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午餐会

 

 舞踏会は大抵、居城(パレス)大舞踏室(ボールルーム)で行われる。


 大舞踏室には質の良い真鍮(しんちゅう)吊り燭台(シャンデリア)が幾つも吊られており、壁面装飾や彫刻によって室内が彩られているので、外から窓を覗けばその部屋と分かるものだった。


 エリカは舞踏会の最中に抜け出し、居城内を探る予定である。なので、大舞踏室(ボールルーム)へ続く廊下、その窓の脇に生えていた灌木(かんぼく)と灌木の間に、剣とボウガンを隠した。それらは土と同じ色をした袋に入れてあり、紐で括られている。紐の端は窓に挟んでおいた。


「これでよし」


 エリカは武器が上手く隠せていることをもう一度確認し、周囲をうろつく見張りの兵士に気づかれないよう、ドレスのスカートを持ち上げて駆ける。あまりに身軽な動きだったので、見張りは気がつくことがなかった。


□□


「エリカ、これを」


 屋敷の一室に戻ると、キャロルから瓶と袋を渡された。瓶には透明な液体が入っているようで、袋の中身は丸薬のようだった。


水薬(ポーション)蟾酥(せんそ)香草(ハーブ)、蜂蜜で作っている。大概の外傷は治るはずだ」


 蟾酥(せんそ)とは蟇蛙(ひきがえる)の分泌液である。魔法を用いて薬にする事で、よく傷を治す。貴重なので中々手に入らないが、キャロルは旅の最中に蛙を捕まえては液を溜めていた。


「丸薬は水銀と卵黄(らんおう)で出来ている。病に効くし、栄養失調にも効く。牛胆(ぎゅうたん)も使ってるから、多少の物狂いならそれもおさめる」


 水銀は普通に用いれば毒だが、魔法で毒を裏返せば強力な薬となった。


「王様が使うお薬みたい……」


「少年が言うには女達は虐められているらしいからな。もしそうなら、遠慮なく使ってくれ」


 エリカは頷き、それらをスカートの下の衣嚢(ポケット)に入れた。


□□


 11時半からの午餐会(ごさんかい)は、居城の『騎士の間』で行われる。


 応接間で待つこと30分。準男爵以上の爵位を持つ者たちが全員着席した後で、キャロルらは騎士の間に通された。


 部屋は広く、長机がずらりと並べられており、机の上には明かりの灯った燭台(しょくだい)と、盛られた花々が列をなしている。それから各々の席の前には、飾り皿(ショープレート)だけが置かれていた。


 南側の大窓からは夏の光が差し込んできている。戸となっている窓を開ければ中庭に通じているようで、丁寧に造り上げられた庭園の、その青々とした緑が風に揺れていた。


 キャロルらが使用人に案内された席は、当然ながら末席(まっせき)であった。


「あれが獅子侯だな」


 キャロルが呟いて、エリカは暖炉側の上位席に目を向けた。ひときわ体の大きな男がいる。


 歳は50ほどだろうか。(いかめ)しい顔つきと、栗色の髪が印象的であった。金の糸と銀の糸を要所に使った派手な盛装。象牙で出来た喫煙具(パイプ)を手に煙を燻らせながら、隣に座る白髪の男と会話を交わし、時折豪快にガハハと笑っている。


「いかにも武人って感じですね……」


「──病を患っているのかな」


「え?」


「口の端に血の跡がある」


 キャロルは獅子侯を観察する。顔色も悪くなければ、手に震えがあるようにも見えないが、確かに、獅子侯は死の気配を纏っていた。


「獅子侯の隣に座るのはマール伯爵。その隣に伯爵夫人が入って、次いで嫡男(ちゃくなん)ジョッシュ・バトラーだ」


 言われてエリカはマール伯爵を見る。白髪の、凛とした男だ。口元には食事用の面布(めんぷ)がつけられている。傷痕(きずあと)でもあって隠したいのだろうか。いやしかし、なんと言うか、伯爵も決して線が細いわけではないのだが、獅子侯と隣り合うと(いや)(おう)にも小さく見える。


 その右隣には伯爵夫人マーガレットが座る。気品のある女性だ。


 さらにその隣に座るのは家嫡(かちゃく)ジョッシュで、向かい合って座る美女に話しかけられているようだが、浮かない顔をしている。他に意中の相手でもいるのか、どうなのか。


 ふと、エリカは気がついた。他の貴族たちはどうも男女交互の順番で座しているようである。だが、己はキャロルの隣で女同士。というよりも、末席に座っている乙女達は皆同様に女で固められているようだ。


「あからさまにおまけ、って感じ……」


 そう呟くと、周りの乙女達が一斉にジロリとエリカに目を向けた。それでギョッとして、誤魔化すためにキャロルにこそこそと話をする。


「あの、どうしましょう。獅子侯と話しに行きますか?」


「午餐会の間は大人しくしておこう。話せる機会は少ないし、まずは目立ちすぎないことだ」


「じゃあ、やっぱり舞踏会で……」


「──舞踏室の中央、2人踊りながら話すのであれば、誰も邪魔は出来ない」


□□


 全員が着席し、大まかな支度が整って、使用人達が壁際にずらりと並んだ。それを見て獅子侯が立ち上がり、開式の辞を述べる。


「マール伯爵ご夫妻、家嫡ジョッシュ・バトラー殿、そして来賓(らいひん)の皆様。本日は午餐会にお越しいただき、誠にありがとうございます」


 大部屋に、獅子侯の低く太い声が響く。


「まず、昨日は私がアンジェフォード男爵の爵位を賜り、その上で本日、無事に落成式が行われ、アンジェフォード城がこの神聖カレドニア王国の地を守る砦として認められた事を、ご報告申し上げる」


 獅子侯は手巾(ハンカチ)で口を押さえる。その手巾に少量の血が付着しているのをキャロルは見逃さなかった。血の粘度は高いようで、若干の魔力を含んでいるようにも感じたので、症状のあたりがついた。


「皆さんご存知のように、世は未曾有(みぞう)の危機に瀕している。我が故郷ロングランドの地は瘴気に蝕まれ、豊かな地を失い、人は悶え苦しみ死に絶え、諸侯は無事な土地を奪い合い、戦乱の地獄となっている。もはや齢9歳の王などは飾りに過ぎず、国としての形を成していない」


 獅子侯は続ける。


「この美しい国カレドニアとて、いつまでも美しいままでいられる保証はない。ここ3年の内に多くの土地が瘴気に飲まれ、多くの人間が行き場を失い、死んでいった。街では犯罪も増え、人の間でも家畜の間でも病が流行り、高貴な血を持つ者も貧しい民も、生きることがまこと難しい世の中になりつつある」


 参加者の貴族たちの幾人かが、目を伏せた。恵まれた環境に身を置くとはいえ、知り合いを失っている者もいたから。


「私たちはロングランドの地から逃げ延び、我がクロムウェル家と遠縁(とおえん)であったバトラー家、即ちマール伯爵家に拾われ、こうして生き延びることが出来た。ならばこの命、伯爵の為に捧げんと、領の為に働き、少しでも人々の暮らしが良くなるよう、尽力して来たつもりである。──この美しい領、ひいては国を、ロングランドと同じにしてはいけない」


 獅子侯は真っ直ぐと正面を見据えている。瞳には光があり、希望がある。それを見てエリカはキャロルに耳打ちをした。


「とても、狂ってるようには見えませんね。なんだか、凄くまとも……」


 これにキャロルは返答しなかった。


「この度、私は城を授かった。これはカレドニアを守る盾と矛を与えられた、ということに他ならず、()くも責任は重い。私は一人の騎士として全てを背負い、この地を我が故郷と同じ命運を辿らせぬよう、伯爵の為、そして王の為に、この命を捧げ(たてまつ)ることを改めて言葉として残し、この決意を簡単にではあるが、開会の辞と代えさせていただく」


 万雷(ばんらい)の拍手があって、獅子侯が座る。代わってマール伯爵が立ち上がり挨拶を述べた。手短に話した後で、伯爵家家臣筆頭アーロン・バトラーの乾杯の辞があり、午餐会が始まった。


□□


 次々に食事が運ばれてくる。まず最初に来たのは、海亀と葡萄酒のスープであった。小さめの器に入っていて、飲めば胃を温めた。エリカは舌に纏わりつく旨味に驚き、大袈裟に目を見開く。


 次に運ばれて来たのは、またスープ。(ねぎ)(かぶ)扁豆(レンズまめ)、仔羊の骨髄が煮込まれたドロリとしたものだったが、冷製だった。これもまた美味であり、他の乙女達が落ち着いて食べる中、エリカははぐはぐと食べきってしまった。


 次いで(ひらめ)と牛乳を煮込んだ料理が出て、仔羊の曷烈(コートレット)が出た。黄金に見立てた蕃紅花(サフラン)橄欖(オリーブ)のソースが下に敷かれていて、見た目も楽しい。


 エリカはそれらもペロリと平らげた。美味しかった。コルセットのせいで食べられないかと思ったが、あまりに美味しすぎて、腹の苦しいのもさほど気にならない。


 そうした所で、隣に座っていた吊り目がちの乙女が、周りに聞かせるようにして声を張って言う。


「まあ、大変美味しそうにお食べになる方で。みんな驚かれているんじゃないかしら」


 エリカはきょとんとしたが、褒められているのであろうと思い、ハキハキとこう言ってみせた。


「ありがとうございます」


 それでキャロルがこそりと伝える。


(けな)されてるんだぞ、エリカ」


「えっ⁉︎」


 吊り目の乙女はエリカの驚いた顔を見て、虐め甲斐(がい)があると見込んだのだろう。嫌らしい笑みを浮かべながら続ける。


「大変おいしゅうございますが、わたくしは普段から食べ慣れていますので、どちらかと言うと馴染みの味に心が落ち着きますわ」


 他の乙女たちも乗っかり始める。


「あら、わたくしも同じ事を思っていたところですの」


溌剌(はつらつ)としていらっしゃるのは素敵ですわ」


「沢山いただきたいのですけれど、私、生まれつき腰が細くて。羨ましゅうございます」


 エリカが赤面したのを見て、乙女たちはニヤニヤと笑う。それで、吊り目の乙女は()であるキャロルにも言葉をかけた。


「お家の教育が優れてらして」


 言われてキャロルはごく自然に答える。


「これは失礼いたしました。城主様が折角ご用意して下さったお料理を、食べ慣れていると言えるほど気立ての良い家ではありませんので」


「ま、まあ……!」


 腹を刺すが如く嫌味に、末席は(にわ)かに殺気立った。次第にざわざわとした囁きは大波となって、乙女達の間で収拾がつかなくなる。


 乙女たちは『難がおありの家』だの『個性的』だなんだの文句を言い始めたし、特に程度の悪い乙女は『リッカー家はみんな下品だと言ってる』だの『みんなに嫌われてる』だの、あたかも総意であるかのような言い草でコソコソ(ののし)り、隣の乙女達と言葉を交わした。


 キャロルは鼻でため息をつき、舌打ちをした。──やれやれ、この勇猛果敢(ゆうもうかかん)なお口が災いして目立ってしまった。これだからお嬢様のクソッたれなお食事会は嫌いだ。常に自分語りを挟み、隙があれば上から目線で(おご)り高ぶる。反吐(へど)が出るとは全くもってこの事だし、畜生(ちくしょう)の尻穴に口付けをするが如く醜悪(しゅうあく)がここにある。


 キャロルが葡萄酒をくいっと飲み干したところで、エリカは言った。


「キャロルさん。獅子侯に何か渡しました」


 上位席を見ると、確かに、使用人が紙で包んだ何か小さいものを渡した。


「薬だろう。だがそんなものは気休めだ。治るわけがない」


「え?」


「──呪われてるんだよ、あのオヤジは」


 周囲が騒めくのを良いことに、小さな声で話をする。末席は肩が触れるくらいに人と人の間隔が狭いので、小さな声でも少し顔を傾ければ、互いの耳に声は届いた。


「血に粘物が混じるのは、死者から受けた呪いである事が多い。経血(けいけつ)に似るんだ」


 キャロルは曷烈(コートレット)にスッと匕首(ナイフ)を入れて、切り分け、口にする。その所作は午餐会に参加している誰よりも美しい。


「……それにしても、何故呪われたままにしているんだろう。あの程度の呪いであれば、簡単に(はら)えるはずだ」


 そのままにしておく理由があるのだろうか。いや、と言うより、祓っても意味がないのか。だとしたら、考えられる線は──。


 考えを巡らせながら獅子侯に目を移そうとしたら、ふと、その隣の隣に座るジョッシュと目が合ってしまった。すぐに目を逸らすのは失礼にあたるから、キャロルは軽く微笑んだ。だが、結果としてそれがまずかった。


 ジョッシュの顔は熟した蕃茄(トマト)の如く一気に赤くなり、目は潤んでキラキラと輝き、整えられた髪も不思議とふわりと広がり、そして手に持っていた肉叉(フォーク)を落とした。金属が床を打った音すらも気づいていないようで、彼はただキャロルを見つめている。


「おい、エリカ。面倒なことになりそうだぞ」


 いつも涼やかなキャロルの表情が、引き()る。エリカはこんな顔をしたキャロルを見たのは初めてだったから、はて、その面倒な事とは何だろうと考えた。


 が、遠くの上位席から肩を張って歩んでくる男の姿を見て、エリカは『あー』と小さく声を漏らす。まあ、無理もない。今日のキャロルは美しすぎる。


 午餐会の最中にジョッシュが立ち上がったことで、末席のみならず上位席含めてみなが騒めく。騒めきの中、ジョッシュはキャロルの元に近寄り、1つ咳払いをした。キャロルはもはや逃げられまいと思い、素直に立ち上がって、ジョッシュと向き合う。


「わ、わ、わ、私はマール伯爵が嫡男、ジョッシュ・バトラーと、も、申す。たっ、たっ、楽しきかな宴の最中、綺羅星(きらぼし)の如く輝く貴女を見つけ、そ、そろりと近づいてみたところ、おっ、思った以上に、美しく、わっ、わあ、あっ、わ、我が心は春を迎え……」


 ジョッシュは騎士道小説にあるような、さんざめく言の葉を紡いでみたつもりだが、声が震えて何を言っているのか理解できる者は少なかった。それを自分でも分かっているのか、一度、両方の頬をぱしんと叩いて気を取り直し、膝をついて叫ぶ。


「よ、宜しければッ! 後の舞踏会、私と踊っては頂けませんか⁉︎」


 流石のキャロルもこれを断ることはできない。無礼となって、さらに悪目立ちする。


「喜んで」


 ニコリと微笑んで、手を差し出した。その手に、ジョッシュの震える唇が触れる。騒めきはさらにドヨドヨと荒くなって、二人を中心に渦となって揺れた。


 ジョッシュは顔を赤らめたまま、ぎこちない動きで自分の席へと戻っていった。残されたキャロルには、末席の乙女たちの鋭い眼差しが向けられている。


「獅子侯と踊る予定が……」


 エリカが小さく呟くのが耳に届き、キャロルは苦笑した。

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