本能(前)
デュダ南方の入り口には、ミュラー凱旋門と呼ばれる荘厳な門があった。これは約100年前、猛竜シャロンの討伐で幕を閉じたデュダ=ライリーの戦いの戦勝記念碑である。ミュラーは騎士の名で、シャロンと共に果てた。
白亜の門を見下ろす丘に、禁軍200の兵が居並ぶ。歩兵、騎馬隊は整列して待機。大砲は全て街へと向けられている。
翩翻と翻る旗は4つある王師の内、北軍のものであった。紋章は、琵琶が描かれた盾。両脇、2人の英雄が盾を持つ。王の象徴である真紅の王冠。図案上部、太陽の如く燦々と輝く老王の顔は、建国の王チャールズ無畏王である。
街中には緊張感が漂っている。最初、民衆は大蛇討伐に禁軍が駆り出されたのかと期待した。それで陽気な者が近寄ったが、銃兵が空砲で脅した。その後も禁軍は大蛇のいる旧市街に向かうでもなく居座り続けるから、いよいよ異様な気配を察して、自警団が申し訳程度に阻塞を作った。
向こう見ずな若者や若い冒険者達などは、凱旋門のそばに集まっていた。大蛇復活に乗じ、街を占有するつもりではないかと、根拠なく疑う者もいた。
丘の上、床几に座って様子を見ているのは北軍の将、名をフィン・ダーフと言った。
この男はリューデン公爵家の次男坊であり、以前はその領軍に所属した。将の一人として指揮をしたが、魔物に襲われて陣形が乱れた所を軍人エドワード・デミに命を救われた。
エドワードは一兵士を自称していたが、前線では剣を振るいながらも指揮まで行い、兵達の間では人気もあり信も篤く、位は無くとも事実上の将であった。ただ噂では、元々遍歴騎士の身であるらしく、どうも故郷を見捨てた過去もあるようで、戦場に出ない貴族にはあまり好かれていなかった。エドワード本人も過去の事は話したがらないから、貴族間での噂はそのままにされていた。
そんなエドワードに救われた事でフィンは誉を失い、父であるリューデン公爵の計らいで禁軍に入る。縁故により少佐の座も得た。そうした男だった。
フィンは凱旋門から出てきた小走りの大男を見て、鼻で笑った。
「ふん。来たか」
ロック卿、兵士5人のみを率いて現る。手に休戦旗を持っているのは、戦う気は無いとの意思表示。
「待たれい! 待たれよ! まずは穏便に話を……ッ!」
相当急いで来たのか、息を切らしながら丘を登ってくる。背後の兵達も同様であった。
「ふん。待ち侘びたぞロック卿よ。元は教会の坊主の分際で度し難い所業の数々、王は到底許せぬと仰せである」
フィンという男は、何かにつけて『ふん』と鼻を鳴らして笑うのが癖で、常に人を見下すような姿勢を崩さない。
ロック卿は下手に出るように跼り、フィンに寄った。だが、槍兵達に阻まれる。
「待てと言うておろうに。儂はこんな手紙を送っておらん。人に書かせてもおらん。斯様に性格の悪い文言の思いつく騎士も領にはおらん。何かの行き違いと存ずる」
「ふん。何を言うか。民衆に武器を持たせ、市街には兵まで配置し、我らを迎え撃つ気でいるではないか」
「ええい。それには深い訳があって──」
遠くでごお、という音がしてロック卿は振り返る。旧市街の方面、水柱が上がった。それを見たロック卿は全身の毛を逆立てて青褪めたが、一方でフィンは嫌な笑みを浮かべた。
「わざわざ大砲で威嚇射撃か? ふん。その程度で我らが恐れ慄くとでも思っているのか」
「ああ、何たる事よ! もはや貴公とやりおうている時間はない! 立ち退け立ち退け! 或いは我が領軍を手伝うべし!」
「誤魔化せると思ってか! 識者が集って貴様の書簡を吟味したが、ほぼ全員が謀反の意ありと断じた! この文を草したのは貴様だ!」
「だからこれは──」
「ふん。問答は無用。心得違いと言うのであれば、公爵と共に王城で申し開きをしろ。それが出来んなら謀反の企てありとし、デュダを占拠。ピピン公爵サミュエル・ヒンデマンは改易と相成る!」
「無茶を言うな! 話を聞けい!」
「ロック卿を捕らえよ! 謀反人だ!」
行く手を遮っていた槍兵達がロック卿を捕えようとする。だがロック卿は片手で槍を掴んで、兵ごとぶんぶんと投げた。掴んでは投げ掴んでは投げを繰り返し、他の兵も駆けつけるが、近寄るごとに放り投げられる。
「な、なんという剛力……」
流石のフィンも、淡白な面を引き攣らせた。
「今はそれどころでは無いと申しておるに! それを分からんか!」
そしてフィンは剣を抜く。華美な装飾の金の剣は親から贈られた、世界に1つの逸品。
「ならばこの私が直接──」
その時であった。ぱんと乾いた銃声が響き、ロック卿は胸を押さえる。
「しまった! 撃たれたっ!」
片足をついて倒れたが、ロック卿は無傷。焦り焦っていたから、銃声を聞いて勘違いした。次いで何が起きた、と辺りを見回す。着弾したのは、どうやらフィンの足元。剣を持って近寄ろうとしたこの男を牽制した者がいるらしい。
兵らもフィンも冷や汗を垂らし、銃声のした方に注目した。立っていたのは前装式銃を持った少女だった。銃口からは煙が立っている。
「双方、控えよッ!」
少女が叫んだ。中々の迫力があり、兵達はびくりと身を震わせる。
そして少女はフィンを睨め付けながら、臆することなく彼に寄った。200の兵を前に随分堂々としていたので、禁軍も領軍も、凱旋門付近から様子を見ている民衆でさえも、みながその少女に注目した。
「な、何奴。この俺を王の僕と分かってのことか」
「久しいですね、フィン・ダーフ。第四王子の鎧着初以来か。さて、王の僕が何の権限があって他領の民衆を脅かしている」
声高ではなかったので、2人の会話は他の人間にはまるで聞こえなかった。
「久しい……?」
フィンは表情を曇らせ、少女を凝視した。瞳が蒼い。緑松石の輝きは王族の血。そして可愛らしくも、哀情を醸すような面差し。
「ま、まさか。第三──」
少女に扮したリアンは、銃口をフィンの腹に突きつけた。
第三王子の顔を詳しく知らない他の兵達は、訝しんで2人を見ていた。我らが将は、あの小娘に何を躊躇しているのだろう。ただ、何か会話をしているようだから、割って入って良いものかわからない。ロック卿ら領軍も神妙な顔つきで様子を見ていた。
さて、身分を隠す事なくフィンの前に現れたリアンの思惑はこうである。──禁軍を脅し、教皇ヴィルヘルム・マーシャルが今件に関わっているのか、否かを探りたい。
禁軍が輝聖を狙っていることは分かった。だが、飽くまで禁軍は軍。主体となって輝聖を葬ろうと画策している者がいるはず。それは教皇か。あるいは、新王か。
敵が教皇である場合、神聖カレドニア王国は正教会の傀儡に堕ちた。つまり教皇の言いなりになった新王が立ち、教皇を支持する他貴族で王城は固められ、盤石なものと思う。
偽神を目指す教皇としては、輝聖が邪魔である。だから、輝聖に民の信が集まる前に、王の弑逆という大事件の裏で、静かに、荒波を立てず、ちゃっかりと葬りたい。念の為、信心深い上に力もあるリンカーンシャー家も牽制しておいたし、神殺しの準備は万端である。
ただし。新王が教皇と無関係なら、話は違う。
新王は簒奪者。味方は少ないはず。新王を信ずる家臣と、もしかしたら利害関係にある領が味方かも知れないが、新王に与しない前王の家臣やその他の領などは敵である。──当然、与しない兄弟は殺したい。特に第三王子リアンは殺したい。リアンは放浪しているから、誰かに利用される前にやるべきだ。これは王の弑逆があってから、再三マリアベルが言っている事でもあった。
禁軍の裏に教皇の影、有りや無しや。それによって今後の動き方が変わるから、絞りたい。
「何をしている。頭が高いですよ、フィン・ダーフ」
ここで跪くなら、禁軍は第三王子に敵意なし。何か怪しげな行動を取ろうものなら、敵意あり。フィンは将。下っ端ではない。国の中枢で何が起きているかは分かっているだろう。
さあ、己は政敵か、もしくは無関係か。その答えの如何で諸々の思惑も透ける、はず。
「……リアン、様」
フィンは動揺しているのか、瞳を揺らして、下を見た。跪こうとしているのだろうかと、リアンは思った。しかし──。
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