火の聖女
「聖女さまは、あの子と友達だったのですか?」
「まさか」
論外とでも言うような返答があって、クララはちくりと心を痛めた。
「調べたのです。──お高くとまる聖女候補達の化けの皮を剥がしてやりたい。美しい面の下に、どれだけ醜い獣が潜んでいるのかを見てやろう。所詮、私と同じであなたたちも醜いに違いない。そう思って、聖女達については、たくさん調べた。私、本当に性格が悪いので」
にっと悪戯っぽく笑い、続ける。
「ねえクララ。1つ、疑問に思いませんか? なぜ、ニスモは故郷が攻められているのに、助けに行かない?」
「え? それは──、ロック卿が言う通り、模様眺めであって……」
「仮に。あなたの家族が罪を着せられて禁軍に攻められたとしたら、どうしますか? のほほんと静観しておきますか?」
「……居ても立っても居られません。助けに行きます」
「私も同じです。でもね、焔聖はそれをしない。これは静観ではなく、無視です」
「どうして無視を……?」
「彼女は一族が絶えても良いと思っているんですよ」
マリアベルはトンと煙管を叩き、長椅子の脇に立つ燭台の蝋受けに灰を落とす。
「フランベルジュ家は名門ですが、その内情は私利私欲の渦巻く腐敗の温床となっています。長い歴史の中で、訌争が幾度もなく起きた」
「訌争……?」
「有り体に言えば、お家騒動です」
言って、何処から話せば良いか、と悩む様子を見せながら、話を続ける。
「──今から30年程前。フランベルジュ家の当主が若くして死んだ。家臣達は有頂天外、公爵領の実権を狙い始めた。誰に味方し、誰を敵視し、誰を陥れ、誰を裏切り、誰を殺せば良いか、家臣らの頭の中はそればかりになってしまったのだとか」
クララは聞きながら、かつての家の事を思い出していた。ドーソン家にもたくさんの騎士はいたが、彼らが啀み合う瞬間など見た事がなく、みな家のために尽くしてくれていたように思う。マリアベルの話は別世界の話に感じた。
「もうそれは笑い話に近いですよ。それから公爵は2年の間に3度も斃れて、その度に公爵が変わった。長男から次男に、次男から三男へ、そして三男から四男へ」
「えっ!」
「こうなれば、王が動くしかありませんよね」
マリアベルは説明を続ける。
国王アルベルト二世は自身の妹マチルダを、新たなる当主ジュール・フランベルジュと結婚させた。王家が嫁いだのだから、流石に家臣らも黙るだろうと目論んでの事だった。
「マチルダは3人の子供を産み、1人目はすぐに儚くなったらしい。2番目はジャンヌ・フランベルジュ。3番目がニスモ・フランベルジュです」
ジャンヌ、とクララはその名を呟く。赤髪の少女を宿に運んだばかりの時、彼女は『姉さん』と魘されていた。その姉というのが、ジャンヌ……。
「当主ジュールは神を重んじていたこともあって、正教会、特に本部教庁と誼を通じた。まあ正教会の力を借りて、領を正常な状態に戻したい思惑もあったようですが。だけど、結局それは成功しなかった」
「正教会の後ろ盾があって、王家とも婚を結んだのに、ですか?」
「もはや家臣らは宿主を食い殺す寄生虫です。──公爵に仕える家臣が子を攫って人質としたのです」
ジャンヌは家臣の筆頭格アッテンボロー家に奪われ、ニスモはバーダー家に奪われた。理由としては身の危険から守る為の一時的な処置だとしたが、実際には領内の不純を改めようとした領主に対する抗議であった。
当主ジュールは2人を救う為に兵を集めようとしたが、騎士たちが動かなかった。アルベルト二世への取次もされず、正教会への取次もされず、家臣らは妙に連帯してジュールを隔離した。そして程なくして、妻であり王の妹であるマチルダが死んだ。
「記録では花嫁霊に泉に引き摺り込まれて溺死したとされていますが、果たしてどうだか」
花嫁霊とは女の霊である。気に入った者を攫い、仲間にしてしまうとされた。王国北部の一部地域では、よく見られる。
結局、マチルダの死は側役の女官らの責任となった。茶番のような裁判が行われ、殆ど全員が首を刎ねられて王の元へ送られた。
「ともかく当主ジュールはマチルダの死があって以降、領内の大掃除を諦めたようでした」
それでも2人の娘がフランベルジュ家に帰ってくる事はなかったとマリアベルは言う。
「ジャンヌを攫ったアッテンボロー家は名家です。貴族間では大変支持されていた」
アッテンボロー家は学問を重んじる家柄で、名望と権威を備え、騎士達のまとめ役で、誰にとっても頼れる存在であった。法務を取り仕切る者も多くいるし、領内の政もアッテンボロー家無しには回らない。
「一方でバーダー家は逆、ですかね」
「逆とは……」
「民衆から人気があったんですよ」
ニスモを奪ったバーダー家は貴族としての歴史は浅く、政にも影響力は持たない。だが、民の間では英雄として持て囃されていた。
「バーダー家は弱きを助け、強きを挫く。良い気風であり、貴族として潔癖である。民からはそのように見えていたようです」
バーダー家は武を重んじた。民を良く助け、時には施した。身分で差別はしない。領内で魔物や野盗が出れば、軍を率いてそれも倒す。
「そして無宿の頭領だったのも貴族としては特殊だし、人気の秘訣でもあったのだと思います」
正教会の階級で『不良』身分、中でも戸籍を持たない者を無宿と呼んだ。無宿は普段、病死した家畜を石鹸や飼料にしたり、腐った魔物を処分して日銭を稼ぐ。時折、処刑人として働く事もあり、死罪となった罪人の骸から、頭皮や臓器を外して売り物にする事もあった。
バーダー家が無宿の頭領を務めるきっかけとなったのは、今から約200年前に起きた内乱である。ある貴族が街を歩いていた子供を捕らえて虐殺した事から、民衆が蜂起した。公爵領に於いて、民は貴族に虐げられる事が多かったから、それがついに弾けた形となった。
武器を持った民衆は砦や屋敷を占拠。民を不憫に思ったバーダー家が民衆に味方した事で、一部の領軍もそれに加わった。悪行を働いていた貴族や騎士達は捕えられ、領内のいたる所で貴族やそれに仕える者の処刑が行われた。下女までもが対象であった。
罪人が多かったことから処刑人の無宿が足らず、バーダー家の人間もそれを務めた。次いでバーダー家は処刑に従事した無宿の功績も認め、彼らの生活を保障し始める。
その後、禁軍と領軍の同盟軍によって民衆の砦が包囲された事で、和議が結ばれた。領内に平和が訪れても、無宿の頭領としての役目だけはバーダー家に残った。
この蜂起をきっかけに、バーダー家は英雄となった。悪を断罪する正義の貴族、首を天に掲げるその姿は民達の誇りだった。
一方で、無宿という忌避される身分を統轄する事から、貴族間では軽蔑された。人気取りの為に身分を穢したとまで言われていた。
「以降もバーダー家は伝統的に処刑人の仕事も行いました。だから、そこに匿われたニスモ・フランベルジュも、6歳頃から火炙りを手伝わされたようです」
「嫌じゃなかったのでしょうか……」
「さあ。彼女の心情は分かりませんが、良く熟していたようですよ」
焔聖の当時の様子は、フランベルジュ家の訌争を詳しく伝える『神官カーナウの手記』に残っている。
ニスモは叔父であるバーダー家当主マーヴィンから処刑の手解きを受けた。齢6の頃は50人余りの罪人を焚刑に処し、齢10を超えてからは斧で100人余りの罪人を斬首した。
手記によれば、ニスモはマーヴィンが命ずるままに刑を執行した。彼女は誰からも忠実な僕に見えて、感情はあまり持ち合わせていないようだった。あまり喋ることがなく、精神薄弱ではないかと周囲からは心配されていた。
「彼女もまた、民衆に人気があった。無慈悲に正義の鉄槌を下す美少女に民衆は熱狂した。公開処刑は毎度凄い数の見物客で賑わったみたいです。彼女を主題とする絵画は私も見たことがありますし、噂によれば、隣領の貴族が法を無視して罪人を寄越す事もあったとか」
一方で、アッテンボロー家は民の人気を集めるバーダー家を危険視した。処刑人は穢れた人間のやるものだし、貴族として相応しくない、高貴な血の流れるニスモに処刑人の真似をさせるなど王家を穢すのと同意だ、と糾弾した。
「そして、バーダー家の策略はついに成功します」
「策略、ですか?」
「バーダー家が公爵の娘を奪った目的は、単にフランベルジュ家に対する脅しではなかったと、私は思います。目の上のたんこぶであるアッテンボロー家を滅ぼし、揺るぎない権力を手にしたかったんです」
ニスモが齢14となった年。聖暦1659年の朔風の節。アッテンボロー家嫡男が小姓を殺害した事を発端に、再び民衆の蜂起が起きた。訓練中の事故であったが、バーダー家はこれを虐殺であるとし、民衆を煽動した。
元々、長年禍福を擅にして来たアッテンボロー家は、民には良く思われていなかった。民の怒りは正義のバーダー家が煽った事で、あっという間に沸点に達し、アッテンボロー家とそれに与する者は私刑に遭った。私刑に遭わなかった者も、例の如く茶番のような裁判を経て、一族の殆どが死罪となった。
「そして、焔聖は処刑人として姉ジャンヌの首を落とした」
「え……?」
バーダー家にとっては、高貴な血を引くジャンヌの存在も邪魔であった。公爵の娘であろうと関係はなかった。
「その後、彼女はどうしたと思いますか?」
クララは唖然としながら、首を横に振った。
「焔聖はバーダー家の人間を全員殺した。それだけでなく、バーダー家に味方する貴族も騎士も。残るアッテンボロー家の人間も。一族皆殺しです。それには赤子も含まれていた」
最終的にニスモはバーダー家の屋敷に立て篭もり、領軍に包囲されたが、巡礼中のヴィルヘルム・マーシャルによって捕縛され、聖女候補に選ばれた。
リンカーンシャー公爵領は事件を隠蔽。聖女候補となったことで正教会も隠蔽を補佐し、事実を歪曲した。今ではアッテンボロー家とバーダー家の謀反からなる事変として記録され、ニスモは謀反を鎮めた正義の乙女となり、北方の領では未だ民衆の支持を得ている。
アッテンボロー家と癒着していた神官カーナウが他領に逃れ、そこで密かに手記を書いて稼ぎを得たが、それくらいでしか当時の正確な記録は残っていない。
「そして学園では輝聖リトル・キャロルに執着していた。嫌いで嫌いでしょうがなかったのだと思う。その理由は調べても分からなかった。きっとあの子の中で、許し難い何かがあるのでしょう。──そうした気持ちを輝聖に抱くのは理解できなくもない」
煙管、葉は灰となってもう煙は出ていない。
「私たち聖女は輝聖を回る星。輝聖の運命が大きく動く時、私たちは巡り合う。私の為に働くあなたは焔聖に会う。そんな予感がしている」
続ける。
「クララ。こんな事を言うのは心苦しいのだけれど、あなたが輝聖の味方として兵を率いる以上は、もう焔聖とは友達ではいられないかも知れない」
マリアベルは覚えていた。あのデュダの水路、星を仰いだ夜。クララに対して『焔聖に友達だと伝えてあげて』と言って、その気にさせた事を。
状況が変わり、それを裏切る形になった。クララを部屋に呼び出す前から、そのことの罪悪感がずっと胸でつかえていた。もしかしたら、クララも己と同じように、もう戻ることの出来ない日々と愛しい影に苛まれるかも知れない。
でも、クララにしかこの役目は果たせない。任せられる人間が他にいなかった。輝聖を守るには、それこそが最良の選択だと、マリアベルは確信していた。
「私がその分、埋め合わせをする。私が友達ではいけない……?」
マリアベルはクララの手を握る。
「そっ、そんなことはっ! いや、でも……」
クララは少しばかり俯き、続ける。寝台の上の、焔聖の姿を思い出しながら。
「私には、あの子がそんな残虐な人には見えなくて。まるで、別人の話をされているよう。仮に、それがあの子の物語なのだとしても、きっと話せば分かってくれる。たとえあの子が輝聖の事が嫌いでも、きっと話せば分かってくれる。そう思うのですが──」
「美しい容姿であろうと、心に訴える何かがあろうと、たとえ聖女であろうと、あれは一度壊れてしまった人間です」
マリアベルはひたとクララを見る。
「あの子は炎」
「炎……?」
「内なる炎と同化して、辺りの全てを傷つけてしまう」
クララは瞳の中の海を見て、何も言うことが出来なくなった。
「心は一度焼け爛れてしまったら、肌と一緒で、痕になってもう二度と元には戻らない。ふとした瞬間に、痛みが蘇り、それが炎となる。──あなたが思うほど、人間は簡単じゃない」