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不良聖女の巡礼  作者: Awaa @ 6月25日第三巻(上)発売
□海から来た獅子□

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大砂塵(後)


 南の菜園方面に走ったつもりだったが、エリカが入り込んだのは西の丸、即ち曲輪(ベイリー)であった。曲輪は入り込んできた敵を待ち受ける、街の形をした防御区画。狭い路地があって、屋敷が立ち並び、入り組んでいる。


 建物は高く設計され、周囲の状況を把握させない。走れば走るほどに、自分の位置も分からなくなる。そこに獣人や合成獣(キマイラ)まで現れ、斬り伏せながら走るのだから、尚更だった。


 南には菜園があるはずなのに、一向にそれが現れない。違和感に(さいな)まれ、一先ず城壁内の全体を把握する事に決める。適当な三階建の屋敷の中に入り、露台(テラス)から屋根に登って辺りを見回す。それで、エリカは目を丸くした。


「……凄いことになってる。まるで戦争だ」


 見渡す限りの炎。屋敷や石蔵、工房(アトリエ)に包まれた曲輪の中ではあまり感じなかったが、真夜中のはずなのに、炎のせいで明るい。


 まさか、これ程の事になっているとは。獅子侯の兵が逃げる伯爵の道を塞ごうと、火をつけていったのか。


 領兵の旗が見える。別々の場所に掲げられているから、それぞれの部隊がそれぞれに戦闘を行っているのかも知れない。


 他にもたくさんの冒険者組合(ギルド)の旗が見える。どうやら『胡獱(とど)の会』や『白い帆船会』だけでなく、近辺の組合が勢揃いしているらしい。


「襲われた伯爵たちは……」


 見えた。南側の菜園、城壁の風車の近く、バトラー家の旗がはためいている。堀を2つ越えた先にあるから、ここからだと距離は遠い。


 隠れる事なく旗を立てているのは、必死で戦っている兵の為に、自分が健在である事を示しているから。エリカはすぐに、そう察した。


 キャロルは伯爵の元で戦っているのだろうか。獅子侯も、どこへ行ったか。この炎の中で、何をしているのだろう。


 そう思った時だった。


 突如、ゴオという音が響いて風が吹いた。エリカには、これはただの風の音ではない事がすぐに分かった。翼が空気を押し上げる音だ。


 東の空を見る。夜空より深い黒煙と、羽虫の如く湧いて舞う火の粉の中、何か巨大な黒い影が羽ばたきながら、こちらに向かってくる。


「──竜」


 エリカは生唾を飲み込み、一歩、退いた。がらり、と瓦が滑り落ちる。


 巨大な竜はエリカの上空を過ぎ去り、居城を貫くように高く聳える塔、即ち天守(キープ)に、その四本の足を下ろした。天守の上部が重さに耐えかねて半壊するも、頑丈な作りであったから、なんとか竜の巨体を支えた。


 竜が天守の上で翼を広げて天を仰ぐ。牛のような角が四本。それが三日月の如く黄色く輝き始めた。長い一本の尾っぽが、ブラブラと所在なさげに揺れる。全身を覆う濡れた岩のような黒い鱗が、ぬらりと怪しく光った。


『キィィアアアアアアアッ‼︎』


 咆哮(ほうこう)。鉄板を引き裂くような音。


「なんで、こんな所に竜が……ッ!」


 言って、思い出す。確かこの地には雷竜フォルテという竜が巣食っていた。それを退けたのは、獅子侯。と、いうことは。


「まさか、雷竜……。きっと、あの竜には焼印がある。操られているんだ……っ」


 竜が後ろ足で立ち上がる。徐々に角の光が増し、一定を超えるとパンと弾けるように閃光を発した。すると天から雷が落ちる。旗を立てている部隊の幾つかに直撃。側にいた冒険者や兵たちを弾き飛ばした。


 エリカの目にも千切れて飛んだ人の姿が見えて、ワナワナと震えた。──今の一瞬で、何人が死んだろうか。


 雷が落ちたのは旗だけではない。旗がない所にも落ちたように見えたから、鉄製の武器や鎧を装備していれば雷の餌食になるのだろう。


「どうしよう……!」


 手が急速に冷えてきた。肩で息をする。


 装備をしていない冒険者や兵などいない。このままでは雷に打たれて、どんどん人が死んでいく。今のように、一瞬のうちに肉塊が出来上がって、散らばっていく。


 伯爵もそうなるだろうし、ウォルターもシャーロットも、葦旗会(あしはたかい)の冒険者も、ガストンもエイブラハムも死んでしまう。


 別れ際の皆の顔が脳裏に過ぎる。早く、あの竜を何とかしなくてはならない。


 でも、でも。相手は竜だ。竜の強さは嫌になる程知っている。あの邪竜退治のような真似を、果たしてもう一度出来るだろうか。


 ハッキリ言って、竜と戦って生還したのは奇跡に近い。これは自分を過小評価しているわけでも何でもなく、キャロルが救ってくれたから今こうしてこの場に立っているだけ。


 しかも、あの時は万全の状態で戦うことが出来た。今はどうだろう。これまでに何体もの魔物の肉と骨を断ち、腕や脚の筋肉も張っていて、疲れがある。そんな状態で竜を倒すだなんて。


 蘇る邪竜への恐怖。母の幻影。不気味な竜の子供達。首だけになって動いた時の、あの死んだ魚のような目。


 ──無理だ!


 エリカはギュッと目を瞑って、深呼吸をする。騒めく心を落ち着ける。不安を心の中の箱に仕舞い込む。


「……無理でも、やるしかない!」


 目を開き、天守(キープ)を見上げる。雷竜は再び咆哮を上げ、角に力を溜めているようだった。もう一度、落雷を起こそうとしている。


「倒すには、あの柔らかそうな腹を裂く」


 が、どうやって近寄る。今いる屋敷の屋根から飛び降り、迷路のような曲輪(ベイリー)を抜けて、居城へ続く通りに出て、居城正面の広場まで行き、また居城に入って燃え盛る廊下を走り、天守(キープ)への道を探り、その天守の階段を駆け上らなくてはならないのだ。


 何分かかる。その間に、何人の人間が雷に打たれて死ぬ。


 天守に行くまでどれだけの体力を消費する。竜と戦うその時、脚は動くのか。


 そもそも天守に登れるのか。竜の足元、崩れている。果たしてそこは戦える場所か。


 死にに行くだけじゃないのか。


「今は考えている場合じゃないんだ……!」


 自分に言い聞かせて、エリカは屋根から飛び降りる。地を蹴り、力走。迫り来る獣人たちを蹴散らす。細い道を駆け抜けて、居城へ続く大通りに出る。顎を上げて走れば、正面に天守が見えた。雷竜の角が、また三日月のように光っている。


「……!」


 指先に静電気。自分の体が帯電しているのが分かる。金属は危ない。剣を捨て、ボウガンを捨て、キャロルから貰った耳飾りを捨てる。竜を倒しに行くのに武器を持たずして駆けるその無意味さに、エリカは気が付かない。焦りに(おぼ)れていた。


 だが、それでも体が帯電したままだ。髪が頬に当たり、ピリリと刺激がある。


 そうか。雷竜は望み通りの場所に雷が落とせるんだ。装備なんて関係ない。そして、近寄ってくる私を殺すつもりだ。


 雷に打たれれば終わりだ。邪竜の時のように、腕が千切れたとかいう次元の話ではない。体は四散して、確実に蘇生叶わない。


「うわああああああああッ‼︎」


 エリカは叫んだ。叫んだところで足は速くならない。だが、何とかしなくてはという思いだけが先走って、どうしようもない声となって出てくるのだった。


 その時、(はやて)のような速さでエリカを追い越す一つの影があった。その者はドレスを纏っていて、正面、竜のいる天守に向かっている。


 一瞬、舞踏会に参加していた令嬢が逃げまとっているのかと思ったが、すぐに頭の中で否定した。どう見ても、ただの令嬢の動きではない。軽やかすぎるし、あまりに敏捷(びんしょう)


 間違いない。あれは。


「キャロルさん……ッ‼︎」


 キャロルは高く跳び、居城の屋根に乗ると、跳んで弾んで、半壊した天守を蹴り上がり、竜の眼前、突き出た鼻の上に乗った。


 そして、小さく問う。


「──汝、名を名乗れ」


 あとは、一瞬であった。


 竜の口から血がごぼりと漏れたかと思えば、腹が溶けて穴が空き、臓物がぼとぼとと垂れて出て、天守を伝い始めた。翼膜(よくまく)も穴が開き、翼は骨ごと腐り落ちた。歯がぼたぼたと落ち、次いで目が溶けて、鱗が浮いて流れ落ちる。手も足も腐って、尾は千切れて落ち、角はパチンと激しく放電しながら天守から転がった。その放電で、竜の体の一部が爆ぜた。


 竜は腐った体を保つことが出来ず、右に傾きながら肉体を崩壊させ、居城の上に寝るようにして倒れた。なおも体を腐らせ、体の組織を建物にずるずる滑らせて落としてゆく。焼ける居城に体液が降り注ぎ、じゅうと沸騰(ふっとう)して、凄まじい臭気を放った。


 腐って転がった竜の頭が、居城前の広場に落ちた。遅れて、キャロルが側に降り立つ。


 エリカは足を止めることなく彼女の元に駆け寄った。膝に手をついて息を整え、キャロルの顔を見る。すると今まで気が張ってたのが少し解かれたのか、まだ事が終わってもないのに、エリカの目からは涙がサラサラと溢れ出た。


「キャロルさん、その傷……!」


 ここでキャロルの黒いドレスが、より深みを増して赤黒く(つや)めいているのに気がつく。その上、ドレスに複数開いた焦げついた穴を見れば、血の気が引いた。


「問題ない。手ひどくやられたから、少し処置させてもらった。もう普通に動ける」


 キャロルを貫いた弾丸は鉛玉(なまりだま)。鉛は柔らかいから体の中で変形し、肉を深く抉る。さらに弾には(えい)の毒が仕込まれていて、凄まじい激痛が走った。獅子侯を追おうとしたが、痛みが邪魔して息ができず、取り逃した。


「本当ですか? 本当に大丈夫なんですか?」


 キャロルはエリカの頭を撫でる。


「本当だ。芥子(けし)も食ったから、痛みはない」


 仄かな笑みを浮かべて続ける。


「エリカ。伯爵らは南にいる。何人かの兵が守っているが、敵が多すぎる。すぐに向かって欲しい」


「キャロルさんは……」


「私は決着をつけなくてはならない。私の弱さ故に生み出してしまった獣と」


 そう言って、北の方角を見る。燃えて崩れる居城の先。炎で赤く染まる教会から、何やら煙とも湯気とも陽炎とも違う、黒いもやもやとした何かが溢れていた。


「な、何あれ……」


 何だかは分からない。分からないが、エリカの背筋に悪寒が走った。あの(もや)、見ているだけで寒気がする。まるで全身の細胞が、近寄るなと言っているような。


「あそこに、獅子侯がいるんですか……?」


「だろうな」


 教会は次第に姿を隠し、見えなくなる。風が吹いて、ざあと砂の打ちつける音が鳴り始めた。辺りの何もかもが見えづらくなって、そこら中を焼き尽くす炎も隠れ、闇が覆い被さる。


「暗くなってきた。獅子侯は一体、何をしようと……」


「いや、暗くなったのは獅子侯の仕業ではないな」


 キャロルは顔の向きを変えて、じっと遠くを見る。その方角、東。


「──砂嵐だ」


 エリカはゾッとした。鳥肌が立つ。砂嵐ということは。それは──。


「流石にこの機会を見逃してはくれないか、メリッサ」

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