鐘塔
神官は紐を引いて晩鐘を鳴らした。鐘塔に止まっていた鳥達が飛び立ち、夕陽に消える。クララとリアンは耳を塞いで鐘の脇に隠れていたが、それでも頭が割れるくらいの音が襲ったので、苦悶の表情を浮かべていた。
「聖女様がいなくて良かった。この場にいたら多分、鐘を蹴り飛ばしていたと思う」
マリアベルは準備と称して、昼過ぎには街へと消えたので、この場にはいない。
「お、畏れながらお伺いしますが──」
クララが仰々しく言ってリアンは苦笑した。
「や、やめてよ。僕はそんなんじゃないから。王子と言っても、その自覚もないし」
「いや、しかし……」
「いいから、普通に接して」
クララは少し迷ってから、自分が思う普通の言葉で話を始める。
「あの、聖女さまは何故デュダにいるのですか? 第二聖女隊は……」
先は理解に追いつこうと必死で、その辺の事情を聞きそびれていた。
「第二聖女隊は解散してしまった。ああ、でも、正式には存在しているのか……。口で説明すると、ちょっと複雑かも……」
リアンは悩ましそうに続ける。
「今の第二聖女隊は既に海聖の意志で動いてはいないんだ。王都にいて、巡礼には行かずに居着いているみたい」
「確かに海聖は王都にいるって聞いてましたけど……」
「あれは偽物。見たことはないのだけれど、随分と似ているらしいね」
「えっ!」
クララは魂消た。聖女の偽物だなんて、そんなが罰当たりなものが存在して良いのか。
「この辺は少しややこしい事になっているから、後でゆっくり話すよ」
言って、リアンは肌身離さず持っていた細長い袋を開け、前装式銃を取り出す。それは兵卒や冒険者が使用するものと変わらない安物だった。だが、よく手入れがされているようで艶があり、暮れなずむ夕陽に赫赫と輝いていたから、クララにはそれが美術品のように見えた。
「凄い。これが、王族の武器……」
「辺境伯領で買った中古品だよ」
クララは冗談と捉え、愛想笑いをした。
「あのう。少し疑問に思っていたんですが」
リアンは首を傾げて、クララの言葉を待つ。
「街にいる兵を狙撃するんですよね? こんなに離れているのに、弾なんて当てられるものなんですか……?」
□□
数刻前。青空の下、マリアベルは街中を彷徨く兵を見下ろしながら言った。
「禁軍の動きはばらばらです。街の至る所で、何の考えもなく、動き回っている」
クララから見ても確かにそのようだった。
「効率的に捜索する方法は幾らでもある筈なのに、いつまでも無策でうろうろと……。即ち、彼らには指揮官がいないのです」
「指揮官がいない……」
「彼らはただの寄せ集め。察するに、余程の有事なのでしょうね」
マリアベルは小馬鹿にしたような笑みを浮かべて続ける。
「まとめ役がいなければ、各々が各々の判断で動くしかない。私が街中を走り回れば、全員が莫迦丸出しで尻を追ってきますよ」
それを聞いてリアンが小さく問う。
「走り回れば、って聖女様が……?」
リアンはマリアベルが走る姿などは、あまり見たことがない。学園にいた頃も、第二聖女隊にいた頃も、常に悠々とした仕草であった。これは共に旅をしてから知った事だが、どうやら疲れやすい体質のようで、彼女の走る姿なんて地下墓地で見た以来じゃなかろうか。
「まあ、良い機会です。少しは体力を付けておかないと」
マリアベルは外套を脱ぐ。中には胸当や胴丸を着込んでいたので、走る為にそれを外した。その時に襯衣が捲れて腹が曝け出されたのだが、その引き締まって割れた腹にクララは驚いた。冒険者や兵士と変わらぬ体つきである。聖女は優雅かつ清楚なものだと思い込んでいたから、思わず放心してしまった。
「こんな蛆虫共に策らしい策を使ってやるのは勿体無い。単純な感じで行きましょう」
再び外套を着て、続ける。
「辺りが暗くなったら私は街中を走ります。彼らをたんと引き連れますから、リアンはこの場で狙撃をしてください」
リアンは首肯した。
「最後の一人になったら、その者を捕らえて情報を吐き出させます」
そう言ってマリアベルは、聖ノックス市の聖剣を腰に下げ直した。
□□
リアンは西陽を頼りに、銃の鶏頭にずれがないか、燧石が摩耗していないか等を確認する。
「まあ、多分だけど、この場所からでも弾は当てられるんじゃないかな……」
クララはぽかんと口を開けた。
かつて、クララの父は騎士達を大勢引き連れて兎狩りに出かけていた。毎秋の行事で、クララもそれに参加した事がある。その時、父は20呎(約6m)離れた兎を撃つのも苦労していた。自分も遊びで銃を扱わせて貰ったが、なんと5呎(約1m半)離れた所にいた手負いの鼬にすら弾を当てること能わなかった。
この鐘塔の上から街にいる人との距離は20呎どころでは足りない。そもそも鐘塔が高さ100呎(30m)程度あるし、目標との直線距離は、その10倍以上はあるのじゃないかとクララは思う。しかも、聖女が引き連れて走ってくる兵に当てるだなんて、至難の業だろう。それに──。
「──聖女様が現れる頃には、真っ暗闇で相手の姿なんか見えないんじゃ」
「うーん……」
リアンが困ったように唸ったので、王子に対して意地悪なことを言ってしまったのでは、とクララは少し不安になった。
「でも、何となく、どこにいるのかが分かれば、多分……」
その言にクララは呆然とした。やんわりとではあるが、出来る、と言っているようだ。
「す、凄い自信……」
思わず本音がぽろりと出てしまって、慌てて口を押さえる。これは本当に失礼なことを口走ってしまった。
「ははは。いや、自信があるわけではないけど、経験上、可能かなって思っただけで。僕はいままでに沢山の魔物や人をこれで撃ち抜いてきたから……」
クララは失礼ついでに何でもかんでも聞いてみる事にした。
「真っ暗闇で相手が見えるものなんですか?」
「見えないかも。街中の篝火を頼りにするしかないかな」
「篝火と言っても、遠くからじゃ灯りにもならないのじゃ……」
篝火があっても、街全体が明るくなるわけではない。暗闇の中で、四つ辻などを認知させるための目印に過ぎない。
「だけど、この鐘塔から狙える場所は限られているでしょう? きっと聖女さまもそれを見越して彼らを誘導してくれると思うよ。その時に、篝火でなんとなく人影が揺れてくれれば、それで十分。それでなくとも、兵も提燈片手に走ってくれるかも知れないしね。とりあえず、出来る限り頑張ってみようかな」
リアンは銃を構え、銃身を柵の上に置く。狙いは広場の先にある、建物と建物に挟まれた小道の奥、栃の木の植っている閑地。ここは三叉路にもなっている。まだ火はついていないものの、篝火もあった。
その誰もいない場所に狙いを定め、銃口を胡麻粒単位で細かに移動させる。クララにはよく分からないが随分と時間をかけているので、何らかを物差にして丁寧に調整しているように見えた。暫くして納得がいったらしく、リアンは爪で柵に傷をつける。これが銃身を置く場所の印らしい。
「そこに置いてある袋を取ってください」
「これ、ですか? 少し重い。何が入っているんだろう……」
「なんて事はないですよ。ただの砂袋です。袋に紐がついているでしょう? それを銃床に結んでください」
言われた通りにクララは結んだ。
「そのまま砂袋を垂らして、床にぴったり付く長さになるよう、紐を調整してください」
「は、はい。これは何の意味が?」
「角度の記録です」
クララは成程、と溢す。
「あとはここに傷をつける。教会の人には御免なさいだけど……」
リアンは爪先に合わせ、短剣で床に印をつけた。立ち位置はここで決まり。
「これを基準に、他にも射線が通りそうな場所に狙いを定めます。砂袋は沢山あるので、まあ、出来るだけ。と言っても、この場所からだと、自信を持って撃てると言えるのは3箇所しかないかな……」
「これで、命中させられるんですか?」
「多分。そんなに風も強くないし……」
「凄い。天才みたい」
リアンは慎ましく笑って言う。
「そう言ってくれる人もいるけれど、実際はそんな凄い人間じゃないよ。人よりもちょっとばかり準備が丁寧で、それを苦痛とは思わない性分なだけなんです」
謙虚である。クララはなんだか、立派な人だなあ、と感心してしまった。
「実は、まだまだ準備をしないといけない事がある。ここからがとても時間がかかるんだ」
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