表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

1 はじまりは人事異動



あたしは田村枝里。28歳のОLだ。


ちょっとばかり大きな会社に勤めている。


この不況下にあって職に有り付けるだけ有り難い、しかも一流企業に!と歓喜の涙を流す輩も多いらしいけど、はっきり言ってあたしは不満が有り捲りだ!


元々あたしは教師を目指して教育学部を出たのだ。


難関と呼ばれる教員試験にだって合格した。


なのに半端ない少子化のお陰で、赴任場所がどこにもない、とあっさり採用取り消し。


就職浪人など絶対に許さない母の方針で無理やり会社勤めをする事になってしまった。


あたしは自分が会社員に向いているとは思っていなかった。


短気でプライドが高い自分の性格を熟知しているあたしは、学校で生徒をビシビシと厳しく扱きながらストレスを発散するのを楽しみにするような人間でしかない。


アホでバカな上司や同僚に耐えられるなんて思ってなかった。


縁故で入社したから、これでも今まで我慢してきた方だった。


でも、入社して5年が経ち、アホでバカな上司や同僚のみならず、あっぽうな後輩まで出来てしまっては、我慢の限界も近いと感じ始めていた。


今日こそ、今日こそ辞表を叩きつけて辞めてやる!と既に懐に辞表届を準備万端用意してそのチャンスを待ち構えていた時期だった。


あいつと出会ったのは。






その時、あたしはアホの上司にクドクドと叱責を受けていた。


それも歩きながら。あたしには謂れの無い事で。


あっぽうな後輩の教育責任とやらを問われていたのだ。


んなこと知るかよ、と思いつつ、あたしは一応「はあ、そうですね」と適当に答えていた。


しかし、それが拙かったらしい。


アホの上司はそんなやる気のないあたしの態度にますます腹を立て、声を荒げ、小言は終わりを見せない。


ここで辞表を提出するべきか?


そう考えつつ、辞表を出すタイミングを窺っていると、通路の反対側から一つの集団がやって来て、アホでも感知能力だけは高い上司は立ち止まった。


しかし、何故上司が立ち止まったのか気づくのが遅れたあたしは、そのうちの一人とぶつかり、相手がよろけて尻餅を着いた、らしい。


何しろ、その時あたしは軽くても大きなポップを持っていたので前方不注意も甚だしかったが、女にぶつかってコケるとは軟弱な、と座り込んだ相手の男を見下した。


おや?どっかで見た顔だ。


「社長!」


「大丈夫ですか?」


おお、そうだった。社内報で見た事がある顔だった。


疑問が解けてスッキリしていたあたしに次なる悲劇が襲いかかった。


転んだ間抜けを助け起こしていた一人があたしに向かって暴言を吐いたのだ。


「君、謝りたまえ!」


なんだと?男なら女性に道を譲れ!それにぶつかったくらいで転ぶなよ男なら!


心の中で罵倒しながらも、これでも社会人生活6年目に突入するあたしは大人である。


「失礼しました」


ちゃんと謝った。


棒読みで気持ちが入ってないのがミエミエだとしても。


「君、そんな誠意のない!」


「申し訳ございません。この者は些か不遜な処がございまして・・・」


ガヤガヤと煩い連中にアホの上司は一生懸命に謝っていた。


うむ、上司として部下を庇うのは当然だ。誠意ある対応に心の中でほんのちょびっとだけアホの上司を見直した。


あたしに対する評価は別にして。


後で覚えとけよ、コノヤロー!


「君、名前は?」


ああ?首からぶら下げてる社員証が見えないのか?目が悪いのか?


あたしは間抜けの上に馬鹿の形容詞が加わった奴の問いにガンを飛ばして応えた。


すると焦ったアホの上司が「広報部の田村でございます」とあたしに代わって答えた。


オマエはいつからあたしになり変ったんだデブ。


「後で社長室に来るように」


間抜けの馬鹿はそう言い残して立ち去った。


おお、もしかしてこれは辞表を提出する絶好のチャンスではないか?


あたしは青褪めるアホな上司の説教を適当に聞き流し、喜び勇んで社長室へと出向いた。





役員室がずらりと並ぶ最上階は敷いてあるカーペットの質からして違う。


経費を削減しようとする気があんのか?


いやいや、もう辞める会社の行く先なんかどうなろうと知ったこっちゃない。


新たに湧き起こる不満を堪えつつ、社長室のドアをノックした。


『入りたまえ』


偉そうだな、おい。


いや、会社のトップが偉そうなのは当然なのだが、その時のあたしは辞める気満々だったので、またもやささくれ立った気分になってドアを開けた。


デカイ机の後ろは壁一面ガラスで最上階の景色は見事なものだった。


チクショウ!眺めの良い場所で仕事しやがって・・・


あたしは怒りのあまり、カツカツと柔らかい絨毯に阻まれて音は立てられなかったが、そんな音を立てる勢いで社長の座るデスクに近付き、バンと勢いよく辞表を叩きつけた。


ああ~スッキリ!


「今までお世話になりました。失礼します」


うん、偉いわあたし。ちゃんと礼儀正しく言えたわ。


社会人生活5年間で培われた忍耐力は伊達じゃないわね。


くるりと勢いよく踵を返したあたしに「待ちたまえ」との声が掛かる。


なによ!折角の勢いを削ぐんじゃないわよ!


「これは何だ?」


字が読めないのか?こいつは?


「見ての通りです」


懇切丁寧に説明してやる義理はない。


「辞表は直属の上司に、最低でも退職一か月前に提出するのが決まりだ。私に出すのは筋違いだろう?」


間抜けの馬鹿はあたしの提出した辞表をスッと突き返して来た。


「それに君は来週から秘書室勤務になる。これが辞令だ」


考え直して新しい上司に提出したまえ、と来たもんだ。


はぁ~?


「異動ですか?」


新入社員も新しい部署に慣れたこの時期に?


そして何故に秘書室?


「私の秘書の一人が近々転勤する予定だ。君は広報だが英語が堪能らしいな?社内で遣えそうな者のリストに君の名前があったし、君の保証人の一人が決定打だ」


ああ~!


だから縁故入社ってヤダったんだよ!


忌々しくあたしは差し出された辞令を受け取って見た。


うむむ・・・確かに『辞令・田村枝里に広報部より秘書室への異動を命じる』とある。


アホな上司とバカな同僚にあっぽうな後輩から離れられるのは正直嬉しい。


だが秘書室か・・・エリート候補生の男と容姿だけの女が居ると専らの噂の秘書室。


あたしなんかで務まるのか?


それに間抜けで馬鹿なコイツの秘書の後釜?


あたしに耐えられるのか?


「先程の件は?」


叱責する為にあたしを呼び出したんじゃないのか?


COO直々に辞令を渡すと言うのも筋違いでは?


「先程?ああ、移動中にぶつかって失礼した。申し訳ないな」


へ?叱責じゃなくて謝罪?


へぇ~思ってたより(周りの奴らは兎も角)コイツは素直に謝れるヤツだったんだ。


流石は30代でCOOに出世するだけの事はあるヤツだ。


あたしの中での評価は少しだけ上がった。


うん、新しい部署で頑張って見るのもいいかもしれない。


上司がアホでバカじゃなきゃ、この会社は給料や福利厚生の面では充実しているから。


辞めるのは少々惜しいかもしれない。


今まで縁が無かった新しい部署と言うのは転職するのと似た様なものだし。


あたしはやはり就職難のこの時代に転職する厳しさを思い返し、辞表を取り敢えず保留にした。


それを後悔する日が来るとも知らずに。







翌週からあたしは秘書室勤務となり、転勤すると言う秘書から引き継ぎが始まった。


期間は僅か1週間。


「いやぁ、後任が決まってくれて安心したよ~中々決まらなくてねぇ」


ニコニコと笑顔を振りまく第一秘書の内田さんは中国・北京への転勤が決まっている40代の男性だ。


COOの秘書が何で海外勤務になるのか?


言ったでしょ?


秘書室に居る男性はエリート候補生だって。


いや、内田さんは既に立派なエリート。


8カ国語が堪能でMBAまで持っているというスーパーエリートだ。


その後任が何故あたし?


COO・最高執行責任者、つまり社長には通常2人の秘書が存在する。


その上のCEO・最高経営責任者には3人居るって言うから驚きだ。


ちなみにCEOは米国で頑張っているらしく、日本へは滅多に来ないらしいが。


なんでそんなに秘書が必要なのか?


理由は簡単、忙しいから。


通常、第一秘書は社長と共に国内・海外の出張に同行し、そのサポートをする。


第二秘書はそのスケジュール調整と出張中の留守番だ。


第一秘書が転勤なら第二秘書が繰り上がるのが普通では?


今まで広報に居たあたしに社長のサポートなんて出来るワケないでしょーが!


「大丈夫だよ~田村さんなら」


ニコニコと笑顔の内田さんの言葉を果たしてどこまで信用していいものか?


スーパーエリートの癖に人を見る目がありませんね。


「だって、我が社でTOEIC900点以上の成績持ってる人なんて君ぐらいだよ?」


まあ、そりゃ英語だけは自信がありますけどね。


秘書って仕事は語学だけ出来ればいいってモンじゃないでしょうが。


あたしが出たのは教育学部で経営学部じゃないんですけどね。


それに第二秘書の朝霧さんはあたしより5つも年上の立派なエリートの一人でもある。


3カ国語は喋れるらしいし、TOEICだって700点はいってるとか。


朝霧さん自身も内田さんの後釜に座るつもりだったらしく、あたしに対する態度が冷たい。


「あ~!朝霧はね~アイツはそのうち留学する予定だし」


成程、MBA取得のための経費留学ですか?


なら、ますますもって謎だ。


どーしてあたし?


内田さんはニコニコと笑ったままであたしの疑問に明確な答えを出してはくれない。


温和そうな顔してる癖に喰えない人だ。


そして、短い引き継ぎ期間だから、色々と課題が山積で厳しい。


ある意味、遣り甲斐があると言えばそうなんだけどさ。


連日の早出・残業でヘトヘトになりながら、あたしは内田さん一家を成田で見送った。


「引き継ぎは完璧だから~連絡して来ないでね~!」


冷たいヤツだ。


オッサンの癖に語尾を伸ばすんじゃない!


助けは求めずとも、悪戯メールくらいは許されるだろうか?


こうしてあたしは入社5年と3カ月にして社長の第一秘書などと言う大役を仰せつかる事になった。


ああ、理想と段々引き離されて行くのはどうして?


渋々ながらも居座っているのはお給料が良いからに尽きるんだけど。


はぁぁ~!ストレス溜まりそ。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ