本能(後)
「──うおおおおっ!」
跪くふりをして、フィンは斬り上げた。黄金の刃が、銃を2つに割った。──これで敵は新王に絞られた。教皇ヴィルヘルムは今件に関与していない。
リアンとしては意外だった。本当に偽神は関与していない? 輝聖を屠るにはまたとない状況なのに、当てが外れた。
確かに、輝聖顕現の噂が広まった時にも、これを黙殺するのみであった。それにも違和感を覚えたが、これにも違和感を覚える。心中で偽神の仕業だと決めつけていたから、この答えに馴染んでいないだけ? 巨悪の考えが読めない。それに、新王も輝聖の命を狙っているらしい。それは何故?
気になることばかりだが、今は考えている場合ではない。リアンは高く跳び、独楽のように回転してフィンの顔を思い切り蹴り抜いた。そして、よろめくフィンの腕を取り、全体重をかけて押し倒す。一瞬だった。フィンは腹ばいになって、もう動けない。全力で振り払おうとしても、体躯の割にリアンの力が強すぎる。
「なっ⁉︎ は、放せ……っ」
フィンの耳元、リアンはそっと囁く。
「銃さえ封じれば何とかなると思った? 馬鹿にしないで。こんな顔でも、第五聖女隊ではリトル・キャロルの次に強かったんだ」
彼の兵達は全く動けないでいた。少女の技があまりに見事だったので、放心している。まるで空を舞う鵟の動きであった。
静まり返る中、凱旋門からマリアベルの声がした。
「──何をしているんですか、公爵領軍は! あのような女子に虜にされるなど、禁軍を装った野盗に決まっているでしょう! デュダに入りこみ、略奪を企てているに違いない!」
ロック卿は驚いた。叫ぶその背にパトリシアがいるから。
「王の死があって禁軍が混乱している隙を突き、奪った装備で略奪を行う盗賊騎士があると聞く! 早く捕らえなさい!」
凱旋門から武器を持った市民や冒険者が飛び出した。丘を駆け上がり、一直線に禁軍に突っ込む。突然のことで躊躇した禁軍は殆ど抵抗できず、民衆に取り押さえられた。もちろん盗賊を否定する者もいたが、信用しては貰えない。
マリアベルの言を聞いていたクララは開いた口が塞がらなかった。何と言えばよいか、『息をするように嘘をつく』とはこのことか!
「お、お嬢様!」
マリアベルはロック卿に寄って、パトリシアを預けた。
「大蛇は……。本陣はどうなった! 貴殿はお嬢様を救出してくれたのか⁉︎」
「倒しました。もう脅威はありません」
「なっ、なに?」
ややあってロック卿は、
「いや、待て待て待てぇい! 貴殿がハイドラを倒したと、今、そう言ったのか⁉︎」
マリアベルは無視をしてリアンの下へと歩く。
「それで? 禁軍はあなたの命を狙いましたか?」
「ええ。教皇が敵であれば、分かりやすくて良かったのだけれど」
「分かりやすくはなるけど、敵としては強大になる。──私が敵わないと思う天才はこの世に2人。戦士としてはリトル・キャロル、軍師としてはヴィルヘルム・マーシャル。それと戦うくらいなら、多少背景が複雑でも良い。正直ホッとしました」
どのみち偽神となり輝聖を屠ろうとするならば抵抗しなくてはならないが、聖女の力を覚醒させていない今の時点で戦うよりは、後回しにしたほうが幾分良い。マリアベルはそう続けて、獲物の顔を覗き込んだ。
「こんにちは、フィン・ダーフ」
マリアベルは一目見て分かった。この男のことはよく覚えている。父エドワードが助けた男であり、父を一兵の身に叩き落とす事をリューデン公爵に進言した者の一人。
「王師北軍が挑発に乗ってくれれば、貴方が来る可能性もあるかもと、心の奥底で淡い期待を寄せていました。ああ、こんなに簡単に、ノコノコと現れてくれるだなんて」
神に感謝し十字を切って、フィンをじっと見る。さあ、お前は覚えているか。つまらぬ自尊心で奈落に叩き落とした命の恩人の子、マリアベル・デミの存在を。
フィンは始め怪訝そうにマリアベルの顔を見ていたが、5秒、6秒と経って、はっと目を見開き、青褪めた。
「なっ、何故! 聖女がここに──」
声が誰にも聞かれぬよう、マリアベルはその口をそっと塞いだ。
「殺しはしません。リアンとの約束があるから。あなたは効果的に消費するつもりです」
聖女の目に輝きはない。まるで死人を見るような目をしている。どこまでも深く沈んでいきそうな凪いだ溟海の色に、フィンは震えた。
「抵抗しても無駄。匪徒となったあなたは、どうあっても逃げられない。誰もあなたの発言を取り合わない。あなたに救いの手を差し伸べようとする人間も、私が嘘をついて追い出してしまう。あなたの存在は嘘で塗り潰される」
マリアベルはくすくすと笑う。
「──知っていますか? あなたの命の恩人、エドワード・デミは13節前、啓蟄の節彎月、戦闘の最中に左目を失った」
そっとフィンの左目に指を寄せる。そのまま潤う瞳に触れようと、ゆっくり、ゆっくりと。フィンは瞼を閉じる事が出来なかった。恐怖で金縛りとなって、震えていた。
「リューデン公爵はお元気ですか? まだモラン卿とは繋がっていますか? みなさん、デミ家を覚えていますか? それとも、全てを忘れて華やぐ日々を送っていますか? 両の目で見る景色は美しいですか?」
マリアベルの指が瞳に触れた。そのまま、じわじわと押して潰そうとしている。フィンの震えが歯を鳴らし、カタカタと小さく音が鳴っていた。
「聖女様。あなたの目的は、輝聖を救うこと」
リアンが言う。それでマリアベルは我に返って、焦ったように立ち上がる。
足先が冷たかった。踵に吐息がかかった気がした。限りなく薄い剃刀で腿を撫でられるような、厭な気配もあった。マリアベルは戦慄して、足元に目を向ける。
──魑魅魍魎の手が脚に絡んでいる。
地下墓地ラナに向かう最中に現れたものと同一であった。赤い毛むくじゃらの手があって、骸骨の手があって、革張りの真っ黒な手があった。それらが爪を立て、這い上って来るようにも、泥の中に引き摺り込もうとしているようにも感じた。
お前達は、いつからそこにいた?
いつ戻ってきた?
何を示唆している──。
「待て待て! 何者かと尋ねておろうに! ほ、ほほ、本当に貴殿が大蛇を倒したのか⁉︎」
パトリシアを背負ったロック卿が大声を出しながら駆けてきて、マリアベルは呼び戻された。足元、沼地の獣物も消え失せた。安堵して息を深く吐き、さて、どう名乗るべきかと考える。
劇的な瞬間に現れ、堂々と聖女を名乗る事を考えていたが、ピピン公爵領が張りぼての領である以上、わざわざ聖女を名乗らなくても掌握出来そうなものである。そうであれば一先ず聖女であることは隠しておき、何かの時に切り札として使えるようにしておいた方が良いかも知れない。……とすれば、普段使用している偽名を名乗れば、それで十分か。
マリアベルは木札の認定証を出した。これは冒険者である事の証。ウィンフィールドを出て、すぐに闇市で入手した。
「なになに、マリアンヌ・ネヴィル? それが貴殿の名か」
マリアンヌ・ネヴィル。プラン=プライズ辺境伯領の冒険者であったらしいが、階級が五等である以外は詳細不明。依頼の最中に行方不明となり、死亡届も捜索届も出されていない。顔も知られていない、家族も分からない。生まれも故郷も、どんな生き方をしていたかも分からない。人から忘れ去られた人生が、乾酪2磅(約1㎏)と同じ値段で売られていた。マリアベルは雑に並べられたそれを見て、彼女の人生を引き継ぐ事にした。少しばかり自分に似た名前が、そんな気分にさせた。
「デュダの大蛇が復活すると噂に聞き、急いで来ました。本来ならば領軍と連携するべき所を勝手気儘に行動した事は申し訳なく思います」
民も領軍も固唾を飲んでマリアベルの発言に耳を傾けている。
「──ですが、間違いなく大蛇は倒しました。もう脅威はない。安心していい」
まさに劇的な登場であった。誰もが『もう終わりだ』『破滅だ』と絶望した時に、救世主が現れて危機から脱する。
みな暫し唖然としていたが、街の中から『大蛇が倒された!』と狂喜する声が聞こえて、次第にそれは大歓声へと変わっていき、禁軍を捕らえている民衆や冒険者も鬨を上げた。
歓喜の中、ロック卿はただ一人で問答を続ける。
「い、偽りではないのか? 大蛇は死なぬと聞いたが……。それに、たかだか五等の冒険者が倒せる相手とも思えん……」
ロック卿の耳元で、いつの間にか目を覚ましていたパトリシアが囁く。声は掠れていた。
「ほ、本当よ。この人達が突然現れて、大蛇を倒したの。見事な闘いぶりだったわ……。歓迎して、ロック卿」
マリアンヌ、元いマリアベルは颯爽と丘を下った。
「詳しい話は後で。まずは捕えた盗賊を城へ運びましょう」
□□
デュダから南の小山に城砦がある。名を聖フォーク城と言った。かつて領主の居城はデュダに位置したが、街が水没したことにより、逃げるような形で聖フォーク城は建てられた。
城に到着し、リアンとクララは客間に通された。一方でマリアベルはパトリシアの治療を買って出たので、彼女の自室に通される。吐き戻して倒れ込んだその時に足を挫いたらしく、右足首が赤く腫れていた。
マリアベルは使用人に鹿の股肉を用意させ、それにたっぷりの水薬を塗り、湿布とした。
「凄い。すぐに痛みが引いた。家の薬師じゃこうはいかないわ。あなた、凄いのね。なんでも出来るみたい……」
言ってる途中で、パトリシアは椅子の上でうつらうつらとする。
「私ね、まだ何も分からないの。とても未熟だわ。だから、あなたみたいな優秀な人に側にいて欲しい。ずっとこの領にいて……? 私を、そばで、支えて欲しい……」
そして、眠りに落ちる。緊張から解き放たれた体は休息を求めていた。昼の光が大窓から降り注いでいて暖かかったのも気持ちがよく、眠気を誘った。
世話をしていた使用人が足を冷やすための氷を取りに、部屋を後にした。1人残されたマリアベルは、窓の外で秋風に揺れる楡を見上げた。鶲が戯れていた。先まで大蛇が全てを破壊しようとしていたとは思えないほど、穏やかであった。
「ここまで来たら、もう後戻りは出来ない」
敵は天下簒奪の新王。何者かは分からないが、輝聖とリアンの命を狙う。
マリアベルはパトリシアを抱き上げ、寝台にそっと寝かせ、健やかな寝顔を見遣った。無垢、とても人の上に立てるとは思えない。
──これならば問題ない。私が権力を奪うことの障壁はないに等しい。
とは言え、この先は難所の連続だろう。だが、それも乗り越えてみせる。無茶をしてでも輝聖を救う。全てを捧げる。輝聖の命に比べたら、こんな張りぼての領はどうだって良い。挙兵に及び、新王を処す。後のことは知らない。
寝台の横に姿見があった。ふいに、鏡の中の自分と目が合う。その顔、その目つき。王都から辺境伯領に向かう巡礼の最中に、ひどく似ていた。陶器のような硬い肌。冷酷な顔つき。押し込まれた眼球。瞳の中の空洞、青黒く濁っているように見える。
背後からは魑魅魍魎の手が伸びている。それらは確かな体温をもって顎を優しく摩り、胸を優しく掴み、脚にそっと手をやり、股座を撫でていた。
きっと私は、この獣物達から逃れることは出来ないのだろう。私が何かを求めようとすると姿を表す。強く求めようとすれば、求めようとするほどに仲間を増やし、責め苛む。お前はここにいてはいけないと言っているようで、お前は突き進むべきだと脅してくるようでもある。
その時、気づく。その中に1つ、少女の美しい腕。7本指。
「ありえない……」
マリアベルの背後から少女が姿を現した。赤い雀斑、中性的な顔立ち。髪は石黄の如く照って輝く。
少女はマリアベルの頬を愛おしそうに撫でた。少女の目つき、誘っているかのように艶かしい。──まさか、神はこの忌々しくも醜い獣物に溺れよと、そう仰せなのか。
面白いと思ってくださったら、下部のボタンから★評価をお願いいたします。
作品ブクマ、作者フォロー、感想コメント・レビューもお待ちしております。
書籍情報は広告下部をご参考ください。