梟首
マリアベルらは早足で廊下を進む。向かう先は聖堂に併設された医務所であった。
そこでは王都で輔祭をしていたロック卿の教え子が治療を受けていた。海聖の死と同時に王都で厳しい検閲が始まり、只事ではないとして脱出してきた。駿馬に乗り、矢を背に受けながらも、ここまで辿り着いた。
ロック卿はこう説明する。
「海聖は凶弾に倒れ、梟首となった由」
リアンは緊迫した面持ちで問う。
「梟首? その罪状は……」
「民人を誑かし、国のあるべき姿を損ねた罪とのことだ」
マリアベルは猟奇的な笑みを浮かべた。
「そうか。リトル・キャロルらマール伯爵領軍が禁軍に奇襲をかけたことで、新王は焦ったんだ。──新王の狙いは輝聖だけじゃない。聖女5人全てが狙いだった。この世から聖女を抹殺するつもりだ」
輔祭の男は言う。海聖の首──正確にはその影武者の首は、王城前の広場に晒された。
それと同時に、王都にある正教軍大本営魚肚白社ならびに、正教軍が保持する幾つかの拠点は禁軍によって占拠された。これは奇襲に近い形で行われた為、殆ど無抵抗で奪われた。
「他の聖女達はどうなった?」
ロック卿の問いに、輔祭は首を横に振った。はっきりとした事はわからないが、海聖がああなった以上は同様に襲われた可能性は高い。とにかく、今日より聖女は罪人として扱われる。
「海聖誅戮を指揮したのは誰ぞ」
輔祭は言う。指令を出したのは禁軍に違いはない。だが実行部隊は別。それは、王都に駐軍していたリューデン公爵領軍の将らと、一部の貴族である。そして、聖女の首を掲げたのはモラン子爵とかいう男だった。
それを聞き、リアンは目を見開く。
「──モラン子爵」
デミ家を下民にまで追いやった張本人。エドワード・デミに幾度となく窮地を救われながらも、後ろ足で砂をかけた。
(まずい……)
リアンはぎりと歯を噛み締める。どうしよう。隣にいるマリアベルの顔を見ることができない。怖い。今、どんな表情をしている。何を思うのだろう。──このまま狂いはしないか。
「モラン子爵とやらは何かを言っていたか?」
ロック卿の問いに、輔祭はこう答えた。
モラン子爵は首を掲げて宣った。『私はこの女をよく知っている。この女は下品にも私の高貴なる血を目的に、色気を使って近寄ってきた雌豚である。父も豚なら子も豚。それが真実! 従って世界を救う聖女などは嘘偽り。正教会が世界を手中に収めるための詐言に過ぎない。この国を真に治めるべくは王家であり、聖女などは存在しない』。そのような事を叫んでいた。
ロック卿は頬に一筋の汗を垂らして呟く。
「なんたる物言い。神の怒りを買うぞ」
リアンも顔も青くした。──これでは本当に、マリアベルは王都に攻め入る。そして、狂気の沼から這い上がれなくなる。
「クッ……、ククッ……」
マリアベルは喉を鳴らして笑いを押し殺そうとしたが、堰を切るようにして笑い崩れた。
「あはははははッ! ははははははッ‼︎」
腹を抱え、顔を赤くし、体を震わせる。
「見なさいッ! 私を中心に全てが動き出しているッ! 太陽を中心に天が回るのと同じように、私を中心にして森羅万象が形を定めるッ! 神は私に思う通りにせよと仰るッ‼︎」
異常な様子を見て、みなが沈黙した。その叫びの意味を理解出来る者はリアンしかいなかったが、誰も問い返す者はいなかった。
「ただちに、他聖女の情報を集めなさいッ! そして、リューデン公爵の目論見を暴けッ!」
リアンは思う。──これは果たして偶然か、それとも必然か。胸のロザリオを握り、神に強く、ひときわ強く問いかけたが、何の声も降りてはこなかった。
□□
領軍は他聖女の情報を集めるべく動き始めた。同時に新王に与する諸侯が誰であるかも探った。これには各地に散らばるロック卿の教え子たちや、聖フォーク城に出入りする付き合いの長い商人達や冒険者にも手伝わせた。
デュダの街にも海聖の死は広まった。民は大いに困惑し、不安がった。救世主の登場に沸いた街から、一気に笑顔が失せた。
また、謁見の間でマリアベルの物言いを聞いた迂闊な騎士が、禁軍が公爵領に攻め入るという話を酒場でした事もあって、それも2日3日のうちに民の多くが知る事となった。
──海聖の死から5日が経ち、禾稼暁月。
聖フォーク城の薔薇庭園で、パトリシアはクララと庭師と一緒に薔薇の手入れをしていた。不要な枝を切り、そこに兎膠を丁寧に塗る。
「あのね、クララ。今、街はとても沈んでいるらしいの。嫌な噂がたくさん流れて、人々が不安がっているわ」
それについては、クララも聞いていた。海聖の死──と言っても替玉ではあるが、それを聞いた時は本当に驚いた。
魚肚白社も大白亜も禁軍に占拠されてしまった。聖都では略奪まで行われていると聞く。新王はとても罰当たりと言うべきか、何と言うべきか。まったく恐ろしい。そう思い、クララは落ち込む。
「もう国の中はぐちゃぐちゃよね。世界は瘴気に飲まれようとしているのに、人同士で争っている……」
パトリシアは赤い薔薇を摘んで、1つ1つ、棘を取っていく。
「クララ。私に出来る事を考えてみたの」
「出来ること?」
「街に出て、民の話を聞いてみようと思う。私、クララとお話が出来るようになってから、胸のもやもやが消えていったわ。誰かに話す事で、こんなにも救われるんだってびっくりした」
孤独なパトリシアは、あれこれと赤裸々にクララに話した。亡き父親のこと、幽閉されている母親のこと。領のこと、これからのこと。下らない悩みや、夢のような妄想話まで。
「だから私も、クララみたいに皆の話を聞くの。そして、この薔薇を配るわ」
パトリシアにとって薔薇は心の癒しだった。母が発狂して周囲に暴力を振るった時も、父が死んだ時も、薔薇を部屋に飾り、窓から漏れる陽に輝くそれを見れば、気が紛れた。
「クララ、付き合ってくれる?」
パトリシアは笑んで言う。
「もちろん。お供します」
本当にいい子だと思って、クララも笑む。
その日の午後から、パトリシアとクララはデュダの街へ出向いた。街の民達はまだ領主が死んだ事には気がついていないし、パトリシアの面相や風貌も知っている者は少ない。だから、護衛は少しだけにした。
ロック卿の愛馬ソロモンに沢山の籠をつけて、そこに薔薇をいっぱいに入れた。パトリシアとクララも、棘を取った薔薇を片腕に抱えていた。
街の中央に向かう途中で2人は手を繋いだ。それでクララは思い出す。祭りの日。デュダの街を赤髪の少女と2人、手を繋いで歩いたことを。あのわいわいとした雰囲気は、既にデュダから失せた。
──あの子は今、どうしているのだろう。
クララは鉄の色をした空を見上げた。秋にしては温い風が吹いていた。野焼きの臭い、風の訴え。空には鴉の群れ。もう1度風が吹いて、腕いっぱいの薔薇から花びらが少し舞った。
賢馬ソロモンはクララの気落ちを感じて、元気を出せ、とその背に顔を擦り付けた。
クララは少し笑んで、思う。──今、私たちには荒波が迫っている。心の騒めきがそれを予感させる。灰色の街が、それに説得力を持たせている。私の気が付かないところで、波は渦を生んで、全てを崩壊させる怪物となり始めている。……そんな予感がした。
□□
結果から言えば、クララの不安は的中した。目に見えない怪物は内から国を貪り、徐々に肥大化していった。
海聖の死を受け、信心深い傭兵団や冒険者、味方を作らずに勇んで早まった貴族などが、各地で禁軍と戦闘。それらは半日も経たぬ内に制圧され、特に王国南西部の川は血に染まった。
他領では聖女の尊さを説く神官が襲われるなどし、聖女信仰は一部地域で破綻。リューデン公爵領を筆頭に、幾つかの領は聖女征伐を宣布した。これらの領主は『聖女は原典を利用して国家を破滅に追いやる悪女』だと決めつけ、それといった根拠は無かったものの、それなりに信じる者も多かった。
国の至る所で小競り合いが起きた。それに乗じて略奪を行う者も多かった。王の弑逆から1節も経たぬ内に、神聖カレドニア王国は乱世へと向かい始めた。
だがマリアベルはこれを簒奪者誅戮の好機と捉えた。国が混乱の最中にあるように、禁軍も混乱していると読んだのだった。何故なら、敵はフィン・ダーフを奪還する動きを見せない。国の急速な変化に追いつけず、足並みが揃わなくなってきたらしい。輝聖の敵を排除するなら、今である。
マリアベルは机に向かい、領軍が集めた情報を頼りに禁軍の布陣を地図に記し、戦略を練る。
「……けほっ」
マリアベルは1つ咳をして、口を押さえた。息も荒くなる。
(まただ……)
自分の影武者が死んで以降、時折、ひどい吐き気がした。視界がゆっくりと右へ回転し、果てしなく酔う。目眩と言えばそうなのだが、それと一言で表すのは正しくない気がしている。
マリアベルは青い顔で立ち上がり、フラフラと薔薇の庭園へと足を運んだ。少しでも良い空気を吸いたかった。だが、美しい庭を見ても気分は晴れず、ついに泉の近くで胃液を吐き散らした。
「おえっ……、えっ……」
碌に食べてないので、大したものは出ない。
この嘔気の原因は良く理解しているつもりだ。輝聖という存在が負担となっている。
彼女と過ごした事で芽生えた様々な感情、つまり、嫉妬も、憎しみも、羨望も、何もかもが未だに鮮明で、血の滴るほどの生々しさを残しながら腹の中で暴れ回っていた。そこに輝聖の役割や、聖女である己の役割が絡んで、雑然とした毒を作り、嘔気を呼ぶ。
焦りもあった。今の所、ピピン公爵領に挙兵の兆しが見えない。兵を徴収する様子もなくば、将が集まって話し合う様子もない。こうしている間にも輝聖が危険な目に遭うかもしれないのに。
敵にはリューデン公爵とモラン卿がいる。奴らを逃せば、永遠に後悔する。こんな機会は2度と訪れない。──理由をつけて殺せる内に殺したい。生きたまま手足を捥ぎ、尻の穴から槍を刺し、じっくりと火で炙ってやりたい。
考えている内にまた嘔気が現れ、吐く。釣られて涙も洟も垂れ出た。輝聖に対する想いと、聖女としての使命感、マリアベル・デミの怨恨、その全てが吐瀉物になって出るようであった。まるで消化しきれていない。
「羊になりたい。羊のように反芻したい」
今この瞬間にも思い出す。月のもので吐き気がした時、リトル・キャロルは落ち着くまで背中を摩ってくれていた。彼女の掌の温もりが、背中に蘇る。
──そう言えば、海聖が死んだと聞いて、キャロルは取り乱したろうか。
「ここにいたか、マリアンヌ・ネヴィル」
声をかけられ、振り返る。そこに立っているのはロック卿であった。
「ひどい顔だな。寝ているのか?」
マリアベルが黙したままなので、続ける。
「話がある。諸々情報が集まったのでな」
「行きましょう。謁見室ですか? もう騎士は集まって──」
「いいや、儂とお前だけじゃ」
マリアベルは、挙兵を決意したのではないのか、と苛立ち、口の中の胃液を唾で洗って飛ばした。
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