ウィンフィールド
闇の中、馬車は曲がりくねった山道を行く。
「う……、う……」
馬車が小石に跳ねて、その衝撃で犯罪者が目を覚ました。なので、拳を強く握り、槌のようにして顔面に叩きつける。男は気を失う。到着するまで、これを繰り返す。
「す、凄いですね……」
銀髪の女の子は引き攣った笑顔で、くしゃりと潰れた鼻を見ている。きっと育ちが良いのだろう。超が付くほどのドン引きだ。
「仕方がないだろ。今は魔法を封じられる手段がないんだから」
それと、悪事を働いた人間には、自分がいかに小さい存在であるかを身をもって理解させる必要がある。
「……よし、ここらで飯にしよう! 何か栄養を取らなきゃ、元気にならねぇ!」
道中、開けた場所に出たので、馭者の提案により休憩を取る事になった。どう考えてもそんな事をしている場合じゃないが、ウキウキで準備を始めたので従う。彼なりに貢献したいという事だ
馭者はてきぱきと料理道具を取り出し、塩漬けにした山羊肉を焼き始めた。じゅうという油の弾ける音と、多少甘みを含んだ肉の焼ける匂いが、暗い山の中に漂う。
準備の間、私は怪我をした兵士たちの様子を見て、追加で薬を作る事にした。それを兵士達に飲ませ終わる頃には、食事の準備が終わっていた。
「ちゃんと切り込み入れて漬け込んだ肉だからな! 格別だぞ」
当たり前だが、大怪我を負った二人は食べられる状態にない。だから、私と馭者と女の子の三人で食べる。
用意されているのは、焼いた肉と豆を茹でたもの。それと、平たいパン。それに肉と豆の全てを乗っけてがつがつと食うのが、馭者流の最高の食べ方らしい。
「どうだ? 美味いか?」
「……不味くはないよ」
久々にしっかりと腹に溜まる物を食べた気がする。
「あ、あの」
女の子が口を開く。
「頭に何かついてます……」
どうやら私の体はおかしいらしい。興奮すると何故か頭から菌が……、つまり、茸が身体の何処からか、ひょっこり覗くようだ。私は急いで頭頂部を掻き回して誤魔化した。
「顔まっかっかじゃねえか!」
馭者にからかわれる。
「くすっ……。くすくす……」
女の子に笑われる。
全く恥ずかしいというか、情けないというか、イジられるのは慣れてないというか、何というか。とりあえず、虫か何かがついていたのかも、という事で無理矢理に落ち着けたが、二度とこのような事がないよう心に決める。
■■
出発前、もう一度兵士たちの怪我を確認する。まだウィンフィールドに到着するには時間がかかるらしいので、一応包帯を変えておくことにした。
「エリカ・フォルダンです。私の名前」
銀髪の女の子の手当てをしなおしていると、彼女は唐突に名乗った。
「……リトル・キャロルだ」
「えっ。可愛い名前……」
正味、その反応は聞き飽きている。
「でも、あまり小さくないのですね」
こちらも同様に何百回と繰り返された反応だ。私の身長は5呎8吋(174cm)。確かに、リトルではない。
「初めは小さかったんだよ」
要するに、あだ名だ。10歳くらいまで、孤児院では誰よりも小さく、力も弱かった。だから、よく虐められていた。
「本当の名前はなんですか?」
「わからない。とにかく、リトル・キャロルだ」
さあ行こう、と彼女を馬車に乗せる。馭者が馬に鞭を入れ、再び山道を走った。
■■
その後は休みなく移動を続けた。1つ、2つと小さな集落を越えて、夜が明ける頃に、ウィンフィールドの街に入った。朝霧で粉をふいたように白く煙る中だった。
既に街は朝市の時間となっていて、石畳の道は行き交う人々と露店で埋め尽くされていた。怪我人を運んでいるので馬車を降りて行く事はできないから、人を押し退けながらゆっくりとゆっくりと、進む。まあ、さすがに煙たい顔をされた。
ちらりと馬車の窓から見た感じ、露店には実や肉、花、チーズ、動物の毛皮、装飾品など様々なものが売られているようだが、とりわけ多いのは色とりどりの織物。様々な色に染められた糸を綾織にしたもので、この山間の地域ではよく作られていた。
賑やかな市街地をやっとのことで越え、向かう先は牢獄。道の両端に揃えて植えられている杉の並木が、初夏にしては冷たい風に揺られていた。
ウィンフィールドの街からも見えていた巨大な砦か要塞のような建物が、徐々に近づいてきた。なんとなくあれが牢獄だろうとは思っていたが、実際そうらしい。石造りの壁面にはびっしりと苔が生え、朝の光に照って、ところどころ翡翠色に輝いている。
窓から牢獄を見ていると、隣に座っていたエリカが話してくれた。
「牢獄の中にはたくさんの犯罪者もそうですし、心を病んだ人とか、疫病を患った人間も収容されているんです。そうした人と出会すことは無いとは思いますが、念の為、気をつけてください」
「要するに、隔離施設か……」
■■
牢獄の門前、気絶したままの犯罪者を引き摺り出し、門番に渡した。怪我をした兵がいる事も踏まえ、顛末もさらりと伝えおく。
兵が言うに、この犯罪者の名前は『ズィーマン・ラットン』。元宮廷魔術師で、金銭を受け取って王族を殺害しようと企てた。つまり政治犯で逮捕されていたらしい。失敗して逃げ、この領に潜伏していた所を捕らえられたのだそうだ。
その後、怪我人を門番達と一緒に、牢獄内にある小さな教会まで送り届けた。
「適当な薬で処置をしてるから、よくよく経過を観察してくれ」
そして、この牢獄に出入りしているらしい修道女に託す。
「も、もう行ってしまうんですか⁉︎」
そのまま去ろうとしたが、エリカに呼び止められた。
「あんまりこの土地に長居するつもりはないからな」
「でも、まだお礼も何も……!」
私はエリカが言い終わる前に、教会から出た。これ以上足止めを食うと、水の聖女とばったり鉢合わせてしまう。
□□
リトル・キャロルが教会から去った後。入れ替わるようにプラン=プライズ辺境伯が、教会に併設された医務所に駆けつけた
辺境伯は、寝台の上に横たわった腹を抉られた男に近寄り、声をかける。
「良く、生きて戻ったな。……処置は誰が?」
「旅の者が……、薬を……」
深い傷に触れ、様子を見る。若い頃、領を継ぐ事に反発して医師を志していた辺境伯には、多少の医学の心得があるのだ。
傷口を覆う包帯は、うっすらと緑色に輝いている。魔力が傷を癒しているようで、触ると、じわりと熱い。
「……」
続けて、エリカ・フォルダンの折れた腕を確認した。驚く事に、エリカの腕も急速に回復しつつあった。確かな熱を持ち、治癒力が活性化しているようだ。
「……旅人というのは、王族付きの薬師かね?」
「いえ、そんな雰囲気では……。とてもお強いので、傭兵をおやりになっているものと……」
「傭兵稼業で生計を立てる人間が、こうも無駄なく治癒能力を高められるものか」
「え? でも、適当な薬だと……」
辺境伯は重そうに腰を上げ、苦笑する。
「──君たちが飲んだ水薬は、これ以上ない完璧な調合なんだよ」
■■
私は牢獄から出た後、来るまでに通った杉の並木道を徒歩で戻っていた。
口寂しくなって煙草に火をつける。北からの風が吹いて、煙が白く煙る山々にぼやけて消えていった。それを見ながら、あの馭者に待ってるよう言えばよかった、などと考える。まだ、街があんなに遠い。行きはそんなに時間がかかったようには思えないが。
それで、街まで半分くらいの所まで来た頃か。背後から、ぱたぱたと走る音が聞こえてきた。
「ま、待ちなさい。ゼェゼェ」
走って来たのは、やたら図体のデカい白髪の親父だ。大層なローブを羽織っているところを見ると、身分の高い人間なのだろう。
「ゼェゼェ、あまり年寄りを走らせるものではない」
親父は膝に手をついて息を整える。
「礼の一つも言わさんとは、何事かね……」
「ああ、そのことか。あまりそういうのは好きじゃないんだ。気にしないでくれて良い」
「助けて貰ったのは今回の事だけではない」
そして、顔を上げて私を見た。
「話だけでもどうだね。元聖女リトル・キャロル」
「──あー……、そこに候補もつく」
どうやら、事情は把握済みらしい。
■■
やはりこの男は随分と位の高い人間だった。プラン=プライズ辺境伯。名をロジャー・グレイ。誰しも名前くらいは聞いたことがあるような人物だ。
異常発生した蟲型の魔物から城を守った戦『カレンツァ城防衛』や、高い知能を持つ魔物が組織的に攻め込んできた『バンダレイ侵略戦争』なんかで武勲を立てたことで有名で、他にも色々と活躍はあるが挙げていったら切りがない。
巨大な斧を振り回し、魔物を砕いて両断するその働きぶりは、いまだに兵達の語り草だと聞く。
私は牢獄の三階にある執務室に通され、紅茶を振る舞われた。赤い花の描かれた華奢なカップから、ふわりと華やかな、それでいて苦味を奥に感じる香りが立った。図体のわりに随分と繊細な淹れ方をするものだ、と感心しつつ苦笑する。
「良い茶葉がまだ残っていてね。なんと、カレンツァ産だ」
カレンツァは昨年、瘴気に飲み込まれた街だ。
「で、何で私が学園を追い出されたって知ってるんだ?」
私はスプーン6杯の砂糖をカップに入れ、なみなみと牛乳を注いだ。糖分は摂れる時に摂っておくに越したことはない。頭が冴える。
「少し前から調べさせて貰っていたんだよ。獣王と亜人の王の件、心当たりないかね?」
ある。
「立場上、『何が何だかわからぬ』では通らん時もある。少ないヒントを頼りに、聖隷カタリナ学園のリトル・キャロルにたどり着いた」
辺境伯が小麦の菓子を出してくれた。
「そんな折に現れたのが、完璧な治療を兵に施してくれた御仁だ」
「それが探していたリトル・キャロルだという確証はないだろ?」
「あとは勘だよ。年をとれば体力も思考力も落ちる。ひたすらに冴え続けるのは、勘だけだ」
やれやれ、ついに尻尾を掴まれてしまったわけだ。そう思って鼻で溜息をついて、紅茶を飲む。
そうした時、ふと、気がつく。目線を上げた先の窓。雄大な山々の向こう側、空がまるで朝焼けに照らされた麗糸の窓帷のように、柔らかな紫に様々な色を孕んでいる。道を歩いている時には気がつかなかった。非常に幻想的な光景で、美しいとは思うのだが──。
「この街からだと、瘴気の壁がよく見えるな」
「去年くらいから、こうだ。それから間も無く、頻繁に魔物が入ってくるようになったよ」
瘴気の近くは、魔物が活性化すると言われる。理由は定かではない。
「人は襲われ、作物は荒らされる。民には苦労させてしまうわな」
席を立ち、窓から牢獄の裏にある菜園を見下ろす。確かに、魔物に荒らされた形跡がある。魔物避けの柵は見事に破壊されていた。
「追い出そうと魔物に攻撃を仕掛けて、殺されてしまう者も少なくはない。兵たちも必死に対策を練ってはくれているのだがね……」
この領も、瘴気に飲まれる時は近い。
■■
私は執務室に保管されていた無地の羊皮紙と、牢獄の厩舎にいた羊から生き血を拝借した。羊皮紙に血で七芒星式の魔法陣を記し、菜園の橄欖の木に膠で貼る。
「……知らない術だ。古代アリシアの文字か。聖女候補というのは、そんな事まで出来るのかね」
「こんな風貌だが、学園にいた頃は篤学の士だったもんで」
暇さえあれば、図書館に籠ったものだ。親もおらず、育ちも悪く、学のない私は、努力して上回るしか無かった。それでも結局追放されるのだから、我ながら皮肉な話だ。
菜園にあった花薄荷、緋衣草、蒔蘿、夏白菊を摘み、羊皮紙の前に置き、適当に作った聖水を木の周りに振りかける。
「二角獣の死骸も、亜人の死骸も、菌に蝕まれていた。それも懸頭刺股の成果かね? アレは宮廷魔法とも教会魔術とも違う。これだけ長く生きたが生命を扱う魔術など聞いたことがない」
「それについては、私にも分からないんだ」
得てしまったものは否定できない。いままでにない、何かなのだろう。
「……その不思議な力の源泉を探すのが、君の旅の目的かな?」
「目的はないよ。最初はただ、人のいない所に行きたかった。でも何かと巻き込まれちゃってな」
「世捨て人の人助けか。浪漫だな」
煙草に火をつける。清めの香の代わりだ。
「そんなんじゃない。たまたまだ」
「たまたまでは、厄介ごとに首は突っ込まん」
煙が立ち上り橄欖の木が淡く光り出す。術は成功した。しばらくは魔物は寄り付かないだろう。
「──ただ、いい人でありたいとは思っている。追放されても、心は聖女でいたいから」
■■
近くの菜園にも寄って魔除けを施す。農民たちが物珍しそうに見ている。
途中、羊皮紙が足りなくなった。代用として赤い毒茸を生やし、羊の血と鳥の羽をまぶす。魔物にここが死の地だと錯覚させるのが目的だ。この場合、聖水や薬草などは要らない。
幾つか仕事を終え、農民からパンや燻肉を貰ってしまった。勿体無いので断ろうとも思ったが、笑顔で寄越してくれるので、断りきれなかった。せっかくなので切り株に腰掛けて、辺境伯といただくことにする。
「兵から報告があったが、馭者のトムソン君はしばらく滞在するらしいよ。ウィンフィールドで少し商いをやってから、次の土地に行くとな」
馭者。トムソン。あいつ、そんな名前だったのか。
「君も少し滞在してはどうかね。部屋と食事は心配せんで良い」
「私は出るよ。明日にでも」
「水の聖女はまだ来ないよ。他の街の教会を巡ってから、ここに辿り着く」
私がこの街から離れたい理由も、お見通しのようだ。やれやれ。確かに、年寄りは鋭い。
「で? 私をここに留めたい理由は? 何かあるんだろう?」
「君に隠し事は難しいな」
「その言葉はそのまま返すよ」
辺境伯は少し考えて、口を開いた。
「いやはや、礼を尽くしてから話そうと思ったんだがね。……エリカ・フォルダンの事だ。数日で良い。彼女に稽古をつけてやってくれんか」
深刻そうな声色から察するに、どうやらワケありのようだが……。
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