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抱擁(前)

 

 魔導弾は天守と居城に直撃した。キャロルはエリカを伏せさせ、覆い被さるようにして守る。魔法が二人を包み、爆風も瓦礫も防いだ。


 轟音が何回か鳴って、衝撃が地を震わせ、それが一旦収まる。エリカが体を起こした時。目に映る景色は、破壊だけが支配した狂瀾怒涛(きょうらんどとう)の世界であった。


 空から炎と岩壁が降ってきて、炭が赤くなったまま風に舞っている。砂嵐で暗闇に包まれたはずの周囲は、再び紅蓮(ぐれん)を蘇らせていた。


 もはやこれは砂嵐などと表現出来るものではなく、砂と火、炭と灰、そして熱せられて銀砂(ぎんさ)のように輝く硝子(がらす)の出来損ないが、ただ乱れて吹き荒ぶものと成り果てた。名付けるならば戦風(いくさかぜ)とでも言おうか。とにかく死と破壊の全てが狂飆(あらし)となって一寸先をも隠すのであった。


「メリッサめ、派手にやる」


「一体、何をしに来たの……。やり方を考えないと、みんな死んでしまう……ッ!」


 離れた場所で、閃光が走った。


「誰か、戦ってる……?」


「東にマール伯爵領軍が兵器を揃えていた。陸聖を迎え撃っているんだろう」


「領軍が聖女と……。なぜ」


 遅れてガンという爆発音。次いで下から突き上げるような地響き。


「陸聖の目的は、獅子侯とマール伯爵を討つこと」


「え……?」


「領地を奪うためだ。この地を滅びゆく祖国の代わりとしたいんだ」


 エリカの脳裏に、ウィンフィールドの地下墓地で涙を流す子供達の姿が蘇った。それで深く息を吐き、拳を強く握る。


「聖女はどうして、いつもッ! 世界を救う(さだ)めがあるはずなのに! その為の力を神様から授かっているのに! それをこんな事に使うなんてッ!」


 やり場のない怒りが、じわりと瞳を湿らせて赤くする。せっかく止まったはずの涙なのに、また溢れ出てしまう。


「みんな聖女の事を信じて、瘴気が無くなる世界を夢見ているんだ。それなのに酷いよ」


 キャロルはエリカの硬い拳を握る。


「……今から言う事を良く聞いて欲しい」


 エリカは鼻を(すす)って、頷く。


「東の領軍は撃破され、陸聖は城内に入る」


「そんな……」


「だが、これだけ戦場が荒れていると、陸聖と言えども討つべき相手がどこにいるか分からないはずだ。だから、一旦はこの居城(パレス)を目指すだろう。定石(じょうせき)通りなら、な」


 続ける。


「私は獅子侯の元に行き、教会から立ち上る黒い(もや)をどうにかしなくちゃいけない。放っておけば靄が領を飲み込んで、人の住めない土地にしてしまう」


 キャロルは手に、ぎゅうと力を入れた。


「──エリカ、この場を預ける。少しで良いからメリッサを止めてくれ」


 黄金の瞳は炎の色を映して、西陽に似た支子(くちなし)色に輝いていた。エリカは、その冴えた色の奥に深い悲しみを見た気がした。


「メリッサをマール伯爵の元に行かせてはならない」


 エリカは涙を拭う。


「分かりました。10分でも……、いや、30分でも止めてみせます」


 出来るはずだ。視界の悪さを上手く利用して距離を取り、走り回って、出来るだけ時間をかけながら攻撃をすれば。相手が聖女と言えども、出来るはずだ。


 ──キャロルが戻ってくるまで、絶対に引かない。


 決意したが、キャロルは首を横に振った。


「少し粘るだけでいい。1分でも、ありがたい。それまでに戻ってくる。危険だと思ったら、迷わず逃げろ」


 言われて、冷や汗を垂らす。それほどの相手か、陸聖というのは。


 キャロルはエリカの背に回り、肩と肩の間に指を沿わせた。身体強化の魔法を付与するのだ。指先に生まれた仄かな光。その温もりが体を包もうとした時、エリカは一歩前に出て指から離れ、振り向いた。


「キャロルさん」


 エリカは思うのだ。


 どうも陸聖というのは思っている以上に強いらしい。当たり前か。本気のキャロルを相手にするのに近いのだろう。それで、10分耐えるとか、30分耐えるとか、確かに難しいかもしれない。


 それでも。今、胸の中から突き上げてくるこの気持ちは──。


「私は強くなりたい。たとえ聖女が相手であっても、私は私の力で戦いたい」


 真っ直ぐとキャロルを見る。赤い瞳、決意の色。


「身体強化は、いりません」


 キャロルは凛としたエリカの表情を見て、少し呆然とした。


「……そうか」


 そして、理解した。それは遅い気づきであったかも知れない。


 辛いが、間違いない。良かれと思ってエリカの為に仕上げた『身体強化の魔法』が、彼女を苦しめていたらしい。きっと、その事にエリカ自身は気付いていないかも知れない。でも、心の奥底、自分では到達し得ない核の部分に、この『身体強化の魔法』が深く根を張っていた。それが彼女の『強くなりたい』という思いを高めた、1つの大きな理由になっている。


 『共に旅をしたい』『キャロルのようになりたい』という夢や憧れに覆われて、毒は隠れてしまっていた。だが、実の所エリカにとって身体強化は、穏やかで優しげな屈辱(くつじょく)でしかなかったのだ。


 冷静に考えてみれば、それもそうだ。当たり前だ。共に旅をする仲間に引き立ててもらって歩む道など、そんなのは悲しい。


 ──馬鹿だな。気づくのが遅すぎる。


「ごめんなさい。私……、せっかく、キャロルさんが作ってくれたのに」


 仄かな笑みを浮かべて、キャロルはエリカに抱きつく。体をずしりと預けるので、エリカはへたり込むように尻をついてしまった。


「キャロルさん?」


「……私は他人を苦しめてばかりだ」


 エリカは顔の真横、視界の外でキャロルが啜り泣いているような気配がした。それにドキリとして、何かを言おうと口を開きかけた時。キャロルが耳元で言った。優しい声だった。


「海辺で話した事を覚えているか?」


 覚えている。誰からも奪わず、誰からも奪われない。そういう人を、強い人と言う。


「次の相手に関しては不殺(ふさつ)を考えるな。自分の命を守るために、現れた敵は迷わず斬れ。それだけ約束して欲しい」


 キャロルは静かに離れた。その目尻には、きらりと光るものがあった。


「強くならなくて良いとかじゃない。ただ、死んで欲しくない」


 背を向ける事なく後退(あとずさ)り、嵐の中に霞む。


「行くよ。エリカのように、獅子侯と真正面からぶつかってくる。戻って来たら、たくさん話をしよう。まだまだ話したい事があるんだ」


 徐々に姿が見えなくなる。


「なるべく、急ぐ」


 キャロルの姿は炎の嵐の中に消えた。ただ破滅だけがある世界に、エリカ1人が取り残された。


 周りには妙な静けさがあった。厳密に言えば静かなわけではないが、それでも静かに思えた。ぼうという火の音と、びゅうという風の音だけが鳴っている。最前あった轟音はない。銃声もない。悲鳴も断末魔(だんまつま)もない。そのせいで、妙に静かに思えた。


 いつまでも呆然としている場合ではないと思い、立ち上がる。腰に手を当てたところで、剣とボウガンを捨てた事を思い出した。何か武器になるものはないか、と辺りを見回して、あったのは獣人(ワーウルフ)の使っていた弓。落ちていた矢も拾っておく。他に武器はない。


 この弓だけで、陸聖を止められるのか。いっその事、黒曜(こくよう)の剣とボウガンを拾ってくるべきか。どの辺の場所に捨てて来ただろうか。通りを走ってこの広場まで来たから……、こっちの方面にあるはずだ。走って取りに行くか。いや、どうだろう。ここから動いて良いのか。陸聖は居城に現れる、とキャロルは言っていた。


 走りに行って、武器が見つかるだろうか。瓦礫に埋もれてしまったのではないか。だが、流石に弓一つというのは……。


 そうだ。耳飾りも捨ててしまった。キャロルから貰った大切なものなのに。拾いに行きたいけど。ええい、どうせ剣も無いのだ。拾いに行ってしまえ。それくらいの時間はある。


 でも、見当たらなかったら。そもそも、こんな視界が悪い中で探せるはずがないか。少し先も炎と砂でハッキリとしないのだから。


 ──なんか、変だ。考えが纏まらない。


 冷静に考えて行動をしようとしているようで、まるで地に足がついていなく、何の行動にも移せない。慌ただしく是か非かが頭の中で巡って、それで、先がない。


 緊張、興奮、使命感。その全てが、自分を掻き消していく感覚。そして今更の危機感。


 汗が頬を伝う。


「……!」


 つきんとした視線を感じた。それは殺意、とでも言えば良いか。とにかく心が騒めいて、何か、痰が絡むほどに強烈な圧を感じる。


 胃が重くなる感覚。(おこり)のように足が震える。目が乾く。立っているだけで、息が上がる。身体が芯から火照って来た。ゆるりとゆるりと、視界が反時計回りに傾いている気もする。


「──何か来る」


 炎の中で、何かが冷たくきらりと光った。それを認識した瞬間。額を目掛けて矢が一直線に飛んできた。


 エリカは地を蹴って避ける。転がる。転がった場所に、1つ、2つ、3つと矢が刺さり、それがキンと小さな爆発を起こした。このままではいつか爆発で弾き飛ばされると思ったエリカは、意識を集中させ、4発目を素手で掴む。すぐに弓を構えて、その矢を放ち返した。


「……ハァ、ハァ!」


 手応え、あった。炎の中で揺れる影があって、倒れるように消えたから。矢を放って来た敵に直撃はしたはず。でも、倒れた音も、爆発音も聞こえなかった。それは、何故──。


「あれ……? 耳が、聞こえない……!」


 ここで気がつく。耳鳴りがしている。キーンという音で、何も聞こえない。


 そうか。放たれた爆発矢、元より攻撃のためではなく、聴力(ちょうりょく)を奪うためのもの。


「マズい」


 汗が目に入り、視界が霞む。


 目を拭った瞬間、嵐が割れて大槍を持った老人が突撃して来た。エリカは鋭く息を吸い、避け、柄をつかむ。己が手を滑らせ、老人の指に指を絡めて、折る。さらに老人の膝に蹴りを入れて、砕いて倒す。


 次いで、炎の中から光弾(フレア)が飛んでくる。息もつかせぬ連続攻撃。


 エリカは大槍を奪い、伏せて避けた。光弾が着弾した後方で、激しい爆発が起きた。


 急いで立ち上がって反撃に移ろうとしたが、足元、地面が盛り上がる。鋭い(とげ)が生えて、身を貫こうとした。エリカは転がって避けたが、そこにまた光弾(フレア)が飛んで来る。このまま避け続けて良いことは何もない。


「……引くな、攻めろッ!」


 むしろ光弾に向かっていき、それを避けながら炎の中の敵に向けて大槍を投げた。槍は大杖の翁に直撃。倒したらしい。


 だがエリカは気がつく。槍を投げた瞬間、炎と砂の嵐の中に一瞬、人影が見えた。それはつまり──。


「あと1人、いる! どこ⁉︎」


「──後ろだ」


「ッ‼︎」


 聴力を失っているせいで声は聞こえなかったが、背後からの気配は察した。すぐに振り向く。老人が鉄板のような大剣を大きく振りかぶっている。──その者、陸聖メリッサが爺と呼ぶ男、第四聖女隊所属、アル・デ・ナヴァラである。


 エリカは屈んで斬撃を(かわ)す。爺の剣圧は周囲の炎や瓦礫をも吹き飛ばした。エリカも完全に避けていたはずなのに、強烈な剣圧に巻かれて、浮いて、倒れる。


「なっ。何、今の攻撃……っ」


「ほう。よう避けた。冒険者か? いや、その格好を見るに……、貴族の令嬢か」


 爺は、顎を指で撫でてエリカを見下す。


 エリカはよろよろと立ち上がる。そして、その手に掴んでいた、華美な彫刻の施された曲刀(シャムシール)を構えた。


 爺は自らの腰に下げていた曲刀が(さや)だけになっていたのに、目を丸くして驚いた。


「おお! 手癖(てぐせ)が悪いのう。令嬢の身にて、良き武人なり。稽古(けいこ)()は誰ぞ!」


 聴力が徐々に戻って来て、言っている事が分かった。が、エリカはこれに答える義理はないとして、正面から爺に迫る。


「──ああああああああああッ‼︎」


(いさぎよ)し!」


 曲刀と大剣がぶつかり合う。カッと火花が散る。余程仕上がりの良い曲刀なのか、質量差の大きい攻撃を真っ向から受け止めた。


 エリカは素早い剣捌きで爺の急所を狙うつもりだ。つまり手数勝負だった。だが、爺は大剣を縦回転させて曲刀を弾いたり、盾として活用したりなど巧みに操り、エリカの剣をまるで寄せ付けない。


 攻めあぐねていると、大剣による連続攻撃が来る。エリカはなんとか受け流すが、一撃の重さに攻勢に転ずる事できず、防戦一方となった。


「その曲刀(シャムシール)、我が王より貰い受けた宝剣。名は『サク・アルマク』という。人類の敵を討ち滅ぼさんと国王自ら(はがね)を鍛えた、カタロニアの魂なり。(おそ)れ多き剣(ゆえ)、決して地につけるでないぞ、小娘ッ!」


 エリカは隙を探す。


(私、また弱腰になってる! なんとか、攻めるんだ! 攻められるはずだッ!)


 腕が痺れる。足に力が入らなくなって来た。肩も外れそうなほどに痛い。息をするのを忘れていたのか、体がふわふわする。早くなんとかしないと。倒すには攻めるしかない。相手は老いぼれなんだ。どこかに隙はないのか。


(──見つけた!)


 この老いぼれ、若干、左脚を庇うような仕草を見せる。つまり右に剣を振りかぶり、左脚に重心を乗せた時、隙が出来る。


「今ッ!」


 エリカは爺の懐に入り込む。爺の振う大剣は(くう)を切った。エリカは爺の腕を掴む。そして全身で捻って、背負うようにして投げた。


組討(くみうち)だとッ⁉︎」


 爺を勢いよく地に叩きつけ、全体重をかけて腕をへし折る。これで大剣は握れまい。駄目押しで(くるぶし)を踏みつけて砕いた。爺は腕と脚を押さえて転がる。


「ハァハァ……、ハァハァ……」


 倒した。倒したが、休んではいけない。とりわけ大きい気配が、こちらに近寄っている。まるで、巨星のような。


「老いたな、爺。カタロニア(いち)の剣士がそれでは笑われるぞ。国の威信(いしん)に関わる」


 炎と砂の嵐の中、凛々(りり)しい女の声がした。


「もう何十年も前の話にござりまする。あと2歳若ければ、こんな小娘。やれやれ」


 姿が明らかになる前に、エリカは攻撃を仕掛けた。曲刀を拾い、声のする方に勢いよく投げる。──投げて、2秒。驚くべき事が起きた。


「……え?」


 投げたはずの曲刀が、己の体、肩に近い右胸のあたりに深く刺さった。それを認めた時、間欠泉(かんけつせん)の如く血が吹き出た。生暖かい血が顔を真っ赤に染め、膝をつく。


麤皮(あらがわ)の鏡は魔道具であって、魔道具でなし」


 砂の嵐の中、影が徐々に色を帯びて、姿が露わになる。その背の高い女は優美な長衣に身を包んでいた。


(これが、陸聖メリッサ……ッ)


 手に持っているのは仄かに光る動物の皮。それが濡れたようなものだった。一体、これは。


「鏡は最強の盾と知るべし。剣でも槍でも、矢でも魔法でも、あらゆる災厄を跳ね返す。この麤皮に防げぬものはない」


 エリカは肩に刺さった曲刀を抜こうとしたが、抜けない。刃が肩甲骨を貫いているから硬い。言うまでもなく、痛い。無理だ。


 抜くのを諦めて、爺が用いた大剣を両の手で握り、立つ。再び肩から血が噴き出た。


(なっ……! こんなに、重い……!)


 重量に、戸惑う。それこそ、本当に鉄の板を持ち上げたような。老人が器用に振るえるのだから私も、と思ったが。操れるだろうか、こんなもの。いや、それでもやるしかない。陸聖をここで止めると、約束したのだから。


 エリカは歯を食いしばり、駆けた。渾身(こんしん)の力を込め、メリッサに向けて大剣を振るう。が、ひらりと避けられ、胃に膝蹴りを入れられた。


「あっ!」


 鋭い蹴りだった。巨大な蜂に刺されたと錯覚するほどに。1点に集中した打撃。それも、確実に胃だけを打った。


「カフッ……」


 竜と戦った時にも内臓を痛めたらしいが、苦しさはその比ではない気がする。それも当然だった。人体の構造を知る者による、敵を効率よく屈服させるための渾身の一撃なのだ。


 なんとか倒れまいと大剣を杖にして体を支えるが、そこから動く事が出来ない。なんて、凄まじい攻撃。こんなの、受けたことがない。魔力を感じないから、身体強化がなされている訳では無いと思う。素の力でこれだ。


「お゛っ、オエッ……! ゲボっ」


 血の混じった吐瀉物が口からも鼻からも出た。涙も止まらない。(よだれ)も同様。息もまともに出来ない。『痛み』というのは、これ程までに人を蝕むのか。


「もはや動けまい」


 エリカはそれでも腕を振りかぶり、メリッサの顔面に拳を叩きつけようとする。が、腕を掴まれ、もう一度同じ場所に拳を入れられた。また、びしゃびしゃと吐瀉物(としゃぶつ)を撒き散らす。


「大した胆力。だがお前はもう負けているのだ。剣が肩に刺さった、その時からな」


 もはや目の前の女が何を喋っているのかも、エリカには分からなかった。頭が回らない。


(くだ)れ。四翼(しよく)を倒した実力、見事である。妾の元に加われば重宝してやっても良い」


 メリッサが笑みを浮かべて言ったその時だった。エリカは白目を剥きながらも、掴まれていない方の腕で再び肩の曲刀を掴む。──勢いよく、抜いた。抜刀の要領で、そのままメリッサの脇腹を肋骨ごと深く裂いた。


 血でぬらりと滑って、手から曲刀が飛んでいく。武器を無くしたエリカは、咄嗟(とっさ)にメリッサの右耳を掴んだ。もうがむしゃらだった。それと同時に、メリッサはエリカの腹を貫かん勢いで蹴り飛ばす。3度目の胃への打撃。


小癪(こしゃく)な……」


 蹴り飛ばした勢いで耳を引きちぎられたので、メリッサは思わず苦笑する。


 エリカは激しく飛んでいき、居城(パレス)の壁に勢い良く叩きつけられ、そのまま倒れた。1秒、2秒。ピクりとも動かない。


 メリッサは脇腹を手で圧迫し、血のような砂のような、辰砂(しんしゃ)の粉に似た、とにかく血の代わりの赤黒い何かが噴き出すのを止めようとした。耳のあった場所からも同様に赤黒いものが噴き出している。


 肺も傷つけられたか、口から()も出る。手に付いたそれを見てメリッサは一瞬だけ(ほう)けた。まだ、己にも人の血が残っているのかと。


 その一瞬の隙。倒れるエリカを何者かが素早く攫っていった。月影のシャーロットである。


「生きているのか、死んでいるのか……!」


 エリカを脇に抱え、走る。足の裏に硝子が刺さろうとも、瓦礫が刺さろうとも、とにかく、遠くへ。


 シャーロットは居城から脱出した後で、偶然エリカの戦いを目撃し、瓦礫の陰で身を潜めて戦いの様子を見ていた。(しか)るべき時に加勢したかったが、戦いの水準(レベル)が高かったのと、怪我をしている身で出ていくと逆にエリカを邪魔してしまう恐れもあったから、迂闊な真似は出来なかった。


「……チッ!」


 シャーロットは背後から飛んできた鉄の輪(チャクラム)を剣で弾き、そのまま戦線離脱。


 メリッサは次に放つつもりだった鉄の輪を、クルクルと人差し指で回しながら呟く。


「逃したか」


 目線、教会の方角に向ける。今まであった、強烈な死の気配が消えていることに気がつく。


 (おもんみ)るに、あれは呪詛的(じゅそてき)な意志。恐らく、意志の中心にいるのは、今回の乱を引き起こしたであろう獅子侯。マール伯爵のような潔白な騎士が呪詛に頼るとも思えないし、獅子侯の気持ちを考えれば、全てを呪ってやろうとするのも、まあ分からんでもない。


 獅子侯は倒されたか。となると、後はマール伯爵まで辿り着く事が出来れば、目的は達成できる。


 さて、そのマール伯爵が何処にいるかだが、この破壊し尽くされた本丸には居なさそうだ。避難しているか、何処かで指揮を取っているか。伯爵なら考えるべくもなく後者か。


「──追えば伯爵の元まで案内してくれるかも知れない」


 メリッサはシャーロットらが消えていった方に目をやる。

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