8 誘致は流れに沿って
ヘタレ、ライバルを蹴落として、食事に誘うの巻
定例会議から戻ってから・・・正確には帰国する飛行機の中から、何だか彼女の様子がおかしい気がする。
話し方も『わたくし』と言った硬い口調から『あたし』に変わったし、もちろん仕事中は敬語を欠かさないが、いきなり『理想の結婚相手』について話し出したりして・・・
内田さんからも、彼女は私の気持ちについて知っていると言われたし・・・
もしかして・・・もしかしなくても、遠回しに『嫌いだ』と言われているのではないだろうか?
・・・そうだよな、従兄弟とは言え、CEOやその弟やあの成島の跡取りのような奴等が傍に居れば、自然と目が肥えてるんだろうし、私なんかを相手にする訳が無いか。
上司だから、断り辛くてあんな事を言い出したのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
私は未だに正面切って彼女を誘う事も出来ないし、言葉にして告白した事もないし、そんな相手に『嫌だ』と言う事は難しいだろう。
でも・・・
倒れて入院した私の為に態々食事を作ってくれたりした彼女の優しさと、きっぱり『政治家の妻にはなりたくない』と言い切った彼女の強さは忘れられない。
遠慮なくはっきりと厳しく私を窘めながら、ずっと私の為に料理を作ってはくれないだろうか?
出来れば一生。
聞けば、彼女も結婚を考えていない訳ではない様だし、年の事も多少は気にしている様だし、プロポーズを受けて貰えれば・・・私にとってこれ以上はない幸運となる。
これからでも挽回するチャンスはあるだろうか?
帰りの飛行機の中で、あんな事を言ったのが、もしかして、もしかして・・・私からの誘いを促すものだと考えてもいいのなら・・・
都合のいい解釈だが、まだ諦めたくないんだ!
「社長!どうして僕が秘書室から外されるんでしょうか?」
朝霧が物凄い勢いで抗議して来た時は驚いた。
「どうしてって・・・元々、君は留学する予定だっただろう?後任も決まったし、ビジネススクール入学の為の勉強に集中する為にも、異動が一番いいと考えたんだが、何か不都合でもあるのかね?」
そうだ、さっさと彼女の前から消えてくれ!
ライバルは一人でも減らしておきたいからな。
朝霧は悔しそうな顔をして私を睨みながら、黙って出ていった。
良かった・・・あまりの殺気に、刺されるかと思った。
彼は思い詰めるタイプのようだから、恨まれてるのかも知れないが、異動は何より彼の為でもある。
詭弁だが。
「お気の毒に・・・」
ポツリと呟いた彼女の言葉に、私は耳を疑った。
「気の毒って・・・誰の事かね?」
朝霧の事が?
も、もしや・・・同情から恋に心が動くとか?
彼は彼女に告白もしているし、その気になったとか?
「ええ、まあ・・・朝霧さんも報われないと思いまして」
溜息を吐くようにそう言った彼女の言葉に安心する。
そ、そうか『報われない』のか。
「報われてたまるか」
ポツリと呟いたつもりだったのだが、彼女の耳には届いたらしい。
クスリと笑って「本当にお気の毒です」と言ったのが聞こえた。
彼女が笑った、と言う事は朝霧に対して同情はしても好意は持ってない事になるのか?
私の心配は単なる杞憂でしかなかったのか?
そ、それなら・・・この勢いに乗って今日こそ!
「た、田村さん。今夜空いているなら食事でも・・・」
誘ってみたら色よい返事が貰えるだろうか?
緊張のあまり、吃ってしまったが・・・
「今夜はどちらの会合でしょうか?」
いや、仕事じゃなくて。
「プライベートで・・・なんだが」
伏せ目がちに呟いてから、チラリと彼女を窺うと、酷く驚いた顔をしていた事に私の方が驚かされた。
そ、そんなに驚く様な事なのか?
しかし、そんな表情も一瞬で、直ぐにクスりと笑った。
「あら?初めてですわね。社長からお誘い頂けるなんて」
すみません、度胸が無くて。
「ご馳走して頂けるなら喜んで」
やった~!
やった!やった!
なんだ!こんなに簡単に承諾して貰えるのなら、もっと早く誘うべきだった。
いつまでも尻込みせずに。
「何をご馳走して頂けるんですか?」
ハッ!そ、そうだ!どこへ連れて行くべきなんだろう?
食事・・・酒が飲めるところが良いのかな?
それとも、接待に使う様な高級な料亭とかレストランとか?
「何が食べたいのかね?」
彼女が行きたいと言った所なら、どんなに難しい場所でも予約を取り付けるぞ!
「そうですね・・・社長が普段よく行かれる所はどちらですか?」
え?そんな場所へ?
「・・・がっかりするかも知れないぞ」
「楽しみにしています」
そう言われても・・・私が普段よく行く店と言ったら、家庭料理の小汚い店とか、煮込みの美味い飲み屋とか、オヤジ臭い店ばかりなんだが。
一見さんお断りの寿司屋とか料亭にも、ある意味よく行くが、それは接待で、になるし。
彼女が求めているのはそう言った場所なのか?
いや・・・最初から無い見栄を張っても後が続かないし、ここは正直に自分を曝け出す事も大切だ。
何しろ、彼女は私がどんな処に住んでいるのかも知ってるし、古びたワンルームマンションに住んでいる人間が、例え要職に就いているとしても、日頃から贅沢な食事ばかりしている訳ではない事を彼女も判ってくれる。
と思う・・・いや、思いたい。
心の中で色々と葛藤しながら選んだのは、やはり行きつけの煮込みが美味い飲み屋だった。
彼女は面白そうに瞳を輝かせて、嫌な顔一つせずに汚い暖簾を潜ってくれた。
「何にする?」
カウンターだけの席に座って、注文を訊ねると「お勧めは何ですか?」と聞き返された。
「ここは煮込みが美味い」
「では、それと熱燗を頂きます。少し寒くなってきましたから」
私は飲兵衛らしい彼女の言葉に苦笑して、同じ物を二人分頼んだ。
「ん~!お勧めだけあって美味しいですね。凄く良く煮込んであるからモツの臭みも無いし・・・お味噌は八丁味噌と白味噌の合せかな?」
珍しいですね~と味を分析する彼女に喜んで貰えた様でほっとする。
「田村さんはよく料理をするのかな?」
美味しいものを食べて、その味付けに興味を持つのは料理をする人間だけだ。
普段から料理をしなければ、ただ単に『美味しい』だけで済ませてしまう。
「まあ、一人暮らしですし。ウチの母は厳しい人ですので、一通りは仕込まれました」
食べてみたい!彼女の手料理を!
切実にそう感じた思いが伝わったのか、彼女がこんな事を言って来た。
「今回のお返しに、と言っては何ですが、次はウチにご招待してご馳走しましょうか?」
次があるのか?
いや、それよりも、いきなり彼女の家に招待されるなんて・・・私は夢でも見てるのか?
「勿論、このお店の様に美味しい煮込みは出来ませんから、お厭なら構わないんですよ?」
あまりにも突然の展開に驚いて、唖然としたまま何も答えないでいた私に、その気が無いのだと勘違いされてしまったようで、私は慌てて否定しなければならなくなった。
「い、いやいや、そんなに簡単に君の手料理が頂けるとは思ってなくて・・・喜んでご馳走になるよ」
「無理にとは言いませんけど」
「いや、無理なんてしてない!」
どうも、私は間が悪い。
素早く返事が出来なかった私の真意を疑われてしまった。
こんなに急激に彼女に近付けるとは・・・本当に今まで私は一体何をグズグズしていたんだろう?
もっと早く彼女を誘うべきだったと痛感する。
嬉しさのあまり、つい酒を過ごして、いい気分になった私は調子に乗ってしまった。
帰り際、タクシーで彼女の家まで送った私は一緒に降りて、タクシーを返してしまった。
あわよくば彼女の部屋に上がり込んで、そのまま・・・という流れを期待した事は言うまでもないが、そんな咋な行動の真意は、当然、彼女にも気付かれていた訳で。
「予め申し上げておきますが、こんな時間に独り暮らしの女性の部屋へ入り込もうとなさるほど、社長は酔っていらっしゃる訳じゃございませんよね?」
私は彼女のその一言でほろ酔い気分から醒めた。
「も、もちろんだ。私はただ、君が部屋に入るまで見送るだけのつもりで・・・」
見苦しい言い訳をする羽目になった。
「それは良かった。わたくしも社長を軽蔑せずに済みそうです。それでは、今日はご馳走様でした。お休みなさい」
ニッコリと笑った彼女はそう言ってさっさと自分の部屋に入って行った。
私は自分で言い出した行き掛り上、情けない気持ちでそれを黙って見届けた。
何をやっているんだが、私は。
もう少しで折角の縮まった彼女との距離を自分で引き離してしまうところだった。
私は二駅分ほどの距離を、自戒と酔いを醒ます為に歩いた。
それにしても・・・今夜の彼女は可愛かった。
庶民的な料理に舌鼓を素直に打つところとか、料理の味付けを熱心に分析するところとか。
いつも冷静に仕事に接している時には決して見られない、感情豊かな表情を見せてくれた。
最近では私の前で笑顔を見せてくれる事も多くなったような気がするし。
それに、さっきの、私の暴走を思い止めた一言を言った時の彼女の表情ときたら・・・初めて会った時を思い出させる冷酷さだった。
やっぱり彼女がいいな。
ずっと傍に居て欲しいと思えるのは、彼女しかいない。
よし!頑張るぞ!
まずは、次回の約束の日をいつにするか決めなくては!
彼女の部屋で手料理を頂く約束が、まだ有効なのかも確かめないと!
まさか、もうダメだとは言わないよな?
ヘタレにとって知りたくない真実(朝霧のコト)は知らないままでいた方がよいのです。
それにしても真性のドMだな。
次回は女王様、仕掛けるの巻。




