晴乞い(前)
洞窟内、冥暗の中を進む。雨音がオオと反響していた。
エリカは集中して魔物の気配を探るが、感じない。今のところ、近くに敵はいなさそうだ。
しばらく行くと、屋敷の大部屋程に広い空間に出た。そこには腰程の高さのある石像が乱れて立っている。1つ1つ松明で照らした所、全て女神像だった。それはひたすらに祈るようにして、何個も複製されていた。
「王が作ったものなんでしょうか」
「御伽話は全くの作り話でもなさそうだな」
キャロルとウォルターは、その石像の影がぬらりと動いたのを感じた。魔法を習得し、反動的に霊感が高まった者のみが気づく事ができた。ここには少なくない数の霊が彷徨っている。念が残っているだけで、これらが脅威となる事はないが、それでも用心した方が良さそうだった。
最奥、岩盤を削って造られた大柱が並んでいた。その中に入り込むと、のっぺりとした大きな壁があって、行き止まりだった。だが、壁に精巧な花の彫刻がされた石扉がある。
「模様を見るに、古代アリシアの遺跡か」
キャロルは扉に触れる。やはりここにも結界が張ってあったらしいが、壊されていた。
石扉を開けて遺跡の中に入る。狭い通路だった。二人が並んで通れるほどの幅しかない。と言うのも、わざと幅を狭くするように土壁が作られているからだった。さらにそれは細かく区切られ、宛ら迷宮である。
壁には小さな穴が幾つか空いていて、キャロルはそれをなぞりながら言う。
「敵に攻め込まれた時の事を想定して作られている。この穴から、槍や矢で攻撃をするんだろう。元からあった遺跡を改築したようだな」
三人は慎重に迷宮を進んだ。
エリカは力強く剣の柄を握っている。狭い所で、風を食む雄牛のような『封印の獣』に出会せば、マズい。暗がりから敵が突然出てきたら、どうしよう。煩く鳴る心臓の音に耳を傾けながら、1歩、1歩と進む。
迷宮内には幾つかの部屋があった。穀物庫、武器庫、兵舎。どれもその名残ばかりで、辛うじて役割が分かる程度の状態だった。
それらを経由していくと、急に大きな部屋に出た。簡素な祭壇があり、ここにも無数の女神像が乱れて立っている。この至聖所が迷宮の最奥らしい。ここもまた外の雨音が響いて、低く奇妙に鳴っていた。
キャロルは手を翳し、光の魔法を発動させる。ぽう、と光の玉が五つ浮かび、傘のついた燈のように辺りを柔らかく照らした。
そして松明は消す。松脂を節約したい。
「しばらくここで休もうか」
エリカは滴る汗を拭って、息をついた。ようやく休める。気を張りすぎて疲れてしまった。
エリカがその場にしゃがんだ時、祭壇の後ろにある腐った綴織の下、剣と盾が壁に立て掛けてあるのを見つける。錆びている様子もなく、真新しい。凝った金の装飾が施されていて、光が当たると煌びやかに輝いていた。
エリカは近寄って、それを手に取る。刃に塗られた油の臭いがした。つい最近まで人の手にあって、丁寧に扱われていたものだろう。
「これって……」
エリカはキャロルを振り返って意見を伺おうとしたが、ウォルターが早足で寄った。
「もっとよく見せろ」
「え?」
ウォルターは剣を持つエリカの腕を掴み、まじまじと装飾を眺める。焦りの表情だった。
「……ビルゴの宝剣」
ウォルターは手を離し、顔を強張らせて辺りを見回す。
「信じたくはないが、百獣軍が関わっているのは間違いない」
エリカも辺りを見回す。が、この部屋には誰もいない。
「我が儘を言う。手出しをしないで欲しい。これは我が軍の問題だ。俺が直接、問いただす」
エリカは答えかねて、キャロルを見る。キャロルは即答した。
「分かった」
「恩に着る」
そう言ってウォルターは蛮刀を抜きながら、至聖所の出口へと向かってゆく。その足取りは追い立てられるようで、やはり焦っていた。
「あっ、ちょっと……!」
エリカが止めるのも構わず、そのまま出ていってしまった。まさか、そんなにサッと行ってしまうとは。さては、逃げるつもりか。いや、そういう雰囲気でもなかったか。何か、張り詰めていたような。と言うか、そもそもとして──。
「私たちの側から離れると、呪いが発動しちゃうんじゃ……」
「30分程度なら問題ない」
エリカはそれを聞いて胸を撫で下ろした。安心したわけだが、それもまた何だか癪に障った。まったく、どうしてあの悪者の事を心配しなくてはならないのか。
「ビルゴというのは、アンデルセン伯爵領の街『ビルゴ・ブリッジ』の事だと思う。その名を冠した剣を、誰かが授かったのだろう。卿にはその人物が誰だか分かった様だな」
キャロルはそう言って火のついた煙草を新しい煙草に押し当て、火種を移した。次いで、聖域を張ろうと、水筒に入った山羊の血と塩の袋を取り出す。
エリカはキャロルが血を撒くのを見ながら、小さくため息をついた。
「キャロルさん。一つ聞いて良いですか?」
「うん?」
「その……。キャロルさんはウォルターさんの事を憎くはないんですか……?」
純粋な疑問だった。どうしてキャロルはウォルターと普通に口を利く事が出来るのだろう。エリカはあの悪者と話すと、内から込み上げてくる嫌悪感に苛まれ、普通に接する事が出来ない。心が狭すぎるのだろうか。
「え? そりゃあ憎いよ」
「でも普通に話してますよね……。私が子供なだけなんでしょうか……」
キャロルはその質問の真意を悟って、埋もれた女神像の一つに腰を落として脚を組む。聖域を張るのをやめて、煙を深く吸って吐いた。白い煙がふわりと上って、天井を撫でる。
「ああ。何と言えばいいか……。上手く言葉に出来ないけど……。憎いから、憎い人間のままでいて欲しくないと思う」
キャロルは訥々と続ける。
「私はね、いい人でありたいと思ってるんだ。……だから、他人にも、いい人でいて欲しい。相手が憎いからと態度に出したら、きっとそいつは憎い人間のまま変わらない。だから、出来るだけ相手を信じるようにはしている」
エリカは俯いた。少しばかり耳が痛かった。
「……信じても裏切られるかも知れません。悪い人なら尚更」
「裏切られても大丈夫なように、自分を磨くしかない。いい人であり続けるには、強くなるしかない。心も体も、誰よりも強くなるしか」
エリカが肩を落としてしまったのを見て、キャロルは笑いながら言う。
「ま、クリストフ5世に甘いと言われた考えだから、気にするな。貧民街流の処世術だ。あの街で憎い人間を憎いままにしていたら生きていけない。信じて裏切られたら、鼻をへし折れるくらい喧嘩が強くなきゃダメだ、って事だよ」
キャロルは笑みを止めて、エリカの後ろに目をやる。黄金の瞳がギラリと光った。
「エリカ、後ろだ」
エリカもほぼ同時でその気配に気が付いた。背後、冷えた刃の殺気。鋭く息を吸い、振り向きざま、黒い剣を斬りあげる。
(──女の人っ⁉︎)
女が手に短剣を持っていて、その銀の刃が首目掛けて迫る。だが、エリカの剣は短剣が届くより先に、その女の腕を切り裂いた。女は倒れる。倒れた所、エリカは膝で両腕を押さえつけ、首に刃を突きつけた。
「だ、誰……?」
女の帽巾が取れて、金の髪が灯りに照らされ、きらりと光る。若く、美しい顔立ち。黄水晶の首飾りが黒い刃に微かに触れて、切れた。
「全然気配を感じなかった。いつからここにいるの……?」
エリカが言ってすぐ、蹌踉めきながらウォルターが至聖所に入ってきた。首を手で押さえていて、そこから大量の血が溢れて地に落ち、ボタボタと音を立ている。この女に首を斬られたのだ。
「ネリー・アーヴィン……」
「仲間、ですか……?」
エリカが問うのも構わず、ウォルターはネリーという女に近寄る。
「生贄はただの娘だ。お前ともあろう者が、見誤るはずがない。答えろ、何故こんな真似をした……!」
キャロルが言う。
「二人とも離れろ」
エリカは振り返る。
「斬られたのに血が出ていない」
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