表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

夏蜜柑

作者: 藍上恩

 テーブルの上で、夏蜜柑が悲しげに佇んでいた。


先日、祖母の家に行った時に土産としていただいたものである。


窓を見ると、水色が微かに橙色になろうとしている最中である。


「あ、おいしそうな夏蜜柑じゃん」


トイレを借りていた恋人が大きな声をあげる。


「そんなのさっきまで置いてなかったよ?」


「さっき、私が置いたんだよ」


この夏蜜柑を眺めていると、祖父母の家での出来事が思い出される。






 盆や正月や春休みなど、母方の祖父母の家へ遊びに行った回数は数え切れない。


実家から祖父母の家までが単純に近いということもあった。


春から小学校に入学する年の3月にも、遊びに行った。


「どうも、いらっしゃい」


母曰く、自分の家系は生命力が高く、皆が長生きとのことである。


祖母は当時で89歳、祖父も86歳だったが、二本の足で堂々と立っていた。


「どうも、2日間お世話になります」


僕の父にとっては、血縁的には他人である。


その父がかしこまって挨拶する。


「はーい。どうぞー」


祖父が笑顔で父に会釈する。


今だから言えることだが、当時私は厳格な祖父が怖かった。


私は祖父母の家へ遊びに行くこと自体は楽しみではあったが、


ことあるごとに怒られるので、当時の私は祖父と対面すると緊張したものである。


6歳の私がテレビを観ながら鼻をほじっていると、


「コラ、鼻をほじらない」


と一瞬だけ光る雷のように素早く、簡潔に怒った。


箸の持ち方が違った時も、「箸はそうやって持たないの」と言って、


正しい箸の持ち方をするまでご飯を食べさせてもらえなかったりもした。


祖父母の家を離れる時は少し悲しくなったけれども、


これでしばらくの間は怒られずにすむ、という安堵も同時に感じていた。


「そうだ」


荷物を車に詰め終わり、さあ帰ろうかとした矢先に祖父が拳で手を打った。


「ちょうど夏蜜柑がいい頃合だ。


どうだね、持って行きなさいよ」


私は顔には出さなかったが、少し陰鬱な気持ちになった。


というのも、当時私は夏蜜柑が苦手だったのだ。


分厚い皮を一所懸命向いても、その中には薄皮がある。


薄皮をうまく取り除けず、薄皮ごと食べると口いっぱいに苦味が広がる。


やっとこさ薄皮を取り除いても、格別甘いわけでもない。


それよりも、皮という概念を全く考えることなく食べれる苺やブルーベリーの方が私は好きだった。


私は良くも悪くも『いい子』であったので、そのことを親に言うこともなかった。






 「じゃあね、来週の月曜までに聞いてくるように」


小学2年生の頃、8歳となった私は学校でとある宿題が出された。


『自分の名前の由来を調べる』というものだった。


その日の夕食の時、早速尋ねた。「ねえ、おかあさん」


「なあに?」


「ぼくさ、なんでこんななまえついてんの?」


「ええ? なんでって・・・・・・」


「がっこうのしゅくだいでだされたの」


「へえ。学校も面白い宿題を出すもんだなあ」


父親も会話に加わる。


「うーん・・・・・・」


母親は複雑そうな顔をした。


「実はね、あなたの名前を考えたのは私たちじゃないのよ」


「ええ?」


「そうね、明日にでもおばあちゃん家に電話して聞いてみるね」


母親の話では、私の名前は祖父母が考えてくれたものだという。


はじめての子育てで、母親が事あるごとに祖父母に頼っていたことも、この時聞かされた。


「はじめての子だったからね」


母親は懐かしむようにひとりごちた。


「おじいちゃんもおばあちゃんも、ちゃんとした子どもに育てようって」


その頃の私は、母親が何を言いたいのかよくわからなかった。






 つい先日、久しぶりに祖父母の家を訪れた。


実家の母親から、「おじいちゃんが危ないから顔だけでも見せに来な」との電話が入った。


その日は夕方からバイトがあったが、それを無理にキャンセルして祖父母の家へと向かった。


電車を乗り継ぐこと1時間して、祖父母の家からの最寄り駅に到着した。


そこから歩くこと更に30分くらいして、祖父母の家の前に着いた。


実家の車があったので、既に私の家族は到着しているようだった。


呼び鈴を鳴らすと、「はーい」と聞きなれた祖母の声が聞こえる。


「すみません、遅くなって」


「ええ、あがって」


私は祖母や家族に挨拶を済ませると、早速祖父のいる和室へと通された。


「おじいちゃん。きましたよ」


と言いながら祖母が襖を開けた。


そこに寝ていたのは、あの厳格な祖父ではなかった。


腕は細くなり、身体全体も痩せ、人工呼吸器のようなものを鼻につけていた。


鋭い眼光も、やすりで削られたように丸くなっていた。


「久しぶりです」


私は祖父に頭を下げた。


祖父はしばらく私の顔を見たのちに、「おお・・・・・・」と感嘆の息をもらした。


「いつのまにか・・・・・・」話す力もそれほど残っていないのか、祖父の言葉はとぎれとぎれだった。


「こんなに・・・・・・立派になって・・・・・・」


祖父の目は濡れていた。


「ええ」


和室の窓からは、夏蜜柑がたわわに実っているさまを拝むことができた。


「夏蜜柑、今年もいっぱいとれたね」


祖父はよく聞こえなかったようだったので、もう一度言った。


「夏蜜柑、今年もいっぱいとれたね」


祖父は「ああ、」と言って、窓の外を眺めた。


常磐色に生い茂る葉の合間には、山吹色に輝く夏蜜柑が点在していた。


「今年も・・・・・・」


祖父が何か言ったので、耳をそばだてた。


「いっぱいなったなあ」


晩秋になると黄色に色づく夏蜜柑は、4月の時期になってようやく食べ頃になる。


「これからも、いっぱいなってほしいなあ」


祖父は、まもなくこの世を去り行く者である。


来年の夏蜜柑を垣間見ることはできないだろう。


「夏蜜柑は・・・・・・」祖父は声色こそ変えなかったが、


私は話題が変わったのだと直感した。


「夏橙とも言われてるんだよ。


代々続くという意味がある果物でな」


祖父の話では、去年なった夏蜜柑の実を夏までに採らないと、


その木にはその年の夏蜜柑がなるそうである。


それを由来として、代々続くという意味が込められることとなった。


「老いた者は去るが、若い者が新たな者を創っていくんだ」と、祖父は続けた。


今考えると、これは祖父なりの遺言だったのかもしれない。






 「ふうん」


私の話を一部始終聞いてくれた恋人は、頬ずえついていた。


「夏蜜柑を見ていると、祖父母のことを思い出すんだ」


その祖父も、つい数日前に亡くなった。


病死というよりも大往生とのことで、告別式や葬式は特に哀しい雰囲気に包まれることもなかった。


「老いた者は去るが、若い者が新たな者を創っていくんだ」


今度は私が父となり、祖父とならねばならない。


一族の繁栄などという大それたことを言うつもりは毛頭ないが、


夏蜜柑のように、私たちの家系が続いていけばいいと思う。


Fin

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ