百禽礼讃(後)
菜園に集っていた兵や冒険者たちは、空を見上げていた。その中の一人、父を守る為に奮闘していたジョッシュが呟く。
「砂嵐が、消えよったわ……」
視界を遮る砂が地に落ちたおかげで、周囲の状況がようやく分かった。
まず、魔物はみな骸となっていて、動かない。獅子侯に味方していた兵も倒れているか、魔物が死んだ事で勝ち目がないと戦意喪失しているかで、戦おうとする者はいない。
燃える居城と天守が見える。曲輪にある邸宅なども同様に燃えているが、砂塵が止んだ事で舞っていた砂が落ち、炎の勢いは弱まりつつあった。
「神は我等を見離さなかったか」
傷ついたマール伯爵は、人骨で出来た武器『聖コーワーの矛』を地に突き立て、ようやく腰を下ろすことが出来た。舞踏室で銃弾に貫かれてもなお、自ら武器を振るい敵を倒していたから相当に疲弊した。たとえ矛に使用者の傷を癒やす効果があれど、銃弾に仕込まれていた毒も影響して痛みが激しい。
領の為にと気合だけで戦っていたが、若い頃に武勇で知られた伯爵も、流石に限界を超えていた。死んでいないことと、最後まで動けていたことが自分でも不思議でならないから、くつくつと肩を揺らして笑うしかなかった。
煤だらけの兵たちが、倒れた冒険者を起こす。冒険者たちも、傷ついた兵を手当てしてやる。誰もが確認したわけではないが、みな、全てが終わったのだと認識していた。
なんとか体を起こしたシャーロットは不可解そうに眉間に皺を寄せる。感じないのだ。あの、強大な敵が迫る騒めきを。肌のひりつく危機感を。
「エリカと戦っていたあの女は、撤退、した? それは考えにくい、か。しかし……」
夜明け前の風は閑やかで、仄かな黎明の香りを運んでいた。瑠璃色の空は徐々に色を淡くさせ、東の空際を赤らめてゆく。
庭園近くあった邸宅、それが崩れて出来た瓦礫の山の上、誰かが登る影がある。
それは、まるで作って用意してあるかのような、不思議な瓦礫の山であった。崩れた邸宅は切り立った山のような形になり、白い灰と砂が覆っているので、遠くから見れば銀嶺に似ていた。山にはまだ燃えている箇所が残っているから、それがまるで朝日を照り返す雪のように輝いている。周りの瓦礫も白く化粧されているから、誰の目にもそう感じた。
風が吹いて、瓦礫を登った影、その長い髪が靡いた。見ていた者達はそれで女だと気がついた。女は山の頂点に立ち、抱きかかえていたドレスの少女を降ろして、寝かせた。
ウォルターが呟く。
「リトル・キャロルとエリカ・フォルダンか?」
彼の周りにいた兵や冒険者達が、山の上に注目した。いや、彼らだけではなく、焼けた菜園にいる全員が、黎明の光を背に受ける少女に、自然と釘付けになっていた。
キャロルが言う。
「みな、聞け」
静かな、落ち着いた声だった。なのにそれは全員の耳に届いた。どんなに離れていても聞こえた。奇妙だった。
「アンジェフォード城の城主、通称『獅子侯』エドガー・クロムウェルは、マール伯爵領を略奪せんと謀反を企て、それが失敗に終わるとロングランドから持ち込んだ封印の獣を体に取り込み、幽鬼となって土地を穢そうとした」
聞いている者達は、1歩、1歩と銀嶺の瓦礫に近寄る。
「これらは全て大罪である。よって私の手によって断罪した。後に梟首とし、晒す」
ポツリ、と呟く兵がいた。
「討った、という事か……」
生き延びた貴族が言う。
「あの、準男爵の娘、が……?」
午餐会で意地悪を言った令嬢も、乱れた髪をそのままに呆然とこぼした。
「信じられない……」
マール伯爵も血を流しながら、銀嶺に近づく。それを見て、ジョッシュが慌てて体を支えた。
キャロルは近づいてくる者達を見渡し、やはり小さく言う。
「全て終わった。もう、安心していい」
続ける。
「そして、皆の前に立つのが遅くなって、すまない」
ウォルターはキャロルを見上げた。そして、スレイローの街で出会ってから、今日まで。常々疑問に思っていて、再三問うて来たことを、ここで、もう1度問う。
「お前は……。お前は、何者なんだ……?」
その答えに、時が止まる。
「──輝聖、リトル・キャロル」
静寂があって、ガストンが声を上げた。
「き、輝聖……⁉︎」
エイブラハムも目を見開いて驚いた。
「光の聖女、ということか……!」
シャーロットは信じられないとばかりに、首を横に振った。
「聖女達を導き、瘴気を祓うという……」
ジョッシュは素っ頓狂な声をあげ、あわあわと口を塞ぐ。
「ああ⁉︎ あいや、まさか、そんなことが!」
マール伯爵もまた、声を震わせた。
「なんと。噂では、確かに生まれているのだと、聞いていたが……」
兵も冒険者も貴族も、口々に言う。『まさか』『そんなことがあるのか』『本当なのか』。
「名乗り出るのが遅れた。悪いと思っている」
キャロルがそう言った時、鳥達の群れが空を覆った。鴉、雀、雁、鷺、鳶、隼、鷸、鵜。挙げていったら切りがない。とにかく、山の鳥も海の鳥も川の鳥も、あらゆる場所に住まう鳥が一斉に飛んできた。鳥達は聖女の顕現を眺めに来たようにして、賑やかに空を飛び回る。
ジョッシュは空を見上げて、呟く。
「これは、なんっちゅう、奇怪な」
未だ呆然とする者もいるから、キャロルは繰り返した。その彼女の足元、銀嶺の瓦礫には芽が吹き、緑に染まり始めていた。
「もう一度言おう。私が光の聖女、リトル・キャロルだ。この胸の首飾りは、原典。神の血が入っている」
ここでパチリとエリカが目を覚ました。体を起こして、慌てる。今、夢の中でキャロルが輝聖と名乗ってしまったように思えたが。まさか、夢ではなく現実か。
「キャ、キャロルさん⁉︎ 教皇に敵視されるのが危険だから、隠れて旅をしてきたのに!」
メリッサは歩けぬ爺に肩を貸しながら、菜園に辿り着いた。後ろからは、エリカに倒された四翼の老人が三人。大杖の翁の魔法により、みな一先ずの傷は癒やされていた。
奇しくもそれと同時、別方向から傷だらけのライナスも現れた。瓦礫の上の少女を人々が見上げているのを見て、何事かと訝しむ。
キャロルは仄かに笑って言う。
「正教会がどうとか、神殺しがどうとか、今はそんなのは、どうだっていい気がするんだ」
エリカはパチクリと瞬いた。
「大切なのは、全ての人がちゃんと人であること」
キャロルを見上げる人たちは、鳥たちが頭や肩を止まり木にするのを気にせず、話を聞く。
「それは、今日に於いてはとても難しい事なんだと思う。魔物が跋扈し、瘴気が迫り、人は棲家を追われ、大切な人を失い、目まぐるしく希望と絶望が交わって、それで、人が人でいられるだなんてそんなのは無理だ。クソ喰らえだ」
緑になった瓦礫の山は、いつの間にか素朴な花をつけ、白と青で彩られていた。
「でも、それでも。私は、ちゃんと人でいたい。私以外の人にも、人でいてもらいたい。多くは望まない。それだけで良い。人が人であれば、きっとそこは優しい世界になる」
エリカはぽかんと口を開けている。その頭の上に一羽の梟が降り立つ。馴染みの会鴞であった。
「解せないみたいな顔をするな、エリカ。私は何を考えているか分からないと、よく言われるから、そんな顔をされると不安になる」
キャロルは笑って言う。
「結局のところ、私は尊厳の話をしているつもりだ。もしかしたら世界が瘴気に飲まれて滅亡してしまうかどうかよりも、大切な事だと思っているよ」
恥ずかしさからか、その頭には花冠が生まれ、血に塗れたドレスは花で塗り替えられていた。キャロルは少しばかり赤面しながら花冠をばらし、散らす。それはふわりと風に乗って、何処からか生まれた花吹雪と共に、雪のように兵や騎士たちの上を舞う。
「まあ、頓痴気な事に聞こえると思う。でも私はそんなガキの綺麗事を、ぐだぐだと煙草を吸いながら、いつも考えてしまって……。いい人になりたい、優しくなりたい。みんなにもそうなって欲しい、って。お陰で本を読んでも大して頭に入らない。ロクに寝付ける日も少ない。まったく非効率で、呆れた人間だな……」
頬を赤らめ、真っ直ぐと、前を見据える。
「でも、やってみようと思う。人が人でありやすいような世界を拓く」
大きく息を吸って、力一杯に叫ぶ。
「──私を逃すなッ! 私を意識しろッ! この世界には輝聖がいるッ!」
聞いていた者たちは、一斉に両膝をつき、両手をつき、首を垂れた。マール伯爵も、ジョッシュも、ウォルターも、冒険者達も、兵も、敵兵も。メリッサも、神妙に両膝で跪いた。それを見た爺も少しばかり笑みを漏らして跪き、他四翼達は顔を見合わせた後で、そろりそろりと跪いた。
ライナスもまた、遅れて跪く。というよりも、膝から崩れ落ちたのに近かった。少女の後ろから差す朝日の、その眩しさの中に、今は亡き母親を見た気がしたのだ。
両膝をつくのは、神に敬意を示す場合のみ。それをみなが照らし合わせるでもなくそうした。何故そうしたか、と聞かれれば誰も答えられない。ただ漠然と、そうしなくてはならないと、みなが同時に思ったのだ。
人を止まり木にしていた鳥達は、一斉に羽ばたく。素晴らしき百禽の礼讃であった。
「そして知らしめろッ! ナットウォルズの地に輝聖が起ったとッ!」
※※※
聖歴1663年。
マール伯爵領ナットウォルズに輝聖が現れたという噂は瞬く間に広がった。
ある者はそれを信じて崇め、ある者は否定し、ある者は冗談だと笑った。
輝聖の姿を求めてナットウォルズにまで足を運ぶ信心深い商人も現れたし、実際に見たことはなくても『見た』と言って人気を取ろうとする貴族までもが現れた。さらに、出鱈目に惑わされるなと乱闘騒ぎを起こす者まで現れ、輝聖に纏わる風説を巡り、各地で混乱があった。
輝聖が降臨してから10日後、涼風の節、更待月。王都にある正教軍大本営『魚肚白社』にて公会議があった。参加者は教皇代理ヴィルヘルム・マーシャル、他正教会幹部。また、国王アルベルト二世も極秘に参加したと言われる。
この物々しい雰囲気から、正教会の事情を知る貴族や、正教会の神官達は、教皇と輝聖の間で大きな衝突が起き、果てに戦乱となるのではないかと心配していた。
しかし驚くことに、正教会が選んだのは黙殺であった。輝聖の降臨に対して何の反応も見せることがなかったのである。
これを若い神官はこう推測した。輝聖は今回、アンジェフォード城における獅子侯の謀反を抑え、マール伯爵領を救ったとされる。
さて、マール伯爵という人物は諸侯からの信頼が厚い。もし、この時点で表立って輝聖に干渉しようと軍を動かせば、諸侯の疑念を生んでしまう可能性もある。
別の神官はこう言う。マール伯爵に何らかの罪を被せて信頼を失わせ、輝聖と伯爵を孤立させることが出来れば、諸侯を押さえつけられるかも知れない。たとえば、獅子侯を正義の者として立てるとか、である。
だがこれに対し利口な神官はこう言った。伯爵夫人が王家出身である為そうもいかない、と。後もう一つ、陸聖が輝聖に対して平伏したという噂もあるから、慎重になった説も唱えた。正教会が輝聖を敵とすれば、陸聖が輝聖に味方するのではないか。
これらの事から、教皇代理ヴィルヘルムは模様眺めとして黙殺するに至った、と評価する者が多い。
さて、牢獄に囚われているジャック・ターナーは輝聖顕現の報を聞き、驚いた。そして、心労から色の抜け落ちた髪を、骨と皮だけになった手でわしゃわしゃと掻き乱し『やはり神は全てを見通している』と畏怖する。
ターナーは輝聖が起てば戦乱となると睨んでいた。が、都合の良い頃合いで輝聖が顕現したことにより、逆に正教会の行動を縛るに至ったらしい。もちろん、彼らが未来永劫干渉しないわけではないと思うが、初動を遅らせただけでも奇跡に近い。
これも神のご采配か。なるほど。輝聖が力を蓄えるまで待つものかと思ったが、神は思いの外せっかちでらっしゃる。
考えなくてはならないのは偽神となるべくヴィルヘルムがどういう行動に出るか、であるが。それを考えようとした時、睡魔に襲われた。輝聖が顕現したことの安心で、気が緩んだのだ。眠りの淵、ターナーは思う。もしや、この世界の未来は明るいのかもしれない、と。
──そして涼風の節、暁月。
獅子侯の謀反に加担したロングランド諸侯地方の騎士15名、暗躍していたマール伯爵領軍の騎士三名、以下臣下はマール伯爵の手により梟首に処された。王都を含める3都市でそれぞれ5日間晒した後、首は共同墓地に入れられる手筈となっている。既に晒されていた獅子侯アンデルセン伯爵の首は、この日に共同墓地に埋葬された。
アンジェフォード城でマール伯爵側に味方していたとされる獅子侯の家臣『勝利卿』ウォルター・ヘンドリッジの刑も確定した。誘拐他、謀反への加担などの罪から死刑が適当と言われていたが、輝聖の従者エリカ・フォルダンの書状による嘆願があり、マール伯爵は流刑に処すに留めた。
巷では獅子侯に勝利を齎してきた勝利卿が離れたことで、謀反が失敗に終わったのだと言われているが、それは風説に過ぎない。
翌日、ウォルターはマール伯爵領、エルデルカート諸島、魚鳥島に流された。
なおウォルターを運んだ船はサハンという漁村に寄港。その後、陸聖が匿っていた晴れ乞いの生贄達をウォルターが連れ、ラロッカという小さな集落に送り届けた、と記録には残る。
妙な話ではあったが、この理由は輝聖にあった。輝聖は『出来るならば獅子侯の家臣に責任を取らせるべし』とマール伯爵に忠言し、生贄を返す役としてウォルターを名指しした。罪を免れた獅子侯の臣下も何人かいる中で、何故ウォルターを指名したのかを知る者は少ない。
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