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儀礼

 

 クララは速やかに聖フォーク城に戻った。


 ──兵を率いる? デュダを()て?


 不吉な予感を胸に、真っ暗闇の廊下を走る。マリアベルのいる部屋へと向かう。ざわざわと波立つ心に押されて強く扉を開けると、そこに軍服姿のマリアベルが立っていた。


「来なさい、クララ」


 1歩部屋に入ると、机上の地図が目についた。意味深に(こま)が並んでいて、怖かった。


「夜明け前には城を出て、この場所に向かいなさい」


 マリアベルは『四の城』付近に地図に旗を立てる。


「そして直ちに城に対し攻撃を仕掛けなさい」


「私が、城を……?」


 クララは肩を上下にしながら、胸に手をやる。未だ息が整わない。走って来たのもあるが、不安が胸を掻いている。


「100の兵を与えます」


 クララには戦が分からない。100の兵と言われても困惑するばかりだった。それは多いのか、少ないのか。そもそも城に対して攻撃とは、どうすれば良いのか。いや、兵を率いるとはどうしたら良いのか。それを、自分1人でやれ、と言っているのだろうか。


 マリアベルもクララが兵を率いた事がないのは分かっている。それどころか戦の経験すらないのも分かっているはずだった。


 ──どうして、私が?


「心配しなくても良い」


 クララに考える間を与えないようにして、マリアベルは言う。そして『四の城』付近の谷に戦車の駒を2つ置いた。二師、つまり5000の兵である。


「ここにファルコニア伯爵領軍が到達する手筈になっている」


 風の聖女、ローズマリー・ヴァン=ローゼスを排出(はいしゅつ)した領である。


「王都の海聖が暗殺された日に、(あらかじ)め連絡を取っておきました。空聖にも危険が及ぶ可能性があると知ると、いつでも駆けつけると約束をしてくれていた。……ここが彼らの使い所と見て、要請しました」


 この事はロック卿を含め、騎士達は知らなかった。何故なら領軍が挙兵を決める前に約束を取り付けたのだから、それが露呈(ろてい)すれば信頼に関わる。


 軍議では、クララが命懸けで『四の城』を撹乱(かくらん)するという方向で決まった。ロック卿は、未来ある若者の役目ではないと反対したが、死に急ぎたくない騎士達は反対しなかった。(むし)ろ『実質的には大蛇(ハイドラ)を倒したのはクララだと聞いた』と言って実績を強調し、賛成した騎士も多い。


「──公爵領軍100人、伯爵領軍5000人を率いて、あなたが城を攻撃しなさい」


 一瞬の沈黙の後、クララは首を横に振った。


「そ、そんな事を言われても! 私にはどうしたら良いか!」


 何も分からない。素人なのだ。戦場に出ていって、どうなる。おどおどとして、何も出来ないのは目に見えている。怖い。そんなの、無理に決まっている。そう思ってクララは何度も何度も首を横に振った。


「クララ」


 マリアベルは一歩、近寄る。


「この城を何とかしなくては輝聖は救えない。世界の存亡にかかわる」


「でも! わ、私には、そんな事、到底……」


「もちろん、危険な戦いにはなる。初めて兵を率いるには、苦労する戦場かも知れない」


「危険と分かっているなら、どうして私に?」


 問いながら思った。なぜ、そんなに低い声で話すのだろう。後ろめたそうに。ぼそぼそと。その上、目も見てくれないだなんて。


「あなたにしか頼める人がいない」


 ──まさか。捨て駒にしようとしている? 聖女にとって、私は消耗品に過ぎない? 


「これを読んで」


 マリアベルは1つの文をクララに渡す。


「私がクララの立場だったら、どのようにして城に攻撃を仕掛けるか、これに全て記してあります。難しい事じゃないから、安心して」


 クララの目には涙が溜まっていた。少しでも揺れれば、大粒のそれがぽろぽろと溢れそうだった。


「大丈夫。あなたなら出来る」


 言って、マリアベルはクララを抱きしめた。クララは最初、冷たい抱擁(ほうよう)に感じたが、(わず)かにマリアベルが震えていることに気がついた。


「聖女さま……?」


 マリアベルは何も答えない。その沈黙から、()瀬無(せな)さのようなものがクララに伝わった。


 クララは目をぎゅっと(つむ)る。本当にどうしたらいいか、分からなくなってしまった。


 もしかしたら死ぬ可能性もあるのだろうか。だって、戦をするというのだから、あるのだろう。素人の己が出ていけば、きっと……。


 じゃあ、死んだらどうなる? アンナにも会えない。パトリシアにも会えない。2人とも、私の死を知ったらどうなる? 泣き崩れるか? アンナとは仲直りもしていないのに。黙って出ていった事を、許してくれるのだろうか。赤い髪の少女にも会えていない。もう一度会いたいと思っていたのに。


 楽しい事だって、まだまだしたい。パトリシアが、アンナと私のために菓子を焼いてくれると言っていた。ほっぺたが落ちるくらいに美味しい、彼女の菓子をもう1度食べたい。美味しいと伝えて、彼女の(はじ)ける笑顔を見たい。


 赤い髪の少女ともう1度祭りを回りたい。芝居を見たい。アンナとたわいない事を話したい。そういえば、使っていない部屋を2人で掃除すると約束していた。


 ──断らなきゃ。


「わ、私は──」


 ──行きたくない。死にたくない。


 そう言おうとして、一瞬、飲み込む。思い直したのだ。


 憧れの聖女が困っている。困りに困った挙句、頼って来たのかも知れなかった。


 領を追い出されて苦労をしていた時、いつだって聖女は心の支えだった。聖女は(たくま)しくて強い、教えの中の英雄。そんな英雄が、弱々しく震えてしまうくらい困っているんだ。


「どうしよう、私。聖女さま、わたし」


 不安だし、納得だって出来ない。──でも。


「私で、(つと)まるなら、行かせてください……」


 心優しいクララは、断るという選択肢を自分の中で潰した。言ってしまった後に、(むな)しさが胸に広がった。目から涙が溢れているのには気が付かなかった。


 □□


 クララの戦支度が始まった。


 まずは身を清めることから始める。城内の浴場を借りて2人で湯を浴びた。湯には聖水と塩を混ぜてあった。そしてマリアベルは隅々(すみずみ)までクララの体を洗う。


「あなたが攻める『四の城』に駐留(ちゅうりゅう)しているのは、殆どがリューデン公爵領軍です」


 捕らえたフィン・ダーフから出てきた情報であった。昨晩、秘密裏に(あさ)を吸わせた。


 『四の城』即ちマスター・アーノルドは教皇領にある。正教会は法務の場として使用しており、管轄(かんかつ)も正教会の法務機関の1つ内赦院(ないしゃいん)である。故に通常、城内に兵はない。


 内赦院長であるハンフリー・スコットが禁軍を招き入れた事により、無血占拠。その後にリューデン公爵領軍が城内に入った。


「そして味方してくれるファルコニア伯爵領軍を率いるのは、ウィリアム・ヴァン=ローゼス。空聖(くうせい)の兄です」


 クララは布で背中をごしごしと洗われながら問うた。


「聖女のお兄様が、私を手伝ってくれるんですか……?」


「そう。いつも笑みを(たた)えていて、柔和な顔立ちをした細目の優男です。人当たりも良く、優秀で頭も切れますが、用心をしておきなさい」


「用心とはどういう……」


「頼るのは良いですが、心を許すな、ということです。ローゼス家は汚い手段を使う事に慣れている。私とは別の意味で下品で、狡猾(こうかつ)で、残虐です。まあ、一時の付き合いであれば利点が上回ると判断しました」


 浴場から出たらば着替える。公爵領軍の白い鎧を身につけ、騎士が身につける外套(マント)を羽織った。腰には泥除けの長い()を付ける。泥除けとはいえ見事な作りで、凝った刺繍(ししゅう)が施されていた。そして最後に、右腕に大きな腕輪(バングル)をつけた。象牙で作られた、月白(げっぱく)に輝く美しい腕輪であった。


 クララは鏡の前で立ち、自らの姿に驚いた。白く美しい鎧に、黄金の髪、翡翠(エメラルド)の瞳。これは自分の姿だから、あんまりこのような事を思うのは自惚(うぬぼ)れているが、驚くほどに神々しい娘が鏡に映っていた。


 それから、マリアベルはクララの顔に化粧を施した。顔に薄く蜜蝋(みつろう)を塗り、白粉をこれまた薄く施す。瑠璃(るり)で目元を彩り、紅花(べにばな)で唇に紅をさした。


「戦場にはフィン・ダーフも連れて行きなさい。捕物(とりもの)として、役には立つはずですから」


 次いで、クララ愛用の白楊(ポプラ)の杖を手に取る。


「これもあなたに贈りましょう」


 そう言って、部屋に置いてあった真鍮(しんちゅう)象限儀(しょうげんぎ)を持ち出した。扇状(おうぎじょう)のそれは天体観測に用いる道具で、辺境伯領の闇市で購入したマリアベルの魔道具であった。出来が良く、元は高名な魔術師の魔道具であったのだろうと、マリアベルは予測している。


 マリアベルは杖の上部に象限儀の角を差し込んだ。細身の杖に扇が付いたことで、斧のような形に仕上がる。


 幾つかの呪文を言い、瓶に集めておいた夜露(よつゆ)を象限儀に垂らし、祈ってから朝露(あさつゆ)を垂らす。これらには星の残り香が宿るから、マリアベルはよく用いた。最後に、土星(サターン)を意味する杉菜(すぎな)の香油を垂らす。土星は(かん)の星であるため、白楊(ポプラ)の中に残る水分と魔力を(なら)す。


 すると杖全体が黄金に輝き始めた。クララがそれを握ると、体中にパチンと衝撃が走った。放出される激しい力に、髪が躍る。ぞわぞわと肌も粟立った。


「今まで通り杖として使用しても良いし、斧として使用しても良い。後者の場合、特に星空の下では良く切れます」


 それからクララは床に座らされ、マリアベルは彼女の前に金の杯を置いた。そこには葡萄酒が入っている。


「これは……?」


験担(げんかつ)ぎです。魔術的な機序(きじょ)はありません。でも、あなたに何かがあって、やらなかった事を後悔するよりも、やっておいた方がいい」


 2人きりの出陣式であった。


 マリアベルが正面に座り、十字を切る。そしてクララに葡萄酒を飲むように(うなが)す。クララは少しばかり困惑しながら一気に飲み干す。


 次に、マリアベルは赤い皿を三つ、クララの前に出す。その1つには豚肉の塊が乗せられていた。塩漬けを(いぶ)したもののようだった。


「豚は前にしか進まない。活力の象徴です」


 2つ目の皿、柘榴(ざくろ)を割ったもの。


「心臓を意味するのと、神の好物でもあった。生命力が増すとされます」


 そして最後の皿には、茹でた大角豆(ささげ)


「幸運の象徴です」


 それらを全て食した後で、クララは月桂樹(げっけいじゅ)の葉を噛んだ。2人、共に十字を切る。


「──神のご加護が在らん事を」


 その後は城内の聖堂へと向かった。


 マリアベルは祭壇を背にして立つ。そして跪くクララの前で祝詞(のりと)をあげ、灌水棒(かんすいぼう)を振って聖水を散水(さんすい)した。クララにとってはこれが何を意味する事なのは分からないが、恐らくは験担(げんかつ)ぎの続きなのだろうと、何となく考えていた。


「立ちなさい、クララ」


 言われた通りに立ち上がると、マリアベルは腰に下げていた金の短剣をクララに渡す。


「これであなたの親指を少し斬りなさい」


 親指に刃を当て、指の腹を割いた。痛みがあって、血が玉となって浮いて出た。


「短剣を」


 クララは差し出された手に短剣を乗せる。するとマリアベルも同様に親指を切った。血ではなく、仄かに青く光る水が玉となって出る。


 マリアベルはずいと近寄り、クララの手を掴んだ。そして、血の出たクララの親指を、そのままマリアベルの口元へと持っていく。


「え……?」


 思ってもみなかった行動だったから、クララはドキリとして戸惑う。


「同時に口に含みます」


 マリアベルもまた、斬った指をクララの口元に近づけた。


 クララは焦る。まさか、指を直接舐めろ、ということか。いや、でも、聖女の体の一部を舐めるだなんて。何というか、胸がどきどきとした。それは、やって良いことなのだろうか。


 マリアベルは戸惑(とまど)うクララをじっと見ている。早くしないか、と顔に書いてあるようにも思えたから、クララはついに観念をして、その親指を口に入れる。クララの親指も、マリアベルの口内へと入った。


「……っ」


 親指に、温かい、ぬるりとした感触。すぐに硬いものが当たった。前歯で優しく噛まれたのだと思う。次いで、きゅうと吸い付かれる感じ。己の指を口に含む聖女の顔があまりに美しくて、それでいて妙で、急激に体が火照(ほて)った。まるで熱病だった。


 クララはまじまじとそれを見ないように、目をきゅっと力強く(つむ)った。そして己もマリアベルのようにしなくてはならないのだろうと思って、覚悟を決めてちゅうと吸った。鉄の味、聖女の血は血の色をしていなかったが、確かに、鉄の味がした。


 マリアベルが口から指を離したので、クララもそうした。どうやら終わったらしい。心臓は高鳴り続ける。鼓動で視界が揺れる。感じてはいけないであろう微かな官能(かんのう)が、体に残った。次第に官能は背徳感(はいとくかん)に転じて、クララはさらに困惑した。


「神が行なっていたとされる、主従関係を結ぶ儀礼(イニシエーション)です」


「しゅ、主従関係……⁉︎」


「あなたは私と魂で繋がりました。海聖にとって初めての従者はクララ・ドーソンです。光栄に思いなさい」


 これは、聖盟(せいめい)と名付けられた儀式である。


「わ、私が、海聖にとって、初めての従者?」


「そうです」


「魂で繋がったとは、どういう……」


 マリアベルはうーんと唸り、口元に手をやる。どう説明したらいいか、困った。


「まあ、()()()()()でしょう。本当に魂が繋がるわけじゃない。でも、2人は少しばかり緊張するやりとりを通じて、絆が深まった。そして特別な関係になった()()()()。それだけです」


 にこりと笑ってマリアベルは続ける。


「陸聖などは簡単に聖盟を行うようですが、私はそんなにふしだらではないつもりです。本当にしたい人とだけ、する」


 聖盟という行為自体に何かしらの意味があるわけでは無いらしい。だけれど、クララにとっては『聖女の従者』という響きが、とても甘美(かんび)に感じた。


(嬉しい……。けど……)


 兵を率いて攻撃しろ、と言われた時。クララは、捨て駒にされるのだと感じてしまった。そして半ば流される形で、承諾した。


 でも──、とクララは思う。わざわざ裸になって体を洗ってもらい、服を着替えさせてもらって、そして主従関係まで結んだ。その所作の1つ1つには、心が籠っていたように感じる。つまりは尽くしてくれた。捨て駒と思っている人間に対してする事とは、到底思えない。


(聖女さまは演技でそうしているの? 私の不安を取り除くために? 私にやる気を出させるために? 駒としての最高の働きを引き出すための策略?)


 マリアベルは息をするように嘘をつく。そういう人だ。必要とあれば、そうするだろう。そうするのだろうけれど、クララにとって、今、目の前にいるマリアベルは、偽りに塗れた姿だとはとても思えなかった。誠実だった。


(私が聖女さまを信じようとしているだけ? 聖女さまに憧れているから、そうしてしまうの?)


 ──海聖の事が、よくわからない。聖女マリアベル・デミの本当はどこにあるのだろう。答えが知りたい。


「クララ」


 呼ばれて、ハッと顔を上げた。いつの間にか、(うつむ)いていた。


「あなたが再会したいと考えている、赤髪の少女──焔聖の部隊、第一聖女隊が動いた」


 マリアベルは参列者用の長椅子に腰掛け、クララに隣に座るよう勧める。


「教皇領の聖エルダーに潜伏しているらしい」


 聖エルダーとは『四の城』付近にある山の名前である。


「位置を考えると、もしかしたら何らかの形で焔聖と鉢合(はちあ)わせるかも知れません」


 クララは目を見開いた。


「……でも、あの壊れた人形は、少なくとも輝聖の味方ではない。場合によっては、あなたの前に立ちはだかるかも知れない」


 マリアベルは煙管(きせる)を手にし、火をつける。


「壊れた、人形……」


「ちなみに、リンカーンシャー公爵家という特殊な家について、どれほどの事を知っていますか?」


「特殊な家、ですか……?」


 ありきたりな貴族という認識でいた。もちろん、領を治める名門として、であるが。


「その様子だとあまり知らないようですね。では少し、話をしておきましょうか。──ニスモ・フランベルジュという、この世で最も多くの人間を殺した少女の話を」


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