉と書かれていた。

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