9 決め手はプレゼンテーションで
朝霧さんがいきなり海外事業部に異動になったのには驚いたけど、ある意味ライバルが消えてラッキー!だった。
まあ、元々、彼は社長には全然相手にされてなかったし、社長も身の危険を感じて彼を飛ばしたのかな?
表面上、留学する予定の朝霧さんの異動には何も問題はないし、後任の阿木クンは入社2年目のエリート候補生。
海外事業部から抜擢されたホープだ。
あたしに敵意剥き出しだった朝霧さんとは違って、ちゃんとあたしに敬意を払ってくれる出来た後輩だ。
そうそう、こーゆーコが後輩だったら、あたしもストレスなんて感じずに楽しく仕事が出来るってモンよ!
第一希望の教師の仕事じゃなくってもね。
仕事以外でも色々と環境は変わりつつある。
ヘタレの社長がなんと!あたしを食事に誘ったのだ!
流石のあたしも、ちょっと驚いた。
まあ、誘いの時に吃ったのは想定の範囲内ってヤツだったけど、あたしを連れて行った場所も気障ったらしい高級レストランではなく小汚いくらいの飲み屋。
普通の女の子なら、期待外れでガッカリするかもしれないけど、あたしとしては『良く出来ました』って褒めてあげたい処だわ。
だって、着馴れない服で着飾った処でボロが出るのは時間の問題でしょ?
社長の中身が庶民でヘタレてる事なんて、あたしにはとっくの昔にお見通しだし!
それに小汚くとも味はいいものを出している店に連れてってくれた事はポイントが高いわよ。
社長はこう言う味が好きなんだって知る事も出来たし。
加えて、美味しいお酒を置いてある店っていいわぁ~
あたしのお気に入りにもしちゃお!
でもね、その帰りはちょっと頂けなかったわ。
酔った勢いってサイテー最悪だもん。
ビシッと言ってやったら、あっさりと引いたけど。
引き際が良過ぎるのも、ちょっと問題かしら?
でもでも、強引に迫られたら、力で敵わないのは当たり前だし。
女心としては複雑よね。
勿体をつけてるワケじゃないけど、容易く手に入れられると思って欲しくもない。
初めて誘われた翌日、社長はあたしを窺う様に次の約束はまだ有効なのか聞いて来た。
可愛いなぁ、もう。
あたしより八つも年上のクセに、どうしてこんなに可愛いのかしら?
もちろん、あたしはニッコリと微笑んで、深く反省したらしい彼を許してあげた。
『男心を掴むには胃袋から』
まあ、社長はとっくに堕ちてるとは思うけど、ガッチリ掴んで離さない為には有効な手段。
誘った時の食い付きの良さから、あたしの手料理を切望していると見て間違いない。
行きつけとして紹介された店も素朴な料理が殆どだし、長年の独身生活で家事は得意と言っても、掃除や洗濯は出来ても炊事は苦手らしい。
余り完璧じゃ、女としてのあたしの立場もないし。
付け入る隙が無いのも詰まらない。
週末の土曜日の昼、あたしは約束通り自分の部屋に社長を招待した。
ふむ、ちゃんとデザートとしての手土産を忘れなかった処も悪くないわ。
気が利き過ぎると、慣れているのか?って過去を疑りたくなるけど、情けない事に社長に限ってはそんなことは有り得ないと知っているし。
気が利かないよりは余程マシ。
あたしの料理を絶賛してくれた事も、当然ポイントアップに繋がった。
美味しい事は判っていても、それをどう称賛するのか?大切な事よ。
あたしが用意したのは煮魚定食の様なモノ。
メインの魚の煮付けと小鉢の様なお惣菜を三品ほど。
これでもか!と言う程、お袋の味をアピールした。
当然、社長は感激して一口毎に「美味い」を連発。
それも、ポツリと呟く様なトコが大袈裟じゃなくて好感触!
素直な称賛って感じがしたし、勢いのある箸の進み具合は見ていて心地良いものね。
すっかり気分を良くしたあたしは、社長からの『お礼に今夜の食事をご馳走する』ってお誘いを、あっさりと受けた。
そして連れて行かれた店は、前回と違って隠れ家的なフレンチレストラン。
昼が和食だったから夜は洋食で、って考えもそうだけど、知ってる店はオヤジ臭いトコだけじゃない事までアピールして来たとは、やるわね。
ヘタレなりに考えてるのかしら?
やっぱり、女として相手が自分にどれだけ気を遣っているか?それがどんなに不器用な方法でも判れば悪い気はしない。
ましてや、憎からず思っている相手からならば。
「田村さん・・・二人だけの時は『枝里』って呼んでもいいかな?」
だから、店を出た時に、社長からこう言われた時には素直に承諾した。
食事中じゃなく、帰りに、ってトコがこの人がヘタレてるトコなんだけどね。
まあ、まだ二回目だし、無理もないのか?
「枝里、今度は私の部屋で食事を作って欲しいな・・・出来れば明日にでも」
おいおい、ちょっと調子に乗り過ぎじゃない?
「明日ですか?」
まさか、今から泊まりに来いとか言い出すんじゃないでしょうね?
咋に機嫌を悪くしたあたしに、社長は慌てて付け加えた。
「いや、無理なら来週でも、再来週でも構わないんだ!」
必死で手を振って訂正する社長は滑稽ですらある。
「ただ・・・その、私の部屋の台所に早く慣れて貰えれば・・・と思って」
え?なにソレ?
それって、あたしに社長の部屋の台所でこれからもずっと料理を作れと?
つまりは、プロポーズなワケ?
おいおいおい、ちょぉっと気が早くない?
それに結婚してもあの部屋に住むつもりなの?
だって、あそこワンルームでしょ?
新居がアレなの?
あたしは高望みをする訳じゃないけど、新築とは言わなくても、せめて2DKぐらいの部屋から結婚生活をスタートしたいと思うわ。
「あらぁ、社長のお部屋で二人は狭くありません?」
さり気なく釘を刺したつもりのあたしの言葉に、社長はどんな解釈をしたのか。
「もちろん!結婚したら君の望む通りの家を建てるつもりだ!資金に問題はないし」
へ?家を建てる?
そこまで話が飛ぶとは思っても居なかったあたしは、ちょっと唖然としてしまった。
「明日にでも、不動産屋へ行こう!場所はどこがいいかな?」
ちょっと、ちょっと、ちょっと!
「社長、落ち着いて下さい。あたしはそんなつもりで言った訳じゃありません」
いや、そんなつもりが全く無かったと言ったら嘘になるけど。
「いや、でも、君が二人では狭いと・・・てっきり承知してくれたのかと・・・」
先走り過ぎだ!
「何を承知したと思われたんです?」
オマエはあたしにちゃんとプロポーズしたつもりでいたのか?アレで?
ふざけんなよ!
手順を色々と飛ばし過ぎだ!
「その・・・結婚を・・・」
加速し過ぎた社長は、我に返って急激に減速したらしい。
言葉は途切れがちで小さく、顔まで赤くなって来た。
「先程のお言葉はプロポーズでしたの?でも、それより先に仰る事があるんじゃございません?」
手を抜くな!
「それは・・・そうだな」
あたしの言い分に納得した筈の社長だったが、その後が頂けない。
あたしの前で俯いたまま、じっと動かずに黙ったままだ。
こりゃダメだわ。
「何もないようでしたら、わたくしはこれで失礼させていただきます」
ヘタレに期待したあたしが馬鹿だったのか?
「ま、待ってくれ!」
やっとかよ!
「え、枝里・・・君が好き、なんだ。出来れば結婚を前提として付き合って欲しい」
そこからかよ・・・
ま、ヘタレにしては上出来?
「あたしも社長の事は嫌いじゃありません」
俯いていた社長の顔がパッと上がって嬉しそうに笑おうとしていたが。
「でも、結婚となると・・・お互いにまだよく知らない事が多いのでは?」
笑顔の途中で社長の表情は固まった。
フフン!詰めが甘いのよ。
「前向きに検討させていただきます。今日の処はこれで」
あたしは黙ったまま立ちつくしている社長を残してさっさと帰った。
帰りの電車の中で、あたしは社長の言葉を思い返していた。
正直、やや暴走気味とはいえ、あのヘタレが結婚を口にしたのは初めてだし、ちゃんと告白も出来たのは快挙と言えるだろう。
問題は、家を建てると言った言葉。
資金があるって言ってたけど、まさか即金でローンも組まずに家が建てられるほどの貯金があるの?
まだ30代なのに?
いや、仮にも大きな企業のCOOだし・・・彼の実家が資産家じゃない事は聞いてるから、自力で貯めたの?
家を建てられるほどのお金を?
どれだけの貯金を持ってるって言うの?
いやいやいやいや、あたし、彼の貯金額に心が動いてどうすんの?
気にするべきところはソコじゃないでしょ?
でも、大事な事だわ。
親から譲られた訳でもなく、自分の力だけで資産を持っているって、素晴らしいじゃない?
それも不動産を購入出来る程となれば、百万単位じゃなくて少なく見積もっても数千万?
下手をすると億とか・・・有り得るかも。
あたしだって、貯金はしてるけど、独り暮らしをしてるから百万とちょっとが精々。
キャリアが違うし、比べるのもおかしいけど、億単位の貯金・・・やっぱり心が揺れるわ。
それに、新婚早々に自分が思い描く通りの家に住める、ってのは悪くないわ。
そりゃあ、夫婦揃って力を合わせて働いて、お金を貯めてマイホームを手に入れるってのも夢があって魅力的だけど、しなくてもいい苦労ならしたくないのが本音。
第一、社長はそんなに若くないし。
・・・あたしって・・・自分で思っていたよりも打算的な女だったのね。
結婚となれば資産は重要なファクター。
打算・妥協・惰性の3Dが決め手と聞いた事がある様な・・・
最後は違うかな?
決め手には至っていませんが、ヘタレ自身が挽回せずとも何故か話が進行している・・・