歴史改変依頼
「はぁ……どうすっかなぁ……」
『――ますか』
「え?」
『聴こえますか?』
「は? え?」
『この声が、聴こえますか?』
「え、はい。いや、え?」
耳にイヤホンをつけ、音楽を聴きながら道を歩いていた、とある男。その声に気づき、イヤホンを外して辺りを見回したのだが、近くに人の姿はなく、困惑した。
『聴こえるんですね。よかった』
「え、えっと、え、これ、どういうことだ……」
『大丈夫。落ち着いてください。幻聴ではありません。今、未来からあなたに直接話しかけているのです』
「未来から……? 声、声だけ?」
『はい。声だけのタイムマシンとでも思ってください。一人の人間を過去へ送る技術はまだ存在していないのです。いや、あるいはこの先もないかもしれません』
「あー、まあ確かに現実的と言えばそうだな……。そうなのか? こんなこと信じられないけど……でも、なんでおれに?」
『実は、あなたにお願いがあるのです』
「お願い? それって、おれにしかできないことなんだよな。こうしてわざわざ未来から話しかけてきているってことは」
『はい。あなたに未来の世界を救っていただきたいのです』
「お、おお。まるで映画みたいだ。なんかこう使命感のようなものが湧いてきたな。でも、おれにできるかな……」
『大丈夫。我々はあなたなら必ずできると信じています。あなたも自分を信じてください』
「……わかった。よし、やる。やるよ。それで、何をすればいい?」
『ありがとうございます。あなたには、今からその道を通る男性を少しの間だけでいいので、止めていただきたいのです』
「え、ここ? この道?」
『はい、かなり急ぎの様子で駅に向かう男性を、です』
「なるほど……。それで、おれに頼んだのか。でも少しって? それにどうやって止めたらいい?」
『たぶん、話しかけても「道を聞くなら他の人に!」などと言われて相手にされないと思うので、勢いをつけてぶつかって動きを止めるとか、できれば尻餅をつかせてほしいですね。いっそ、飛び掛かってしまって構いません』
「おぉ……まあ、ちょっと足止めするくらいならできそうだな。でも、それくらいのことで未来が変わるのか? あ、でもなんか聞いたことあるような……バタフライ……」
『はい。バタフライエフェクトという現象です。電車に乗り遅れるなど、ちょっとしたことでも未来に大きな影響を与えるのです。我々が行った綿密な計算の結果によると、これが成功すれば、あなたのお陰で未来は救われ――』
『おい、どうだ? まだか? やったのか? いずれ連中が来る。のんびりしてられねぇぞ』
「ん?」
『今、交渉中だよ! すっこんでろ!』
「んん?」
『では、お願いしますね。未来のヒーローさん』
「いや、ちょっと」
『はい?』
「いや、ガラが悪くない?」
『と、言いますと?』
「いや、今そっちで誰かと会話してたよね?」
『……してませんけど』
「してた間だけどな」
『多分、混線してるのでしょう』
「混線するの? いや、まあそれは置いておくとして、え、よく考えたらこれって違法じゃないの? いいの? 未来から過去に干渉して」
『いやー、まあ脱法というか』
「違法じゃないか」
『まだこの装置も研究段階なので法整備もまだなので』
「後々規制されそうな言い方」
『だとしても、未来を救うためには仕方がないことなんです!』
「まー、それもそうか……」
『ええ、ですので――』
『た、頼む、装置の使い方は教えただろう!? もう家に帰してくれぇ……ゲホッゴホ!』
『うるせえんだよ! 黙ってろ! またやってやろうかぁ。爪か? 歯か? ああ!? 指がいいか!?』
『ですので、よろしくお願いしますね』
「いやいやいやいやいや」
『はい? どうかされましたか?』
「いや、なんか、その装置の開発者らしき人とあなたのお仲間の声がしたんだけど。え、誘拐した? それに拷問もしてない?」
『はははは、我々がそんなことするわけないじゃないですかぁ』
『た、頼む、妻の、孫の声を、無事なんだよな? あ、あ、あいっぎぃ』
『ほらほらほら大人しくしてねえからそうなるんだよバカがよぉ……』
「いや、誘拐してるよね? 下手したら複数件。拷問も今」
『しませんてそんなこと。ああ、あれですね。未来のテレビ番組の音声と混線してるみたいです』
『た、頼む! も、もうやめてくれぇ! 誰か、誰か助けてくれ!』
『うるせえなぁ。そう都合よく来ねえよ。テレビや映画じゃねえんだぞ』
「違うらしいけど」
『あ! そろそろ時間ですよ! なんとか、その男が電車に間に合わなようにお願いします!』
『ゴホッゲホォ! こ、こんなことして、たとえ過去を変えたとしても、君らのトップはどのみち捕まっていたはずだ……あれだけ、好き放題していては……』
『うるせえってんだよぉ……あいつが事故で死んでくれりゃぁ、大教祖様が糾弾されることもなかったんだ。政界を牛耳るまであともうちょいだったからなぁ』
「なんか、メキメキと悪の組織の匂いがしてきたんだけど」
『そんなことないですってば。もう、どうしたんですか? 怖気づいたんですか? でもそうかぁ、そうだよなぁ。あなたには無理かなぁ、できないかぁ』
「煽ってきた……」
『さあさあ、もう男が見え始めたんじゃないですか? どうぞ殺してください』
「要求が直接的すぎる」
『さあさあさあ、早く! 骨が折れてでも止めろ! でないと未来で、てめえの子孫を捜し出して殺してやるぞ!』
「ついに本性を見せてきた……」
『いいから、やれ! 殺すぞ!』
「……おれ、決めたよ」
『おお! そうだ! やれ! やっちまえ!』
「将来について悩んでたけど、おれ、ジャーナリストを目指すよ。それで、お前たちみたいな悪の残党をとことん追い詰めて――」
と、男が横切ったので、彼は反射的に口を噤んだ。声をかけられたかと思ったのか男は走りながら、ちらと振り返ったが、足を止めることはなく、その背中はどんどん小さくなっていった。
彼はふぅ、と息を吐き、小さな声で「おい……おーい」と、あの未来からの声に呼びかけてみたが、応答はなかった。それは結局、足止め計画が失敗して彼は用なしになったのか、それとも彼が進む先がその未来を変えたのか。どちらかはわからないが、彼はそれでいいと思い、歩き出したのだった。