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再会(後)


「……」


 待っても、剣が振り下ろされない。


 クララは祈る手を緩めて、恐る恐る、目を開けた。──黒い兵たちが全員、倒れている。


「え……?」


 クララは立ち上がり、そっと軍服の男に近寄った。呼吸はあるようだが、弱い。いや、それだけじゃない。顔が濡れている。汗、だろうか。いや、汗だとしても倒れている理由にはならない。とにかく訳がわからなかった。一体、何がどうなっているのか。


「クララ? 確か名前を、クララ・ドーソン」


 突如、名前を呼ばれて、顔を上げる。


 逆光の中に立つ影。1人は旅人風の格好をしていて、もう1人は頭巾(ボンネット)をした女の子だった。見つめていると徐々に目が慣れてきて、2人の顔もハッキリとしてきた。


「聖女さま……?」


 見間違えるわけがない。端正(たんせい)な顔立ち、泣きぼくろ、海を思わせる青い瞳。


 海聖は王都にいるはずなのに何故デュダにいるのか、という疑問は浮かばなかった。ただ、会いたかった人がそこにいて、旅の理由がそこにある。それを認めた時、自然に涙が(あふ)れて、拭っても拭っても止める事も出来なくて、そしてクララは大声を上げて泣きじゃくった。


□□


 3人は一先ず人目のつかない所を目指した。教会が良いという話になって、熱心な礼拝者のふりをして侵入。神官の目を盗んで鐘塔(しょうとう)へと登った。


 マリアベルは巨大な(かね)の横で、柵に(もた)れながら街を見下ろす。


 デュダは美しい街である。教会前の広場を中心に、煉瓦作りの街並みが放射状に広がるのが特徴だった。広場から伸びる大通りを辿っていくと、急に道が切れて水路となる。そこから先が、かの有名な『デュダの水路』である。


 この水路のある区域は旧市街と呼ばれており、デュダの大蛇(ハイドラ)が起こした地殻変動によってハックル湖の水が流れ込み、冠水していた。旧市街は(およ)そ13(フィート)(4m)ほど水に沈んでおり、残っている建物の2階部分には人が住んでいて、人々は船で移動する必要があった。太陽の光に照らされる水の街があまりに美しいので、ここを目指して旅をする商人や芸人も珍しくはない。


 旧市街で特に目立つのは、水上に建つ水晶の神殿である。その名の通り水晶で作られており、そこにはデュダの大蛇(ハイドラ)が眠った。


「禁軍が誰かを追っていたのが見えたので、彼らの目的を知るために後をつけたのですが、まさか、追われているのがあなただったとは」


 マリアベルはそう言って帽子を取り、軽く空を見上げた。水の匂いを運んできた秋風が、汗ばんだ額を撫でて気持ちがいい。


 クララはその短い髪を見て少し驚いたが、あえてそれを声にはしなかった。代わりに、自分に何があったのかを、ぽつぽつと話した。


 ウィンフィールドから出てきた事、歩いて旅を続けた事、そして、赤髪の女子を助けた事。ただ、マリアベルを探して旅を始めた事は頭から抜けてしまって、話せなかった。この数日が図外(ずはず)れに激動だったから。


「……あの子は王様を殺してしまったのかも知れません」


 マリアベルは黙ってクララの話を聞いている。リアンも同様だった。


「私はあの子を助けてしまった。私も同罪なんです」


 クララは泣き出しそうになるのを堪えながら、続けた。


「ごめんなさいっ。助けなきゃ良かったんだと思いますっ。人助けなんてっ、自分が苦しくなるだけなのに、それを分かっていたはずなのにっ。わっ、私がっ、甘いから……っ」


「それは違う」


 マリアベルは微笑んで言う。


「あなたは良いことをした。そんな事は言わないで。あなたには、優しいあなたのままでいて欲しい」


 クララは頷く。聖女の言葉に胸が詰まった。


 制札(せいさつ)を見てから、暗くて狭い箱の中をぐるぐる走り回っていた。どうしたいのかも、どうしたらいいのかも、何もかもが分からなかった。出口が無くて怖かった。


 でも、目の前のこの人が今、私を暗い箱の中から救い出してくれた。やっぱりマリアベル・デミは救いの聖女だ。こんなに素敵な人が悪女な訳がない。出会えて良かった。


「でも、その件については()()()が狙われた理由と結びつけて考える必要がありそうですね」


()()()……?」


 クララは小首を傾げてマリアベルの視線の先を見た。そこにいるのは三角座りをする女の子。この子がリアンという名前なのだろうか。男の名前だが。


「第三王子です」


 マリアベルがそう言うと、リアンは少しの間を置き、頬を赤らめてから頷いた。


「はいっ⁉︎」


 クララは驚愕(きょうがく)のあまりに飛び上がった。


「なっ、何でこんな場所に王子さまが!」


 ──いや、待てよ。第二聖女隊には王族がいると、ウィンフィールドで実しやかに(ささや)かれていた気がする。まさか、それが第三王子リアンなのか。いや、それはそれとして、どうしてこんな格好をしているのか。クララは困惑した。


「これは恐らく、ですが。王室内で反乱があったのではないかと私は(にら)んでいます」


「は、反乱?」


 クララは目を丸くして呟く。


「そうか。反乱、か。あるかも知れません」


 一方でリアンは冷静に頷き、思い返す。


 酒場で禁軍に怪しまれた時、兵はリアンの姿をじっと見てから武器に手を添えた。となると、傷つけても捕らえたかったか、(ある)いはこの場で殺すのも良しとしていたかのどちらだが、いずれにせよ慎重さを欠いている。


 だが、反乱であればその行動にも説明がつく。禁軍はすでに何者かの手中に収められており、見敵必殺(けんてきひっさつ)(めい)が下されているのだ。


「反乱ならば歴史がそうであるように、それに(くみ)しない王族は全員殺されます。少なくとも、私が反乱者側の立場ならそうする」


 マリアベルはそう言いながら、自らの首を親指で掻き切る動作を取る。


「リアンは学園に在籍していたし、私と旅をしていたから、王室の事情には(うと)い。また、(めかけ)の子という複雑な立場にあるから、何者かに(かつ)ぎ出されて政治的に利用される前に殺してしまおう、という考えはよく分かります」


 続ける。


「ちなみに、クララの言う赤髪の女子は、火の聖女です。焔聖(えんせい)ニスモ・フランベルジュ」


 クララはまた驚愕してしまって、口をぱくぱくとさせた。確かに神の金貨が置かれていたことから、聖女の関係者ではないかと疑っていたのだけど。


「王を殺したのは彼女じゃないから安心して良いですよ。道理もないし、制札が出るのも早すぎる。まるで、初めから計画していたみたい」


 普通こうした事件が起きた場合、真偽を確かめるのに数日を費やす。また、情報があってもありのままを出せば民が混乱するから、開示には慎重になる領主も多い。


 何か裏があるのは間違いない。苔蔓桃(クランベリー)のロザリオのことを考えると、リンカーンシャー公爵家の政敵(せいてき)が噛んでいるのだろうか。あの家は力を持ちすぎているから、敵も多い。もう一つ考えられるのは、焔聖個人が()められた線。だが、救世の聖女を弑逆者に仕立てて何になるのだろう。今はその利点が思い付かない。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ!」


 クララは授業でついて行けなくなった時のように、ぴんと挙手をした。


「でも、どうして、せ、聖女が、たった1人で街道に? だって、普通、聖女は聖女隊を率いて行動するのでは……」


「何故1人で行動するのか? ですって、リアン」


 マリアベルは薄ら笑ってリアンを見た。リアンも苦笑している。妙な反応だった。


「いや、何というか、そういう人だから、としか言いようがないです。彼女が1人で行動することに関しては、あまり違和感がありません」


「だ、そうです。──ニスモ・フランベルジュは誰も信用していない。自分の隊も、他の聖女も。あれは見るもの全てに噛み付く狂犬と思ってください」


 マリアベルは冷たく言い放つ。どうやら、焔聖の事をあまりよく思っていないようだった。


 クララは赤髪の少女を思い出していた。寂しそうな目と、無邪気で可愛い笑み。優しくて、頭が良くて、薄らと花の香りがして……。なんだか、この2人の反応と自分の知っているあの子が繋がらない。


「……聞きそびれていた事が1点。彼女、怪我をしていたと言いましたね」


 聖女の体は普通、怪我をしたその場で治癒されていくものだった。だがクララの話を聞くに、どうもそうではない。暫く看病が必要なほどに傷ついたのだ。何故だろう。


「はい。その……、関係あるかは分からないのだけれど、あの子の傷口からこんなものが出てきたんです」


 クララが背負袋の中から取り出したのは、小さな宝石だった。マリアベルはそれを手に取って観察する。宝石は楕円形(だえんけい)で、小さな文字で呪文が書かれていた。見る限り、銃弾に似ているような気もする。


 そして見ていると力が抜け、闇雲に気重になる。これが宝石の効果であれば魔道具の類だと思うが、よく分からない。


「チッ」


 マリアベルは小さく舌打ちをした。今の瞬間、考えてしまったのだ。リトル・キャロルの事を。……あの娘なら、この術を知っているだろうか? 意見を聞いてみたい、触って見て欲しい、とつい思ってしまった。


 マリアベルは苛立つ。いつまで経ってもリトル・キャロルの幻影が頭から離れない。髪を切ってまで変わると覚悟を決めたのに、馬鹿みたいだ。


 苛立って、さらに蘇るのは昨晩の卜占(ぼくせん)


 ──輝聖の業を背負え。


 この事件と関係があるのだろうか。ああ、あの娘の顔を思い出してしまって、なんだか胸が重くて苦しい。全身がざわざわとしてくる。この不思議な宝石のせい?


「……一旦、これは預けます。全容を知るのに役立つと思うから」


 クララに宝石を返すと、リアンが問うた。


「これから、どうするんですか? デュダから離れますか?」


 言われて、マリアベルは再び街を見下ろす。先ほどクララを追い詰めていた袋小路には、既に兵の姿はない。誰かが回収したのだろう。


 そして黒い陣羽織(サーコート)の兵は街中を練り歩き、人々に何かを聞き回っている。ここから確認できるだけでも、その数は凡そ15人ほど。


「……禁軍が私たちの行方を探している」


 兵達は焦っているのか、やり方が随分雑なようだった。協力的でない街人の胸ぐらを掴んだり、剣を見せて脅す兵もいる。傍若無人(ぼうじゃくぶじん)とも取れるその振る舞いを、マリアベルは冷たく見下ろしていた。


「なんだかだんだん、腹が立ってきましたね。群れる事でしか価値を発揮できない蛆虫(うじむし)共が調子に乗っている」


 クララはその低い声を聞いて、目をぱちくりと瞬かせた。先程優しく声をかけてくれた聖女と同一人物とは思えないような、怖い発言。


「考えてもみてください。彼らは陸で溺れさせた兵達を回収してなお、私たちを探しているんです。その意味がわかりますか? 顔に膜を張るように水を纏わせて肺を水で満たす、あの繊細な魔法を見て、なおも私たちを捕まえようとしているんですよ。そんな事、この世界の誰が出来ますか? 輝聖か海聖くらいのものです。その私を倒せると思っているんですよ、彼らは。ひどい舐められようです」


 マリアベルが淡々と言うのに、リアンはそろりと割って入った。


「倒れた兵を見ても魔法の詳細がわからなかったのでは?」


「ならば低脳であることの証左(しょうさ)に他なりません」


 海聖はぴしゃりと言う。


「たとえ低脳であろうと、第三王子が海聖と共に行動をしている事くらいは禁軍も調べがついているはず。その上でリアンを狙うと言うことは、私に勝てると思っているんですよね?」


 マリアベルは至極淡々と続ける。


「思い返せば、酒場でのあの態度。剣を見せれば大人しく従うだろうと思ったのでしょうか。この私が。一体何様のつもりなんでしょうか。脳が膿んでいるのでしょうか。梅毒(ばいどく)でしょうか。そもそも、禁軍如きがそんなに偉いのですか? 勝手に他領にまで入り込む権限はないはず」


 マリアベルは涼しい顔のまま、連続で舌打ちを始めた。


「ああ我慢なりません。ピピン公爵領軍はどうしたのですか。我が物顔で街を彷徨(うろつ)かれて、腹が立たないのですか。街人も街人です。禁軍など、父母(ちちはは)の愛をいっぱいに受けて、ぬくぬくと温室で育って、おべっかだらけの家庭教師と遊んで、それで強くなった気になっている大間抜け。なぜ街人は胸ぐらを掴まれて嫌な顔一つしない。媚び(へつら)う。灰汁(あく)で床を磨かなきゃいけない修道女の方が余程苦労を強いられているのに」


 マリアベルには我慢ならない事がある。それは、自分の事を知りもしない誰かに見下される事と、上に立つ程の器でない者が偉そうに振る舞う事。そして彼らの姿は、かつて街人の顔を見て値踏みをしていた自分の姿を思い出させた。それでさらに腹が立ち、マリアベルの(はらわた)は煮えくり返って飛び散りそうだった。


「丁度いい。便所虫に(たむろ)されていると、私たちも(ろく)に行動も出来ませんから、少し遊んであげましょうか」


 リアンが言いづらそうに意見する。


「いや、しかし……。禁軍に対する攻撃は王家に対する攻撃になってしまうのでは……」


「禁軍に対する攻撃は既に行いました。今更です。リアン、銃を準備しなさい。私にいい考えがあります」


 リアンは額に手を当てた。反発したから余計にその気になってしまった。迂闊だった。


 一方でクララは呆然としている。なんだか、あの優しい聖女の姿が一瞬にして消えてしまったようだ。その氷のように冷たい目、血の気のない白い顔、刺々しい気配。何と言うか、アンナが言っていた悪女の雰囲気に近い。


 怖気ついたような表情を浮かべるクララを見て、マリアベルは言う。


「期待していた海聖ではありませんでしたか? 夢を見せ続けるのも残酷なんで言いますが、私には慈愛なんて無いし、人を見て区別はするし、せっかちで自分勝手で、クララの思うような優れた人格は持ち合わせていません」


 そして、悪意の笑みとなって続ける。


「──私、聖女の中では群を抜いて性格が悪いんです」


 クララはちらりとリアンを見たが、残念なことに彼は否定をしなかった。


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