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野望


 拷問官は廊下の先にある扉までメリッサと女官長を案内し、扉を押し開けた。


 その部屋は凄まじい臭気に満ちていた。血と糞尿の臭いである。部屋の中央には、鎖で吊るされた裸の男が一人。髭面(ひげつら)で薄汚い。


 その男は、革の仮面を被った筋肉隆々の拷問官に(むち)で打たれていて、離れた所には女性の薬師もいた。男の背は張り裂け、大量の血が滴り、床は赤く染まっている。


「姫様……! こ、こんな所、お見苦しゅうございまする」


 色白の薬師が声を上げて立ち上がるが、メリッサは構うなと言うように掌を見せて制止し、静かに言う。


「首尾はどうか」


 拷問官が答える。その声は仮面でこもっている。


「さしたる情報も聞き出せず……」


「自白剤は」


 今度は薬師が申し訳なさげに答えた。


「使うておりますが、いささか効果が薄うございます。酒精(しゅせい)の毒に耐性があるのか、余程、意思が硬いのか……」


「妾が直接問うてみよう」


 メリッサは捕らえられた男の髪を掴んで、顔を寄せた。そして、目をじっと見る。


「お前の主は誰か」


 男は不敵にくつくつと笑った。


「カタロニアの姫さまが出てきたのか……。はは、噂通りの美人だなぁ……。なあ、教えてくれ。もう男との()()()()は済ませたのか? その股から血が出るか、俺が試してやろうか?」


 拷問官が激昂して男の頬を殴る。


「貴様ぁ……ッ‼︎ 姫に対して何たる物言いッ‼︎ 断じて許す事は出来んッ‼︎」


 さらにミランダが平手打ちをしようと手を振り上げて男に寄ったので、メリッサは彼女の腕を掴んで止めた。


「よい。大した胆力、褒めて遣わす」


「しかし、姫……ッ!」


「ミランダ、(あい)(かいな)を」


 ミランダは怒りを抑えるように1つ息を吐き、その手に持っていた2(フィート)(約60㎝)に満たないくらいの筒のようなもの、それに硬く巻かれた包帯を解き始める。包帯には血で呪文が書かれていた。徐々に姿を現し始めるそれの気味の悪さに、男はゾッとして声を上げた。


「……な、何だよそれは」


 包帯から出てきたのは、左腕の木乃伊(ミイラ)である。奇妙なことに青金石(ラピスラズリ)で真っ青に染め上げられており、小指に金の指輪、薬指に大粒の紅玉(ルビー)の指輪、中指に電気石(トルマリン)の指輪、人差し指はそもそも存在せず、親指に金緑石(アレキサンドライト)の指輪が三つ嵌められている。


 メリッサは腕を受け取り、木乃伊の人差し指のあった部分に開いた奇妙な穴に指を入れた。すると藍の腕の肘あたり、切断部分から筒状に巻かれた布のようなものが押されて顔を出した。メリッサはそれを丁寧に引き抜いていく。どう考えても藍の腕に入らない程に長い布が出てくる。奇妙だった。


「恐ろしいか?」


 男は問われて、生唾を飲み込んだ。


「リュカを馬裂(うまざ)きに処した『ウド王』の腕だ。人々の希望を絶った者の体の一部だから、慣れぬ内は見るだけでも体が拒絶する」


 そう言ってメリッサはウド王の腕をミランダに渡し、手に取った布のようなものをはらりと広げた。見て、男が呟く。


「……その毛皮は」


 男は表情を引き()らせる。この白とも灰色ともつかぬ毛皮、妙なのだ。見た目は粗末なただの毛皮だが、醸し出す異様な圧に恐怖を覚える。それは藍の腕の比ではない。


「名を『麤皮(あらがわ)の鏡』という」


「鏡? これが……?」


 麤皮とは驢馬(ろば)の皮の事である。聖母カレーディアがリュカと共に見世物小屋(サーカス)に売った驢馬のもので、その名はメメールと言った。当時の記録によれば不具(ふぐ)であり、右前足が無かった。メメールはリュカが生前大事にしていた家畜で、寝食を共にし、良き友であったとされる。


 メメールに関する逸話(いつわ)で有名なのは、馬裂きの際の引き摺り回しである。


 処される時、リュカの両手足は屈強な馬に括りつけられ、首はメメールに括り付けられた。執行される瞬間、尻を槍で刺され、メメールは走り出した。が、三本足では勢いがない為に首が飛ばず、それで四肢をもがれたリュカは街中を引き摺り回された。冷静になって主人の無惨な姿を見た時、メメールは血の泡を吹いて死んだと記録される。


 男は恐怖で息を荒げつつ、麤皮(あらがわ)を観察している。注意深く見ても、やはり見た目は薄汚い皮である。圧は(まやかし)か。


「ただの皮じゃねえか、脅かしやがって……」


 自分に言って聞かせるように、呟く。


()(あら)ず。陸聖の魔力を極める魔道具と心得よ。そうそう拝める物ではないから、目の玉を剥いてしかと見ると良い」


 メリッサは右手、胸の前で十字を切って、麤皮の裏側を男に向けた。


「……?」


 何もない。ただの毛皮の裏側だ。


 そう思った時、皮がほんのりと光り始めた。すると、毛皮の裏側に水の玉が浮き出てきた。いや、水ではない。血だ。驢馬の血が、滲んで出てきているのだ。


 それは徐々に玉と玉がくっついていき、やがてボタボタと滴り始めた。次々と、次々と、血が滲む。ついには皮は血に塗れた。


 その皮に映るのは、己の顔。塗れた血が水面のように光を反射して、姿を映している。確かに麤皮は鏡となったのだ。


「──これは、俺の顔か?」


 だが血に映り込む己の顔、人の肌ではない。ゴツゴツとして、無機質。所々が欠けていて、不格好だった。まるで、石像となったように。


「足元を見ろ」


 男は足元を見る。足が石となっている。


「……うわあ‼︎」


 石の範囲は徐々に広がって行く。


「ひいっ! や、やめろ‼︎」


 太腿まで石となり、腰まで石となり、それでも止まらない。


「ガフ……ッ‼︎」


 肺の石化がゆるりと始まって、血を吹いた。腹に激痛も走る。


「お前の主は誰か。嘘偽りなく答えよ」


「ゴホッ、ゴポォ……ッ‼︎ ハァハァ、こ、怖い、怖い……ッ」


 体が急激に冷えていくのを感じる。凄まじい耳鳴りがする。


「早くせねば死ぬぞ。脳が固まれば蘇生すること(あた)わず。奇跡が起きたとて障害も残ろう」


 石化は胃のあたりで止まり、今度は手の先から石となって行く。


「わ、分かった! 話すッ! か、閣下だ! 閣下に女を渡しているッ!」


「閣下とは誰か」


「アンデルセン伯爵だ‼︎」


 ミランダが呟く。


「アンデルセン伯爵……」


「獅子侯か。亡領の主が何を目的に女を集める」


 男を首を横に振る。


「し、知らない」


 メリッサは男の額に指を当てた。すると、その場所から石化が始まる。


「ほ、本当に知らないんだ‼︎」


 男の呂律(ろれつ)が回らなくなる。手足も痙攣し始めた。目の焦点も合わない。


「──狂ってしまわれたぁ! 閣下は狂ってしまわれたんだぁ!」


「狂った……?」


 メリッサは指を離した。


「閣下は、女を集めて、拷問している……。い、意図が見えないと、近習たちは、言っていた……っ。へっ、へへっ……」


 脳の感情を抑制する機能が破壊されて、笑いながら涙を流している。口からは血と共に胃液が漏れる。


「領が滅んで、おかしくなっちまったんだぁ」


 メリッサは顎に手を当て、少し考え込む。


「……獅子侯は何処にいる?」


「ナットウォルズの、廃城を、使っても良いと、マール伯爵から許可を、得た。復興し、自分の城を、持とうとしている」


 ナットウォルズとはマール伯爵領北部にある丘陵地帯である。交通の要所になると注目こそされていたものの、大きな開拓は行われて来なかった。と言うのも、あの辺りには竜の巣があるからだった。


「竜を倒して城を貰ったか。して、城を持ってどうする。マール伯爵に従属(じゅうぞく)するのか」


「5日後に、完成の披露式典と、宴がある。マール伯爵も、参列するから、悪い関係では、ないと思う」


 □□


 天守(キープ)屋上、凹凸状の胸壁(きょうへき)に囲まれた場で、絨毯の上、メリッサと爺は将棋(シャトランジ)に興じている。盤と駒を照らすのは白い月と夏の星空だった。


「ほう、狂ったと?」


 爺に問われる。メリッサは(ピール)を左斜めに2歩進める。


「うん」


「ロングランドは領によって通貨もまちまちでありますれば、他領の姫を(めと)るなどして関係を固める事も好みませんからな。瘴気で(くに)を失えば、領民共々ロングランドに留まることは出来ますまい。難民は魔物の(おとり)になるか、奴隷になるか。はてさて究極の二択にございまするな」


 爺は戦車(ルフ)を動かして、メリッサの陣に入った。


「とは言えどもマール伯の信頼を得ているようだから、完全に気狂(きちが)いとなった訳ではないだろう」


 メリッサは駱駝(ジャマル)を動かしたが、防戦一方となっている。凡そ、あと十手程でメリッサは(シャー)を取られるだろう。


「真の狂人(きちがい)は、己を狂人とは認めず、他人をも(あざむ)くものにございまする。獅子侯も表向きは騎士でありますれば、恐らく、マール伯爵はその事に気づいてはおりますまい」


 爺は(ファルズィーン)を動かし、攻撃の手を緩めない。


「……」


 メリッサは手を止めて、考える。


「姫が長考とは珍しい。降参ですかな」


「……のう、爺。知っているか」


 爺は髭をさすって、メリッサを見る。


「獅子侯の率いる軍は『百獣軍』と呼ばれる。その所以(ゆえん)を知っているか」


「アドラー家の焼印でござろう。魔物や獣を操るというそれを用いて、獣の大隊を作りまする。瘴気が遠かった時代には、怒涛(どとう)の勢いでいくつかの領を攻め滅ぼしたとか」


「して、改めて爺に問う」


 メリッサは盤から目を離し、爺を見る。それは虎の眼であった。


「──人間は、獣か」


 爺は言う。


「これは異な事を(おっしゃ)る。人も動物なれば、獣にございましょう」


 メリッサは胡座(あぐら)を組み直し、頬杖をついた。


「仮に、妾が盤の上で焼印を使えば、どうなる」


「……それは、こうなりましょうな」


 爺は盤上の駒を全て自分の方へ、くるりと向きを変える。象も馬も駱駝も、将も戦車も歩兵も、すなわち全ての()がメリッサの手駒となった。爺の(シャー)には、誰1人とて味方がいない。それを見て、メリッサはふっと鼻で笑った。


「攻めてみようか」


「さて、何処(いずこ)を攻められますかな」


「──アンデルセン伯が居る、ナットウォルズを攻める」


 メリッサは爺の歩兵(ピヤーダ)を動かし、王を討ち取った。


「式典にはマール伯他、領の重鎮(じゅうちん)達が集まると言う。であれば全てを葬り、この領も焼印も我が物と出来よう。どう思う、爺」


 爺は盤を指でトントンと叩きながら答える。


(くに)を手にすれば故郷が広がるのは言わずもがな、焼印があれば不足する兵を補え、象や駱駝の投入を早められる。……姫は斯様(かよう)に仰せか」


「左様」


「大義名分は如何なさる。聖女の行いとて、他領や正教会が黙ってはおりますまい」


「女を虐げて(なぐさ)み者とする(やから)、それに賛同し商売とせんとするマール伯爵と諸侯を討ち取り、聖女として領に安寧(あんねい)を齎す」


「それは事実無根では、ごさいませぬか」


「全てが終わってからそういう事にすれば事実となろう」


 爺は笑って言う。


「なるほど。全く、姫は恐ろしいお方だ」


 メリッサもまた笑う。


「爺がそう育てたのだぞ」


「分かっておりまする。ならば故郷(カタロニア)の為に、老骨に鞭打って支度しましょうぞ」


 メリッサは討ち取った王の駒を摘んで星空に翳した。水晶で出来たそれは、降り注ぐ幾億の星を(たくわ)えて、中に宇宙を宿した。


「出立は明朝とし、マール伯爵領を貰い受ける。──リトル・キャロルとライナス・レッドグレイヴには用心しろ」


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