不屈
その後2人は、限りなく小さい火にした燈の元で、買ってきた銃弾を1つ1つ手に取り、選別を始めた。
「例えば、これは使えない」
リアンが手にしたのは傷がついた鉛玉である。しかし普通の傷ではない。爪で引っ掻いたような痕が、うっすらと見える程度のものだった。
「これで影響があるんですか?」
「はい。だめです」
リアンは使えない弾を小さな木箱に入れた。クララが見るに、木箱に入った弾の大半が問題ないように思えたので、その一つを手に取って問う。
「後学の為になんですけど、この弾は何でだめなんですか?」
「へこんでいるんだ」
クララは眉間に皺を寄せて、よく観察する。確かにそうとも言えたが、瞬きをした瞬間には、そうとも言えなくなってしまった。
「ちなみにこれは少し小さいかな。ほら、ちょっとだけ軽いでしょう?」
言ってリアンは、クララが合格の陶器に入れようとしていた弾を優しく取り上げて、不合格の木箱に入れた。
「ご、ごめんなさい。全く分からなかった」
「僕が神経質すぎるだけだから気にしないで」
クララは少し疲れてしまったので、一旦手を止めて一息つく。そして目を閉じて眉間をぐいと押さえた。少しの間そうしていると、深いため息が勝手に出てきた。
何かをしている間はその事だけを考えていれば良い。それだけで誤魔化される。だけれど、こうして手を止めてしまった瞬間に、胸焼けにも似た嫌な感じが鳩尾から迫り上がって、咳き込みそうになる。──言語化するならば、それは失望にほど近い疑念。
憧れの聖女に会いたかった。会えば、理想の聖女がそこにいると思った。そして奇跡的に出会うことが出来た。海聖マリアベルは理想の人だと、そう確信した。
だけど彼女と話をしている内に、黒い渦が胸の海に生じた。見ないようにすれば、見えない程度の渦なんだと思う。でも、その渦が、アンナの言う『海聖は悪女だ』という決めつけを形容している気もして、次第にそれが穢らわしいもののようにも思えてきて、息苦しくなった。
「……何か、思う事があるのかな」
リアンは優しい笑みを浮かべて、鉛玉を選別しながら言った。その燈に照らされた笑顔が柔らかくて暖かかったから、クララは迷いながらも、疑念を言葉にしてみる事にした。
「ウィンフィールドの地下墓地……、あの時のこと、覚えていますか?」
「覚えています。その節は、大変申し訳ございませんでした」
リアンが居住まい正して頭を下げたので、クララは慌てた。
「いや! 謝ってほしかった訳ではなく! ただ。女中が言うんです。あの時、聖女さまは、わざとに私たちを痛めつけたんだって。それって、本当なんでしょうか……」
言いながら、マリアベルの優しい笑みが頭に過ぎった。遅れて、禁軍を見下ろした時の凶悪な笑みも同時に過る。相反する二つの表情。真実のマリアベルはどちらなのだろうか。
「──本当ですよ。海聖マリアベルは、何の罪もないあなた方を痛めつけようとした」
呆気ないほどにすんなり、答えは出てしまった。
「そう、ですか」
クララは肩を落とす。でも不思議と、落胆は大きく無かった。もしかしたら心の奥底では、勘付いていたのかも知れなかった。
そうだとしたなら、いつから勘付いていたのだろう。再会した時? 旅に出る前から? それとも、もっと前。枕元に神の金貨と蒔蘿の葉が置いてあったのを見た時から?
実はあの金貨を手にした時、腑に落ちなかった。マリアベルに命を救ってもらった認識でいたけれど、それが詫びの様に感じたから。
アンナはマリアベルを悪女だと断言した。クララはそれを否定し続けた。でも芯の部分では本気で否定する事が出来なかったから、逃げるようにして家を飛び出して来たのかも知れない。クララは今、そんな気がしている。
「……理由を聞いても良いですか?」
「自分の幸せを掴む為、だと僕は解釈した」
「幸せ?」
「ウィンフィールドに向かう途中、光の聖女が現れるとお告げがあった。海聖は街の子供達に輝聖がいると悟った。それで君たちを危機に陥れ、力を覚醒させるのを待った。──目的は光の聖女の抹殺だった」
「そんなっ!」
これには耐え難い衝撃があった。自分の中の聖女像が、一気に叩き壊された気分だった。だってそれは、自分も標的だった事を意味するから。
地下墓地まで向かう最中、マリアベルと話をした。彼女は笑顔で話を聞いていた。でも、裏ではそんな物騒な事を考えていたんだ。
「海聖さまって、悪い人、なんですね……」
「悪い人か……。確かに、あの時は悪女だと僕も思いました。でも今はちょっと評価が違うかなあ」
言ってリアンは合格の器を手に取り、さらにその中の鉛玉を一つ一つ手に取って、2度目の選別を始めた。弾選びには、万全を期す。
「僕が聖女様と一緒に旅をしているのは、彼女のことをもっと良く知りたかったから。旅を始めて6節くらいが経ったけれど、ようやく少しずつ分かって来たんだ。……クララさんにお尋ねしますが、デミ家、って知ってますか?」
「デミ家……?」
確か、海聖はマリアベル・デミという名前だ。即ちデミ家というと、彼女の家のこと。
やはり名門なのだろうか。でも、デミ家という貴族は聞いた事がない。聖女には憧れていたけれど、思えば、海聖の家柄なんて考えたことも無かった。
「実はね、領主の家系なんだ。かつて南にサウスダナン子爵領というのがあって、彼女もクララさんと一緒で、瘴気に飲まれた領主の娘なんだよ」
「え……」
知らなかった。あのマリアベルが没落貴族だなんて、あまり想像ができない。
もちろん、聖女にも身分がいろいろあることは知っている。陸聖が隣国の王族であることは有名だ。だから没落貴族の聖女がいたって不思議ではないはずなのに、実際にそう言われると意外な気がしたし、異端な気もした。
「クララさんも領が滅んでからは大変だったと思うけど、彼女も同じで、苦労してきたみたい。人の巡り合わせにも恵まれなかった。そのせいで、色んな屈辱を味わって来た。そして、その苦労が報われる事もなかった」
クララには、別の人物のことを話している様に聞こえた。慈愛の聖女マリアベルとも、悪女マリアベルとも違う、また別のマリアベルがその会話の中にいた。
「ある晩、本人が言ってました。帰る場所を失ってからは、ずっと無視をされている感覚だったって。世界中の誰からも見つけて貰えない、誰からも気にかけて貰えない、この世界にはマリアベル・デミの事を知っている人なんかいない。まるで、この狭い世界に自分が存在していないように感じていたそうです。全てを否定されたつもりで、下だけを向いて生きていた。……正直、僕はその気持ちが痛いほど分かってしまった」
クララは領が滅んでからの事を思い出していた。その時は苦しかったし、何度も挫けそうになったけれど、前向きに頑張ればいつかは報われると信じていた。いつか、学園の聖女候補が救世を成し遂げてくれる。そう思うことで未来に希望が見えた。
クララには頭上で燦々と輝く聖女という存在があった。だからどんなに苦しくても踏ん張れた。だが、マリアベルにはそうした人はいなかった。それもそうだ。何故なら、マリアベル・デミは聖女になる人なのだから。
「でも彼女は立ち上がった。聖女を巡る数奇な運命に翻弄されながら、自分の足で歩く事をやめなかった。これは凄いことだと思うんだ。普通の人は悪意の他人にも、余りある運命にも、押しつぶされてしまう」
リアンは1秒、2秒と言葉を探してから、続ける。
「彼女は這い上がる人です。どんなに絶望しても這い上がる人です。いつも傷だらけで、飛ぶ事が出来ないから、無様にも手と足だけで這い上がろうとする」
クララの目を見て言う。
「あの人はね、今の自分ではどうにもならない現状というものに、何度も直面した。その度に挫けてしまって、ついには地の底で蹲って、動くことも出来なくなってしまう。──その時、自分を変えるか、それとも変えないか。新たに現れた二つの道で、常に変わる事を選び続けて今日まで生きて来た。マリアベル・デミは、そんな泥臭い人なんだと思う」
クララの中で違う色を見せていたマリアベルが、少しばかり繋がったような気がした。
今、クララの胸に蘇るのは、鐘塔の上で帽子を取った時に見せた、マリアベルの自然な表情。彼女は青々とした高い空を見上げていた。どこかを目指している眼差しだった。その瞳には、いつも何が映っているのだろう。そして短くなった青い髪には、どんな想いが込められているのだろう。
「もしかしたら、見えている世界が僕らとは少しだけ違うのかも知れない。だから時には性悪とも思えるような言動や、非情に感じる物言いをしたりもする。そして、やってきた事の幾つかは許されていいものではないと思うけれど……、決して悪女ではないよ。仮にそうだったとしても、また変わろうとしている。マリアベル・デミは、確かに聖女の器だと思う」
──悪女ではない。
その言葉に救われた気がして、ふっと肩の力が抜けた。それで、随分と緊張して話をしていたことに気が付く。自分にとって聖女とは、辛い時期を支えてもらった大切な存在だったから。その存在が正しいのか正しくないのかの確信に迫ろうとして、勝手に体が強張っていたのだとクララは思った。
「だから心配しなくても大丈夫。でも、もし悪女であるなら、僕は彼女を殺して良いことになっているから安心して」
「……ええ?」
その意味を理解しかねるクララを他所に、リアンは合格の器に残った鉛玉を軽く数えた。買って来た時には200個近くあった弾が8個になっている。それでもリアンとしては合格の数が随分多かったようで、満足気に頷いた。
「あ、そうだ。今日、珍しく彼女は心の内の綺麗な部分を口にしていたよ。クララさんに言った、『あなたには、あなたのままでいて欲しい』という言葉。あれは、本音です」
クララは目を瞬いた。
「普段は隠すんですよ、本心を。それから『街を走る』なんて変な事を言い出したのは、僕たちを危険に晒さない為なんだと思います。特に今日はクララさんがいるから」
「私に気を遣って……?」
「そういう人なんだよ。意地悪で、素直じゃなくて、性根が腐ってて、こんなに面倒な人は他に知らない」
そう言ってリアンは愛おしそうに微笑み、燈の灯りを小さくした。既に辺りは真っ暗闇になっていた。
□□
街中では禁軍の兵が点々と屯していた。夜だというのに、何処かに帰っていく様子もない。
街は閑散としている。普段であれば日が落ちても街行く人もいるものだが、兵がいる事に警戒して出歩く者はほとんどいなかった。
街の中心部の洗濯屋の近く、1人の兵が裏返した桶に座り、苛立ちを露わにして貧乏揺すりをしている。
「全く、辛いもんだぜ」
何が何だかよく分からない内にデュダに行くことを命じられ、しかも道中で王が急死したと告げられ、そして人探しをさせられている。それを見つけ次第殺せ、可能であれば捕縛しろ、と強く命じられているから、王都に引き返すことも出来ない。
もう人探しは明日にすれば良いと思うが、この任務を纏める人間がいないものだから、中断と再開の指示がない為にどうすることも出来ず、無駄な時間が流れている。普段なら酒場で飯を食う時間だが、それも難しい。
やはり、あの古びた酒場に居た2人組を逃したのが良くなかった。あの2人は怪しかった。──旅人風の女と、小娘。特徴は一致しているし、独特の雰囲気があったから、もしかしたら正解だったかも知れない。
倒れていた兵の話を聞くに、焔聖を知っている小娘もいるらしい。それを捕まえておけば、目的を達成は出来ずとも土産にして王都に帰ることも出来たろうに。禁軍ともあろう者が失神とは情けない。油断をするからそうなるのだ。
半日かけて街中を捜索したが、あの2人組も小娘も見つけることは出来なかった。もうこの街から離れたのではないか? 他の兵たちもそう思っているだろうが、誰も言い出すことはできない。無駄な時間だけが過ぎる。
他の街に散っていった同胞たちも、今頃同じような思いをしているのだろう。この星空の下で、王都の酒場と良い酒と良い女たちを思い出して、俺と同じように虚しく座り込んでいるに違いない。
「夜が明けたら俺は一抜けだな。くだらねぇ」
言って、腰に下げていた水筒に口をつける。これには良質な火酒が入っていて、飲めば喉をかっと熱くし、頭をしゃきっとさせた。鼻から抜ける香りは森の土に似ていて、深く、それでいて少しだけ甘い。
水筒の中身も無くなり、酔いが回ってきたかと思った時。脛にカツンと何か当たった。
「な、なんだあっ⁉︎」
大声を出してあたりを見渡す。すると、近くにいた兵の一人が走って来たので、それに向かって怒鳴る。
「お前か! 何か投げただろ!」
「何? 俺はお前の声がしたから来ただけだ」
すると、後から来た兵の肩に、またカツンと何かが当たった。地面に転がったのは、石。
「誰だ! どこにいやがる!」
兵は気がつく。道の先、篝火のすぐ側、誰かがいる。帽子を被っていて、外套を羽織っている。見たことある人物だ。
「……間違いない、あの格好。アイツは酒場にいた旅人だ。覚えてるぜ」
「お前が逃がしたと言ってた女か!」
「まだデュダにいやがったんだ。何のつもりだ、アイツ」
剣の柄に手を添えて様子を見ていると、旅人は顔の前で拳を作り、手の甲を兵に向け、人差し指と小指を上に向けて突き出した。
「ああ? 何だこの野郎、喧嘩売ってんのか」
その突き出された2本の指は角を表す。子山羊の手印と呼ばれるもので、意味は『矮小』。つまりは侮辱されているのである。
兵が剣を抜くと、旅人はにやりと笑い、これ見よがしに2本の指をくいっと曲げた。
「……ッ‼︎」
指を伸ばしていても侮辱であるが、指を曲げれば雌山羊を意味した。これは軍人や騎士にとって、これ以上ない究極の侮辱である。
雌山羊は軍にとって食糧であると同時に性処理の道具を兼ね、数節に渡って行軍する場合には連れて行くことも珍しくはない。穢らわしい事だからみな口に出さないが、雌山羊の使用方法は暗黙の内に知っていることだった。即ち、この旅人は『惨めで弱いお前、お仲間に尻を貸しているのか?』と馬鹿にしているのである。
これには我慢ならない。怒髪天を衝き、兵は剣を手に歩き出した。旅人はそれを見てまた笑い、背を向けて駆け出す。
「──逃げやがった! 追えッ!」
もう一人の兵が角笛を鳴らし、デュダにいる兵等に合図を送った。
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