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昴宿(後)


 兵も無事では済まなかった。顔に(すず)の破片が幾つも刺さるし、爆薬を投げた左手の指は2本弾け飛んでいる。耳も潰れた。爆発音のせいでキンとした音だけが聞こえている。だがそれでも、兵はのた打ち回りながら、勝利を確信して狂喜(きょうき)歓呼(かんこ)した。


「や、やったあ‼︎ やったぞっ‼︎ 舐めやがって、畜生(ちくしょう)がああッ‼︎ うおおおおっ‼︎」


 しかし、閃光(せんこう)で白けた視界が徐々に戻って来た時、ふいに胸ぐらを掴まれ、放られるようにして近くにあった廃墟の壁に叩きつけられた。兵は後頭部を(したた)かに打つ。


「終わりですか?」


 兵は驚愕した。目の前にいるのは、確かにあの女。爆発で顔が弾けたのだろう、左目から後頭部にかけて大穴が空いていて、生きていて良い状態にない。なのにどうして、立って、喋っている。


「──では、質問に答えなさい」


 首に短剣(ダガー)を突きつけられ、兵の足が震える。


「ひっ! お、お前は、魔物なのかっ! 消えろ! 魔物めっ!」


 理解の範疇(はんちゅう)を超える事態が、今この場で起きている。そう思った瞬間、兵は呼吸のやり方を忘れた。目の前が暗くなって、何かを考えることも出来なくなり、力が入らなくなった。兵は狼狽(ろうばい)のあまり失神した。


 マリアベルは舌打ちをして、兵を投げ捨てる。そのまま靴も脱ぎ捨て、胡座(あぐら)を組んで座る。少し、疲れた。扁平足(へんぺいそく)だから足も痛い。


 座った拍子に、衣嚢(ポケット)から小さな木箱が飛び出た。拾い、中を覗くと煙草が入っていた。それを暫く見つめてから、その内の1本を手に取り、(くわ)える。そして魔法で指先に火を宿して、火をつける。少し吸うと火種が出来た。


「けほっ! けほけほっ!」


 慣れないから()せる。呼吸を落ち着つけ、ため息。次いで気怠(けだる)そうに額を押さえた。


 痛い。脳が傷んだからか気分も悪い。吐きそうだ。それもこれも、全てリトル・キャロルのせい。あの子が頭の中に居続けるから、反応が遅れて頭が爆ぜた。


 ああ。(みにく)虫螻(むしけら)の言葉が蘇る。


『──覚悟しろ、輝聖リトル・キャロル』


 (なげ)くぞ。マリアベル・デミという意識がこの世に存在しうる限りは毎日嘆き続けてやる。よりにもよって、あの子と間違えるなんて。


 言われて蘇る容貌(ようぼう)。それが蘇れば、触れた時の体温も、髪の香りも、全てが鮮明になる。それだけならまだ良い。嫉妬(しっと)焦燥(しょうそう)も、忘れようとした好意さえも息を吹き返す。


「……病気だ。完全に」


 呟いて煙を吐く。鼻の奥で香りが残る。今度は上手く吸えたようで嬉しかったから、煙草の入っていた箱を愛おしげに眺めた。草の汁がついているから、元は薬を入れていたらしい箱だという事に初めて気がつく。


 もう一服した時、リアンとクララがぱたぱたと走り寄って来た。近くに来て無惨な姿に驚いたのだろう、クララは総毛立(そうけだ)ち、いやと悲鳴を上げて口を押さえた。


「ご心配なく。痛くも痒くもない」


 マリアベルは涼しい顔で(うそぶ)いて続ける。


「少し騒がしくしてしまった。街人が驚いてませんか?」


 これにはリアンが答えた。


「まあ、何人かは……。道で手当されている兵もいるようですが、警戒してか家の中までは運んでいないようです」


「そうですか。彼らは何かに使えそうなので、1人残らず回収します。廃屋(はいおく)にでも押し込めておきましょう。旧市街になら腐るほどある」


「……それで、情報は引き出せましたか」


「直接は聞き出せませんでしたが、禁軍の狙いについては、何となく分かりましたよ」


 煙草の火種が、じじと音を立てた。


「──彼らは輝聖を殺そうとしているらしい」


「なんですって……?」


 リアンが眉を(ひそ)めた横で、クララは胸に手を当て、息を整えながら考えていた。輝聖、と言えば光の聖女。噂ではマール伯爵領に現れたとか聞いたが、それは真実だった、と言うことなのだろうか。


 光の聖女は4人の聖女を束ねる存在。そして、神が生んだ最大の希望。それを、果たして普通の人間に殺せるものなのか。


「……そんなことが、可能、なのですか?」


 少しの沈黙を置いて、マリアベルは自らの弾けた頭部を指差し、質問者を見る。


「クララ、この傷を見てください」


「ひ、ひぃ」


 あまり直視したくはないが、クララは目を細めながら観察してみた。


「血は出ていますか?」


 そんなのは当たり前だ、出ているに決まっている、と思ったが、よく見れば割れた頭は赤く染まっていなかった。何らかの液体で濡れているようだが、少なくとも血ではない気がした。


「で、出ていない、かもです」


「これは、水です」


「水……?」


「聖女はやがて精霊化するのだと私は考えています」


 煙を吐き出して、続ける。


「私は水の聖女だから、私の体はウンディーネとなり始めている。困ったことに精霊には血が流れていないみたいで、とうとう私は人間である事をやめてしまった。生理も来ない。まあ、そこは少し(うらや)ましく思うかも知れませんね」


 言って、きっとこの刺青(いれずみ)がそうさせるのだ、と袖を捲って聖痕(せいこん)を見せた。


「クララ。あなた、焔聖(えんせい)を助けた時に、彼女、血まみれだったと言いませんでしたか?」


 クララは頷く。


「彼女が傷を負えば、炎が噴き出すはず。まるで、沼から滲むガスに火がつくようにして」


 クララはハッとした。マリアベルの説明が正しいならば、もしかして、あの宝石の弾丸が影響しているのでは。そう思って、背負袋から謎の弾丸を取り出す。


「恐らく、それに聖女を殺める力がある。……輝聖を殺せるか、という問いについて、憶測ですが、敵は可能と考えているようです」


 リアンは静かに問う。


「敵、とは。王族ですか」


「禁軍を動かせるのだから王族でしょう。だけど、その背後には誰かがいる可能性もある。──たとえば、教皇ヴィルヘルム・マーシャル」


 リアンは髪を触って思案する。


 ヴィルヘルム・マーシャルは偽神として()とうとしている。確かに、この男ならばあり得る。輝聖の顕現(けんげん)に焦りがあるに違いない。


 まさか王の死にも、この男が関係しているのではないか。アルベルト二世は信心深い。もし、王が輝聖の顕現を知っていて、輝聖の為に行動を起こそうとしたのであれば。──教皇にとっては邪魔になる。


「教皇が、光の聖女を? そんなことって」


 クララにとっては突拍子のない話だったので、苦い笑みでマリアベルとリアンを見たが、2人は決して冗談を前にしている表情ではなかった。


「そうだとしたら強大な敵ですね。笑える」


 そう言ってマリアベルは暫く黙り込み、ため息と一緒に濃い煙を吐き出した。だめだ。もう今日は考え事をやめよう。集中できない。頭の中に、あの子が存在しすぎている。


「リアン。狙いは輝聖だとしても、あなたは油断をしないこと。まだ事態が把握出来ていない以上、あなたも標的でないとは限らない」


 マリアベルは(おもむろ)に立ち上がる。


「まっ、まだ立たない方が良いんじゃ……!」


 クララはその体を支えようとするが、必要ないとでも言うように、マリアベルは少し笑んでクララを見遣(みや)った。暗い瞳だった。昼間に会った時とも、街を見下ろして怒っていた時とも違う色をしているように、クララには感じた。


「……何か」


 そう思った時には、もう声に出ていた。心優しいクララ(ゆえ)だった。


「何か、思い詰めているんですか?」


 マリアベルは一瞬固まって、問い返す。


「思い詰めている? 私が?」


 クララは頷く。


「聖女さまが、そこにいない気がして。まるで、友達と喧嘩をした後のような。ご飯を食べていても、刺繍(ししゅう)をしても、それが気になって、ここではない何処かを見ている……」


「つまり、この私がぼんやりしていると? クララはそう言いたいのですか?」


 クララはマリアベルに睨まれ、まごつく。


「まさかリアンもそう思っているのですか?」


「僕は──」


 言いかけた所で、マリアベルは2人の手を掴み、そのまま水路へと身を投げた。2人の悲鳴と共に、ざばんと水飛沫(みずしぶき)が上がる。


「うわっぷっ! な、何をするんですかっ!」


 リアンが大声を上げる。


「え、ええっ⁉︎」


 クララは困惑している。


 だがマリアベルは、夏の長雨で水嵩(みずかさ)の増した水路に仰向けで浮かんで、2人の手を離さない。そのまま夜空を眺む。


 昔から星空が好きだった。星の瞬きは古来より迷い子を導く。だから心の迷いがある時は、決まって輝きの中に道を探した。探して探して結局道が見つからなくとも、この星空の下では誰もが小さな存在になるから、星を見れば自分を(つくろ)わずに済んだ。


 だから、何かを決心する時は、決まって星空の下なんだ。父が居なくて不安だった夜も、帰る場所を無くした絶望の夜も、星空の下で自分の在り方を変えようと決心した。


 今宵は昴宿(プレアデス)の六つ星がよく輝いている。星空を金青(こんじょう)に染めるほど。懐かしい。菜園に毒芹(どくせり)を摘みに行った時も、この星が出ていた。


 暫くして、聖女は(ささや)く。


「……『輝聖の業を背負え』」


 2人して意味がわからず黙っていると、今度ははっきりとした声で話を始めた。


「私は、友人だった人と間違われた。それで、二人ずっと一緒だった時のことを思い出した。(かたく)なに彼女を否定し続けても、もはや物理的に頭が吹き飛んでも、自分からその存在が消えないのを理解してしまった」


 マリアベルは切なく笑う。


「私が、どれだけあの子に依存していたか。どれだけあの子のことを特別に思っていたか。それが、本当の本当に分かってしまったんです。なんて狂おしい。狂おしくて、狂おしくて、私は……」


 大きく息を吸う。胸が膨らむ。


「──どうしよう。困った! 私は輝聖に呪われている! あの子を守りたい!」


 マリアベルはさらに息を荒げる。いっぱいに秋夜の冷気を吸い込んで、肺を動かし、目を瞑る。沢山の汗と一緒に、少しの涙が出た。悲しいわけではなかった。胸は高揚感(こうようかん)で一杯で、清々しく晴れやかだった。何を意味する涙なのか、自分でも分からなかった。


「たとえ王国が敵でも、正教会が敵でも、あの子を守りたいっ……。守りたいよ……」


 リアンはマリアベルを見ていた。リアンにとっても輝聖リトル・キャロルの存在は特別。想えば胸を締め付け、そわそわとさせる。


 でも、海聖にとってのリトル・キャロルはもっともっと複雑で、微妙で、繊細(せんさい)で、想いの全てが混ざり合う程に重くなるもので、油断をすれば体の中から吐瀉物(としゃぶつ)のように想いが溢れてくるのだと、そういう存在なのだと、察した。自分とは、想いの桁、いや、次元が違うようだった。


 マリアベルは息を切らしてクララを見る。その表情はどこかすっきりとして、血色も良い。ぼんやりしていない。


「クララ。あなたも、そこにいなかった。どこか別の所を見ていた」


「え?」


「焔聖の事を聞きたくて、うずうずしていた。違いますか?」


 クララは頬を紅潮(こうちょう)させる。


「それはっ! それは、あの子は私にとって……」


 私にとって、何だろう。クララは考えた。1人で勝手にウィンフィールドから出てきて、想定より旅というものは簡単ではなくて、苦しい思いや悲しい思いをして、帰りたいと思った時に出会った、救いの子。


「あの子は私にとって、大切な友達だから」


 それを聞いて、マリアベルは優しく笑む。


「私が思うに、彼女も無関係ではない。きっと何らかの形で関わっている」


「じゃああの子が怪我をしていたのも……」


「輝聖を巡る何某(なにがし)かに巻き込まれたのかも知れない。──私たちは輝聖を回る星。4人の聖女に大事が起きる時、そこに輝聖は関わる」


 クララは目を(うる)ませて言う。


「海聖様のお側にいれば、またあの子に会えますか?」


「もちろん。会って友達だと伝えてあげて下さい。伝えられなくなる前に。クララは私のようになってはいけない」


 東からの風が吹いた。3人はゆっくりと水路を流れてゆく。


「リアン。あなたはもっと重いものを抱えている。昨日の夜、何かあったでしょう」


「はは……。なんでもお見通しですね」


 リアンは思う。これを言えば海聖は更に呪われるだろう。でも彼女は呪われたがりなところがあるから、もう呪ってしまおうか。己と一緒に行ける所まで行こう。そう心に決めて口を開く。


「夢に王が出ました。『次なる王は殺せ』だそうです」


 マリアベルは死に損ないの王を思い出した。枯れ木のような腕、皺だらけの顔。あれにデミ家を思い出させてやれなかったのが、口惜しい。本来ならばこんな男の遺言を聞いてやる必要などないのだが、そういう訳にもいかなそうだった。これもまた、輝聖へと繋がっているであろうから。


 その証拠に、昴宿(プレアデス)が先よりも爛々(らんらん)と輝いている。


 リュカは見世物小屋(サーカス)に売られる際、旅の途中、(おこり)で死んだ人買いに代わり、同じく売り物だった小人の女と羸痩(るいそう)の男と共に、三つ足の驢馬(ろば)を引いて1節を歩き続けた。そして昴宿(プレアデス)が示した道を行き、魔物が跋扈(ばっこ)する荒野を渡り切ったと記録される。厚い雲が空を覆っても、驟雨(しゅうう)があろうとも、奇妙な事に蒼き星の光だけは地に届いた。


 マリアベルは言う。


()()()()()()()、か。神は意地が悪い。聖女を()()()に仕立て上げるつもりなのだから」


 マリアベルの耳に騒めきが届く。街の方面だ。倒れた禁軍を放っておきすぎたらしい。


「やれやれ。おしゃべりに夢中になりすぎてしまった」


 海聖は感傷的な自分に対して憫笑(びんしょう)した。


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