海(後)
キャロルは二つの亡骸に聖水を撒く。旱芹や加密列などの香草の他、沢山の花と共に布でくるんで、それに祈りの言葉を書き記し、土の中に埋めた。これで悪霊が入り込んで動屍になる心配もない。
そして、盛られた土の上で香を焚く。エリカはその煙が青空に溶けていくのを見ている。
「短剣は、犯人のものなのでしょうか」
エリカの問いに、キャロルは頷く。
「恐らくな。いずれここに女を連れて来る同胞へ、百獣軍が敵に狙われている事を教えたかった。そして、命を賭してそれを奪い、その身で隠したんだ。敵の正体を伝えたい一心で」
キャロルは短剣を銀の鞘から抜いた。刃に直接刻まれるのは、花を模した精巧な飾り。これは切れ味を鋭利に保つ術でもあるし、彫り自体が塗った毒を絡めるのも兼ねている。
柄に巻かれていた綺麗な布を取ると、紋章が現れる。キャロルはそれを見て、心の内にあった嫌な予感を確実なものとした。
「カタロニア禁軍」
エリカもウォルターもキャロルを見た。
「陸聖が関わっていると見る」
この漁村に辿り着くまでの最中、キャロルには幾つかの違和感があった。
大きくは二つ。まず一つは歩き巫女を何回か見かけたこと。
歩き巫女とは文字通り、各地を転々としながら祈祷を行う女のことを言う。別に歩き巫女が珍しい訳ではない。夏至や冬至であるとか、万聖節などの記念日であるとか、節句や聖日が近いと良く見る。祈祷の機会が多いからである。だが、今の時期に歩き巫女を頻繁に見かけるのは少し違和感があった。
もう一つは黄砂である。カレドニアでは、海の向こうの砂漠の砂が飛んできて、時折空が黄色く霞む事がある。特に春から夏にかけて吹く南からの縷々なる風、即ち松南風が吹く時期では顕著だが、今はそういう時期ではない。
公示によれば陸聖メリッサはマール伯爵領にいるというし、どこかで砂嵐を起こしたのだろうと、頭の片隅に置いていた。
「なんで、聖女が? 聖女が、この子達を殺したんですか?」
エリカの問いにキャロルは静かに答える。
「第四聖女隊は、百獣軍を追っているのかも知れない」
肝心の馬車引きの姿が見当たらない。禁軍は精鋭、みすみす目標を逃す真似はしないから、攫われたのだろう。だとしたら、従騎士の彼らは主人を護りきれずに死んだ事になる。
エリカは焦ったように言う。
「でも、獅子侯も、百獣軍も、馬車引きも、悪い人かも知れないけれど、この子達は殺される程の罪があった訳じゃない……! 自分のやった事に悩んで、後悔して、やめたいと思っても、でも一生懸命に、故郷の為に……」
途中で言うのをやめる。私は、何が言いたいのだろう。誰の味方なのだろう。
それに、分かっているはずだ。従騎士は主人の為に命を擲つ。頭では分かっているのに。拳を強く握って、俯く。
「──聖女って、なんなんですか? 何がしたいんですか?」
エリカは震える声で言った。どうしても、聖女を恨んでしまう。海聖マリアベルも、陸聖メリッサも。聖女は苦しむ人を救ってくれる存在ではないのか。瘴気を払って、みんなを笑顔にするものだと思っていた。
──何故こんな酷い事を。許せない。
エリカが強く思った時、キャロルは小さく言う。
「私がメリッサだったら──」
風が吹いて、緑の原が波となって鳴る。
「──渇く程に土地が欲しい」
その呟きは風の音に消されて、二人の耳には入らなかった。
だが、キャロルが朧げながらメリッサの意図を察した時、その黄金の瞳は照り返す緑の光を携えて、深く、覚悟の色を滲ませた。
何か、どこかで、大きな野望が動いている。己は、それを止めなくてはならない。その責任がある。
今、耳を塞ぎたくなる程に凄まじい耳鳴りがしている。その奥から神の歌が聞こえている。お前は輝聖だ、礼讃を受けよ、と。
微妙に繋がらないカタロニア禁軍による馬車引きの襲撃。何かあと一つだけ欠片が嵌れば、きっと、全てが分かる。
□□
牧場を探しても、やはりあと一人の従騎士がいない。ウォルター曰く、その名は『セオ』。
薄い色の金髪、それはやや癖毛らしく、優しい茶色の瞳と、雀斑のある男子だと言う。彼は馬車引きと共に攫われたか、或いは逃げたか。
一先ずは村に降りて探る事にした。だが、あまりに人通りがない。いるのは犬と猫だけ。
それで、酒場がやっていないかと入ってみたら、そこだけは営業していた。ついでに、少し休憩を挟む事にし、食事をする。
出されたのは、鱸を中心に、その日捕れた新鮮な魚を敲きにしたものを、薄く切ったパンの上に載せて食べる料理だった。好みで魚の上から橄欖油と塩をかけるよう、酒場の老婆に説明される。
エリカはよく脂の乗った魚をパンの上に載せ、食べた。美味い。生魚を食べるのは初めてだったから、どんなものかと恐る恐るであったが、本当に美味い。脂が甘くて、パンがカリっとして香ばしくて。でも、こんなに美味しいのに、胸は晴れない。
キャロルはいつものようにポタージュにパンをつけて食べている。その仕草も、目線も、何もかもが美しい。そこに憂いは無いように見える。普段通りだ。
エリカは思う。キャロルは、何を考えているのだろう。陸聖が関わると知った時、何を思ったのだろう。
「キャロルさん……」
「うん?」
「あの……」
それを問いかけようとして、やめる。
「何でも無いです……」
エリカは思う。
邪竜を倒した事で、大きく成長したと感じていた。それは嘘ではないのかも知れないけど、キャロルと旅に出て、色んなことを経験して、心を動かされて。様々あって、そして今、自分が醜く感じる。心の中がぐちゃぐちゃだ。
何が正しいのか分からなくて、なんだか自分が薄情で、情けなくて、弱いように感じる。弱いというのは剣の腕が劣るとか、身のこなしが良くないとか、そういう事ではない。人間としての出来が未熟なんだ。
辺境伯領にいた頃は、見えている景色が一つだった。こうやって心の中が整理出来ないくらいに混沌とする事はなかった。きっと私は、周りの大人達に保護されていたのだろう。
竜を倒す前は、自分を可哀想に思うのに必死な時期もあったし、散々挫けて、でも仲間達に励まされて、それで立ち上がって努力するので、一杯だった。
私一人で竜を倒したわけじゃない。それは分かってはいたけれど、自分のした事はもっともっとちっぽけだったんだと、自覚する。
生き延びてみて、初めて分かる。自分が知らなかっただけで、ずっと世界は複雑で、悩ましいものなんだと思う。それに、対応できていない。心が苦しい。心臓がつきんと冷たい。
大好きなキャロルと旅に出れば、楽しいことばかりだと想像していたけれど、凄く甘い考えだった。馬鹿だ。
「……珍しいから、味見してみよう。貰うよ」
キャロルはエリカの皿から魚を少し貰い、自分のパンに載せて食べた。
「なるほど……。うん、嫌いではない、かな」
そう言って、キャロルは苦笑いをした。どうやら、あまり口には合わなかったらしいが、きっと、励ましてくれているのだ。その優しさが、今はすごく有り難くて、でもちょっと辛くて、涙が出そうだった。
俯いていると、ウォルターが言う。
「そう、気負うな。勝手な話だが、さっきお前が彼らの為に怒ってくれた事、感謝している」
ウォルターが一番辛いはずなのに、こうして気にしてくれている。それが一層、自分を情けないものに感じさせた。
エリカが何も言えずにいると、酒場の老婆がやってきて、エリカの皿に魚を盛った。
「おかわりいっぱいあるからねえ。たんとお食べ。冒険者なんだろう? 力をつけないとね」
エリカは何かをしなくちゃ泣いてしまうと思って、老婆に問う。
「あ、あの。私たち、人を探していて、雀斑のある金髪の男の子なんですけど……」
「うん? 知らないねえ……」
「丘の上の牧場で働いていたと思うんです」
老婆は突然、訝しむような顔をしてぶっきらぼうに話し始める。
「ああ、あそこの牧場の。あの家は村に商品を入れやしないからね。この村の人間は、誰も近寄らないし、話しかけないよ」
どうやらあの牧場は元々、村八分となっていたらしい。
キャロルが問う。
「一つ教えてほしい。何故この村には人がいない?」
「そりゃあ、隣町に避難しているからだよ。アタシらみたいな物好きの老人と、ちょっとの漁師以外はね」
「避難……?」
エリカは首を傾げた。
「おや? あんたら、冒険者じゃないのかい? 偉そうな冒険者が助っ人を呼んだと聞いていたから、あんたらの事だと思ったよ」
全く話が繋がらなくて、エリカは逆側にもう1回首を傾げた。
ウォルターがキャロルに問う。
「お前は何か、この街の依頼を受注したのか?」
「いや。会鴞が出払っていて、昨日は会誌を見れていない」
困惑していると、突然酒場の扉が勢いよく開き、図体の大きい男がドシドシと足音を立てて入ってきた。その男は頭髪を剃り、もじゃもじゃとした髭を生やし、黒く厳しい鎧を身につけている。山のように大きな男だった。
「何だ、お前ら! 遅ぇと思ったら、こんな所で屯しやがって! みんな飯も食わねえで我慢してんだよ、とっとと来い!」
そう言ってがなるので、キャロルは冷たい眼差しを向けた。
「ああ? 何だ、その反抗的な目は! これだから最近の冒険者は……‼︎」
「来いって、どこに?」
キャロルは煙草に火を付け、問う。すると男は拳を卓に叩きつけ、激しく怒鳴った。
「灯台に決まってんだろッ‼︎ 雀斑のガキが占拠してるって聞いてねえのか⁉︎」
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