水の聖女
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リトル・キャロルと同室だった少女マリアベル・デミは、大層喜んでいた。
「すごーい、全部私の部屋になった!」
学園内の寄宿舎、そのがらんとした自室。足取り軽く、寝台に飛び込む。部屋が広くなって嬉しい。本当は光の聖女が良かったが、それでも聖女になれた事が嬉しい。何より、目障りなリトル・キャロルがいなくなって嬉しかった。
「良かった。神官達に『あんな娘、早く追放した方が良いですよ』って広めておいて……。思ったより早く、処分が出た……」
そのまま少し仮眠を取って、マリアベルは部屋に残ったキャロルの私物を袋に放り始める。捨てるのだ。もはやここにキャロルが戻る事はあるまい。
放る毎に胸の中がすっと軽くなり、実に爽快だった。
「私が貧民の子と仲良しになれるわけないよね」
子爵の家柄であるマリアベルは貧民など嫌いだ。あんな女は肥溜めの蝿とそう変わらない。
だが、たとえキャロルが蝿のようでも、マリアベルには友達のふりをしたい理由があった。同室で仲が悪くなると暮らしにくいとか、聖女同士なら身分は不問だとか、そういうものではない。
それは、キャロルが困った人間を見捨てられないような人間だったからである。
少し甘えたふりをするだけで、何でもやってくれた。魔術の研究も『こんな風に出来ないか?』と相談を持ち掛ければ、キャロルが方法を考え、手伝ってくれた。戦術の実践も不安がっていれば、対戦相手の他生徒の癖や弱点を教えてくれた。
マリアベルが充実した学園生活を送るにあたって、リトル・キャロルは実に便利な道具であった。
しかし、もう自分は聖女である。
リトル・キャロルは聖女ではない。
はっきり言って用無しだ。無理にこれ以上、嫌々ながら貧民と付き合うこともないのだ。
己は学園で勉学をこなし、聖女の力を宿した。何を恐れる事があろうものか。
真夜中を待って、マリアベルは学園の庭園に出た。足で蹴って軽く穴を掘り、袋に詰め込んだキャロルの私物を投げ込んで、それで火をつけた。
「もしかして、貧民だから奴隷としての才能があったのかもしれないね……」
マリアベルは闇の中で揺らぐ火を見つめる。紅に染まるその顔は、まるで火遊びを楽しむ子供のように無邪気でありつつも、底知れない冷酷さを含んだ妖艶な笑みであった。
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翌日、聖女達は王に謁見する。
雲一つない青い空、白昼の残月が城を見下ろす、美しい日だった。
「儂は、もはや、この世界を聖女に委ねるしかないと思っておる……。聖女達だけが、唯一の希望だ……」
王都、大ハイランド。王城。金と赤の色が眩しい謁見室。絹のような長く白い髭と、苦労を塗り重ねたかのように熟し終えた顔の王『アルベルト2世』の、覇気も抑揚もない声だけが響いている。
聖女たちは跪き、頭を下げ、そのごもごもとして聞き取りづらい王の話を聞いていた。
「どうか、忌々しい魔物どもをこの世界から消し去って欲しい……。瘴気の壁を祓い、民が怯えることなく過ごせる世界を作ってほしい……。そう、願う……」
金の王笏を持つ王の手は、玉座に腰を下ろしていながらも異様なほどに震えている。余命、幾許もあらず。
「だが、まだ聖女達は生まれたばかり……。その力は完全には覚醒してはいないと聞く……。今にでも憎き瘴気を消し去るべく、我が禁軍をも差し向けて、大いなる戦いを仕掛けたいものだが……、はは……、実に口惜しい事よ……」
王は力無く笑い、目を閉じて続ける。
「聖女達には、しばしの間、その力が完全となるまで、今苦しんでいる民達を助けてもらいたい……」
王はまだ話を続けようとしていたが、ここでマリアベルが唐突に立ち上がった。そして、王を真っ直ぐに見据えてこう言う。
「お任せください。私が……、このマリアベル・デミが必ず世界の太平を成し遂げてご覧にいれます」
他の聖女達は目を見開いてぎょっとしてしまった。今この場で立ち上がるなど、考えられない。王の面前で無礼である。
「しかし、この世界すべての人間の命を背負い、未知の瘴気に立ち向かえとの仰せは、いささか過酷な運命。──畏れながら、私とデミ家に相応の地位をお約束くださいますよう、お願い申し上げます」
このとんでもない物言いに、他の聖女達はただ黙り込むしかなかった。静けさは極まり、次第に金属音のようなものに変化して、誰の耳にもキンと小さく、長く、鳴っていた。居並ぶ家臣達も、護衛の兵達も、あまりの事に驚いて何も喋らなかった。
静まり返る中、火の聖女ニスモ・フランベルジュは横目でちらりとマリアベルを見る。その無礼な少女は、涼しい顔で王を見ていた。いや、うっすらと笑みを浮かべてすらいる。それは薄笑いと言えるようなものではなく、格下の人間を見下す時に現る冷笑だった。迫る瘴気に怯えるこの世界の、威厳を失った老いぼれの王であれば、無礼が通ると。それを通させるのが、聖女という立場なのだと、そう思っているに違いない。
ニスモは冷や汗を垂らして、心の中でつぶやく。
(──完全に調子に乗っている)
マリアベルは、本来、目立つ行動を取るような少女ではない。いつもリトル・キャロルの後ろに隠れていて、自ら主張をする事などは稀であった。
「出来ることがあるなら、何でも協力しよう……。うむ。何でも、協力する……」
王は無礼を気にする素振りも見せず、虚な目で、ただ優しく笑って、そう答えた
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4人の聖女達は、それぞれ『封印の獣』の術強化の任に就く事となった。
『封印の獣』とは、封印された災厄である。
はるか昔、宮廷魔術師達は各所で暴れていた強力な魔物を封印した。本来なら倒してしまうのが一番だが、力及ばず、それが出来なかったのだ。
封印が眠る場所は聖地とされ、人々は災厄を抑えつけた術を神聖なものと讃えた。その形は様々で、聖地として誰も踏み入らないようにしている禁忌の場所もあれば、封印の上に聖堂を建てて祈れるようにした場所もある。
例えば、水の聖女マリアベル・デミの向かう『風を食む雄牛』が眠るのは、プラン=プライズ辺境伯領ウィンフィールドにある古の地下墓地であり、地元では禁忌の地とされていた。
他の聖女達も各地に散る。火の聖女は『獄炎竜アルマ』の封印を、風の聖女は『巨人族の末裔』の封印を、大地の聖女は『死の泣き女』の封印を強化し、巡礼の旅へと出る。
世界には『封印の獣』が数多ある。聖地で仕事を終えた後は、その次の聖地へ赴く。瘴気の壁へ旅立つまで、聖女達の巡礼は続く。
通常、封印の強化は宮廷魔術師が5人で3日3晩行うものだが、覚醒前の聖女達で、1人24時間。覚醒後であれば1人1時間で事足りると、学園および正教会は試算していた。
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正教会主導の巡礼に際する式典を終え、マリアベルを包する第二聖女隊はプラン=プライズ辺境伯領に向かう。
隊は以下で構成される。まず、水の聖女マリアベル・デミが隊を率いる。次に、正教軍中尉が1名。これは文官で、聖女の聖務を補佐する。他、正教軍下士官1名。正教軍兵士8名、伝令兵1名。
なお特例により、同じ学園に通う神聖カレドニア王国第三王子のリアンも、巡礼に参加する事となった。
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ビロードを多くあしらった馬車の中から、マリアベルは外を見ていた。王都の広い街道に、多くの民たちが聖女の姿を一目見ようと押し寄せているのだ。
「聖女様、お姿を!」
「世界をお救いください!」
「なんて美しいお方なんだ……!」
その民衆たちの目は希望に輝き、声は軽やかに浮き立っている。
「すごい……。みんな、私を応援してくれている……」
マリアベルは窓から目を離し、正面に座るリアンに微笑みかけた。
リアンは不意に微笑みかけられたことで、美しい黄金の髪を揺らして小さく驚いた。そして、王族の証である神秘的な、淡く青いその目を細めて微笑み返す。リアンという男子は、その微笑みだけ切り取れば、女子と見間違えられてしまうような顔つきであった。
マリアベルはその微笑みに、思わず頬を赤らめ、目を伏せる。
「でも、リアン様にとっては大変ですよね……。私の巡礼に付き合わされるなんて」
恥じらいを隠すために話題を探して、わざとに自分を下げる。これで、相手の出方を窺うのだ。
「いえ、聖女様にお仕え出来るのは光栄です。出来る限りの事をやらせていただきます」
「え?」
マリアベルは思った。
王族が。王族が自分に敬語を使っている。
自分はこんなにも身分が上となったのか!
(──それもそうよね、神様に愛されてるんだから。そうか。私は本当に聖女になったんだ)
その実感に喜びを覚える。上だと思っていた者の、その態度に快感すら覚える。
そしてマリアベルは前のめりになって、一方的に話を始めた。
「であれば、常に私のそばにいて下さい。私が困ったら、一生懸命助けなきゃいけないし、私が危険な目にあったら命を張って守らなきゃいけないし、私の言う事は何でも聞かなきゃいけないのです。いい?」
リアンは頷いた。いや、こうズイズイと来られては頷かざるを得ないのだ。
「え、ええ。もちろんです。命をかけて、お守──」
ここで隣に座る猫背の騎士、正教軍中尉ジャック・ターナーが、遮るように言葉を発した。
「あー……、聖女様。しっかり、お頼みします。我々の未来は聖女様に委ねられておりますので……。ね?」
例え相手が聖女であろうが、王子に『命をかけてお守りする』など、言わせられる訳がない。
「……ええ、分かっています。案ずる事はありません。私のやるべき事はよく分かっているつもりです」
ターナーはボサボサの黒髪を掻きながら、小さくため息をつく。この聖女は本当に分かっているのだろうかと。
(まあ神が選んだのならば、間違いはないだろう……)
口には出さず、飲み込む。
「大丈夫、わかってる。私はこの巡礼で、聖女の威光を世界に轟かせる……」
マリアベルは呟いてちらりと、外を見た。街道の民達は、みな笑顔である。
「──まずは誰が聖女の威光を受けるに値する人なのかを、ちゃんと見極めなきゃ」
その消え入るような声は、馬車内の誰の耳にも届かなかった。
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