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#2

 それから数日後、マンションに大勢の人が出入りするようになった。僕の部屋と同じ階で、何かをやっている。警察官もいたような気がする。また空き巣に入られたのだろうか、と思った。



 佐々木さんのところへ遊びに行ったとき、その話をすると、


「君、何も知らないんだね」


 と驚かれてしまった。


「子供がね、死んでたんだって。それで大騒ぎ。マンションの人、みんな知ってるよ。ああ、大学に行ってたから知らなかったのかな」


「そんなことがあったんですか?」


「うん。マンションの部屋の中で死体が見つかったんだって」


「へえ……」


「それがひどいんだ。事故とかじゃなくて餓死らしい。お母さんが旅行に出かけて、ご飯とかなにも作ってなくて、それで食べるものがなくなって死んじゃったって」


「えっ……」


 と僕は言葉を失った。


 全然知らなかった。たまにテレビのニュースで似たような事件が報道される。いまの時代に餓死するなんてことがあるんだ、とテレビを見ながら思っていたけど、それが自分の身近なところで起きたというのはショックだった。


「……言ってくれればパンでも何でもあげるのに」


「うん。でもお母さんが家から出るなって言いつけてたらしい。だから言われたとおり家から出ないで、誰にも言えなくて、ご飯も食べられなくって……ひどいよね。いつもそうやってご飯食べさせないから、がりがりにやせていたんだって」


 佐々木さんは辛そうな顔をした。


「同じ階にそんな子が住んでるなんて知らなかった。私は年だけとって、でもこういうときに役に立てないんだ……。年長者の役目だよね、こういうことの相談に乗って、面倒をみてあげるの。私、ちょっと頭が悪いから、会社でもぜんぜん頼りにされなかった。会社を辞めてもこういうこと、頼ってもらえないんだなあと思うと悲しくなってくる」


 そう言って佐々木さんが落ち込んでしまったので、あわてて慰めた。

 子供のことを知らなかったのは僕も同じだった。





 その日の夜、僕は気づいてしまった。


 子供だ。

 死んだ子供というのは、あの部屋の「まさはる」という子供じゃないだろうか。


 玄関のドアを開けようとしていた、変わった女性。あの人は子供の悲鳴が聞こえたと言っていた。

 それにあの手紙。「えみこおかあさん、はやくかえってきてね。まさはる」。あれは家から出るなと言われた子供が必死に送ったSOSだったのかもしれない。


 なのに、僕は空耳だとか言って、そのSOSを無視してしまったのだ。あのとき女性の話をちゃんと聞いて助けにいけば、子供は死ななくてすんだのだろう。

 

 間に合ったはずなのに。僕が余計なことをしなければ……。

 子供が亡くなったのは僕のせいだ。


 そう思うと胸が苦しくなってきて、その日の夜は一睡もできなかった。



   ***



 翌朝、僕は佐々木さんのところへ向かった。


「どうしよう、佐々木さん」


「何かあったの? こんな朝早くから」


「それが、それが……」


「落ち着いて。どうしたの? ちょっと顔色悪いよ?」


 僕はドアの前で会った女性のこと、「まさはる」という子供が書いた手紙のこと、子供の悲鳴が聞こえたと言っていたこと――あの日起きたことをひととおり説明した。


「……うーん」


 佐々木さんは僕の話を聞いて考え込んでしまった。



 しばらくして、佐々木さんは、ポツリと言った。


「すごく言いにくいんだけど、たぶん、死んだのはその子だと思う」


「やっぱり……」


 眩暈がした。目の前の景色がぐらぐらと揺れて、そのまま倒れてしまいそうだった。


「死んだ子は南さんの家の子供だっていう話だから。でも、そのときに君に何かできたっていうことはないんじゃないかな……」


「どういうことですか?」


「君が鍵を忘れて締め出されて、私のところにパンを持ってきたのは、月曜日だから……5日前でしょ?」


「6日前です」


「うん、そうか。でもまさはるくんが死んだのは2週間以上前らしいよ」


「そうなんですか」


「だから、そのときに君にできたことはなかったんだと思うよ」


「……そうですね」

 

 良かった、と思うのはおかしいかもしれない。子供が一人亡くなっているのだから。でも、少し肩の荷が下りた気がした。


「あれ……ちょっとおかしくないですか?」


「うん? なにが?」


「子供が亡くなったのが2週間以上前なら、月曜日に悲鳴を上げたのは誰なんです? 月曜日って6日前ですよね? 手紙を出したのも誰だろう」


 佐々木さんはぽかんと口をあけて、首をひねっていた。そして、


「うーん……わからないなあ」


 と答えた。


「やっぱり、悲鳴が聞こえたときはまだ生きていたのかもしれないですね……」


「どうなんだろう……」


 僕と見つめあったあと、佐々木さんがぽんと手を叩いた。


「私たちじゃあ、どういうことなのかわからないね。相談してみよう」


「相談? 誰にです?」


「私の囲碁の先生。すごく頭がよくて、何でもわかっちゃうんだ」


「へえ」


「囲碁を打ってるだけで、最近何があったかとか、全部当てちゃう」


「すごいですね」


「その人に連絡してみるから、待ってて」


 佐々木さんは部屋の奥で電話をかけているようだった。そして、頷きながら戻ってくる。


「大丈夫だって。ちょうど時間があるから、今から話を聞いてくれるって」


「今からですか」


「うん。早くどういうことなのかはっきりさせたいよね」


 佐々木さんが僕の顔を見ながら言う。

 そういえば昨日は眠れていない。そのせいか顔色が悪いとも言われた。そんな僕のことを心配してくれているんだな、と思った。



   ***



 佐々木さんに連れて行かれたのは喫茶店だった。ログハウス風の落ち着いた雰囲気のお店だ。植木と少し奥まったところにある立地のせいで、ちょっと離れたところからだと店があることにも気づけないと思う。実際僕はこの喫茶店のことを知らなかった。


 僕が喫茶店を眺めていると、佐々木さんが、


「ここで待ち合わせだから。入っちゃおう」


 と言って店のドアをくぐった。

 そして、店に入ったとたん、


「あれ、もう来てたんですか!」


 と大声を出した。どうやら囲碁の先生はさきに着いていたらしい。



 ウェイターに案内されて、僕は席についた。


 テーブルの向こうに座っているのは僕よりも少し年上の若い男性だ。紺色の長着を見事に着こなしている。囲碁の先生っていうのは、やっぱり普段からこういう和服を着るんだなと思っていると、僕の視線に気づいたのか、にこっと微笑みかけられた。


「ええと、こちらが私の囲碁の師匠でもある櫻井先生。こっちが私の隣の部屋に住んでいる、大学生の辰巳君」


 佐々木さんに紹介されて、頭を下げる。櫻井先生は、軽く手を振って、


「先生はやめてください、佐々木さん。一緒に囲碁を打っているだけで、師匠なんて言えるような腕でもないですし」


 と言った。

 それから僕のほうを向いて、


「佐々木さん、ちょっと話が大げさだから、僕のこといろいろ言ってたでしょう? 本気にしなくていいからね」


 と笑った。


 怖い人ではなさそうだった。しゃべった印象は、その反対でとても優しそうだった。なんだかほっとして、緊張が解けた。





「――というわけなんです」


 コーヒーを飲みながら、櫻井先生にこれまでのことを話した。特に質問をはさむこともなく、小さく頷きながら聞いていた櫻井先生は、


「なるほどねえ」


 とつぶやくと僕の顔を見た。


「それで、子供を助けられたはずなんじゃないかって、責任を感じてるんだ?」


「はい……」


「それに関しては心配ないよ。そのときには亡くなってたんだから」


「でも、悲鳴が……」


「それは、うーんとね」


 ちょっと考えるように視線を遠くに向けて、


「亡くなったはずの子供が手紙をよこした。悲鳴も聞こえた。これは不思議なことだ。そんなことあるわけがない。だから、本当は子供が生きていたんじゃないかと思う。こういうことだね」


 と櫻井先生が言った。その内容は僕の思っていたこととほとんど同じだったから、大きくうなずいた。


「偶然とそれぞれの事情が重なって、不思議なことが起きているように見えているだけだよ。そのときに子供が亡くなっていたのは間違いない。警察だって、そこはきちんと調べただろうね」


「えっでも」


 と佐々木さんが声を上げた。


「じゃあ、先生にはもうどういうことなのか全部わかっているんですか?」


「まさか」


 櫻井先生が首を振る。


「情報がこれだけじゃあわからないですよ。こういうことなんじゃないのかな、と思っていることはありますが。そうだな……もう一人呼んでもいいですか? それではっきりしますから」


 僕と佐々木さんに確認を取って、櫻井先生はスマートフォンを取り出した。それを見て、和服の人が慣れた手つきでスマートフォンを操作しているのは、ちょっと変わった光景だなと感じた。



 呼び出した相手が来るまで少し時間がかかるらしい。櫻井先生がサンドウィッチを頼んで、僕はコーヒーのおかわりをした。

 待っている間に佐々木さんに水を向けられて、僕の大学の話になった。


 僕が通っているのは私立の大学で、生徒の人数が多い。そのせいか、最初から細かく専攻科目が分かれていない。一年生の間に浅く広くいろいろな講義を受けて、二年生になったときに自分の進むコースを選ぶ仕組みだ。


「辰巳君はどの方面に進むの?」


「社会学か、人類学を選ぼうと思ってるんですけど、どちらも人気があるんです」


「うんうん」


 佐々木さんは大学に興味があるみたいだった。さっきから僕の話を熱心に聴いている。


「二年生になるときに成績のいい順に振り分けられるから、成績が悪いと第二希望にまわされるんです。そこでも順番に振り分けられて、第三希望にまわされることもあります」


「へえ」


「運が悪いと、一番人気のない東洋哲学とかのコースになってしまうんです」


「東洋哲学か。面白そうじゃない」


 櫻井先生が言った。僕はうなずいた。


「そうなんですけど、仏教の本とかを読まないといけないから、サンスクリット語を覚えないといけないんです。第二外国語とは別に、サンスクリット語が必須なんです。みんなそれが嫌で、人気がないんです。教授も気難しい人が多いらしくて、よっぽど好きな人じゃないと続けられないっていう話です」


「そうなんだ」


「いまの僕の成績だと社会学と人類学はちょっと厳しくて、無理して希望を出して、運が悪かったら東洋哲学とかにまわされる可能性があるので……」


「難しいんだねえ、でも羨ましいな」


 と佐々木さんが言った。


「私も大学行きたかった。でも無理だった。頭が悪いから」


 朗らかな顔をしてそんなことを言うので、なんと答えればいいのかわからなかった。

 


 話に夢中になっていて気づかなかったが、いつのまにか櫻井先生が注文したサンドウィッチがテーブルに届いていた。手をつける様子はない。


 櫻井先生は背が高くてほっそりしている。切れ長の鋭い目つき以外は、テレビの囲碁講座にでてきても違和感のないたたずまいだ。声が低くて、落ち着いた物腰ということもあって、なんとなくご飯をたくさん食べるタイプには見えなかった。むしろ断食とかをしていそうだ。

 

 注文はしたけど、やっぱりおなかが減っていなかったのかもしれないな、と思っていると、櫻井先生が手を上げた。


「おお、こっちだよ」


 視線の先を見ると、異様に体格のいい男が店に入ってきたところだった。縦と横の幅が、ほとんど同じくらいだ。太っているというわけではなく、全身筋肉に覆われて横幅が広がっているように見えた。首周りだけでも僕の腰くらいありそうだった。


 このプロレスラーのような男はスーツを着ていて、これがまた似合っていなかった。無理やりスーツの中に体を押し込めているといった印象だった。


 僕の隣に座ると、


「いきなり呼び出しやがって。何の用だ」


 と言いながらがつがつサンドイッチを食べ始めた。


「こいつは沼田。僕の幼馴染で、刑事をやっているんだ」


「ああ、沼田だ」


 僕らも櫻井先生に紹介されて、


「佐々木です」


「辰巳です」


 と順番に挨拶をした。

 沼田刑事は軽くうなずいて、


「それで?」


 と櫻井先生をにらみつけた。


「あそこのマンションで、子供が餓死した事件、知ってるかな?」


 先生が言うと、


「ああ、知ってる。かわいそうだよな……」


 沼田刑事は眉をひそめてうつむいた。

 

「その事件について、ちょっと確認したいことがあるんだけど」


「なんだ? うちの管轄だから、ある程度のことはわかるぞ」


「まず、死体を移動させたような形跡はなかった?」


 沼田刑事がちょっと驚いた顔をした。


「……あった。だが死亡後かなり時間が経ってから移動させたらしい。頭と背中に衝撃を受けたような痕跡も残っていたが、これも時間が経ってからだ」


「もうひとつ、子供のいた部屋の玄関のドアはオートロックだよね」


「そうだが?」


 何でそんなあたりまえのことを聞くのか、という顔で沼田刑事が答える。


「えっ? そうなんですか?」


 僕と佐々木さんは顔を見合わせた。


「なんだ? 何かおかしいのか?」


「いや、だって……」


「あそこのマンションは入り口のエントランスだけオートロックなんだ。部屋の玄関は普通のドア。だから、その部屋のドアのオートロックはあとから取り付けたものなんだろうね」


「ふーん? そうなのか」


 櫻井先生の質問は終わったようだ。どういうことなのか教えてもらおうと口を開く前に、先生は立ち上がった。


「じゃあ、だいたいわかったから、行きましょうか」


「行くってどこにですか?」


「もちろん、犯人を捕まえにだよ」


 櫻井先生はそう言って、にこっと笑った。 

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