勅書
焔聖となってからは、隊を伴わず1人で行動することが多かった。獄炎竜アルマを傀儡とした際には第一聖女隊を率いたが、その後は単身放浪していた。派手な見た目の祭服を嫌い、旅装束に身を包んで旅人を装った。
相変わらず鬱屈としていたが、巡礼自体は真面目に熟した。ニスモなりに聖女としての役目を果たそうとしていたし、大好きな姉が夢見た平穏な世界を作ろうともしていた。
──だが、大暑十日夜に輝聖が顕現した。
知ったのは、浜辺の倒木の側に生えている酢漿を採取している時だった。これらは聖具や武器を磨くのに使用する。
「聖女様」
振り返ると吟遊詩人の格好をした男が立っていた。第一聖女隊のジャン・セルピコが遣わした伝令だった。
「輝聖が顕現なされた由」
「何……? 誰?」
「──リトル・キャロルです」
刹那、手足が冷える感覚があった。
「……そう。下がって」
男はさらりと立ち去るが、ニスモは暫くその場から動けなかった。
──キャロルが光の聖女。私の上に立つ。
日蝕の聖堂で、ニスモは火の聖女に選ばれた。その時の気分は筆舌に尽くし難い。
光の聖女は聖女を束ねる存在。それに選ばれなかったことは、神に実力を認められなかったのと同義に感じた。見放されたようだったし、それが悔しくもあった。
そして『聖女全員を殺し、世界を滅ぼす』と不貞腐って鬱々としていた日々も頭に過ぎった。悔しさを晴らすために、この下らない負け惜しみを実行に移すべきだと誰かが囁いた気もして、それで、女神像の前でじっと手を見た。
──神はあの鈍感な女を輝聖に選んだ。
ニスモは神に虐げられているように感じた。
神は何も救ってはくれない。救ってくれないどころか足蹴にして嘲笑う。姉を失った時点で分かっているつもりだったけれど、もう一度分からせられた気分だった。
ニスモは胸に光る姉のロザリオを力強く握り、紐を千切って海に向かって投げようとした。
「こんなもの……ッ!」
だが、思い止まる。姉の言葉が蘇った。
『ニスモにこれを預けるわ。ロザリオを握って祈れば、きっと神様が助けてくれる。絶対に私たち2人をまた一緒にしてくれる』
捨てる事など出来るはずがなかった。ロザリオを握ったまま、ニスモは力無く砂浜に座り込む。
(リトル・キャロルは理想を捨てなかった。それで輝聖に選ばれたのだとしたら、姉さんの人生は何だったんだ。私、耐えられない)
ぐっと涙を噛み殺し、ロザリオを握って自身の幸福を願った。
夏にしては穏やかな日だった。薄雲の間から、泣きたくなるくらいに柔らかな日差しが降り注いでいた。海猫の鳴き声と漣の音を聞きながら、ニスモは暫く祈り続けた。
□□
それから数日が経ち、再び第一聖女隊の伝令が現れた。その男はヴィルヘルムからの書簡、つまりは勅書を持っていた。そこには第一聖女隊に対し、一刻も早く大白亜に入ることと、その護りを固めるよう記してあった。
これを受けてニスモは文官ジャン・セルピコと王都で再会した。彼の屋敷で接待を受けながら、今件について話を進める。
「隊を再編するのはどれくらいかかる?」
白髪の老紳士セルピコは頭の中で計算立てながら、器に紅茶を注いだ。相手が聖女なら使用人に任せず、自らがもてなす。
「器楽隊は暫くかかりましょう。それ以外は迅速に集うものと存じます」
ニスモは舞を用いた魔術を得意とすることから、武や魔術に長ける兵よりも楽器に長ける兵に拘る。第一聖女隊の約7割は王国各地より選抜した、楽器の熟練者。彼ら彼女らは城付きの楽師であったり娼婦であったりするので、普段は生活のために各地で働く。
「大白亜の護りを固める理由は何? ヴィルヘルムは何か言っているの?」
「勅書に書いてある以上のことは分かりませぬな。大白亜に何らかの敵が迫っているとお考えなのでしょう。それは果たして魔物か、もしくは別物か……」
ニスモは紅茶を啜った。口の中に上品な風味が広がる。彼女は様々な事が嫌いだが、セルピコの淹れる紅茶は、数少ない好きなものの一つだった。
「まあ良い。ヴィルヘルムも大白亜にいるんでしょう? 直接問いただしてみる」
「兵は如何なされましょう」
「王都にいる隊員は連れて行く。各領の予備役は現地で落ち合えば良いわ」
聖女隊には予備役が存在する。その数は巡礼に伴う正規の隊員の数十倍。普段は各地で正教軍として働き、有事には隊に組み込まれる。
「御意にございまする。リンカーンシャー公爵領軍は如何なりますかな」
個人的に聖女達に協力を申し出る諸侯もいる。特に故郷の軍は聖女達にとっても頼もしい存在であった。打診をすれば快く兵や兵器を貸し与えてくれる。
セルピコの問いに対し、ニスモは苛立ちを露わにしながら返答した。
「必要ない。放っておいて」
焔聖はその日のうちに王都から大白亜のある聖都アルジャンナへと発つ。急な召集の為、集まったのは6名の騎士のみ。少人数での行軍となった。
□□
雨の中、第一聖女隊は聖都アルジャンナに到着。街は閑散としていた。元々聖都は商いで賑わう街だったが、正教軍が屯するようになってからは商人達が次々に離れ、街には薄寂しい静けさが漂うようになっていた。
「聖女様」
セルピコがニスモに耳打ちをする。
「分かってるわ。──禁軍が駐留している」
街並みの至る所に、黒い装備を施した兵達がいた。禁軍だった。大白亜は教皇領であるから、王室領の軍である禁軍が入れば、それは侵略にあたる。
「教皇領の関所では特に異変はないように見えたけれど」
黒い装備を施した兵も多いが、白い装備を施した兵もそれなりにいる。即ち、この街には禁軍と正教軍が共存していた。特に戦闘を交えようという様子もない。ただ、各々が各々の持ち場で、歩哨としての役目を果たしているように見える。
(教皇が禁軍を呼んだ? 聖都の護りを固めろという命と関係があるのだろうか……)
ニスモは違和感を抱えたまま、大白亜へと向かう。
聖都アルジャンナは山の麓に向かってなだらかに造られた街であった。山の上には大白亜と呼ばれる巨大な宗教施設群が存在し、そこには大聖堂、庭園や邸宅、様々な省の施設が立ち並ぶ。これら施設は総じて白塗りである為、大白亜と呼ばれた。
坂道を登ること二十分、崖の合間に巨大な銀の門扉『大山門』が現れる。門の内に入ればそこは大白亜だった。門には荘厳な彫物が施されており、じっくり見れば1日を費やす出来で、それを見に聖都を訪れる旅人も多い。
門番が正教軍だったので、セルピコは彼に近寄り、現状を問うた。
「何故、聖都に禁軍が駐留している」
「はっ。教皇代理聖下がお呼びになったものと存じます」
ヴィルヘルムは正式には教皇代理。教皇となるには伝統的な着座式を行う必要がある。
「……そうか。宜しい。門を開けよ」
銀の門が大きな音を立てて、ゆっくりと開く。ニスモはそれを見ながら熟慮した。
(存じます? 正式にそうした事実は確認できていないということ?)
門を過ぎ去り坂を登り切ると、列柱廊に囲まれた広場が現れた。床は真っ白な大理石で出来ていて、至る所に聖人の像が立つ。雨に濡れる広場はぬらりと光って、静かな神秘を孕んでいた。聖女隊は広場を横断し、教皇がいるであろう教会へと向かう。広場正面に聳える巨大な建物がそれで、名は聖母カレーディアの名をそのままに『カレーディア大聖堂』と言った。
外観には夥しい程の彫刻が施されていた。左右の塔は高く聳え、薔薇窓はあまりに巨大。王城より幾分も荘厳な出立で、初めて見た者は畏怖して立ちすくむ事も多い。澄んだ純白の色も、雨空の下でも輝いて見える程で、それは美しいというよりは不気味に感じた。
教会の入り口に立つ禁軍兵士に、セルピコが寄る。
「第一聖女隊である。聖下にお目通り願いたい」
それを言った矢先であった。半開きになった聖堂の扉から男がするりと抜け出して、駆けてきた。服装を見るに、どうやら禁軍文官のようである。
「おお……! 来てくださったのですな!」
その男は満面の笑みでセルピコの手を取り、ニスモを見た。
「流石は焔聖猊下っ。さあ、既に支度は整っております故、さあさあ、中で王がお待ちです」
ニスモは目を見開く。王が、この大白亜にいるのか。
□□
聖堂に通されたのはニスモとセルピコだけであった。
身廊の先。祭壇の前に誰かが座っている。
焔聖は静かに一歩一歩、近寄る。長い身廊だが20歩も歩けば、座する者の姿ははっきりとしてきた。鎖帷子で頭まで覆い、鎧は金銀に輝く。頭には王冠が被せられている。──国王アルベルト二世であった。
アルベルト二世は戦支度、その上、着座式の際にしか至聖所から持ち出されない教皇御座に座していた。ニスモはそれを認めた時、嫌な予感がして汗が噴き出た。隣を歩くセルピコと目を合わせ、神経を尖らせる。
2人は袖廊まで歩き、跪く。
「ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」
「もそっと。もそっと近う、焔聖」
王の優しい声が堂に響いた。
ニスモは一度顔を上げて王の顔を見た。その面容、いつか謁見した時と同じく皺枯れているが、目だけが異様に輝いている。生き生きとして、春の湖のように眩しく煌めく。
一歩近寄ると、王は満足そうに頷いた。ニスモは再び床に目を移す。そして、生唾を飲み込んだ。──警鐘が脳内で鳴り響いている。何か、取り返しのつかない事が、この国で起ころうとしている気がした。
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