リリは踊り子
踊り子なんて、ただ踊っていて、ご飯をちゃんと食べられるわけじゃない。
どうしたって、そう言う意味でお客をとると言う事を、団長とかから指示されてしまうものだ。
よほどの儲けのある団でなかったら、踊り子や歌姫に、そう言う事をさせるのはありふれた話で、リリもまた、そんな役割が決定している踊り子の一人だった。
リリはあまり美しくない顔立ちをしていて、それを劇場のお化粧でなんとか見られるようにした娘だ。
踊り子には顔立ちが整っている方がいいとされる中で、リリが踊り子という役割を続ける事になったのは、ひとえに彼女の踊りの才能が、他の顔のいい女の子よりも若干優れていたからと言えるだろう。
リリは踊る事が、団に拾われてからずっと好きだったので、自主練習を暇があればやっているような女の子で、その練習の積み重ねの分、町で遊んでいる他の踊り子よりも秀でていた、それだけの話だ。
周りよりもちょっとだけ出来がいいから、リリは踊り子として踊る際には舞台の中心部で踊る役割を求められる事も多く、リリとしては、周りに恨まれなければそれで良かった。
「踊りしか楽しみのないかわいそうな子」
と言うのが、他の楽しい事を知っている踊り子の仲間達の評価でもある。侮蔑混じりのそれを口々に言う事で、踊り子の仲間達のいらだちの発散になる以上、リリはそれに何か反論したり文句を言ったりする事をしなかった。
そんな事に心を傾けるくらいなら、踊りをもっと上達させたかったのだ。
そんな、踊って踊ってという毎日に変化が起きたのは、国一番の大きさの街である、王都に到着して数日、舞台の上演まであと三時間という時だった。
「リリ。お前もとうとう月のものが来て三年がたった、お客をとってもらう事になったよ」
団長がそう言い出したので、何時か来る話だったから、リリは適当に、はあ、と気のない返事をした。
「そのお客様は、今か今かと団一番の踊り子が来るのを待っているんだ、今から迎えが来るから、お前はその人達に従いなさい」
「えー、今からですか。団長、舞台が上がるまで後三時間しかないんですよ、編成どうするんですか」
「それはこっちがどうにかする。ちょうどジャーリーが中心でやってみたいと言っていたから、彼女で編成を考える」
ジャーリーは団一番の美女踊り子である。踊りの練習よりも、他の男性団員達と戯れるのが好きなので、いまいち踊りの腕は悪い。
だが団長が言うならそうなのだろう。リリは何時か来る話、それがたった今決まっただけのことと言う割り切り方をして、また、はあ、と気のない返事をして、迎えの人間を待ったのだった。
「ここで私は何をすればいいんですか?」
リリは迎えだと言う人間達の指示のまま、どこをどう進んだかもわからないように目隠しをされて連れて行かれた。そして目的地に到着して目隠しを外して、目にしたのは豪華な天蓋のある寝台と、それから色々なきれいな調度品の置かれた室内だった。
踊り子が、お客とそういうことをする部屋にしては、あり得ないほどの豪華さと言っていいだろう。
こんな所に用事があるとはとても思えない、何かの間違いなんじゃないだろうか、とリリは真剣に疑ったのだが、案内をした、リリよりも上等な服装をした人達は頷く。
「ここで間違いはありません。あなたはここでお客をとってもらうのです」
「……ふうん。ここの道具とかは手に取っていいの?」
「……あまり好ましくはありません。不慣れな物を使うのはあなたも不便でしょう」
いまいちわからない返答ではある。だがリリはとりあえず、お客をとるのだから身ぎれいにしなくては、と、体を清める場所やそこの使い方を聞いて、彼等が去って行くのを見送ったわけだった。
「上等なお客だね」
リリはあらゆる方向から考えて、相当に物好きなお客が自分を買ったに違いないと判断した。
他に考えつかなかったのである。
こんな、他の踊り子仲間が一様にうらやむような待遇の一晩なんて、リリにはあまりにも分不相応というやつだった。
しかし、団長が決定した事であり、何時か来る話だと子供の頃からわかっていたリリにとっては、悲しんだり苦しんだり、衝撃を受けたりする中身ではない。
……踊り子の先達がお客をとったりしているのを、見たりする事も多い人生だった事も、リリがさっくり割り切るのに一役買っていたに違いない。
自分もいつかああ言う事をする様になって、踊り子を続けていくんだろう。
そんな割とはっきりした未来が見えていたため、リリはこんな事もたいした話とは思っていなかったのだった。
「まあ、体を清めて……化粧はどうなんだろう、さすがに舞台化粧は……ゴテゴテだからやめようかな」
そういってリリは体をきれいにして、化粧なども洗い流し、髪を拭いて乾かしてくしけずって、用意されているようにしか見えない寝間着に着替えた。
知らない形の寝間着である。リリにとって寝間着は適当な大きめの古着と決まっていたので、専用の寝間着という物は人生で初めてであった。
他の踊り子仲間達は、寝間着やそのほかの、必要な物や欲しいものを、自分をひいきにしてくれるお客達に貢いでもらう事も度々だと自慢し合っていた。
顔のいい団員の特権といって過言のないもので、顔のあまり良くないリリには縁遠い話である。
そのため、生まれて初めて専用の寝間着を着用して、リリはとりあえず寝台の上に寝転んだ。
普段は、争奪戦に勝利すればハンモック、敗北すれば堅い床に薄っぺらい寝袋という生活の少女にとって、寝台という物は未知の世界だったが、これがまたふわふわしていて素晴らしい。
「ふわふわだ……贅沢だ……初めてがこれってこれからの人生の基準が高くなりそうでやだ……」
そんなのんきな事を言っていたリリは、ふわふわの世界にあっと言う間に飲み込まれて、そのまま寝息を立て始めたのであった。
夜が明けた。リリは習慣として夜明けに目を覚ますため、鶏が朝の時を告げる前に目を覚まし、そこではっとして焦った。
一晩そういう事をする予定だったのに、その予定を大きく狂わせたに違いなかったのだ。
どうしよう。
団長に怒られる。違約金の世界になったらどうしよう。こんな豪華なところを指定する客だ違約金の金額は馬鹿にならない!
そういう所は世知辛い中で知っていた踊り子は、焦って焦って周囲を見回して、そこで起き上がろうとして、何かが自分の胴体にがっちり絡まっている事実に気がついた。
「あ……?」
思考が停止仕掛けたわけだが、リリはそっと上掛けをめくって、絡まった何かを確認した。
「腕」
がっちりとした、筋肉のしっかり乗っかった腕が、自分の胴体に回っているのである。
「……私、寝ぼけても相手してたのか……?」
全く記憶にないながらも、リリはその可能性があると思ったが、体に違和感がまるでないので、そこもなんとなく微妙な問題のような気がした。
そこでリリは、ぎこちない動きになりつつも、寝返りを打って、自分を抱き込んでいる何者かを目視しようとした。
「……?」
男である。しっかりと男性である。裸の胸にふわふわのおっぱいがついていないのだから男性であろう。
そこまではわかった。
リリが小さい頃に、団がしばらく公演していた国境の街で見かけた、仲の悪い隣の国の人間の特徴をしている男だ。
一体いつ、国境を越えたんだろうかとぼんやり思って、リリは記憶を遡ったが、王都は国境からかなり離れた地形である。数時間で国境まで行くわけがない。
ならこの男性は、王都に来ているという奴なのだろう。
「……時間はいつまでだろう」
本来の踊り子のそう言う事は、夜明けで終了して、夜明けに別れを告げておしまいである。
しかしこの状況だとどうなるのやら。
リリは違約金の事を考えつつ、ごそごそと身じろぎをして起き上がり、そして。
「おい」
起き上がったその瞬間に、低く背中がしびれそうな響きを伴った声をかけられて、ピタッと動きを止めたのであった。