リリの一人部屋
一人部屋を与えられたのだから、当然寝具類が一式、最低限でもそろっているに違いない、と考えたリリはおかしくない。
旅の団が何か、超一級の記念日や、ぼろもうけをした際に団長が財布の中を確認して、順番に団員を宿に泊めてくれる事があった。
そういう時の、最低限の設備しかないからな、という事で入れてもらえる宿には、寝具類が最低限の一式そろっていたからだ。
この場合の最低限の一式というのは、敷布と上掛けと枕である。体を敷布と上掛けの間に挟むためのシーツ等がある事も多かった。
そういったものがさすがにあるだろうと思っていたリリだったのだが、一人部屋の中の設備を確認して、少しばかり戸惑った。
「何にもない……いや、これは……」
一人部屋の中にあるのは、今にもほどけていきそうな古さの布が数枚で、まさかこれで寝るようにという事なのか? といくら何でもちょっと……と思うであろう物しかなかったのである。
「これを誰かに聞いても……無理だよね……まともに会話してくれる人が一人もいないわけだし、多分こういう事をわかっててここを用意したんだろうし」
気に入らない相手を追っ払うために何かの事をする。
それはどこの世界でもありふれた事で、おそらく女の使用人達はお姫様のために選び抜かれた人々というわけだろうし、そんな人達の間に突如、踊りが気に入られたというだけのよそ者が入ってきたら、異物だという事で排除したがるのだろう。
お姫様の考えはわからないが、もしかしたら、お姫様の父親とか母親とかが、娘の心を慰めるためにとか、そう言った事を考えてお姫様の周りの環境を考慮しないで、リリを雇い入れてしまったのかもしれない。
踊りを所望しなかった事なども踏まえると、そちらの方があり得そうに思えてきて、リリはううんと腕組みをした。
この状況を打破する方法が思いつかないのだ。
ここはお姫様のための宮であり、ここから脱走するとなったら、自分の身の上を明確にできる何かがないと、町では食い扶持を稼げないだろう。
団長がそういった手形を大量に発行するのが面倒で、それゆえ国内をぐるぐると回って公演してきた事を知っているリリは、隣国のそういった法的な事などまるでわからない。
しかし、手形がないよそ者が追っ払われるというのはありふれた話なのである。
それゆえにリリはここから脱走ができない。なかなか難しい。
「ううん……どうするかな」
リリは前向きだ。くよくよしないところも美点だ。現在の状況の最適解を自分で考える事だって得意だ。
しかし、今は団での生活とは状況が違う。
難しい問題がいくつもありそうだ、と考え込んだ彼女は、ぐるぐると室内を歩き回り、木靴の音を鳴らしていた。
その時だ。
「……音が変に反響してる」
リリの、踊り子としての腕前を格上げさせるために、鍛えた聴覚が床の妙な反響を拾い上げたのだった。
「……」
リリはそのまま腕を組んだ状態で、こつこつとゆっくり歩き回り、ある特定の場所に、妙な空洞があるという事に気がついた。
「ここ床が抜けるとか? 調べてみようか」
床が抜けるのは大惨事だ。修理してほしいといったところで聞いてもらえないかもしれないが、確認は大事だ。団の設備だって、些細なところが壊れて、ドミノ倒しのようにあちらこちらが壊れてなんて事もあった。
大がかりな設備の些細な一部が壊れるのは、大変な問題と団長が常々点検を怠らなかったので、リリもそういう考えだった。
「……ここだけ床の色が少し違うし、……この場所の木だけ大きさが違う」
薄暗い場所でリリは床を調べ、手触りそのほかも確認し、かすかなへこみに手をかけて、ぐっと持ち上げると、さび付いた音を立てて、そこの一部が開閉し、その場所から、人が一人降りていけそうな地下への通路を見つけてしまったのだった。
「……」
この下に何があるんだろう。好奇心は人並みに持っているリリは、つばを飲み込んでから、そこに降りていこうとして、その時だった。
扉がたたかれて、リリはとっさに穴を閉じた。
心臓が普段にない位の早さで動いているが、扉の向こうの人がこう言った。
「夕食のお時間です。あなたも同じ卓についての食事ですよ。来ないならばあなたの食事は今後一切ありません」
「あ、はい!」
もうそんな時間になっていたのだ。そういえばここに到着したのは、昼をたっぷりすぎた位だったし、荷運びの手伝いなどをさせられていたので、それなりに時間もそれから過ぎたに違いなかった。
寝具の事も空間の事も後回しにしよう。お腹を満たす事が先決だ。
リリは急いで扉を開けて、そこに立っていた、お仕着せの使用人の衣装を着た女性がついてくるように指示を出してきたので、その後に続いたのだった。
……お仕着せの衣装のほうが、リリの踊り子としての衣装よりも上等の布地を使っている事実に、このお城の持ち主はとっても資産家なんだな、と感心してしまったのはどうしようもなかった。
ちなみに今のリリの格好は、ありふれたチュニックにズボンである。旅の団では動きやすさが重視されるので、女の子でもスカートをはく事がない子は、本当になかった。
ズボンなら団員の男性のお下がりをもらえるという事もあって、新品の着替えなんてめったにもらえない立場のリリは、団員のお下がりをもらう事が多かった。
ほかの踊り子の女の子達は、気に入ってくれた人達に貢いでもらって、新品のいい物を手に入れていたが、顔の平凡なリリはそういった事の経験などないのである。
単なる現実なので、リリが気にした事は過去一度もない。
たまに団長の着ていたお下がりをもらえると、団長は物持ちもいいので、すぐにリリのお気に入りの普段着になっていたわけだが。
そんな身なりのリリは、使用人の後をついて行き、使用人の食卓の、一番端に座るように言われて、若い女の使用人が配膳の練習なのだという事で、配膳をほかの使用人達と同じようにしてもらった。なるほど、こういうところで地道に練習を重ねて、お仕えする人の前で恥をかかないようにするのだろう。
リリはそういった地道な訓練をする人に好感が持てるので、心の中で配膳の練習をする使用人の少女達に応援を送った。
「…………、……?」
そして配膳が終わり、座っている人達が食事へのお祈りをする。それはおかしくない。
だが、自分の皿とほかの使用人の皿の中身が、ちょっと違う気がしたのだ。
何故目の前の皿の煮込みだけ、骨と野菜くずが溜まっているのだろう。
そして取り分として前に置かれたパンだけ、混ぜ物の多いパンなのだろうか。
彼女はお祈りが終わり、食事を始めた使用人達のお皿や、前に置かれたパンのバスケットをちょっと見たが、やはり中身が違う。
肉の細切れがたくさん入っているし、パンは白かった。
とり分けの配分を間違えたのかな。
リリはなんとなくそう思う事にした。パンの色の違いはとりあえず放置した。考えた方が疲れるだろう。
余計な事に体力や思考を使っては無駄もいいところだ。
それに配分間違えは、団でもたまにあるネタである。配膳の担当が、全員に平等に行き渡るように配れなくて、最後の一人の皿の中身が残念になるあれである。
まあ、おなかいっぱい食べられるなら、それは団のひもじい時よりずっといい。ひもじい時の薄すぎる水三歩手前のスープより、この濃厚な煮込みの方が遙かに素晴らしい。
それに豆の粉や黒っぽい麦の粉が混ざったパンも、そこまで嫌いではないので、たとえ高級な白パンでなくとも、それに贅沢にたっぷりバターを乗せられるという素晴らしい現実に目がむき、おいしいおいしいとそれらを食べていたのだった。
こちらを見ている使用人達が、明らかに自分たちと違う生き物を見ている視線だったが、生きてきた環境が違うのだから、考えが違って当たり前なのであった。