錬金術
ヴィニスター城の謁見の間。壇上、マール伯爵領領主ノア・バトラーは椅子に腰掛けたまま、階段下の陸聖と爺を見下ろしている。
壁際には騎士達がずらりと並んでいた。今回の乱で多くの家臣が斃れ、若者が目立つ。
騎士らの視線を浴びながらメリッサは言う。
「此度アンジェフォード城に攻め入ったのは、逆賊が伯爵を亡き者にせんとする企みを防ぐ為に御座いまする。混乱する城内、敵味方も分からず見境なく攻撃し、伯爵軍に対しても損害を与えたるは、本意にあらずして心痛の極み」
伯爵は黙って聞いていた。口と鼻は鉄性の仮面で隠れているから表情が表に出ず、何を思って聞いているのか、誰にもわからない。
「重ねて詫びると共に、ここに敵対の意図はない事を明言いたします」
並び立つ騎士達の中、ライナスが1歩前に出て声を張り上げる。
「信じてはなりません。陸聖が伯爵に対し、攻撃を仕掛けようとしたことは明白」
ライナスは陸聖率いる第四聖女隊と戦闘。当然、伯爵への攻撃を防ぐ為であった。
ライナスの率いた遊撃隊は奇襲に成功した。その後、陸聖に対して猛撃するも、あらゆる攻撃を跳ね返されて隊は壊滅。ライナスは一騎打ちを仕掛けたが、立ちはだかった爺の前に敗北している。
「何卒、正当な法のお裁きを下さりませ」
ライナスは跪き、伯爵を真っ直ぐ見据えた。
伯爵領として陸聖に出来ることは、貸し与えた土地を召し上げること。また領から追放し、2度と足を踏み入れてはならない、と申し付けることの2点である。
が、伯爵が答えるより先に、首座の横に立つジョッシュが困ったように言う。
「な、なに。メリッサもこう、聖女の身でありながら、頭を下げているわけだし。信じても良いのではないか」
「それでは甘いぞ、ジョッシュッ! あの攻撃を誤魔化せるとでも思っているのかッ!」
ライナスが怒鳴ると、他の騎士達も紛糾した。陸聖の攻撃に巻き込まれて重傷を負った者も何人かいたから、無理もなかった。
蜂の巣をつついたような騒ぎの中、爺が一歩前に出て、跪き、声を張り上げる。
「謹んで言上仕る。此度の不作法については、全てこのアル・デ・ナヴァラの戦略によるもの。ならばこの不始末の責任は主人にあらず、某にあると存じまする」
「ええい、嘘ばかりを並べるな!」
ライナスが爺に指をさして言うが、爺はそちらを見遣ることもなく続けた。
「主人の罪は家臣の罪にございまする。何卒」
「この……!」
さらに調和ならざる謁見の間。ついに首座につく伯爵が口を開く。
「──陸聖を信じよう」
騎士達の全員がぎょっとした。
「なっ……!」
特にライナスは顔を大いに崩し、仰天する。
「これ以上の問答は無用。あらゆる事を不問とせよ」
伯爵はすくりと立ち上がって階段を降りると、メリッサと対等の場所に立ち、瞳をじっと見て言った。
「神妙にして、輝聖を支える事を願い奉る」
「承りましてございます」
メリッサと爺が踵を返し、颯爽とその場を後にしたのを見て、ライナスはわなわなと震えた。他の騎士達も狼狽していた。
「な、何ゆえ許したのですか!」
「陸聖は一国の姫君の身にありながら、さも当たり前かのように輝聖に首を垂れた。その変化に期待する」
ライナスは言葉を失った。あんなものは、芝居に決まっているではないか。我が主人は人が良すぎる。もはや病気の域に達しているような気さえする。
「して、ジョッシュよ。まだ、好いておるのか。陸聖を」
追って階段を下りてきていたジョッシュは、驚いて跳ねた。
「あっ、いやっ、そのっ。父上っ。あー、つまりは、未だ、陸聖か輝聖か、決めかねておりまするっ。どっ、どちらも美しく、なんと言いますか、魅力的にございまするっ」
ジョッシュは嘘をつく術を持たない男であるから、辿々しくも本心を曝け出してしまった。
ライナスは眉間を親指で押さえ、肩を落とし、俯く。この男も、ぼんやりという病気だ。全てに於いて危機感がない。
「陸聖に絞れ」
「へ⁉︎」
思わぬ父の言葉に、ジョッシュはさらに驚く。騎士達も静まり返ったので、唯一ライナスの声だけが謁見の間に響いた。
「なんと仰せか! 陸聖を娶れと⁉︎」
「婚を通じて両国の平和を願う他あるまい。ジョッシュも一応は王家の血を引くから、悪い縁組ではなかろう。カタロニア王家も他に女はおらぬから、突っぱねる事はすまい」
「あっ、あわっ、あわわわわわわっ」
ジョッシュは気が動転してしまって、全身の毛を逆立てたままに尻餅をついた。
「陸聖は傷心にあらせられる。折を見て宴でも開き、ゆるりと癒やすが良かろう。確実に事を進めるために、愛してもらうよう努力せよ」
「お待ちください! 婚を結べば、陸聖はその立場を利用しましょう!」
ライナスは顔を真っ赤にして言う。
ジョッシュは付和雷同な男であるから、もしメリッサを嫁に迎えたら、どうなるか。答えは簡単である。尻に敷かれてぺしゃんことなるのだ。そうなったら、この領はどうなる。カタロニアの属国にでもなるのか。
「案ずるなライナス。婚を通じることで、我が忠義の家臣達が第四聖女隊に介入し、監視をすることも出来る。何にせよ、儂の目が黒いうちは好きにはさせん。婚は鎖と考えよ」
信ずる事は、やがて誰にも断てぬ強固な鎖となる。それはマール伯爵の信念であった。
「いやしかし傷心とは片腹痛い! あの阿漕な女狐が、何に心を痛めるとお考えか!」
ライナスの物言いに、伯爵はからりと笑う。
「乙女の態度は、心を覆う天幕と知るべし」
□□
第四聖女隊はヴィニスターを出立。イリーナコーストへと戻る道中、隊は小さな森の中の湖畔に差し掛かろうとしていた。
「報告によれば、輝聖はマール伯爵の支援を受けて聖都アルジャンナに向かったと」
爺の言葉を聞き、メリッサは小さく笑った。
「大白亜に入るつもりか。重畳至極」
大白亜は教皇が座する場所。だがヴィルヘルム・マーシャルは王都の正教軍大本営にいる。輝聖が大白亜に入るという事は、大きな意味を持った。
「果たして入れてもらえるのか、ですな。今は正教軍が占拠しておりましょう」
「リトル・キャロルはあんな成りで、実は人たらし。どうにかするだろう」
話していると、隊が突然止まった。爺が何事かと問うても返答がないので、メリッサが駱駝から降りて先頭まで行き、様子を確認する。
「何かあったか」
「なんと、駱駝めが言う事を聞かず!」
先頭を任せられていた大杖の翁の乗る駱駝は、ひどく怯えているようだった。それだけではなく、爺やメリッサの前を歩いていた凡そ全ての動物が、恐怖して足を棒にしている。
「あれが気になっているのではないかと」
道の先には、20羽程の鴉が団子のように固まり、同じ物を啄んでいるようだった。
「ただの鴉ではないか」
メリッサは近づく。鴉達はそれに気がつき、青い目をメリッサに向けて首を傾げると、飛び立った。それで、鴉が啄んでいた物の正体が分かった。
「……これは驚いた」
出てきたのは、麤皮の鏡を入れておくべき魔道具、藍の腕である。
アンジェフォード城での戦闘の際、メリッサは勢いに任せて藍の腕を放った。激しい戦闘だったから回収する事が出来なかったが、今こうしてメリッサの前に戻ってきた。不思議なことに鴉に啄まれながらも、傷一つついておらず、姿も変えていない。
遅れて来た爺が、眉間に皺を寄せて言う。
「ほう。面妖な」
メリッサは苦く笑って腕を拾い上げた。
「妾は何からも逃げられぬ、と神が仰せかな」
□□
イリーナコーストの要塞、メリッサの研究室。夕方になると窓から西日が差し込む。海には光の道が出来ていた。
西日は石の部屋にある錬金術用の機材を赤く染め上げ、その良く磨かれた硝子や金属をキラキラと輝かせていた。
机の上に一際輝く機材がある。一つは美しい装飾が施され、びっしりと呪文の彫られた燈。もう一つは人の頭ほどの硝子容器。容器は底が丸くて自立しないから、燈と同様に呪文が彫られた固定台の上に乗せられていた。
容器の中身は白い砂──、に見える物質であった。これは砂に見えるが、容器を傾けるとトロリと移動するから、砂のように見える液体なのであった。液体の内部にはキラキラと銀に光る粒子が見え、それが砂に見せるのである。
この物質こそ『哲学者の水銀』である。これはシモン派錬金術の教典を参考に、『生命の甕』に仮託して作られた、理論的錬金術の果てに出来た産物。つまりは、錬金術の極意『賢者の石』到達の最終段階にあたる物質だった。
メリッサは椅子に座り、その液体をじっと見ていた。暫く経つと、戸を叩く音がした。
「苦しゅうない」
ゆっくりと戸が開く。現れたのは、よくメリッサの錬金術を手伝っている、13歳の若い侍女だった。
「本日のお手伝いは……」
「そうだな」
メリッサは柘榴獣の額石を袋から取り出し、西日に透かす。
「そこの燈に火をつけよ」
侍女はパッと笑顔になって、言われた通りに火をつける。メリッサの手伝いをするのが大好きだから、嬉しい。この侍女にとって錬金術とは、楽しくて、興味深くて、まるで世界に一つだけの宝物を作るような感覚だった。
メリッサは燈の硝子を外して、その火を『哲学者の水銀』の入った容器の下に滑り込ませた。白い液体は熱せられ、粘度を損なう。
次いで、棚にあった金の香炉を取り出す。そこに、今はもう手に入らないとされる麝香を混ぜた香を入れて燻した。部屋の中に煙が立ち込めると『哲学者の水銀』は仄かに光り出す。
「本日は小規模な錬金術なのですね」
「ほとんど出来ているんだ。後は、この額石を入れるだけで良い」
侍女はメリッサの掌の上で太陽のように輝く宝石を見て、綺麗、とため息を溢した。
「何をお作りになるのですか?」
「良いものだ。……そろそろ頃合いかな」
メリッサは完成途中の油絵に被せていた布を取り、それで額石を覆い、樫の槌で砕いた。そしてそれをサラサラと容器の中に入れ込む。
粉となった額石は容器の中で赤く光りながら、さあっと白い液体の中に混ざっていった。白い液体は徐々に色を変え、初めは桃色に、次に苺のような赤色、十秒ほど経つと今度は深みを増して葡萄酒色となる。液体の中では、きらりと弾ける光が、あっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返し、容器の中では蛍が踊っているかのようだった。
「凄い……。本当に、凄く綺麗……」
侍女は興奮で顔を赤らめる。
液体は徐々に魔力を放ち始め、二人の肌をピリピリと刺激した。さらに僅かな風をも生み出し、辺りの資料や本がパタパタと音を立てる。
「一体、何が出来るんだろう」
メリッサは、ただ容器を見ていた。
自身の理論が正しければ、──これで『賢者の石』は出来る。出来る、はずなのだ。
「あれ? 液体の中の光が、弱まっていく」
いや。やめようか。
自分に嘘をつくのはもう、やめよう。
本当は、心の奥底では分かっていたのだ。賢者の石など、存在しない。
確かに、学園に入って暫くは本気で信じていた。だが、知識を蓄えるにつれ、夢は夢として遥か高みに行き、己を置き去りにしていった。
作れない事を認めてしまうのが怖かった。この賢者の石には、多くの民達を巻き込んだから。故に、己には背負いきれない程の希望が、たんと詰まっている。
それを失敗で片付けられる勇気がなかった。確実に迫る失敗を、知らぬふりして心の壁で防ぐことしか、やり方を知らなかった。
作らなければ失敗とはならない。夢を追い続ければ永遠に夢であり続ける。失望されないなら、人々の希望は永遠に希望のままだ。
何かの奇跡が起きて『賢者の石』と呼べるものが生み出されればと思って作り始めたが、そんな都合の良い話があるわけない。別に、己も本気で期待したわけではない。
今こうして作ったのは、輝聖のように前を向きたいが為。それのみ。
「反応は終わったな」
容器の中には葡萄酒色の液体が残った。液体の中で幾つかの光の玉が揺蕩っている。
メリッサは容器を持ち上げてみる。僅かな魔力を感じ、それは不思議と体を芯から温めた。立ち込める香りは甘く、心地よい。不思議な液体であった。だが、それだけである。
「姫様、これは一体……」
「うん? そうだなぁ。よし。『お守り』とでもしておこうか」
メリッサは笑みを浮かべ、近くにあった小瓶にお守りを少しばかり分けた。そして木栓で小瓶に蓋をし、侍女に渡す。
「どうしようもなく苦しい時は、この瓶を握って『どうかお救いください』と念じると良い。きっと、英霊達が何からも守ってくださる」
侍女はぎゅうと小瓶を握り締め、破顔した。
□□
その夜、陸聖メリッサはかつて存在した異国の領を偲んで、アドラー家の鏝を海に沈めた。
□□ 海から来た獅子 了 □□
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