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道化師の破獄

作者: 祁答院 刻

「出たあ!」

「襲ってくるぞ!捕まえろ!」

「警察…はやく警察に連絡を!」


大人たちはみな、馬鹿げている。正気の沙汰じゃない。

「出た」とか「襲う」とかお化けでもあるまいし。

白昼堂々、何を言っているのだ。

すべてすべて、戯言にも満たない。

しっとりと雨が降り、街がグレイにくすんでゆく夕刻、

腕の痣がジンと痛む。

私は、いじめられっこだ。多分、これからもずっと。

「邪魔者。あっち行って」 

飛び交う罵詈雑言を、何度耳にしただろう。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

「来ないで!消えて!」

振り上げられた握りこぶしを、何度目にしただろう。

巷のわあわあ きゃあきゃあのお喋りに、私は入れてもらえない。

今日も、襲いかかる虚無感に泣きながら、雨に濡れている。


「え?誰」


その時、泣きはらした目が人影を捉えた。


「誰?」


目を凝らすと、焦点の合わない瞳が、必死に私を見つめようとしているのがわかる。

極彩色のパーマネントに、白塗りの顔。

そこにいたのは、道化師だった。


「ありがとう」


そのひとは、虹色の渦巻きキャンディーをくれた。

なんて優しいのだろう。

私は、嬉しさに雀躍して、手袋越しの大きな手を 離すまいと掴んだ。

道化師は、作り物の顔で、非常に滑稽に笑う。

このひとなら友達にしてもいいかも。

落雁みたいな味のキャンディーをしゃぶったまま、道化師の後を追った。

道化師は、古めかしいサーカス小屋に私を招き入れた。

ホコリと湿気と年季の混じった匂いが鼻をかすめる。


「ここはどこ?」


尋ねると、


「おうち。おうちだよ」


彼のものと思しき声が、鼓膜に響いた。

おうち、おうちと繰り返す彼の手には、からくり人形が握られていた。

彼いわく、それはキューちゃんで、腹話術用の人形らしい。


「ぼくはさ、コウでないと喋れないんだ」


そう言う道化師の口は、微動だにしない。

代わりに、キューちゃんの口が、ぱくぱくと上下している。

腹話術人形を介してでないと会話ができない道化師。

それは私を魅了した。


「ほんとうの姿になるにはさ、勇気が要るよね」


彼は、しみじみと言った。

懐かしいことを反芻しているような、そんな物言いだった。


「そうなの?私は、ほんとうの姿を見るのに勇気が要るよ」


いじめられっことして―優等生の素の顔を見てきた私は「ほんとうの姿」を見るのが怖い。

容姿端麗の学級委員が、学級崩壊の黒幕だったと知った時はもううんざりした。

だから、この道化師は道化師のままでいて欲しい。

腹黒いニンゲンが中に棲んでいるだなんて、考えるだけでも虫酸が走る。

だから、


「道化師さん、そのままの姿でいいよ」


と言うと、


「そう?やさしいネ。きみって子は」


そう言って、キャンディーをもう一本くれた。

虹色のキャンディーは、口にいれると、粉薬のようにサッと溶けて跡形もなくなった。

残っているのは、喉を焦がすような、ぎらついた甘さだけだ。

「知ってるか?あのピエロ」


噂を耳にしたのは、ちょうど道化師の“おうち”に向かっていたときだった。


「ああ、知ってる知ってる」

「怪しいよな」


黒い外套の男たちが、街頭に群がって息を潜めて話している。

彼らの言う「ピエロ」があの道化師を指すことは確かだ。


「いつも子供と歩いてるらしい」

「ますます怪しいな」

「ハーメルンの笛吹きを思い出した」


子供心にもきな臭いと感じて、私は“おうち”であるサーカス小屋まで一心不乱に駆けた。

誰かが自分たちのことを噂している、

そう、一刻も早く伝えなければ。


「あの、あのね道化師さん」


肩で息をしながら、一息で告げる。


「たいへん。とにかく大変なんだよ」


噂されているんだ、と言いかけて口をつぐんだ。

道化師は、何を言っても平然としていて、反応すらみせなかったのだ。


「なんで?なんで驚かないの?」


訊くと、


「まあ、あいつらごときにそう焦るな」


少しの間があって、彼は口を開いた。

余裕綽々たる態度に、違和感を覚えた。

しかし、


「ぼくの特技、みてほしいナ」


能天気にそんなことを言うから、そういう人なのだろうと思った。


彼の特技は、シルクハットから鳩を出すことだった。


「マジシャンみたい。君は道化師なんでしょ」


「堅いこと言うの、やめてよ。あいつらみたいじゃないか」


「あいつらみたい」というのが何なのかは少々不明だったが、この場所でそのことを言うのはタブーらしかった。

しかし、一つ断言できることがあるとするならば、

彼のマジックは凄まじくうまかった。

もしかしたら。

と思ったら、やはりだった。

あの悪夢は、正夢だった。

道化師が―捕らえられた。

「治安が悪くなる。治安が悪くなる」

と連句しながら、行進する黒い外套の男たち。

彼らが、道化師の“おうち”に虫のようにたかっている。

間もなく、黒い外套に紛れて、道化師の華美な腕が入口から覗いた。

どうやら連行されているようだ。

が、動きが止まった。

見ると、道化師がなにかにつかまり、動くまいと必死に抵抗している。


「ああ、まったくじれったい。これごと壊すか」


男のうちの一人が、“おうち”を指さして嘆いた。


「ダメ!これは“おうち”なんだ!」


言い返したが、私など無力。


「お家?このオンボロサーカス小屋が」


そう、すげなく突き放されてしまった。


男たちはそのまま腕力で連行していく。

引かれてゆく無抵抗な背中に、嗚咽が漏れた。

腹話術人形のキューちゃんはというと、私物ということで回収されていた。

彼は、自由とともに言葉も失った。


かたくなにワルモノと決めるのはおかしい。歪んだ考えだ。

でも、それが世の中なんだよな。と唇を噛んだ。

「出たあ!」

「襲ってくるぞ!捕まえろ!」

「警察…はやく警察に連絡を!」


大人たちはみな、馬鹿げている。正気の沙汰じゃない。

「出た」とか「襲う」とかお化けでもあるまいし。

白昼堂々、何を言っているのだ。

すべてすべて、戯言にも満たない。


「なんで?どうして出てきたんだ?」

「なんか、マジックか何かを使って、南京錠をこじ開けてました」


場は、騒然としていた。

その場にしばし突っ立っていた私は、何者かの視線を感じ、ふと振り向く。

すると、あの日と同じシチュエーションだ。

焦点の合わない瞳が、こちらを見つめていた。


「破獄完了だヨ」


そんな声がする。

彼の手には、いつ取り返したのかキューちゃんが握られていた。

「固定観念とか同調圧力とかにまみれた、薄汚い世界からの破獄、完了だヨ」


キューちゃんという“口”を得て、彼はいつになく饒舌になった。

そうだね。

うなずく私に向けられた瞳は、やっぱり焦点が合わないまま、所在なげに揺れている。

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