海から来た獅子(後)
キャロルらもナットウォルズに向かっていた。サハンからナットウォルズまでは、そこまで距離があるわけではない。海岸沿いを行き、丘を暫く登ればそこがナットウォルズであった。
夜明け前。地平線に薄い瑠璃色の光が帯となって現れたのは午前5時頃。白砂の海辺でキャロルとエリカは素足となり、波打ち際で波と戯れていた。ウォルターはその様子を、少し離れた場所で倒木に腰かけ、薪の火を育てながら見ている。
「……エリカは自分の事が嫌いか?」
不意に問われて、エリカは顔を上げる。その目は赤く腫れていた。
「どうして、ですか?」
「何となく、気になったんだ」
エリカは俯く。
「……私、竜を倒すまではあらゆる事に必死で、まったく余裕がなくて、自分が好きとか嫌いとか、そんな事を考える暇もなかったけれど。今は、嫌いなのかも知れないです」
「どうして?」
「……弱い自分は嫌いです」
「そうか……」
キャロルは少し残念そうに続ける。
「私はエリカの事が大好きだ」
夜風に靡く深い紺の髪から、雪柳のような小さく白い花が生まれて、ひらひらと波に落ちていく。花は波に踊って、やがて白砂と混ざった。
「その……。弱いままで、良いって事ですか……?」
「ん?」
「キャロルさんにとって私は……、ペットのようなものなんじゃないかって……」
「違うよ。そんなんじゃない」
ざあと大きな波が寄せる。
「私はね、エリカのようになりたい」
そう言ってキャロルは照れくさそうに頭を掻く。これ以上、花が溢れないように意識しながら。
「エリカは私にはないものをたくさん持っている」
「私はそんなんじゃないです……」
エリカはどう答えたら良いかわからなくて、優しく波を蹴った。
「……私はキャロルさんになりたいです。強くて、頭が良くて、優しくて、人の気持ちが分かる、そんな人に」
それを聞いてキャロルは目を丸くした。
「エリカは私のことをそんな風に見ているのか?」
「はい」
当たり前のように返事をしてみせたエリカに、キャロルは笑った。
「クハハハハ……ッ!」
エリカは思う。キャロルの事は大好きだが、どうにもその悪役のような笑い方は、何とかならぬものかと。びっくりしてしまうから。
「ごめん。何だか笑えてきてしまって。……私こそ、そんな人じゃないよ」
「いいえ。キャロルさんは、私の理想です。完璧な人です。それに比べて、私は……」
「──エリカのお陰なんだ。私が、私の事を知りたいと思ったのは」
「え……?」
エリカは顔を上げた。
「素直で真っ直ぐなエリカに会って、私も自分と向き合わなきゃいけないと思った。……私は、エリカのような"いい人"になりたい」
地平線、瑠璃色の帯が黄金を孕んで、真っ黒な海に光の筋を作る。
「人のために思い悩んで、涙を流して、叫んで、苦しんで、もがいて、自分が強くならなきゃ、と思っている。そんな、一生懸命で、いい人になりたい」
エリカは言葉をなくしてしまった。自分がそういう風に思われていただなんて、思いもしなかった。頭の中は真っ白で、なのに、凄く泣きそうだった。その中で、涙で喉のつかえるのを押し込めながら、なんとか言葉を絞り出す。
「キャロルさん……。強いって、どういう事なんでしょうか……」
「そうだな……。誰からも奪わずに、誰からも奪われない。そんな人の事を言うんじゃないだろうか……」
言われて、過去を振り返る。己は多くの人の時間を奪ってきたような気がする。時に訓練に付き合って貰ったり、時に挫けた自分を慰めて貰ったり。
「あとは、健康であること。……よし、エリカ!」
キャロルはニカッと笑った。
「組討だ。一緒に強くなろう」
そして姿勢を低くし、構える。あまりにも恥ずかしい事を言いすぎたのだ。ヤケである。
「え!?」
キャロルは水飛沫を上げて、エリカに突進する。
「ちょっと! うわあっ‼︎」
エリカは呆気なく投げられてしまい、ぽーんと宙を舞った。
「ぴぎゃ!」
じゃばんと尻餅をついた。
「え、ええ⁇」
これは一体、何の真似か。貧民街の遊びか。などと一瞬考えている内に、キャロルが腕を取った。もう仕方がないので、全力で迎え撃つ事に決める。
「こんの〜っ! 負けませんっ! 魔法は無しですから!」
波打ち際、ばしゃばしゃきゃあきゃあと2人の少女が格闘する。それをウォルターはしかめ面で見ていた。
「何をやっているんだ、アイツら……」
1人、妻子のことと故郷のことを思って胸の重いのに息苦しかったが、何だか賑やかなのと、エリカが元気そうなので、やや嬉しそうに鼻で笑った。
□□
大暑の節、上弦。10時。
蒼穹の下、第四聖女隊は進軍をしている。ナットウォルズまで残すところ一日も掛からない。
駱駝に乗る爺ことアル・デ・ナヴァラに、一人の兵が寄った。間諜が戻って来たのだ。それでメリッサは爺に尋ねる。
「して、どうだった」
「ライナス・レッドグレイヴは、特に動きを見せていないようにござりまするな。この先にも伏兵は見当たらず、ナットウォルズの近辺にも潜んでない様子。はてさて」
「ほう?」
爺は間諜が持ってきた紙を読む。
「なお、獅子侯には祝いの品を贈った由。麦に葡萄酒、紅茶に没薬、乳香、砂糖菓子、干物、銃、砲、馬が何頭か、あとは砂やら石灰やら石やらの建材を牛に運ばせて……。あー、砂金があれど、えー、そこまでの量はなし、にござりまするなぁ」
メリッサは顎に手をやって、考える。
「一廉の騎士であれば動き出すとも思ったが」
「姫、少し用心しすぎましたかな」
「まあ良い。脅威とならぬのなら、それに越した事はあるまい。リトル・キャロルはどうか」
「何やら海岸で、取っ組み合いの喧嘩をしているそうにございまする」
「なに? 取っ組み合い? 誰と」
「間諜曰く、何処ぞの馬の骨……、と」
少しの間を置き、腹を抱えて爆笑した。
「ハハハハハッ! 全くアイツは、つくづく何を考えているかわからんッ!」
「何を考えているか分からんのは獅子侯も同様。間諜によりますれば、彼奴め、滅びた故郷から『封印の獣』まで持ち出している様子。海から来た獅子め、何を考えているやら」
メリッサは未だ、くつくつと笑っている。
「──なあに。血と肉を思う存分に喰らい、妾と獅子侯のどちらかが真の獅子となる。それだけよ」
□□
その翌日、破鏡月。早朝6時。キャロルらは小高い丘の上、城を見下ろす。
「あれが従騎士の言っていた城か。バカみたいに大きいな……」
堀は川となって広い。城壁も高く、塔も多く立っている。
幾つか改修の終わっていない場所は見受けられるも、広さだけで言えば、カレドニア西部でも最大のものとなるだろう。
巨大な門を通っていくのは、領の各地から参じた貴族たちの祝賀の列。
□□
そして同時刻。ライナス・レッドグレイヴが間諜の隙を突いて、リゴードンの邸宅を脱出。よく訓練された駿馬でナットウォルズへ向けて出立した。
──幾つかの大きな運命が、同じ地に集いつつある。1つは守ろうとする者、1つは奪おうとする者。そして、救おうとする者。
本日より2日後。大暑の節、十日夜。ナットウォルズ及び巨城アンジェフォードは、神聖カレドニア王国において類を見ない大砂塵に包まれる事となる。
後世ではその日を『花聖日』と呼び、輝聖顕現の日として遍く広まる。
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