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雷鳴(前)

 

 デュダから聖フォーク城まで続く長い坂道を、民の列が登ってゆく。城の正門に集い始めた民衆を前に、門番は暫し粘りはしたものの、彼らの不安と怒りに共感して開門した。


 民はぞろぞろと列を成したまま、居城(パレス)正面の広場へと向かう。そして松明(たいまつ)を掲げて『公爵を出せ。出さねば肥料の山を食わせるぞ』と歌い始めた。集った民衆は怒りの者が3割、不安の者が6割、残りが祭り好きの馬鹿者であった。


 領が禁軍に侵略されるという噂が立っているのに、民の面前で説明をしようとしない公爵に(しび)れを切らしていた。


 他領の幾つかは禁軍と協力し、残る聖女の誅戮(ちゅうりく)を宣言している。(ある)いは、中立を貫こうとしている領、禁軍に共感せず聖女を保護しようとする領もある。このピピン公爵領はどうするつもりなのか。もし噂通り禁軍が侵略するつもりなら、いち早く聖女誅戮を掲げる必要があるのではないかと、広場の噴水に登って演説を始める若者まで現れた。


 そうして歌が『公爵を出せ』から『公爵を引き摺り出せ』に変わり、広場が危なげな熱を持ち出した時。居城の3階部分、広い露台(テラス)に1人の少女が現れた。パトリシアだった。


「──お父様はもういないわッ!」


 声に気がついた民の何人かが、彼女に注目し始める。


「お父様は……、ピピン公爵はもう死んでしまったの。大蛇(ハイドラ)が蘇るより前の話よ。今まで隠していて、ごめんなさい」


 パトリシアの隣に立つのは寵臣(ちょうしん)ロック卿であった。そして彼女達の後ろには、ずらりと騎士達が並んでいる。


 民達はざわざわと声を立てた。


「お父様、だって……?」

「とすると、まさかあれは御息女(ごそくじょ)か」

「名はパトリシアとか言ったような」


 声は徐々に力強く、確実に、不安を表すようになった。


「公爵が死んだってことは、この領はどうなるんだ」

「誰がこの領を守ってくれるんだ! 誰が軍を指揮する!」

「今からでも街から逃げた方がいい!」


 場が混沌の色に染まり始めて、パトリシアはもう1度叫んだ。


「──話を聞いてッ!」


 息を荒らげながら、続ける。


「あなた達の不安はよく分かるわ! 1人1人とお話をして、気持ちに共感したし、何も出来ない自分をとても情けなく感じた!」


 この言葉を聞いて何人かの民が、街で薔薇を配って回った優しい少女がパトリシアである事に気がついた。


「私は全てを説明するために今ここに立ってる。お願い。だから、話を聞いて」


 民は徐々に静まっていった。そして殆どの者がパトリシアの話に耳を傾けた。そうさせる程に、彼女のその甲高い声に、または小さいながら堂々とした出立ちに、或いは寄り添おうとする話し方に、どこか()きつけるものがあった。


「噂の通りよ。新たに立ったであろう新王──簒奪者(さんだつしゃ)は、我が領を徐々に弱体化させ、頃合いを見て取り潰しにするつもりだと、そう言われている! それは、私たちの領だけではないと思う! 禁軍に従わない領や、聖女を信じている領、全てがそうなる!」


 民は息を呑む。


「そうなれば、諸侯は黙っちゃいない。やがて、人と人の戦いが全土で起こる! 国は荒れる! 瘴気と戦っている場合じゃなくなるッ!」


 僅かな風に松明の炎が揺れて、ぼうと音を立てているのが誰の耳にも聞こえた。民達の布の擦れる音も混じる。静かだった。


「人類の戦いが今、人類を相手取って始まろうとしている。それは原典に存在しない戦い。筋書き(シナリオ)の外の凶変(きょうへん)。──戦いが大きくなる前に止めなくてはならない」


 パトリシアの後ろに立つ騎士達も民達と同様に、各々、神妙な顔つきであった。じっと彼女の背中を見つめていた。妙なことにそれは、亡き公爵よりも大きなものに思えた。


「そのままにしておけば世界は破滅に向かう! 王が殺されて、各地の争いがあって、聖女を失ったら、次はどうなってしまうの? 考えるだけでも恐ろしい。やがて神を失って、住む場所も失って、瘴気に呑まれてしまうわ!」


 そう言った時『聖女はいない』と怒鳴った者がいた。民衆のうちの誰かなのだろう。パトリシアはそれを聞いて、拳を固く握った。言葉が詰まった。


 その様子を見たロック卿は言う。


(いな)、聖女は確かに存在している。聖女は正教会の妄言(もうげん)(あら)ず」


 ロック卿が言い切ったのを聞いて、パトリシアは勇気を貰った。


「私も聖女を信じている。──でも! 仮に、聖女がいなかったとしても! 正教会の布教戦(プロパガンダ)だったとしても! 何もしないことの理由にはならないわッ!」


 多くの民が、パトリシアの物言いに不意を突かれた。


「今を戦わずにいれば、生きられると思う。でも、きっとそれは暫くの間だけ。人間が人間を滅ぼそうとする意志がこの世界にある内は、必ず破滅が訪れる。魔物達は虎視眈々(こしたんたん)とその瞬間を狙っている! だからこそ、そんなことは終わりにしなきゃ! そんなことは許されないと宣言しなきゃいけないんだ!」


 ぽつりぽつりとではあるが、何人かの民が『そうだ』と声を上げた。


「私は思う! 瘴気の時代に生まれたからには、瘴気の時代に生まれた者の義務があるのよ! 人が人として結束する義務が! ──誇り高きピピン公爵領の民として。神に祝福された湖畔(こはん)の民として。瘴気のない世界を夢見るために。決して犯されない土地である事を示すために。私たちは立ち上がらなくてはならないんだッ!」


 パトリシアの声は既に枯れかけていた。こんなに長い時間、大声を出すことなどは初めてだった。


「目指すべきは大白亜ッ! そこに、神の名と国の威信を汚す簒奪者(さんだつしゃ)がいるッ! 私たちは簒奪者を討つッ!」


 民達はその掠れていく声を聞き逃すまいと、よく集中している。


「そして教えてやるの。人同士が争っている場合じゃないって。世界の安寧(あんねい)を祈るべきだって。そして、私たちには、(あらが)う力があるってことを、ちゃんと教える! 私たちは抗うのッ! 祈りながら、抗うのッ!」


 パトリシアは最後の力を振り絞り、咳き込みそうになるのを堪えながら叫んだ。


「まずは私が抗う! 私があなたたちの前に立って、精一杯抗うわ! ──だから、少しでいい。あなたたちも、少しでいいから力を貸して! 私について来て! 一緒に戦ってッ‼︎」


 沈黙があった。人によっては長い沈黙に感じたし、短い沈黙に感じた。とにかく沈黙の中で、噴水の上に登っていた若者が雄叫びをあげ、天に前装式銃(マスケット)を掲げた。


 釣られるように他の者達も声を上げた。すぐにそれが1つとなって、割れんばかりの歓声となった。その音、勢い、まるで稲妻であった。声の圧はパトリシアの肌をびりびりと刺激した。──健気な想いは、不安を決意に変えた。


 彼女の後ろに並び立つ騎士達には、涙を流している者もいた。涙の理由は様々で、クララを行かせてしまった自分が情けなくて泣いている者もいたし、騎士になった頃の熱い心を思い出して泣いている者もいた。とにかく、心の内で抱えていた満たされない何かが力強く上に押し出されて、涙になって出てくるのだった。そして各々『白牛』として気高くあるべきだと心に誓った。


 パトリシアは肩で息をしていた。ひゅうひゅうと喉が鳴るのも気づかず、団結する民らの姿を見て、やや驚きを滲ませながらも、顔には仄かな笑みを湛えていた。


 その隣でロック卿は唖然(あぜん)としていた。齢13の少女が自らの言葉で想いを伝え、民を1つに纏めた様を見て、感動するでもなく、誇らしいと思うでもなく、ただただ圧倒された。民衆の稲妻の前に立ち尽くすしかなかった。

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