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望郷

 

 イリーナコーストの要塞、その別棟(べつれん)の2階。石壁の一室には、様々な機材が所狭しと並べられていた。()、蒸留機と硝子(がらす)容器、粉砕機、濾過器(ろかき)。机の上には書物が積み重なっている。棚には(かご)に入った宝石と鉱物、並ぶ薬品の瓶。床には壺に入った炭。硝子の入っていない窓には花の苗が並べられている。これら全て、錬金術に使用する物だった。


 濾過器に取り付けられた雫の形をした硝子容器の中、ドロリとした物質がゆっくりと滴り、徐々に下に溜まってゆくのを、メリッサは椅子に座って見ていた。


 物質は魔力を多く含んでおり、窓からの斜陽(しゃよう)(たくわ)えて所々赤く光る。この赤は精霊サラマンダーの炎。メリッサは古城攻略の反省を活かし、さらに強力な魔導弾の開発を行っていた。ドロリとした赤く光る物質は炸薬(さくやく)に使用する。


 窓の外、西に沈みゆく太陽が、海上に光の道を作っている。風は少ない。(さざなみ)の音は寝言を言うかのように曖昧だった。


 メリッサを手伝っていた13歳の若い侍女が、その夕日を見ながら書物を本棚に戻そうとして、部屋の片隅にある布を引っ掛けてしまった。それで、はらりと床に落ちる。出てきたのは画架(イーゼル)画布(カンバス)だった。


「失礼しました」


 完成途中の油絵。描かれているのは、大窓のある部屋、光の中で8人の男女が集まって錬金術を行っている姿である。1人は大人で、後の7人は少年少女だった。


「うん? ああ、懐かしいな」


「これは姫様が……?」


「いつかは完成させたいと思っているのだが、中々」


 メリッサは懐かしそうに目を細め、侍女に寄った。


「ここに立っておられるのは、姫様で?」


 油絵の中、目立たない場所で紙に記録をとっている女子がいる。今よりも幼く見えるが、メリッサによく似ていた。


「そうだ」


「この者たちは、ご学友ですか? となると、ここが姫様が学ばれていた聖隷カタリナ学園……」


「いや、カタロニアの学舎だ。といっても、ただの家だがな」


 一般的に、学舎や学校と言えば教員の家のことを指した。生徒は直接家に出向き、授業を受けるのが普通である。特別に用意された建物や教室などはない。それはカタロニアでもカレドニアでも変わらない事で、聖隷カタリナ学園のような都市機能を持つ教育機関は、カタロニアには存在しなかった。


宮中(きゅうちゅう)に錬金術を極めた者がいなくてな。それでこの教師、アブラーンに教えを乞うた」


 メリッサは、長髭を蓄え、纏布(ターバン)を巻いた男を指差す。


「宮中に入りたがらない頑固者だから、妾が直接そこに出向いていた。泊まり込みでな」


「姫様が自ら……」


「私たちは『賢者の石』を作ろうとしていた。それを(もっ)てして、瘴気を止められないか、もしくは瘴気の中でも生きながらえる事が出来ぬものかと、挑戦を続けていた」


「この者たちは、今は……」


「学舎はハルハンにあった」


 ハルハンは4年前に瘴気に飲まれた緑地(オアシス)の街である。


「あっ……」


 侍女は少し声を出して、口を(つぐ)んだ。


 かつてハルハンを含む幾つかの街が、三つ首の魔物冥犬(ケルベロス)の群れによって滅ぼされた。今ではこの冥犬の強襲を狗惨(こうざん)と呼ぶ。


 ハルハン中央の泉は赤く染まり、臓物と脂が浮いた。太陽の熱でそれらは腐り、凄まじい死臭を発して、臭気は国中に漂ったと言われる。


 メリッサは死の街から逃げ仰せることの出来た、数少ない人間だった。それは、絵の中の学友たちが盾となり、囮となり、彼女を逃したからだった。


「今でも目に焼きついて離れぬ。逃げろと言ってくれた時の彼らの頼もしい笑顔が。今でも耳にこびりついている。逃げる最中、遠く、背中から聞こえる『ママ、助けて』という彼らの悲鳴が。それらは夢に出てきて、毎日、毎日、同じ惨劇を繰り返す」


 メリッサは思うのだ。


 もし、己が王の血を引いていなかったら、彼らは命を投げ打つことなく今も生きているだろうか。もし教えの通り、天に神の国があるとするならば、彼らは今もそこで錬金術にのめり込んでいるだろうか。そしてついに、賢者の石を見つけたろうか。もしあの時、己も共に逝ったなら、永遠に彼らと過ごせたろうか。


 仮に今、神の国へと昇って、初めて学舎(まなびや)に足を踏み入れた時のように『仲間に入れて』と言ったら、また笑って受け入れてくれるか。


 そう言えば、あの日は緊張していた。自分は王族だから、(へだ)たりを生んでしまうのではないかと。仲良くなれないのではないかと。


「美しい思い出は胸に残ると言うが、そんなものは(まやかし)だ。歳をとれば、砂の城が風で崩れるように、徐々に徐々にと忘れよう。妾が死ねば、ついには残らぬ。絵の中でなら永遠に生きられると思って描き始めたが……」


 絵の中の少年少女たちは楽しそうであった。メリッサは一歩引いた場所で、彼らを眺めるように記録をとっている。その表情は羨ましそうでもあり、幸せそうでもあった。


「やはり、国は残さねば意味がない。彼らが息づいた全てが残っていてほしい。あの地、あの丘、あの風、あの建物、あの会話、皆で泳いだ泉、語らった絨毯(じゅうたん)、買い食いをした市場、そして彼らの墓跡(ぼせき)。いや、彼らだけではない。我が民たちが息づいた全て、歴史の全てが残って欲しい。こんな時代であっても」


 メリッサは続ける。


「土地が残らぬなら、せめて新たなる国を。新たなる歴史を、作りたい。それすらも成し得なかったら、国のために死んでいった民の全てが無意味だった事になる。妾はそれを受け入れる器は持ち合わせていない」


 そして掌を見る。短刀(ナイフ)で少し親指を切ると、じわりと血が出た。そして直ぐにそれは固まり、光り輝いて、小さな赤い水晶となる。ちりんと音を立てて落ちた玉を見て、侍女は驚く。


「奇怪だろう。体に結晶が流れているんだ。過去を思い出して流れるのは涙ではなく、代わりに水晶が(あふ)れる。──もう妾は人ではない」


 侍女は焦りながら首を横に振った。人でないなど、肯定することが出来ようものか。


「やがて、この力がさらに覚醒して瘴気を祓えると言う。果たしてそれがいつになるかは分からない。国が滅びてからでは遅い」


 メリッサは描きかけの油絵に向かって、十字を切った。その表情は、儚い笑顔だった。


「妾を人の理から外しておいて、なお国をも失ったらば。獣物となって神を喰らおう」


 部屋の外から声がした。女官長のミランダである。


「姫様、礼拝のお時間が」


「うん。……そうだ、捕らえてきたロングランドの男はどうなった。何か情報は掴めたか」


「兵士が口を割らぬと漏らしておりました」


 □□


 砦内にある礼拝堂で祈りを捧げた後、女官長と共に天守(キープ)の地下室に赴く。そこに捕らえられた『馬車引き』がいるらしい。


 メリッサが地下に着くと、廊下の兵達がみな跪いた。


「……この者たちは?」


「馬車引きが運んでいた娘にございます」


 階段から直ぐの小さな詰所(つめしょ)に3人の娘がいた。総じて10歳前後に見える。どうやらこの者たちも拷問官の取り調べを受けているようだった。とは言え拷問が行われているわけではなく、椅子に腰を下ろして、彼女たちの()で話が進められている。


 捕らえられて早々は衰弱していたのだが、日が経って多少体力が回復したので、彼女たちからも情報を聞き出しているのだった。


「まだ(わっぱ)ではないか」


「なにやら、生贄であったと」


 娘たちはみな目の下に(くま)を作って、気落ちしているように見えた。この様子では一睡も出来ていないのだろう。また、頬に(あざ)がある者もいて、乱暴の痕がある。


「もう大丈夫だ。この砦にいる限り誰にも手出しはさせぬ」


 メリッサは微笑み、一人ずつ声をかけて抱きしめていく。すると、最後の一人が言う。


「村は、無事なのでしょうか?」


「村……?」


 拷問官が調書をメリッサに渡した。次いで、説明する。


「東にある村で晴れ乞いの儀式があり、その生贄だった由にございます。付近を巡っていた聞者役(ききものやく)の話によれば、冒険者の一行がその村の依頼を受けた、と」


 調書に依頼を受けた人間の認可番号が書いてある。組合に問い合わせれば、それくらいを知ることは容易(たやす)かった。


 番号を見てメリッサは直ぐに気がついた。己の連番であるから、つまり、共に試験を受けた聖女5人の内の一人。となると、付近で行動が確認されているリトル・キャロルに違いない。


「案ずるな。ここ数日晴れ渡っているし、どうやら妾の友人が一策講じたようだ。無頼(ぶらい)だが信用できるぞ。妾より頭も切れるし、強い。絶対に村は無事だ」


 メリッサが頭を撫でてやると、三人とも揃ってわんわんと泣き出してしまった。生贄に出されて怖かったのと、誘拐されて困惑したのと、家族が無事かも知れないのと、生きていて嬉しいという気持ちが、不安の(ふた)が外されたことで一気にわっと湧き出て、涙が溢れてしまった。それで、メリッサは豪快に笑い、まとめて肩を抱いてやった。

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