投影
クララは一人、城の裏門に向かった。篝火の一つもない中庭、星明かりを頼りに歩く。楡の木の側で提燈を持った人影がぽつりと佇んでいて、クララはその名を溢した。
「リアンさん……」
「クララさん。城を出るみたいだね」
「知っていたんですね」
「少し前にロック卿から聞いたんだ」
リアンは彼女達が教会で話をしているのを窓から見て、クララが出てくるのを待っていた。少しだけでも話をしておきたかった。リアンにとっても、もうクララは知らぬ顔ではない。友人の1人でいるつもりだった。
2人並んで、惜しむようにゆっくりと歩く。葉叢、しきりに秋虫が鳴いて些か騒々しい。
「不安、だよね」
「ええ、それは。そうですね……」
「こんな事を言うのは無神経に感じるかも知れないけれど、あのマリアベル・デミに任せられたのだから、自信を持って良いと思うよ」
「──本当のことを言うと」
クララは言葉を詰まらせ、改めて続ける。
「本当のことを言うと、聖女さまのことが良く分からないんです。私、兵を率いて城を発てと言われた時、捨て駒にされたのだと思いました。初めは凄くショックで、それから、何と言えばいいか……、諦めのようなものが押し寄せました。でも、抱きしめられた時に、聖女さまの体が震えていたのに気がついたんです」
リアンは黙って聞いている。
「聖女さまは平然と嘘をつきます。目的の達成の為なら、平気で手を汚します。冷たい表情で人を見下す事だってある。でも、あの時の弱々しい聖女さまは、そんなことをする人だとは思えないくらい、儚くて、消え入りそうで、私の事を一番に想ってくれているようだった。変な言い方だけど、まごころを感じました。……本当の聖女さまはどっちなんでしょう」
「僕は、どっちも本当のマリアベル・デミなんだと思うよ」
リアンは笑みを浮かべていた。まるで、愛おしい人を語るような、そんな笑みであった。
「目的の為なら手を汚す。本当は手は汚したくないけれど、汚さなくてはならない時が来てしまったら迷わずそうする。人によってはそれが冷たく感じる事もある。でも本当は人よりもちょっとだけ愛の深い、18歳の少女。それだけですよ」
「……本当に冷たい時もあると思います。人を貶したりとか」
「あはは。あれはただ性格が悪いだけです。僕もあそこまで性根が曲がった女性は他に知らないかも」
リアンが笑うので、クララも釣られてくすりと笑った。
「僕はね、聖女様はクララさんが事を成せると考えているのだと思うな。……それ、策か何かが書いてあるんでしょう?」
手に持つ羊皮紙を指差す。クララは首肯する。
「クララさんは大蛇を一撃で倒した。贄を使ったとは言え、やっぱり魔法の核はクララさんの火の魔法。実力だよ。聖女様も、まさか一撃で殺してしまうとは思っていなかったんじゃないかな」
「そう、なんですか……?」
「少なくとも僕は後から聞いて驚いたかな。地下墓地ラナに向かう最中、君の使用人がクララさんの腕を自慢しているのが聞こえたけど、確かに自慢できる程の実力があるんだな、と思った。身内贔屓じゃなかったんだって、ハッとした」
クララはアンナの無礼な様を思い出し、赤面した。
「聖女様も、クララさんにそれだけの可能性を秘めていると思ったんだよ」
「な、なんか。むず痒くなって来ました。褒められ慣れてないので……」
「僕はね、勝率の問題でクララさんを選んだのだと思う。きっとあなたなら、兵に囲まれた時や咄嗟に攻撃を受けた時に、脱せられる能力があると思ったんだ。兵法は必要ないし、経験が無くても大丈夫。マリアベルの頭脳は、その羊皮紙に認めてあるから」
言って、リアンは口元に指を当て、うーんと小さく唸る。
「とは言え、それでも不安だよね。だって、これは僕の考えでしかないわけだから……」
「いや! そんな! 私は嬉しかったです。リアンさまからそんな風に思われてるってだけで、本当に嬉しい」
「マリアベル・デミがクララ・ドーソンを大切に思っている確かな証拠も、幾つかあるよ」
「証拠?」
「まず1つはね、地下墓地ラナでの事。あの時、聖女マリアベルはあなた達を秤にかけて、光の聖女を見つけるつもりだった。そして、自分の為に殺してしまうつもりだった」
クララは頷く。その件は鐘塔で聞いたし、それがあるからマリアベルを信じ切る事が出来ない。
「君が『風を食む雄牛』に弾き飛ばされて、廃屋を倒壊させた時。何とか瓦礫の中から抜け出そうとする君に、目に見えない雄牛が再び迫っていた。──その時、聖女様は身を投げ出してクララさんを護ったんだよ」
クララは目を見開く。知らなかった。その話は、聞いた事がない。
「防御壁を張るのも忘れて、ただ全力で走って、飛び込んだ。そして弾かれて、血まみれになって気絶した。マリアベル・デミが普通の人間だったら死んでいた。考えるよりも先に体が動いたんだろうね。それ程まで、彼女はあなたを助けたいと思ったんだ。変な話でしょう? 自分が狙って起こした惨事なのにね」
そしてリアンはクララのつけている象牙の腕輪を指差す。
「それから。その腕輪は聖女様の御母君の形見なんですよ」
「ええっ⁉︎」
クララは声を裏返して驚いた。
「それはダメです‼︎ お、重すぎます!」
「僕にダメですと言われても……」
「いやいや! ダメですよ!」
「そうかなあ……」
「そそそそっ、そんな大切なものをどうして⁉︎ な、何も言ってなかったですよ⁉︎ さらりと、ついでみたいな感じで腕につけてくれて……」
腕輪は星明かりを映して、神秘的に輝いている。形見だと聞いたからか腕輪が強烈な気を放っているようにも見えて、クララをさらに焦らせた。こんな綺麗な腕輪、しかも亡くなったお母さんのだなんて、どうしよう。傷などつけてしまったら大変だ。例えば、鎧を脱ぐ時に金属で擦ってしまったりしたら──。ザリッと音が鳴って──。
「絶っ対ダメッ‼︎」
背後から覆い被さるような悪寒が襲って、居ても立っても居られなくなり、踵を返す。
「か、返してきますッ‼︎ まだ教会にいると思うのでッ!」
「まあまあ。貰っておこうよ」
リアンはその腕を掴んで止めた。
「どうして聖女様が身を投げ出してクララさんを守ったり、形見の腕輪を与えるような事をするのか、分かる?」
「いやいやいや、分からないですよっ。どうしてこんな乳臭い小娘に、聖女さまがっ!」
「それはね、多分なんだけど、マリアベル・デミはクララ・ドーソンに自分を重ねてしまっているからだと思うんだ」
「わ、私に……⁉︎」
腕を引っ張られ、『行こう』とリアンに促される。それで、クララは再び裏門に向けて歩き出した。そわそわしながらも。
「前にも話したかな。聖女様はクララさんと境遇が似ている」
「私と同じで、没落貴族だったって……」
「もし、マリアベル・デミが聖女ではなかったら。どこにでもいる、聖女に憧れる乙女の一人であったなら……。きっとクララ・ドーソンのような子だったのだろうと、そう思っているんです。彼女」
それを聞いて、クララは黙った。戦支度と儀礼を思い出して、胸がギュッとした。
マリアベルは聖女。聖女とはいえ、自分とそこまで年齢は変わらない。だから、その本質は、運命に翻弄される乙女だ。
そんな娘が、他人に自分を重ねて、戦支度や儀礼を行った。出来る精一杯をやって送り出したかったのだろうと、思った。それが今になって、少しだけ理解できた。理解できたが、やっぱりそれは切なかった。涙が滲み出た。
「その文は、読んだかな」
「いや、まだ……」
「ならば、そこに書いてある事を信じてください。そして、決して、策を誤ることのないよう。これは海聖が書いた筋書き。言わば、クララ・ドーソンの原典。そう思う気持ちで、頑張ってください。絶対に上手くいく」
クララは心の中で、唱えた。──私の原典。
「少し、不安は取れた?」
「はい。少しまだ怖いけれど。お話できて、良かったです」
リアンは笑んで、言う。
「もし、聖女様がクララさんの事を、本当にただの捨て駒としてしか見ていなかったら。その時は僕が懲らしめるから、安心して」
「懲らしめる? どんなやり方で?」
「──彼女を撃ち殺す」
クララは冗談なのか本気なのか分からず、瞬いた。
「狙いを外さず額を撃つ。魔弾で彼女の脳漿を散らし、その顔を踏みしだく。中身と砂とを混ぜてやるんだ。そしたら、クララさんは黄泉で聖女の顔を思いっきり引っ叩いてやってください。それはもう、顎が砕けるくらいに」
「じょ、冗談ですよね?」
リアンはそれには答えず、眉間に皺を寄せて、正面の闇をじっと見た。
「……ん? 誰かいるね」
裏門へ続く下り坂に差し掛かった所、その木々の陰に1人の騎士が立っていた。その騎士はクララの事を認めると、何も言うでもなくクララに近寄った。そしてポンポンと肩を叩いてから、その後ろを歩いた。浮かない表情だった。
「どうしたのでしょう?」
「見送りかな?」
妙な事に、裏門に近づく度に、騎士はぽつぽつと増えた。みな、何を言うわけでもなく、似たような表情で、ひっそりと後をついていく。リアンが見送りだろうと言うので特に彼らに尋ねはしなかったが、クララは疑問に思い続けながら坂を下った。
そして、坂を降りて門扉の前。ロック卿が立っていた。愛馬ソロモンも隣に立つ。
「……なんだ、貴殿ら。鮒の糞の如く小娘の後をついて回って」
騎士達はみな互いの顔を見て、それで、少し俯いた。
「まあ良い。クララ・ドーソン、行くのか」
「はい。もう発てと、マリアンヌに……」
「儂は詫びに来た。領軍が不甲斐ないばかりに、お主を死地に向かわせるなど……。武人の名折れじゃ。儂の代わりに、ソロモンを連れて行ってくれ。これは人間を8人も蹴り殺した益荒男。必ず貴殿を守ってくれよう」
賢馬ソロモンはクララに近寄り、顔を体に擦り付けた。クララはその頬を撫でてやる。
「本来であれば儂が行くべきところであった。だからソロモン。お前が盾となって主人を守れ。主人が死してお前だけが帰る事は許さぬ」
ソロモンは『言われなくても分かっている』とでも言うように、尻尾をぶんと振った。
「外には兵らが待っている。戦の心得のある手練れを選んだつもりではあるが──」
「──クララッ!」
甲高い声がして、クララはその方に振り向く。提燈を持ったパトリシアが坂から駆け降りて来ていた。そして騎士達を押し退けながら、クララに寄って、抱きつく。
「書記官から詳しく聞いたわ。危険な戦場に行くのね」
「すみません、お嬢様。ご挨拶も無しに行こうとして……。でも、必ず戻ってくるつもりです。ソロモンと一緒に。そしたら、約束通り、お茶会をしましょう」
パトリシアはクララから離れ、周りの騎士達を見まわした。ぽろぽろと目から涙が溢れ、顔は赤く染まり、怒りに震えていた。
「あなた達は最低よッ! クララに危険な役目を押し付けて! 心細いに決まってるわ! 悲しいに決まってるわ! あなた達は、彼女を行かせてしまう事に何も思わないの⁉︎」
騎士達は肩を落として項垂れた。みな、軍議でクララが行く事に賛成をしたが、それが終わって1人でその事を考えると、虚しく感じた。だから騎士達は、示し合わせた訳でもないのに、クララの見送りに現れた。
「私、ピピン公爵領軍は剛毅の益荒男だって聞いたわッ! 他領の軍や冒険者達からは『白牛』と謳われて、尊敬されてたって聞いたッ! これが、そうなの⁉︎ 女の子に戦を押し付けるあなた達が⁉︎ なんて情けないッ。私、恥ずかしくて……」
言い切る前に、パトリシアはわあわあと泣き出してしまった。ロック卿がパトリシアを連れて行こうと肩に手をやると、触らないで、と怒鳴って手を払い除けた。騎士達は静かに佇む。
星の下、泣き声だけがある。皆、長い時間に感じていた。誰も語り出す者はいなかった。
少し経ったろうか、ソロモンが顔を上げ、耳をパタパタと動かした。それから何人かの騎士も顔を上げる。何処からか声が聞こえた気がした。それは歌だった。歌は徐々に近づいて来て、何を言っているのかがはっきりしてくる。『公爵を出せ』と合唱しているようだった。
城の正門の方面も赤く明るんで来た。夜明けにはまだ遠いはずなのに。
それを見て、ロック卿が神妙な顔で呟く。
「民が松明を手に集まっているな。城への不信感が高まったのだろう。この情勢では無理もない。……民は公爵の威光を求めている」
騎士達はまさか蜂起か、と各々焦った。
「……私、言うわ」
パトリシアが小さく言う。目からはまだ涙が流れていた。
「全部、民に言うわ。お父様はもう死んでしまった事も、領を守るために剣を取るべきだって事も、世界のために立ち上がる時が来たって事も。──そして、私も戦に出る。ヒンデマン家の人間として、軍を率いて簒奪者を討つ」
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