戦闘
風の強い日だった。私は砂埃を避けるようにしてサマセットの目抜通りの食堂に入り、ライ麦パンとポタージュを食べていた。すると、ふと、背後から噂話が聞こえてきた。
「地下闘技場の噂を知っているか?」
「ああ、とんでもなく強い女がいたってな。冒険者組合のお偉いさん方が来て、スカウトをかけようとしてるらしい」
私はエールを一気に飲み干し、足早にその店を出た。
その足で本屋に向かい、菌糸に関する本を探っている時だった。ふと、軒先から、噂話が聞こえてきた。
「おい、聞いたか。例の亜人の巣、壊滅したらしいぞ」
「放浪魔術師の噂だろ? 王城を追われて、民間の仕事を受けて小銭を稼いでるんだとか」
私は何も買わずに店を出た。
目抜通りを外れて、裏路地を歩く。空いた窓から、男達の声が聞こえる。酒場のようだ。
「おい、聞いたか。大変だぞ。街に聖女がやってくるらしい」
「今、俺たちもその話をしてた所だ! ウィンフィールドに水の聖女だぜ! こんな田舎に、信じられるか⁉︎」
「一目だけでも見てぇな。伝説の聖女、すっごい綺麗なんだろうなぁ」
私はこの領を出ることに決めた。
■■
杉のうろに集まっていた、森の動物達に別れを告げる。
「この辺りから出ようと思うんだ。悪目立ちが過ぎたな」
そう言うと、鹿や兎、鳥たちが、ぴたりと擦り寄ってきた。離れづらくなる反応をするなという意味を込めて、兎の尻をぽんぽんと叩く。
傷心の私を癒してくれていた礼と言ってはなんだが、最後に森を周って木々の根本に菌糸を仕込んだ。季節が巡れば、しばらく食うものに困らなくなるだろう。魔物に襲われる前の数に戻ってくれるよう願う。
「じゃあ、仲良く暮らせよ。何かあったら、すぐに飛んで来てやる」
その日のうちに森を出る。持ち物は、背負袋一つ。街で買った旅の外套には、皮の財布。
街道に出て適当な馬車を探し、手を上げて止める。労働者らしい引き締まった体をした、気さくそうな金髪の若い馭者が御者台から身を乗り出して言う。
「行き先は? マール領までなら連れて行くぞ」
「助かる。どこでも構わない」
マール領とは、正しくはマール伯爵領のことだ。プラン=プライズ辺境伯領の隣に位置する。大きな港町がいくつかあって、陸路に於いても交易の中間となっている為、発展している街が多い。
■■
移動して数時間が経ち、馬車がゆっくりと止まった。
「どうした?」
止まったのは、山道だった。あたりは既に暗くなっていて、人の気配もない。昼間とは違って風もなく、しんと冷えた空気だけが漂っていた。
若い馭者が、たどたどしく言う。
「いや、それが……。参ったな……」
馬車を降りてすぐに、停車した理由がわかった。前方に、ひっくり返って壊れた馬車があり、道を塞いでいる。
提燈を持って壊れた馬車に近寄ると、その灯りに使われている獣油の生臭さよりも強い血の匂いが、鼻についた。
私が慎重にそれを照らすと、後ろをついてきていた馭者が情けない声を上げた。
「ひいっ……‼︎」
──兵士の格好をした男、2人が倒れている。
近寄ってみて、様子を確認する。血まみれだが、まだ辛うじて呼吸はある。が、血の痰が絡んで喉がごろごろと鳴り、うまく息ができていないようだ。兵士2人とも腹部を抉られている。見たところ、内臓まで大きな傷がついている。
「だ、大丈夫かっ。もうすぐ家に帰れるからなっ。辛抱しろよっ」
馭者がそう言って鞄から包帯や消毒液などを取り出し、手当ての準備を始め出したが、正直言ってこのままでは長くは持たないだろう。
一先ず、煙草に火をつけて、どうするべきか考える。
■■
私は壊れた馬車から鍋を拝借して、兵が持っていた水筒の水を入れ、火にかけた。
「おっ、おいおい、こんな時にヤニ吸いながら料理かよっ!」
「気にせずそのまま治療を続けてくれ」
彼らの持ち物だった白ハーブなどの薬草を五種類と蜂蜜、あと馭者が運んでいた積荷にあった海獺の睾丸、牛の胆嚢を粉末にしたもの、棗、茄子、桃、その他諸々を入れ、魔力を込めて混ぜる。
「まさか……、水薬を作ってるのか?」
「うん」
「材料とか分かってるのか? 呪文とか必要じゃ無いのか……?」
「いちいち覚えてられないだろ」
抑揚や息継ぎの場所、口の開け方、目線のやり方、術に対する拘りなど、様々な要因で効果が微妙に変わる詠唱は私の性に合わない。
材料も成分さえ合ってれば問題はない。それに、頭の中で作り方をこうと決めてしまうと、怪我に合わせて臨機応変に作りにくい。
「お、お前さん何者だ?」
「旅人だよ」
最後に光沢のある茸を入れる。回復効率の良い薬を作るには、この霊芝があると便利だ。成分に無駄がないし、他の素材と合わせた時に毒に転じることが少ない。
次いで、怪我人の顎関節を指で押し上げて、口を無理やり開ける。痰を指で掻き出す。馭者に手伝ってもらいながら、布に染み込ませた水薬を絞り、それを飲ませる。
「本当に治るのかな……」
「あとはコイツらの日頃の行いが良かったかどうかだ」
馭者に煙草を一本やる。休憩だ。これだけ深い傷を負っているとすぐに動かすのは危険だから、暫くは様子を見るしかない。
■■
私が4本目の煙草に火をつけた時。兵士の一人が目を覚まし、ぼそぼそと呟き始めた。
「仲間が……、もう1人仲間がいるんだ……。攫われた……」
この馬車で一緒に移動していた誰かを人質に取り、逃げたという事だろうか。
「と、盗賊が出たのか……?」
「いや、移送中の犯罪者だ……」
「どんなヤツなんだ……?」
馭者を制止して、私の考えを言う。兵士を無理に喋らせる必要はない。
「恐らく、宮廷魔術を学んだ人間だ。身体強化系の魔法を使っている」
宮廷魔術は身体強化が基本だ。古くは王や王族の身体能力を底上げし、前戦で一騎当千の力を発揮させるのが、その役目だったからだ。鬼神のように敵を薙ぎ倒す指導者の姿を見て、兵士たちは鼓舞される。
「そ、そうなの? どうして分かったんだ?」
「鎧ごとゴッソリ肉を抉り取ってるんだ。素でこんな馬鹿力な人間がいてたまるかよ」
移送中の犯罪者ということは、もともと魔法を封じる何らかの術はかけていたのだろう。だが、そのかかりが悪かったか、もしくは術を解く魔道具を体内に隠し持っていたか。とにかく、移送担当のこの兵士たちは不運だった、ということだ。
「1つ、質問があるんだが……。その犯罪者は殺して良い? それとも生かしておくべきか?」
「……い、生きて罪を償う必要がある」
了解だ。さて、どこに逃げたかな……。
「えっ? 行くの?」
「関わっちゃったんだ。ケリまでつけなきゃ、気持ち悪くて夜も眠れない」
そう言って壊れた馬車から剣を借り、それを馭者に持たせて、この場を任せる。
「じゃあ。何かあったら叫んでくれ」
「お、お前! お前は武器、いらないのか⁉︎」
「手と足がある」
■■
山道から外れて森に入る。追跡はそんなに難しくはなかった。なぜなら、何かを引き摺ったような跡があったからだ。煙草に火をつけ、痕跡を頼りに追う。
しばらく行くと、急に開けた場所に出た。青と紫の藍瓶花が絨毯のように敷き詰められた花畑。それが、白い満月に照らされて磨かれた鉄のように鋭く輝いている。眩しくて目を細めるくらいだった。
「……誰だッ⁉︎」
花畑の中央、男が驚いて私を見る。目の下を隈だらけにした、がりがりの中年オヤジだ。いかにも『魔術の勉強だけをしてきた』といった、陰気な印象を受ける。襤褸きれで出来た囚人服もよく似合っている。
男は人質の腕を掴んでいた。その腕は折れているようだ。
人質は女の子の兵士だった。倒れていた男達と同じ装備をしているから、彼らの言っていた仲間で間違い無いだろう。歳は私と同年代か、もしくは若いかもしれない。月の光に照らされて輝く銀髪と、長い睫毛が特徴的だ。
「で、その子を使って領と交渉するつもりだったのか?」
「──《冥界よりの使者は言う。禍つ月の息吹を濾した王が刃と成り、汝の身体を裂くであろう》」
男は淡々と呪文を唱え始めた。何もない空間から歪みが生まれ、黒い槍のような刃がいくつも現れる。それが、こちらに向かって砲弾のようにぎゅんぎゅんと飛んできた。
流石は宮廷魔術を熟す魔術師。黒い槍は血の結晶で、純度の高い闇の魔法。当たればひとたまりもなさそうだ。それに、教本通りの綺麗な呪文の唱え方をしている。生かして連れ帰るには、骨が折れる。そう思った。
私は走り、大きく周りこみながら避ける。刃が地面に突き刺さり、土と花が舞う。
さて、この呪文から別の呪文に繋げて畳み掛けるなら、ブレスを取らなくてはならない。機会があるなら、そこだ。
私は手を振り、勢い良く胞子を発生させた。
「──《天界は堕ちる。王の切り裂かれた身ッ、エフッ! ガフッ‼︎」
男は、酔っ払いが吐き戻すようにして血を噴く。随分と思いっきり吸ったな。ヤツの肺の中は、今頃カビだらけだろう。
「じゅっ、術が……っ‼︎ 使えない……っ! ガフッ‼︎」
「そういう事になるから、詠唱は良くないんだ。精密なのは認めるけどな」
煙草に火をつける。
「……うおおああああああッ‼︎」
男は人質を放り投げ、私に向かってきた。魔法に拘らないところを見ると、身体強化の術はまだ生きているのかも知れない。素早い動きで間合いを詰めてくる。目を見るに、狙いは私の心臓だ。
こういうのは防御をすると、衝撃で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられて息もできなくなる。恐れずに覚悟を決めて向かっていき、流すのが正解だ。
心臓目掛けて伸ばしてきた腕を、掴む。相手の力を利用して、ひねる。
「……ッ⁉︎」
肩が外れる。今度は逆側にひねる。
「ぐあッ‼︎」
肘が外れる。そして、喉仏を親指で押し上げる。
「ガフッ‼︎ ガフッ‼︎」
男は倒れ、羽をもがれた虫のようにのたうち回っている。いくら身体強化しようとも、関節を外してしまえば無力化できる。
「──《黒っ、き、影……から這い出……》」
呪いをかけようとする気力があるようなので、拳で鼻を潰す。今の呪文は恐らく『血の呪い』で、まともに術をかけられると、全身から血が吹き出すようになるのだが、こんな途切れ途切れの呪文では効力なんてないだろうに。その諦めない心は、もっと良い行いに使って欲しいものだ。
殴ったら動かなくなったので、魔術師の脈と呼吸を確認して、気絶しているのを認めてから、倒れている女の子に近寄る。
「少し吸ってしまったのですが、大丈夫でしょうか……?」
「ん? ああ。さっきの煙か。術の発動は操作出来るから、問題ないよ。明日には体の外に出る」
しゃがみ、女の子の傷を見る。右腕が折れていて、他にもいくつか傷を負っているが、先に倒れていた兵士達ほどではない。が、すぐに動ける状態でもない、か。
「どこに移送するつもりだったんだ?」
「……ウィンフィールドです」
ウィンフィールドは、プラン=プライズ辺境伯領で最大の街だ。山間に位置しており、古くから貿易の拠点として栄えている。噂によると、そこに水の聖女が向かっているとされるが……。
「こんな事を頼むのは情けないのですが、ウィンフィールドまで我々を連れて行ってはもらえないでしょうか……」
やれやれ、ババを引いたな……。
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