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進撃(後)


 一方マール伯爵領軍本隊は、同盟を結ぶテンプルバリー伯爵領アップルハムを通過し、教皇領へと再度進軍中であった。長い隊列を率いるのはジョッシュ・バトラー。巨馬に跨る。その尾と(たてがみ)は綺麗に編み込まれていた。


 順調に進む中、人や馬の間を縫って伝令がジョッシュに駆け寄った。


「なにっ! メリッサがヘス侯爵領軍を退けただと⁉︎」


 愛しい人の活躍を聞き、目をキラキラと輝かせる。


「ああ! 甘美なニュースだ! 甘美繋がりで、お前も食うか⁉︎」


 鎧の帯革(ベルト)から干し葡萄が入った袋を外して、それを丸ごと渡した。伝令は礼を言って、また隊の後方へと戻ってゆく。


「しかも戦闘にならなかったと聞くぞ。うーむ、優しくも美しいメリッサの事だから、懇切丁寧(こんせつていねい)に話し合い、納得の上でお引き取り頂いたに違いあるまい。素晴らしい。平和の権化(ごんげ)だ。なっ。お主らもそう思わぬか?」


 従騎士(エスクワイア)たちがにこりと笑んで頷いた。主人であるジョッシュがそうだからか、彼らものほほんとした性格の者が多い。


「なあ、お前もそう思うだろう、エリカ・フォルダン」


 ジョッシュは黒い馬に乗るエリカを振り返って見た。


「えっ。私に聞かないでくださいよ」


 言って、夏よりも少し伸びた銀の髪を揺らして驚く。


 エリカは左目に黒い眼帯をしていた。焔聖が生んだ強烈な炎を見つめてしまった為、その魔力が目を蝕んでいる。結膜(けつまく)(だいだい)の色に熟して角膜(かくまく)は赤黒く変色し、未だ視力も完全に戻り切らないから、罨法(あんぽう)の処置がなされている。


「思うんですけれど、あの人の事だから、手痛くあしらったのではないですか?」


「手痛くあしらった? メリッサが? ──なるほどッ! それもまた良しだなッ! 逞しくて美しい! 好きだ!」


「何でも良いみたい……」


「そうとも。何でも良いのだ。お前はメリッサに魅力を感じないのか?」


 エリカは口を尖らせる。


「あんまり。あの人、本当に強引ですし、しつこいですよ。今回も私を第四聖女隊に合流させろと文に書いてあるんでしょう?」


「それはお前を気に入っておるが(ゆえ)よ。俺だって毎度誤魔化すのが大変なのだ」 


 陸聖メリッサはエリカを高く評価しているようだった。アンジェフォード城での戦闘の際、四翼のみならずアル・デ・ナヴァラをも倒し、さらにメリッサの耳を引きちぎり、挙句には『弱い』とまで(のたま)った勇猛なる戦士を、近習(きんじゅう)として迎え入れたいと思っているらしい。


 だからメリッサは、事あるたびにエリカを呼び出した。訓練であるとか酒宴であるとか理由は様々で、時には熱が出たからエリカに看病して貰いたいなどと幼稚な嘘をつくこともあった。その度にエリカは断っているが、どうもメリッサに諦める気はなく、何度も何度も打診をしてくる。


「一度くらい顔を出せばどうだ。メリッサに会えるだなんて、俺なら舞うぞ」


 エリカの隣、栗毛の馬に乗るリトル・キャロルが言う。


「エリカは渡さん」


 それを聞いて、エリカはジョッシュに向かって舌をべっと出した。


「聖女なんか嫌いです、私」


「輝聖も聖女であろう」


「キャロルさんは別です」


「ふぅん。よう分からん。どちらも美しい」


 ジョッシュはハッとして、急におろおろと焦り出し、手綱(たずな)を離して天に祈ってみせた。


「おお、今のは違う。客観的な感想なのだ。真に美しいのは、我が(うるわ)しのメリッサよ。早く会いたい。早く会いたいぞ。──ようし、決めた。この戦が終わったその時、俺はこの溢れんばかりの恋心を伝えてみようと思う」


 従騎士達はこぞって拍手をした。


(何言ってんだろう。それはいつも文で伝えてるじゃないか)


 エリカは文の内容を全て知っている。頭に刷り込まれている。何故ならば、彼は文を完成させる度に『乙女の心が動くかどうか感想を述べよ』と目の前で何度も音読するから。それも、病床(びょうしょう)()していようが関係なく!


 焔聖の攻撃に倒れ、こうして立てるようになるまでの記憶と言えば、怪我を治してくれるキャロルの手の温もりと、ジョッシュが聞かせる退屈な恋文しかない。言っておくが、夢にまで出てきたぞジョッシュ・バトラー。夢の中でも同じように惚気(のろけ)を聞かせられた!


 鬱々(うつうつ)と思い返していると、また背後から伝令が駆けてきて、ジョッシュに寄った。


「え? 何? ピピン公爵領軍がコンチ城を落とした?」


 エリカは目を丸くした。


「もう?」


「しかも、既にデファラ城に取り付いているようだ」


 デファラ城とは、ピピン公爵領軍が決めたところで言う『二の城』である。


「速すぎませんか? 報告が間違いじゃないなら、なんて言うか、魔法みたい」


 エリカの驚きようを見て、キャロルは仄かに笑みを浮かべて言う。


「──やっぱり、マリアンヌ・ネヴィルはマリアベルだ。間違いない」


 ジョッシュが眉尻を下げて言う。


「またその件かぁ? あのなぁ、海聖は王都で(たお)れたと……」


「私は信じていない」


「それに、仮にマリアンヌ・ネヴィルがマリアベル・デミだとしたら、名前が近すぎると言うておろう。名を偽るなら、もっとこう、似ても似つかん名前にするだろう。のう、エリカ」


「えっ! また私に話を振るんですか⁉︎」


 これについてはエリカもジョッシュと同意見であった。だが、キャロルを否定したくはないので、まあ、何と答えれば良いか。はてさて困った。エリカはうーんと悩む。


「急ごう。マリアベルの動きに合わせれば大白亜の奪取(だっしゅ)はそう難しくない。逆に、遅れを取ると面倒だ」


 エリカは目を瞬く。今のキャロルの(げん)、随分と海聖の腕を信用しているような。確かにウィンフィールドに無血で入られてしまった時は只者ではないと思ったけれど。でも、大白亜の奪取をそう難しくないとまで言わせるなんて。


「それに、きっとニスモも大白亜に駆けつける」


 第一聖女隊が教皇領付近にいるという情報は、マール伯爵領軍の密偵(みってい)も入手していた。隊が動いたのだから、火の聖女も何らかの行動を起こそうとしているに違いない。そう、キャロルは直感している。


「彼女とはもう一度話さなきゃいけない」


 あの朝、キャロルは焔聖と戦闘に(おちい)った。その際、何者かに狙撃されたが、焔聖は身を(てい)してキャロルを庇った。


 キャロルには何が起きたか分からなかった。四つん這いになってぼろぼろと血を吐き出す焔聖を見ながら、その場で立ち尽くした。エリカを傷つけられ、それで頭に血が上って『彼女とは相入れない』と決めつけた瞬間の出来事だったから、余計に呆然とした。


 ──何故、私を庇ったのだろう。


 焔聖にひどく嫌われている事は、学園の頃から理解していた。殺意だって幾度となく向けられた。訓練の際には、滅多打ちにされる事もあった。時には汚い手を使われて痛めつけられた。学園から追放される直前も、穢らわしいものを見るような目で虐げられた。それなのに、なぜ庇った?


 あの1件からキャロルの気分は晴れない。焔聖について延々と考えてしまう。相容れないと怒ってしまった事にも自己嫌悪する。


 そして、これ以上に心を重くするものが、キャロルにはある。それは、自分が輝聖として立った直後、連鎖的に聖女を巡る争いが始まったこと。禁軍の狙いは輝聖に限ったものではないらしいが、それでもやっぱり輝聖の顕現が混沌の火種にはなったと思う。


 もちろん荒波の1つや2つは立つだろうとは考えていたし、それは輝聖の威光で(しず)める覚悟だった。けれども、やっぱり苦しい。これは理屈じゃない。今も世界のどこかで聖女の為に戦い、血を流す人がいることの事実が、想像していたよりも重くのしかかって、胸苦しい。


 ──私は彼らの血と涙を、救いに変えることが出来るのだろうか。


「キャロルさん?」


 エリカに問われ、自分の世界から脱する。


「何でもないよ、エリカ」


 キャロルは無理をして笑み、煙草に火をつけた。そんなキャロルの苦悩など(つゆ)知らぬジョッシュが振り向き、元気一杯に声を上げる。


「おおい、ライナス! お前はどう思う!」


 後方、大将マール伯爵の側にいるライナスから『何が』と声が飛ぶ。


「マリアンヌはマリアベル・デミか、否かッ!」


 しかし返ってきたのは、伯爵の声だった。


「神妙に進軍せよ!」


 ジョッシュはハッとしてから、ややあってシュンと落ち込んだ。


「しもうた。叱られたわ……」


 □□


 『二の城』デファラ城を臨む湿原、ピピン公爵領軍の兵らは繁縷(はこべ)などの植物を採ったり、蝲蛄(ざりがに)を獲るなどしていた。少しでも兵糧(ひょうろう)を節約するためだった。


 ずっと遠く、丘の上、土壁の(びょう)からは『クックロビンを殺してしまったのはだあれ?』と歌が聞こえる。その一方で城からは、わあわあと騒がしい声がしていた。悲鳴も混じる。


「さあ、どんじゃか揚げていくわよっ! みんな、手伝ってっ!」


 大将パトリシアは兵と共に、次々に蝲蛄(ざりがに)を揚げていく。周囲の兵達はその橄欖油(オリーブオイル)の香りに腹を空かせ、まだかまだかと待ちきれない様子。


 騎士の1人がロック卿に寄る。


「よ、良いのか。大将とあろう者が兵に囲まれて、わいわい騒ぐなど……。そもそもそれは飯炊(めしたき)の仕事であろう」


「お嬢様は基本、無礼講(ぶれいこう)で良いと仰る。士気が高ければそれも良かろう」


 言って、ロック卿はマリアベルの方を見た。彼女もまた鍋を前に蝲蛄(ざりがに)を揚げているが、パトリシアらとは対照的で、周囲の兵達は真っ青になりながら調理をしている。工程の中で少しでも意に沿わないことがあると、マリアベルから(ののし)りを受けるので。


「叱られながら支度した飯よりは、和気藹々(わきあいあい)と作った飯のほうが美味そうで良い」


 その時、二の城から爆煙が上がった。


「ほお……。城の中でおっ始めたか。修羅の(ちまた)であろうな。この様子なら城から兵が出てくる事もあるまい。半時には出立できよう」


 城から真っ黒な煙が昇っていく。澄んだ青空を濁して汚す。城の屋根に留まっていた水鳥達が、煙から逃げてゆく。それを見遣ってから、マリアベルは鍋に浸した油の中に、そっと蝲蛄(ざりがに)の身を入れた。


「リアン。万事順調です。……順調すぎる」


 リアンは蝲蛄の殻を袋に入れ、(つち)で砕く。後にこれで酒を作り、魔術に用いる。


「嫌な予感がしますか?」


「戦というものは、順調な時こそ何かが起きる。それは相手の戦略が上回っているとか、罠に嵌められたとか、そういうのではありません。唐突に理不尽が顔を覗かせ、山の天気のように無慈悲に襲いかかってくる」


「用心します」


「そうして下さい。後に、公爵閣下(かっか)とロック卿にも伝えます」


 その時。兵が油に入れたばかりの蝲蛄(ざりがに)を退かそうとした。


「まだ早いッ! なんて急勝(せっかち)な!」


 兵は驚きながらも、蝲蛄(ざりがに)を下ろす。そして1秒、2秒、3秒──。


「よし。もう良い。上げなさい」


「へ? でも今、早いって……」


「トロい! 蛞蝓(なめくじ)でももう少し機敏です! 早く早く早く早く早くッ!」


 隣で聞いていたリアンは、殻を砕きながら思った。


(理不尽だ……)


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