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雷鳴(後)


 城内、灯りのない客間に、外から漏れた歓声が響いていた。


 マリアベルは火も灯さずに1人机に向かい、文を書いていた。文頭には、マール伯爵領軍、輝聖リトル・キャロル宛であることが書き記されている。


 文は独自の暗号によって書かれていた。内容は、まずキャロルの身の上を案じる(むね)、今後のピピン公爵領の動きとマール伯爵領軍にも呼応して欲しい旨、最後に焔聖との(わだかま)りはどこに原因があるのか、それは解消可能なのかを尋ねる旨の四点。特に焔聖の下りは厚く書かれていた。──可能であれば、輝聖と焔聖が肩を並べて欲しい。そうすれば、クララは焔聖を諦めなくて良くなる、かも知れない。


 そう思って筆を走らせたのだが、上手くいかなかった。書き終えて、机の前で頭を抱える。前半部分、キャロルの身の上を案じている部分に想いが強く反映されてしまっているから、そんなつもりはないのに恋文のようになっている。それが気に入らないし、どう修正したら良いか分からない。


 羊皮紙を削って書き直そうと試みる。が、虚しくなってそれもまたやめてしまう。折角自分の醜い感情を言語化したのに、消してしまうのは違う気がする。そうして、ため息ばかりが積み重なる。


 いっそ簡潔な文にするべきかと、文言を考え直している時、扉が開いた。そこに立っていたのはリアンだった。


 リアンは部屋に入り、物で散らかった床を片付け始める。殴り合いの喧嘩をして以降、数日ぶりに顔を合わせたが、そこに気まずさのようなものは無かった。


「挙兵の準備は整いそうですね、聖女様」


 マリアベルは目線を机に戻し、筆に印気(インキ)をつける。


「彼女が民衆をまとめ上げる事も、聖女様の筋書き(シナリオ)通りですか?」


「……あのお嬢様にこんな気概があるなんて、考えもしなかった。正直、ずっと綱渡りをしている気分です」


 文言を考え直そうとしているが、何も浮かばず、筆を置く。部屋にリアンがいて、集中が出来ない。


「リアン」


「はい?」


 本を拾おうとしていたリアンが顔を上げる。


「少し、じっとしていなさい」


 マリアベルは立ち上がり、リアンに近寄る。そして膝を折って、そっと抱きついた。


 リアンの胸にぐいぐいと顔を埋める。筋肉質なその体に内心驚きながらも、腰に回した腕にぎゅうと力を込めて、体を引き寄せるようにした。


「意外と(たくま)しいのですね」


「こんな顔でも一応は男ですから」


 リアンはマリアベルの人恋しさであったり、寂しさのようなものを瞬時に理解して、彼女の頭部を抱いた。


 マリアベルは深く息を吸っていた。リアンの胸から甘い匂いと、外気に晒されたことの冷たく(すす)けた臭いがしていた。息をする度に心の中の空白が満たされるような、そんな気もした。


 さらに強く腕に力を入れる。もう、彼を何処にも行かせてはならないと、離してはならないと。でも、それは逆なのかもしれないとも思う。つまり、リアンには私を捕まえていて欲しいのかも知れない。だからリアンを抱きしめるのではなく、抱きしめて貰うために胸に顔を(うず)めるのだろう。それで満たされるのだろう。


「あのね、リアン。聞いて欲しい。私には、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が見える」


 リアンは小さく問う。


「一体、どんな姿ですか?」


「獣の手であったり、骨の手であったり様々。私の心が生み出す幻想です。奴らは、ふとした瞬間に足元から這い出てくる。光の聖女を殺そうと地下墓地に向かった時、そこで初めて奴らと出会った」


 マリアベルが涙を堪えるようにして深く息を吐いたので、リアンは彼女の頭を優しく撫でてやった。


「でも、今にして思えば……。3年前、学園の剣技場でリトル・キャロルに毒を使う事を決意した、あの静かな夜。毒芹(どくせり)を摘む時には、(おぞ)ましい魑魅魍魎が全身に絡みついていたのかも知れない」


 リアンは『うん』と相槌(あいづち)を打って、マリアベルの話を最後まで聞こうとしている。彼女が言葉を探して話す事を止めてしまう事があっても、何を言うでもなく、ただ言葉を待った。


「私は、奴らの事を『恐怖』の具現だと考えていた。でも、最近は恐怖とは違うような気がしている。爪を立てて脚から登ってくる腕が『一緒に堕ちよう』と言っているみたい。私が何かを求めようとすればする程に、狂気の(ふた)が開き、魑魅魍魎が這い出て、私を誘う」


 魑魅魍魎は何かを求めようとする気持ちが激しいほど数を増す。求めようとする程に獣たちの爪は鋭く尖り、体温は高じて、肌が焼かれる。初め、マリアベルにとってそれは不快であった。だが、今は違う。その痛みが甘美(かんび)さと妖艶(ようえん)さを(はら)み始めて、時に心地よく感じてしまうことがある。──冷静になると、それが堪らなく怖い。


「そして、魑魅魍魎の中で神が私を見ている」


 鏡に映った神の瞳が頭に焼きついて離れない。(きぬ)のような美しい髪も。神秘的な顔つきも。星空の雀斑(そばかす)。そして多指(たし)の掌。己らと遥かに近い形の、だが、確かな異形の娘。


「この幻想が『恐怖』の具現でないならば、正体は何? まさか『狂気』? 私が何かを求める度に出てくるのならば、私の手に入れたいものは、気が触れて初めて得られるということ? それとも狂気こそが私の本質?」


 マリアベルは素直に恐れを口にした。不思議と、リアンの前では普通の乙女でいられた。


「このままでは私は狂ってしまう。あなたに殺される」


「聖女様」


「怖い。今の私は本物? それとも、狂った姿が本当の私? どっち? どっちが私?」


 マリアベルは胸から顔を離し、リアンを見上げた。


「あなたは何故、ここに来たの? もう私を殺してしまうため?」


「僕は、リトル・キャロルの為に出来ることは何でもすると、心に決めていた。だから、あなたを助ける事がキャロルの為になるのなら、そうしようと思った。そして、あなたが何処かに行ってしまわないように繋ぎ止める事が出来るなら、僕がその役目を(にな)おうと思った」


「……あなたはリトル・キャロルの事を好いているのですね」


 何故だか、それはとても切ない気がした。好いているのは一緒だし、むしろ自分の方が好いている自信さえあるのに、複雑だった。


「好きかどうかは、正直なところ、僕には良く分からないんです。ただ、キャロルに憧れていることだけは確実なこと」


 リアンは続ける。


「でも、僕はまだ若いから、長い時間一緒にいる人がいれば、常にその人ことを考えてしまう。今はキャロルよりも、あなたの事を考える日が多くなって、いつの間にかそれが普通になった。頭の中で何処かで聞いた歌が延々(えんえん)と流れるように、あなたのことが常に頭にある。だから、繋ぎ止めたいと思ったんだ。何者かが、あなたを遠い何処かに連れて行かないように」


 窓の外、熱狂は未だ続いている。だが、燃えるような人の(とどろ)きも、この2人の静けさを犯すことは叶わなかった。


「あなたは未完成だと思うんです」


「私は聖女の力を覚醒させていない。瘴気を払えない」


「それもあるけれど、僕はね、海において、真の姿は調和(ハーモニー)だと思うんです」


 マリアベルはじっとリアンを見ていた。


「遥か地平線の彼方まで、どこまでも調和が続いている。平凡で完璧な青が、永遠に続いているんだ。きっと、マリアベル・デミはそうなるのだと思う。喜びも怒りも憎しみも、愛や狂気でさえも調和させて、1つにしてしまう」


 誰かが祝砲を上げたのであろう、発砲音が鳴って、また激しい歓声が窓を揺らした。


「──リアン。私ね、クララを心のままに送り出せたことに、安心している」


 言って、マリアベルはリアンの手を優しく取り、その親指をそっと口に含んだ。次いで、自らの右手の親指でリアンの唇を優しく撫でる。リアンは全てを察し、指を口に入れ、そして互いに指の腹を強く噛んで血を吸った。


 □□


 翌、禾稼(かか)晦日(つごもり)。急ぎ、進軍の準備が進められた。即日の徴兵となったが民の士気は高く、速やかにそれを受け入れ、ピピン公爵領軍の軍勢は凡そ二(りょ)(1000人)となった。


 ロック卿が水面下で行っていた諸侯との密約により、ホルスト伯爵領軍が近隣の諸侯をまとめ上げて一師(2500人)を用意。その他、キャザロ子爵領やリポン子爵領などの神の教えに忠実な領から都合一師(2500人)が集まった。武器についてもデュダの商人達の尽力(じんりょく)がによってそれなりの数が集まっていた。


 節が移って、鶺鴒(せきれい)朔日(さくじつ)。その日は夜明け前から居城前の広場に兵が集まり、伝統的な祭礼が(もよお)された。


 午前7時。男達は組討(レスリング)に興じ、女達は歌って踊る。その後、7度に渡って闘牛が行われる。負けた7頭の牛は生贄(いけにえ)として扱われ、12歳未満の少年100人によって(さば)かれた。肉は巨大な篝火(かがりび)で焼かれ、兵たちに振る舞われた。遥か昔は、捕虜同士を戦わせて負けた者を生贄に捧げていたとされる。


 午前11時。兵達は牛の血で作った菓子を食べた。味を好まぬ者でも、渡された分は全て食べ切らねばならない。


 正午。兵達の面前(めんぜん)に領主ピピン公爵、即ちパトリシア・ヒンデマンが現る。公爵領の歴史に()いて女性領主は初であり、最年少でもあった。


 パトリシアは立ち並ぶ兵達の全員に声をかけ、1人1人、牛の血と土で作った皿に葡萄酒を入れたものを手渡していく。彼女はこの時のために、それぞれの兵の名と母親の名前を覚えて来た。領主に名を呼ばれた時、兵達は胸が熱くなるのを感じた。


 午後1時半。デュダの巫女によって祝詞(のりと)があげられ、兵と騎士達は葡萄酒を飲み干した。飲み終わると全員が一斉に皿を地に落とし、それを踏んで割った。出陣である。


 午後2時。バグパイプの音と共に、二旅の軍勢がデュダを発つ。大将パトリシア・ヒンデマンは輿(こし)の上、(ぎょく)で出来た威厳のある椅子に腰掛ける。パトリシアは大蛇の時とは違い、体に合った牛の変わり兜を膝の上に乗せ、新調した美しい鎧を身につけていた。


 輿を持つのは将来有望な若い戦士と、闘牛で最強の座を手に入れた牛である。牛はマリアベルにより『ナプ』と名付けられ、それは丘を意味した。勇猛な牛で、気に入らないことがあれば兵を噛んだが、パトリシアには懐いた。


 白馬に乗るのはマリアベル。これは将の1人として軍師を務める。リアンも従軍し、狙撃手として流動的に働く。場合によってはパトリシアを補佐する。ロック卿は軍の(かなめ)で、将として働く。他騎士達にもそれぞれ役割が与えられた。軍勢、士気が高く、マリアベルには一切の憂いがない。リトル・キャロルに手紙は送れていないが、結局、輝聖ならば己らに合わせてくれると信じることにした。


 午後3時半。秘密裏に進軍していたホルスト伯爵領軍、キャザロ子爵領軍らと合流。電光石火の速さで『一の城』コンチ城を目指す。


 兵達は『揚げ芋の歌』という伝統的な軍歌を歌い、それから『綿月(わたつき)には18歳』という夜這(よば)いの猥歌(わいか)を揃って歌った。


 晴天。風速、20海里(ノット)。やや強風。北寄りの秋風。木々は激しく揺れ、雲の流れは早い。それぞれの領の旗が激しくはためく。


 後に今件は『鶺鴒一揆(せきれいいっき)』或いは『アルジャンナ進軍』と呼ばれ、神聖カレドニア王国と輝聖を巡る歴史に於いて大きな転換点となった。盟主(めいしゅ)は白牛公パトリシア・ヒンデマンだと記録されるが、実際には水の聖女が深く関わっていたことが、幾つかの文献に示されている。

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