魔女(THE WITCH)
秋の爽やかな風に落ち葉が舞っている木々の大木に赤毛の大男が背中を預けていた。腕を組み目を瞑り、何かを待っている。
ここは伯爵の屋敷の敷地にあるちょっとした雑木林だ。サイラスは今朝方伯爵と話しをした後、大木にもたれ掛かり動かなかった。
「……来たか」
サイラスが目を開いて呟くと同時に一羽の鷹が音もなく舞い降りてきた。頭だけが白い、金色の目をした小さな鷹だ。
その鷹がサイラスの前まで地面をひょこひょこと歩いて来ると、短く啼いた。
「早かったじゃねえか」
サイラスがその鷹に声を掛けると「はん、年寄りを気軽に呼ぶんじゃないよ」と女性の声で返してきた。
「けっ、ピンピンしてる癖に何言ってんだか」
サイラスが悪態をついている目の前で、その鷹がぼやけて一瞬で人間に変わった。
サイラスの半分より大きい程度の身長で、暖かそうな兎の皮のチュニックに、動きやすそうな裾が窄まったズボンを穿いている。黄金の瞳を宿した、ややつり上がり気味の目をしており、目元などの隠せない皺がその年齢を教えてくれた。白髪を頭の高い位置で一つに纏めた老婆が、腰を手に当て、口をへの字にしてサイラスを見上げてくる。
「年寄りは労るもんだよ」
芯のある低めの声でサイラスに文句を垂れている姿は老婆だが、背丈だけ見れば大人と赤ちゃんだ。
「はっ! 年寄りはこき使った方が長生きするんだよ」
「口だけは一人前だねえ」
老婆は呆れた顔をサイラスに見せてきた。
「あ~肩凝った。長旅は疲れるよ。おやサイ坊、客にお茶の一つも出ないのかい?」
肩をトントンと叩きながら老婆がニッと笑った。
「あ、エイラおばあ様だ。お久しぶりです!」
「やぁレオナ。一年ぶりかねえ。いつ見ても可愛いねえ」
レオナが老婆を見つけるとトコトコと小走りで近寄り、ガシッと抱きついた。エイラと呼ばれた老婆は我が孫のようにレオナの頭を優しく撫で回している。
「まったく、あんたの子供はいつ見せて貰えるのかねえ」
「うるせえ、今畑を耕してるんだよ」
「収穫出来るのかい?」
「でっけえお世話だ!」
サイラスにも苦手なものがある。このエイラもその一つだ。「けっ」と言いながらも「分かってる」とボヤいた。
サイラスは鷹から変身したエイラを伯爵の母屋に案内し、そこでレオナと母親のカチューシャとでお茶を飲んでいた。伯爵は城で仕事の為に不在だ。
サイラスの凶悪な顔を見ている使用人が細かくふるえているが、レオナとカチューシャは平気な顔をしている。付き合いが長いから見慣れているのだ。
「エイラ様がいらっしゃる程、今回は大変な事態なのですか?」
カチューシャがその青い瞳を向けて心配そうな顔をした。
カチューシャ・クサヴェリエヴィチ・セスラヴィンスキー。
セスラヴィンスキー伯爵夫人で、四人の子供の母親でもある。隣国から嫁いできた清楚な女性だ。
肩までの茶色い髪を後ろで一つに纏め、控えめだが上品を絵に描いたような、サイラスの対極にいる人物だ。伯爵が一目惚れして数年通い詰めて口説き落とした女性だった。
「ふふ、大丈夫さ。サイ坊とあたしがいて解決出来ない事なんて無いさ。カチューシャは優しい娘だねえ。アルカには勿体ない嫁だよ」
エイラは目を細めて、まるで可愛い娘を見る目で、カチューシャを見ていた。
エイラ“魔女”。通称『魔女エイラ』。
齢百五十を越える魔術師で、サイラスの血筋に仕えている女性だ。マジックギルドに属さない孤高の魔術師で、カテゴリーに当て嵌めるとⅤになる、人外の、正に魔女だ。
サイラスのオムツを換えたこともある、彼が頭の上がらない数少ない人物の一人だ。悪態は付くが、実力を認めているからこそわざわざ呼んだのだ。
「二人にはお土産を渡しておこうかね」
エイラはそんな事を言い指を鳴らすと、何もない空中から腕輪と髪留めが現れた。エイラは掌で受けると腕輪をカチューシャに、髪留めをレオナに渡した。
「わぁ、キレイ!」
レオナの髪留めは銀の細かく彫られた葉を下地にして小さな宝石を花びらに見立てた紫の花を埋め込んだ物だ。レオナの黒い髪に良く映えそうな可愛い髪留めだ。手にしたレオナは早速カチューシャに頼んでつけて貰っている。
カチューシャに渡した腕輪は銀の輪に小さな青い宝石を埋め込んだ、見た目地味な物だ。ただし、両方に付けられたら宝石は、光を当てていないのに薄く輝いていた。
「またそんな古代遺物まがいの物を創りやがって」
二人に渡した物を見たサイラスは呆れた顔で呟いた。何かしらの魔法が込められているから宝石自体が輝いているのだというのがわかる。
「エイラおばあ様、ありがとう! すっごいカワイイの!」
「あの、すみません、エイラ様」
「あぁ、いいんだよ。あんた達はあたしの娘と孫同然なんだ。まぁ、いつも身に付けといてくれるとババアも嬉しいかのぅ」
エイラがニコニコ顔で二人に答えていた。口振りから保護か祝福の魔法でも練り込まれている、とサイラスは推測した。
普通の人間になんて物を、思うものの口にはしなかった。伯爵の親族であれは危険もあるのだ。
「さてお茶も飲んだし、行くかね」
エイラがついっとサイラスに視線を投げてきた。
昼時の活気溢れる公都の大通りを、赤髪の大男と白髪の老婆が並んで歩いている。笑い声、人を呼ぶ声、怒鳴り合いの喧騒の中、道行く人、馬車の御者、果ては馬車を曳く馬までその不釣り合いな二人に視線を奪われていた。それも当然だ。凶悪な面のサイラスは、頭どころか胸あたりから上が人混みの上に出ているのだ。
「早くババアに嫁を紹介しておくれ。後二年しかないんだよ」
サイラスが公都に来ているのは嫁探しと留学と言う名の社会勉強の為だ。十六歳で公都に来てから既に八年が経とうとしている。期限は十年間なのだが、凶悪な顔が幸いして未だに嫁候補すらいない。
「うるせえ、今年は不作で収穫はねえんだよ」
「毎年同じ事を言っている気がするねえ。サウロンはお前くらいの年にはお前が居たと言うのに。情けないねえ」
エイラが大げさに頭を振り体格以上のため息をついた。つられて白髪の尻尾もフリフリと左右に振られる。
それに対してサイラスは舌打ちするばかりだ。
先程から十回は舌打ちをしている。それだけ言い負けているのだ。
百五十年の年の功には勝てないのは仕方の無い事ではあるが、やはり、大男総身に知恵が回りかね、を地で行っているのだ。
「大体じゃの……」
突然二人の会話が止まった。不穏な気配を感じたサイラスとエイラは共に目配せをした。
「あぁ、こっちだったな」
サイラスは急に大通りを曲がり細い裏路地に入っていく。エイラは何事もなかったかのように直進した。サイラスが曲がると、フードをかぶりローブを着たあからさまに怪しい三人の人影が、戸惑いながらも後を追うように曲がっていった。
大通りの喧騒が嘘のように静かな細い裏路地は人が居なかった。そして曲がったはずのサイラスの姿も、そこにはなかった。
ローブの人物達は目標を見失ったのか振り返り後ろを確認したが後ろにはいない。三人が何度も周囲に目をやるがサイラスはいない。
「どこに行った!」
ローブの人物の一人がフードを外し叫んだ。若い男だ。しくじったと思っているのだろう。悔しさで顔が歪んでいく。
「クソっ、遠くへは行ってないはずだ、探せ!」
男が叫ぶと、三人は先を争うように狭い裏路地を駆けていった。
当のサイラスは、今しがたの三人の慌てぶりを裏路地に面している三階建ての建物の屋根の上で眺めていた。
裏路地の両脇にひしめき合う建物の壁を足場に三角蹴りを繰り返し、あっと言う間に屋根に登りきったのだ。筋肉にモノを言わせるサイラスならではの芸当だ。
「ありゃ、マジックギルドの実践派の奴らだな」
サイラスは三人が走り去っていくのを目だけで追った。
「まったく、今の若いモン頭上を探さないのかね」
後ろからエイラが屋根を歩いて来た。何時の間に、どうやって屋根に上がったのかは分からないが、エイラはサイラスに並んだ。この魔女もまた人外だった。
赤の大男と白の老婆の奇妙な二人組は都の雑踏を抜け、あからさまに普通の格好ではない、武器などを担いで闊歩する人間の中にいた。
彼等が向かう先はギルドが固まって存在する区画だ。職人や商人ギルドはともかくとして、傭兵ギルドとマジックギルドは一般市民には縁もなければ近寄りたくもない物であるから隔離されているのだ。
ただ、その手の人間を相手にする店や酒場も集まっている。洒落た店はないが安くて量が多いのが特徴だ。味は好みの問題であるから触れない。
「やはり公都は活気があるねえ」
様々なあおり文句の並ぶ看板を見ながらエイラが感心している。ガーランド領は、この国だけではなくこの地域一帯で見ても辺境で、ドが付く田舎だ。こんな賑わいなど望むべくも無い。
「三十世帯しかいねえ集落と公都を比べるのが間違ってるんだよ」
サイラスはバカにするようにプラプラ手を振る。
「ふふん、知らぬだろうが、今は五百人に増えたぞ」
「なに!」
サイラスは目を剥いて驚いた。サイラスが領地と言う名の集落を離れるときは確かに三十世帯しかいなかったのだ。この三十世帯が曲者揃いなのだが。それが五百人になったと聞かされれば驚くのは無理もない。
「人攫いにでも手を染めたのか?」
「馬鹿を申すな!」
サイラスの冗談にエイラはつり気味の目でじろりと見上げてくる。バツが悪いのかサイラスは肩を竦めて「冗談くらいさらっと流せよ」と口ごもった。
「まぁ、それで問題も起きているのだがな」
エイラは自嘲するように言葉を吐いた。
「問題、ねえ」
サイラスはついっと片眉を跳ね上げた。
「ま、ここで話をする内容ではない」
エイラが話を打ち切った所で丁度マジックギルドの建物についた。
その建物は、見かけは普通の石造りの三階建ての灰色の四角いモノだ。但し窓が見当たらない。壁は全て石で埋められている。そして看板代わりに、楕円形の中に片方がとぐろを巻いた杖が描かれている。此がマジックギルドの印だ。世界共通で、どの国に行ってもマジックギルドを示すモノはこの杖の看板だ。
二人は看板を確認すると、入り口と思われる開口部から中に入っていった。
建物に入れば薬草なのか香なのか、異質な臭いが鼻を衝く。カビの匂いも混ざっているのか形容しがたい臭いだ。
「ったく辛気くせえところだ。これだからここは嫌なんだ」
サイラスは露骨に顔を顰めた。
「魔導を探求するには避けて通れぬ道だ」
エイラがさも当たり前のような口ぶりでサイラスを非難する。エイラも魔導を追及しているのだからこの臭いが服に付いていてもおかしくないのだが、彼女からは暖かな日差しの匂いしかしない。
入れば直ぐに受付らしき背の高い木のカウンターがあり、その奥には目つきの悪い、どこか病的な程目の下に隈を作った中年の女性が座っていた。
窓のない薄暗い部屋の中でランプの小さな明かりが、彼女を亡霊のようにぼんやりと照らしている。
彼女はサイラスの姿を見つけたのか気怠そうにのそりと立ち上がり、赤いローブの裾をひらひらさせて歩いてきた。
「マジックギルドに何かご用ですか、サイラス・悪魔・ガーランドさん」
中年の女性は独特の薬草の匂いを振り撒き、黒い髪をかき上げ、挑む目つきで慇懃に挨拶をしてきた。わざわざ二つ名で呼ぶあたり、嫌み以外にないだろう。マジックギルドにとってサイラスは「ようこそ」と言われるような客ではないのだ。
だが、カウンターに近付き、エイラの白髪頭を認識した瞬間、彼女は足を止めた。
「……魔女」
顔を歪め驚愕する彼女の顔を見たエイラが「ガディウスの坊やに会いに来た」と声をかけた。
受付で待っていれば頭からローブを被った、贔屓目に見ても怪しい女性が迎えに来た。整った綺麗と言える顔なのだが、焦点が合っていない目をしているのだ。意識があるのか不明な女性と病的な眼つきの受付嬢とどちらかを選べと言われれば、逃げる、という第三の選択肢を選びたくなる。
「まともな女はいねえのかよ」
サイラスはぼやくが、迎えに来たローブの女性は何も聞こえなかったようで、しずしずと前を歩いていく。こめかみが痛くなってきたサイラスは、今晩はヴァネサに会って解毒しよう、と心に誓った。
二人は案内されてとある部屋にいた。趣と重厚感のある机が奥に存在を主張しる執務室だ。
立派なソファーに腰掛けていれば正面には豪華な彫り込みの額縁が目に入る。それには『魔法は闇を照らす光である』とのありがたい言葉が書かれていた。
サイラスは腕を組みながら「こんな事書く奴らが殺し合いしてるんだから始末に負えねえよな」と悪態をついた
「ここは客にお茶も出ねえのかよ」
「招かざる客には茶など出ぬぞ」
サイラスのぼやきに対し几帳面にエイラが合いの手をいれた。息の合ったいいコンビだ。
「ちっ、だからここは嫌なんだよ」
サイラスが口を曲げた途端、部屋の扉がノックされた。




