6 会議は踊る 後編
ヘタレ上司の落ち込み具合をご堪能下さい。
私はホテルの部屋に着くと、ベッドに座り込んで頭を抱え、大きな溜息を吐いた。
何も出来なかった・・・ただ黙って連れ去られる彼女を見送る事しか。
なんて情けないんだ。
空港に彼女を迎えに来た男が、彼女の従兄だって事は知っていた。
顔を合わせた事は無かったが、CEOである彼の兄と一緒の写真を見た事があったから。
CEOは弟について話してくれた事がある。
MITの研究室に居て、IQも高い天才だとか自慢された。
飛行機の中で彼女が会社創設一族の血縁者だと聞かされたて安心してたからか?
従兄弟だから大丈夫だと思ってたのか?
従兄妹同士は結婚出来るのに?
いや、そんな理由じゃない。
私は、いきなり彼女に抱きついてキスをする彼の行動に、驚きのあまり硬直して動けなかっただけなんだ。
本当に、恥ずかしいほど情けない。
明日から始まる会議には、絶対確実にCEOも参加するだろうし、その場で彼が弟と同じ様に彼女に接したら、私は・・・今日と同じ反応をしないとは言い切れない。
そんな事態を迎える事になったら、どうなる?
仕事が手につかなくなったら、それしか取り得のない私はお終いだ。
それでなくとも今回の会議では、世界中に蔓延って一向に解消される気配のない不況の煽りを受けて各地の業績はガタ落ちで、その責任を問われる可能性が非常に高いと言うのに。
CEOは若いが、血筋だけではない実力を持った人物だから、ノルマを大幅に下回った今期の実績に厳しい決断を下す事も辞さないだろう。
真っ先に切られるのが私かな?
そーだよなぁ・・・私が今の地位に居ること自体が何かの間違いなんだから。
はああ・・・気が重い。
シクシクと痛む胃を抱えながら、本部に出向くと中国に赴任した内田さんと再会した。
「お久しぶりですねぇ~しゃちょ~」
温和な彼の笑顔を見るとホッとする。
妙に語尾を伸ばして間延びした喋り方すら懐かしい。
「ど~ですか?田村さんとは上手く行ってます~?」
いきなり、聞かれたくない事を聞かれて言葉に詰まる。
「あらあら~その分じゃ全然進展が無いみたいですねぇ~しゃちょ~は~仕事はテキパキ出来るのに~恋愛事は全然ダメダメなんですねぇ~」
そう言う内田さんは41歳で奥さんと中学生と小学生の子供を持つ家庭人で、入社した時に見染めた秘書室一の高根の花を数あるライバルを蹴落としてゲットしたと言う、今でも語り草になる程の伝説の持ち主だ。
仕事だけでなくプライベートも充実している、実に羨ましい人である。
「そ、そんな事より、中国の状況はどうだ?やっぱり影響は出てるのか?」
追い打ちを掛けられるのを懸念して、慌てて話題を仕事に持っていく。
「そうですね、日本より少しタイムラグはありますが、これから徐々に影響が出始めるでしょう。今年一杯は何とか持ちそうですが」
仕事の話になるとシャキっとした話し方に変わるギャップが面白い。
本人曰く、オンとオフが自分の中で自動的に切り替わるだけだと言うが。
「そうか・・・ならば、申し訳ないが、もう半年持たせて欲しい。他の地域をカバーする為に」
「相変わらず厳しい事を仰いますねぇ~しゃちょ~は」
それだけの信頼に値する人だと彼を信じているからだが。
「久し振りだね、君に此処で会えるとは嬉しい驚きだよ、エリィ」
思っていた通り、CEOは会議の直前にそう言って、驚く素振りも見せずに口元を引き攣らせた彼女の頬にキスをした。
一部の人間はその光景にどよめいたが、CEOが女性の扱いに長けている事と、女性との付き合いが長続きしない事をよく知っている人達はこの出来事を黙殺した。
「あらら~強力なライバル登場ですねぇ~」
内田さんの囁きにチクリと胃が痛む。
彼女が秘書室に異動になった事は、とっくの昔に知ってたくせに、今更驚くなんて演出過剰なんだよ!
それになんだよ!彼女の名前は『エリィ』じゃなくて『枝里』なんだよ!
妙に母音を伸ばして言い換えたりすんなよ!
彼女に似合った可愛い名前なんだから、ちゃんと正しく呼べよ!
口に出せない不満がキリキリと胃を締め付ける。
「それでは始めようか」
開始を遅らせてんのはお前だ!
初日は先月までの第三期の業績結果と第四期の推測の発表だけに留まり、終わった。
問題は明日から始まるCEOのテコ入れだな。
「お顔の色が悪い様ですが?大丈夫ですか?」
帰り際に彼女からそう言われてしまった。
これまで身体の丈夫さだけが自慢だったのだが、流石に最近は精神的に傷めつけられる事が多くて、健康に支障をきたし始めているらしい。
「大丈夫だ」
まだなんとか虚勢を張れるくらいは。
次の日から、CEOによる厳しい指摘が次々と始まった。
「この状況下で悠長な事を言ってるなんて馬鹿げてる。採算が取れない事業はさっさと打ち切るべきだ。共倒れになり兼ねん!」
彼の厳しさは私の比ではない。だが・・・
「お待ち下さい。これだけ拡大させてしまったものをいきなり切り捨てるのもどうでしょうか?徐々に規模を縮小する形でも大丈夫だと思います。今後、スタートする事業について検討すれば・・・例えば粗利は少なくとも確実性のある事業を数多く始めると言った、堅実な路線に切り替えれば、雇用の確保や安定と言った地盤固めにもなりますし」
我が社は大きく成長している分、大きな事業に関わり合いが多い。
実入りは大きいがリスクも大きい事業ばかりだ。
この辺で堅実路線へと移行してもいい様な気がする。
「・・・検討してみる価値はあるかもしれないな」
CEOの言葉に私はホッと胸を撫で下ろした。
若い彼は派手な事が好きそうで、強引に推し進めるかと思ったのだが、彼も経営者としてバカではないらしい。
会議の後で、内田さんからも褒められた。
「いやぁ~流石でしたねぇ~あの独裁者にアレだけ苦言を呈せる度胸があるのは、しゃちょ~だけですよ~」
それはちょっと違うと思う。
「元々慎重派の私を抜擢したのは彼だよ。きっと彼は自分が言い出すよりも他人から言われた方が効果があると考えていたんじゃないかな?ずっと前から」
彼は、エドモンド・Jrは生まれついての経営者だ。
人の扱い方に長けている。
「後は、私は独身だから、君の様に家族が居ない分だけ大胆な行動に出られるのかもしれないな。守るものが居ない分だけ無茶も出来る」
守るもの・・・彼女の顔が思い浮かんで、またキリリと痛みが走った。
「そ~ですかねぇ~」
「そうだよ」
会議が無事に終わり安心した所為なのか、立ち眩みがした。
「大丈夫ですか?」
「ああ・・・ちょっと」
俯いた身体を立ち直らせようとしたが、目の前が暗くなり、意識が遠くなった。
「社長!」
内田さんの声が聞こえた気がした。
「あ~気が付きましたか~?此処は病院ですよ~あなたは倒れて気を失ってしまったんです~覚えてますかぁ~?原因は過労と軽い胃炎だそうですよ~食事と睡眠はちゃんと摂ってましたかぁ~?」
気が付くと、内田さんの顔が目の前に現れて、状況の説明をしてくれた。
食事と睡眠・・・確かにここ数日滞りがちだったかも知れない。
腕には点滴の針が刺さっている。
個室らしい病室を見渡して気付く。
彼女は居ないのか・・・
「田村さんは~」
内田さんの言葉に、考えを見透かされたかと思ってドキリとする。
「しゃちょ~の為に~今おかゆとか食べられそうなものを作ってくれてますよ~よかったですねぇ~彼女の手料理ですよ~」
う、嬉しいかも・・・念願の彼女の手料理が食べられる!
「しゃちょ~もねぇ~もうちょっと強引に出てもいいと思いますよ~聞けば田村さんを一度も誘った事が無いそうじゃありませんか~ダメですよ~そんなんじゃ~」
聞けばって・・・彼女に聞いたのか?
そ、そんな事をしたら!
「そ、そ、それじゃあ・・・」
彼女の私の気持ちが・・・
「あのですねぇ~もうとっくの昔にバレバレですって~私に判った事が田村さんに判らない訳が無いでしょう~?彼女だけじゃなく~朝霧君にも~CEOにも~周り皆にバレバレですよぉ~」
彼女は今、本部に近い場所にあるCEOのペントハウスのキッチンで私の為の病人食を作ってくれているのだそうだ。
恥ずかしい上に情けなさ最上級だ。
一体全体これからどんな顔をして彼女に会えと言うんだ?
「どうして今までちゃんと告白しなかったんです~?」
そう言われても・・・
「断られるのが怖かったんですか~?いい年をして~振られるのが怖いだなんて~しゃちょ~らしくもないですねぇ~」
さっき言ってた守るものが居ない分だけ出来る無茶はどうしたんですか?とも言われてしまった。
ああ、確かにその通りだ。
私は頷いて自分の弱さを今更ながらに認めると、また眠りに就いてしまったようだった。
そして次に目を覚ましたのは、いい匂いに釣られてだった。
「起こしてしまいましたか?」
柔らかな声に視線を巡らせると、彼女が居た。
嬉しくてホッとする。
「おかゆと胃に優しいものを幾つか作ってきました。食べられそうですか?」
差し出されたトレイの上には、小さめのボウルに入ったおかゆと梅干に茶碗蒸しと餡かけ豆腐が載っていた。
「ありがとう。頂くよ」
どれも美味しそうだった。
特に茶碗蒸しは優しい味で感動してしまった程だ。
「美味しいよ」
言葉が素直に出て来るが、さっき内田さんに言われた言葉は流石にそう簡単には出て来ない。
「良かったです。しっかり食べて早く良くなって下さい」
安心したような表情の彼女に、心配させてしまったのだと反省する。
「すまな・・・」
い、と謝ろうとしたのだが、安心した彼女は、何故か猛烈な勢いで喋り始めた。
「大体、社長は油断し過ぎではありませんか?ご自分の体力を過信なさっていらっしゃいます?日頃から体を鍛えているから少しくらい無理をしても大丈夫だとか?ご自分の年を考えて下さい!若い頃とは違って無理は利かなくなっていると思います。仕事も大切ですが、もっとご自身の年齢と体力を自覚してご自愛頂かないと、わたくし共が苦労する羽目になるんです」
鼻息も荒く、一気に捲し立てた彼女の叱責に、唖然となりながらも嬉しさが込み上げて来た。
「ありがとう」
感謝の言葉は場違いだったかもしれないが、それでも私は彼女が私を心配して怒ってくれた事が嬉しかった。
思えば、私が彼女に惹かれたのも、彼女の媚びない態度と力強い眼差しにあった。
無論、彼女の容姿も優れてはいるが、感情に素直な態度や表情に、怯えながらもどんどん惹かれていったのだ。
私には4つ年上の姉がいる。
小さい頃から私は姉の玩具であり、下僕であった。
姉の命令は絶対であり、どんな理不尽な命令でも従わされた。
それは刃向かうと痛烈な体罰が待っていたからだ。
中学生になって私は姉の体格を越すほどに成長したが、幼い頃からの刷り込みの所為か唯々諾々と従っていた。
その主従関係は姉が結婚するまで続いた。
私が大学生の時に結婚した姉の相手は優しそうな男性で、彼が私の次の犠牲者なのか?と憐れんだが、姉は義兄の前では大人しい女性で会ったようだった。
そして私は、姉から解放されて、自由になったと同時に寂しくもなった。
姉は決して理不尽なだけの命令をし続けた訳ではなかったと知っていたから。
厳しさの中にも愛情を感じさせるものがあったからこそ、私は姉の命令に従い続けたのだと、暫く経ってから気付いた。
鬱陶しくて嫌だと感じて居なかった訳ではないが。
彼女と出会って惹かれていくうちに、そんな事を思い出した。
彼女には確か弟が一人いた筈だし、私より年下だが、姉として厳しく弟に接して来たのではないだろうか?
私にはやはり、彼女でなければダメなのだと、今更ながらに痛感した。
「社長!聞いていらっしゃいますか?」
ボンヤリしていた私に、彼女の叱責が飛ぶ。
「あ、ああ・・・」
出来ればこの先ずっと、こんな風に私を叱り続けて欲しいな、と考える。
今回はヘタレ上司の背景について。
こうして下僕体質が出来上がった訳ですね。
次回は女王様視点で。