魔導砲(前)
第四聖女隊『神の駱駝』は、マール伯爵領北部にある聖地『古城ノーザングラウツ』へ向けて移動を開始した。イリーナコーストからトレー街道を北上する。
編成は以下である。象兵10、駱駝騎兵40、鉄砲隊25、騎兵30。四翼と呼ばれる勇士4人は重装を施した大駱駝に乗っている。率いるのは陸聖メリッサである。
古城は四方を山に囲まれた盆地にあり、古くは歴代のマール伯爵が居城としていた城であった。その聖地の近くにある街カタルトンにて、マール伯爵家の家嫡ジョッシュ・バトラーと合流する事となっていた。彼もまた、封印の獣の討伐を手伝う。
イリーナコーストを出て1日半、日にして大暑の節、朔日。16時。メリッサは爺と幾人かの侍女を連れてカタルトンに入った。他兵たちと象や駱駝などの獣は、街から離れた場所に設営した野営地に留まる。
□□
夕暮れ時。カタルトンにある大邸宅にて酒宴の準備が行われている。
忙しなく使用人達が部屋を行き交う中、ジョッシュは部屋に飾られる花々が萎れていないか、香りは良いかなどを念入りに確かめる。彼は父マール伯爵より『陸聖を丁重にもてなせ』と申しつけられていた。とは言え、ジョッシュ本人、陸聖への好意は溢れんばかり。言われずとも、気合を入れて酒宴に臨んでいる。
長卓の上には豪華絢爛な料理が並んでいて、蝋燭の灯りで宝石のように輝いている。ジョッシュは一通り内装の確認を終えると、内膳長を横につけ、これらの料理を一つ一つ確認する。
「これが地元の猟師が獲った鹿、それの扁豆と葡萄酒の煮込みだな」
「蕪も入ってございます」
「ああ、蕪と扁豆と鹿肉か。隠し味にはカタロニアの香辛料を使って……。すると味に、こう、何と言うか、深みのようなのが……」
ジョッシュは額に指をトントンと当てながら、ぶつぶつと言う。
「ジョッシュ様、料理の説明は使用人に任せればよいかと思いますが」
「ならん。俺が聖女に説明する」
このジョッシュという男は、とにかくメリッサと会話をしたかった。だから、この場にある全ての情報を把握したい。機会が訪れた時に、颯爽と蘊蓄なぞを披露して『お詳しいのですね』などと褒められたいのだった。
料理の説明を粗方覚えて、手鏡で綺麗な金の髪を整える。それで上品な香水を念入りに体に振りまいた。朝、訓練をしたために汗の臭いが残っていては困る。
そうして酒宴の行われる騎士の間で、うろうろと意味もなく歩き回った後、廊下の鏡前で深呼吸をした。そして今年24となる誕生日に新しく作った盛装、その溢れるような胸飾りの襞を丁寧に整え、胴着の刺繍の豪華さを認めた後、整った顔立ちと筋肉質な体付きに納得して『よし』と頷いた。
□□
陽が落ちて、酒宴が始まる。貴族たちが内膳長の指示で決まった場所に着座していく。最後に現れたのは、聖女メリッサと爺、そして二人の差副、つまり付き人である。
メリッサが身に纏うのはカタロニアの青い民族衣装で、正面は精巧な花の刺繍が大胆にあしらわれており、背は透かしの入った布であった。頭には金の刺繍が施された、限りなく薄い面紗。
その場にいる全員が聖女の美しさに言葉を失った。男達は胸が高鳴り、直視すらできない。体が火照って口の中が乾燥し、喉が渇く。今すぐに酒を飲みたいくらいだった。
ジョッシュはメリッサにぎこちなく近寄り、跪き、手をとって口付けをする。そして少し息を整える。さあ、失敗は許されない。凛々しく、颯爽と言うのだ。
「お会いしたかった、陸聖猊下。このジョッシュ・バトラーは、湖上の月が如く麗しい貴女のために二旅の兵(1000人)を用意して馳せ参じた。愛を胸に、勇敢に戦ってみせましょうぞ」
ジョッシュが連れてきた兵のうち、何十人かは自らが選別した優秀な益荒雄。その上、バトラー家の家宝である『聖コーワーの矛』まで持ち出したのだから、その気合いは相当だった。
「今宵の全ては貴女のものにございます。明日の戦いに向けて、大いに食事を楽しもうではありませぬか」
メリッサが微笑んだので、ジョッシュは心の中で跳んで跳ねて喜んだ。ようし、ようし。昨晩寝ずに考えた、ささめく風のような言の葉が、陸聖の心にしかと届いたようだ。
「さあ、こちらへ」
拍手の中、手を取って席まで案内する。そうしながら、明日の戦い、この美しい女性を護りながら勇ましく戦う様を思い描く。ああ、この柔らかな掌。絶対に傷つけなどしない。
そしてメリッサが着座した時、その紅の唇が動いた。
「一つ。卿にお願いが」
上目遣いで見られてジョッシュは赤面するが、咳払いを一つして、気を取り直す。
「このジョッシュ・バトラーは陸聖メリッサの為のもの。私に叶えられる願いなら、何でも叶えるつもりに御座いまする」
「ならば明日の戦い、卿は物見役にてお願い致しまする」
物見役とはつまり、見張りの事である。
「……へ⁉︎」
思わず目を丸くしたジョッシュに対し、メリッサの隣に座った爺が補足する。
「姫は後学の為に、自らのお力を試したいとお考えにございまする」
「あっ。いやっ。えっ? ……ええっ?」
「何を狼狽えておいでか。あの古城の周りには美しい野山がありましょう。気候も落ち着いた由、中腹に座して葉の緑と鳥の囀りを愉しみながら戦を眺めるのは、良いものにございまするぞ。物見役の特権ですな」
ジョッシュはポカンと口を開けたまま、爺を見ている。
「そうだ、爺。明日、卿に揚げ菓子を届けよう。とびきり美味いのをだぞ。安らぎながら見ていただくのが良かろう」
そして、またメリッサに目を移した。口は開いたままである。
□□
翌日。ジョッシュ・バトラーの命により、古城ノーザングラウツ近辺の道は全て封鎖。兵達は周辺の野山に分散して配置された。
ジョッシュ本人は街寄りの野山、名をリッカ山と言うが、その中腹あたりに本陣を設置。外に床几を用意して、望遠鏡で古城を眺めている。身に纏う勇ましい甲冑は鯨を模しており、机に置いた変わり兜も鯨の顔のようであった。
「聞いたぞ、ジョッシュ。聖女にこっぴどくフラれたらしいな」
ジョッシュの後ろに近寄る影がある。その者、赤髪を後ろで束ねた男だった。顔は涼やかで目つきは鋭い。マール伯爵領軍の青く厳しい軍服を着込んでおり、それには指揮官を示す飾緒と魔術師隊を示す肩章がある。手には銀の杖を持っていて、2匹の蛇が巻き付いた意匠。蛇の目は一方が金で、もう一方は翠玉だった。
「それは見当違いだぞ、ライナス。俺は好きでこれをやっている。今、至福の時だ。茶化しに来たのなら帰れ」
そう言うジョッシュの声は、やや暗い。
「これを茶化しだと思うなら、相当に余裕がないな」
「俺は帰れと言っているぞ。耳掃除はしたか?」
軍服の男、名はライナス・レッドグレイヴと言う。若くして騎士に任ぜられ、将の立場にあった。ジョッシュと共に聖隷カタリナ学園にて総合的な知を学んだ仲で、同い年の友でもある。卒業してからこれまでに、魔物の征伐で5度も同じ戦場を戦っている。
ライナスは机の上、兜の横に置かれている菓子に気がつく。
「これは?」
「異国の菓子だ」
ライナスは勝手にそれを摘んで食うが、ジョッシュは構わず望遠鏡で城を見ている。小鳥の囀りに交じって、ザクザクと菓子を食う音が響く。次いで扁桃の香りがふわりと漂った。
「甘いな。5分ほど煮出した紅茶が欲くなる」
「文句を言うんじゃない。メリッサが用意した菓子なんだぞ」
「本人が作った訳ではないだろうに。どうせパン屋の親父が汗だくになって作ったものだ」
「ええい。お前はさっきから意地悪ばかり言う。げんなりして来た」
ジョッシュの若い従騎士がいそいそと床几を持って来て、ライナスはそれに座った。
「いいか、ジョッシュ。友として忠告する。よく聞くんだ」
人差し指を立てて言うライナスに、ジョッシュは口を尖らせ、怪訝そうに眉を顰めた。顔全体がきゅっと窄まる。
「惚れたのは仕方ないと思う。だが、聖女はやめておけ。その上、異国の姫というのも良くない。お前の人生に世界がのしかかるぞ。不幸になるのが目に見えている」
「俺は、世界どんと来いの覚悟だが?」
「悪いことは言わん。もっと身分も身長も低い女が良い」
「お前の好みを言うな。俺はメリッサが好きになっちゃったの。それでこの話は終いだ」
そう言ってジョッシュは菓子を食んだ。美味い。最高だ。
その口いっぱいに頬張る姿を見て、ライナスはため息をついた。進言がまるで届かぬ時ほど、もどかしくて苛立つ瞬間はない。
とにかく、ライナスはこのジョッシュという良くも悪くも優しすぎる男を友として放っておくことができなかった。特に女に対して弱すぎる。学園にいた時から通算10度は女性関係で酷い目に遭っている。
1回目は学園時代、マール伯爵と不仲のヘス侯爵、その令嬢に迂闊にも毒を盛られ死にかけた。2回目も学園時代、身分の知れない女性に宿を貸して金品を盗まれる。3回目は成人して家嫡となった後、没落貴族のセスパ伯爵の娘と勝手に婚姻を結んで大事になった。色目を使われたのだ。今は破棄されているが、阿呆の極みである。他7件は割愛する。
何故この男はこうも学習しないのか。ライナスは今日も今日とて貧乏ゆすりが止まらない。
「それで、さっきから熱心に望遠鏡を覗き込んで、何か分かったのか?」
「第四聖女隊が城門正面に構えているのは見ての通り。ただ10分程前に、いつも側にいる爺様と数人の兵が城の中に入っていった。封を解きに行くのだろうな」
ライナスは望遠鏡を渡されて、見る。肉眼でも確認できていたが、確かに第四聖女隊は正面に構えているだけ。だが望遠鏡を通して見れば、馬かと思っていた動物の殆どが駱駝であった事に気がつく。軽く数えて、駱駝騎兵30、歩兵25、騎兵20、合わせて3両(75名)の兵。城を正面から攻めるには貧弱である。その中央、一際豪華な装備を施した駱駝の上にメリッサの姿もある。
「まさか竜騎兵団に対し、あの姫様は正面から行く気か?」
古城に眠る封印の獣『ティナ・ニールセンの竜騎兵団』。その名の通り複数の魔物で組織されている軍団で、武装した蜥蜴人が約700体封印されている。ティナ・ニールセンとは当時、この古城の城下町にいた巫女の名であり、蜂蜜を使って城に蜥蜴人を集めることを提案した人物である。
竜騎兵団の蜥蜴人は馬を巧みに操る。大勢で街に攻め入り、人や家畜を食い、颯の如き速さで土地を滅ぼした。
分泌物による独自の情報伝達手段を持っていて、離れた場所にいる仲間同士の意思疎通が出来るのも厄介であった。
当時の軍も必死で攻撃を仕掛けたが、倒しても倒しても卵を産んで蜥蜴人は増えてゆく。もはや全滅させることは不可能として、封印に及んだのであった。
また、この魔物は決して弱くないとされる。敵一体を対処するのに熟練の兵5人で囲んだ、と当時の事を書いた古い文献にはあるから、それ程の実力なのだろう。
そして魔物達が占拠した古城ノーザングラウツもまた堅牢。堀は埋められているが、二重となった城壁を攻略するのは至難の業。天守も形を残している。
ジョッシュは腕を組んで言う。
「恐らくメリッサは一点突破する考えだろう。したらば相当な犠牲が出るぞ。……ああ、今すぐ駆けつけて、手伝ってやりたい! そして、この俺の勇猛な様を見て欲しい!」
そして無念そうに拳を握った。
「行けば良いじゃないか。俺が物見を引き継ぐ」
「惚れた女を信じられなくて、何が男だ! 惑わすんじゃない、ライナス! 悪魔め!」
「面倒なヤツだ」
そう言ってライナスがまた菓子を食んだ時、古城がドクンと脈打つように震えた。いや、城が震えたのはおかしい。正しくは、空気が振動したのだ。
「……封印を解いたな」
「ついにか! 返せ!」
ジョッシュは望遠鏡を奪う。城壁の歩廊にワサワサと忙しなく行き交う蜥蜴人達が見える。急に現れた。
蜥蜴人は青とも緑ともつかない色をしていて、全身を覆う鱗が陽の光にぬらりと光っていた。多くの魔物が古い甲冑を着込んでいるようだ。
蜥蜴人は城門の外に第四聖女隊を見つけたようで、ギャアギャアと甲高く鳴き始めた。この魔物達の時間は、封印される直前で止まったまま。つまり、殺気立った状態で解き放たれた事になる。当然、連携も早い。
「ライナス、マズいぞ。もう城門を開け始めたし、弓を持った魔物もいる」
「これは俺も持ち場に戻ったほうが良さそうだな……」
歩廊に集まった魔物達は一斉に矢を構えた。そして、何を合図にする訳でもなく、同時に矢を放つ。
さらに城門が開き、馬に乗った蜥蜴人達が、ギャアギャアと喚き散らしながら出て来た。その数、百は下らない。向かうは一直線、第四聖女隊。
「……ん?」
ライナスが気がつく。古城のあたり、妙に煙ってきたのだ。
「何だ……。煙幕か何かを焚いているのか? いや、違う」
自分で言って、気がつく。これは煙幕の煙ではない。普通煙幕は黒か白だがこれは黄ばんでおり、さらに言えばかなり広範囲だ。
「──砂嵐だ」
ライナスが言って、ゴオと風が吹いた。濃い砂の風で、あっという間に城が隠れた。
「馬鹿な。こんな野っ原で砂嵐など──」
ジョッシュが言った側からバチバチと砂が鎧に当たって音を鳴らした。離れたここまで砂嵐がやって来たのだ。
「うっわあ! 目に砂が入った! み、水を持って来い!」
従騎士の少年たちがわたわたと狼狽えて水を持って来た。それで顔を洗っている間、ライナスは望遠鏡でメリッサのいた場所を見ていた。
砂の中薄らと、何やら怪しくぼんやりと光る布のようなものが掲げられているように見える。柔い光はひらひらと風に漂い、時折極端に激しい光を放って波打った。
ライナスには一体それが何なのかは分からなかったが、この砂嵐を起こしているのは陸聖だと直感した。この光に、母の体温のような暖かさと同時、身を委ねたら堕ちるとでも言おうか、夜の海のような底の見えぬ恐ろしさを感じたからだ。もしや、あれが聖女にしか持つ事を許されない聖遺物か。
「聖女は天候も操るのか!」
突如、轟音が響いた。遅れて、凄まじい地響きがあった。水の入った盤でちゃぷちゃぷと顔を洗っているジョッシュが言う。
「なっ、なにっ? 何が起こってる?」
ライナスは砂嵐の中、古城のある場所に激しく炎の柱が上がるのを見た。何度も立て続けに轟音が鳴って、炎が上がる。
「象だ。象が魔導砲を放っている……」
ライナスの望遠鏡は、砂嵐の中に蠢く巨大な影を写した。その出現場所、第四聖女隊が陣を構えていた南方向とは真逆である。いや、そこだけではない。南を除く三方向から象が魔導砲を放ちながら猛進しているではないか。
「まさか、周囲の林に象を隠していたのか」
魔導砲の威力、凄まじい。凄まじ過ぎると言っても良い。ライナスが知る魔導砲は氷結や雷撃といった補助効果を期待するものにしかすぎず、もちろん強力な兵器ではあるが、威力自体は通常の大砲に毛が生えた程度という認識だった。
なのに、これは何だ。着弾すれば灼熱の炎と、噴煙の如く黒々とした茸雲を作り、その煙の中で粒子が摩擦を起こして電離が発生している。熱波はここまで届き、頬が熱い。その威力、一国を焼き尽くすに十分であった。
ライナスは顎に手をやって、神妙な面持ちで唸った。
──この威力、流石に今回の討伐を想定して作ったとは思えない。
ざわざわと胸騒ぎがする。まるでそれは、洞窟の影、何も見えぬ奥から咀嚼音だけが聞こえるかの様な、確かな死の気配に似ている。
「──ジョッシュ。顔を洗い終わる頃には、城はないぞ」
「え? 何か言っているのか? 聞こえんぞ、ライナス」
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