ゴブリン
結論から言うと予想は外れた。振り向くと10歳にも満たない赤毛の女の子が立っていた。
「人の後ろをつけて回るのは感心しないな」
「ごめんなさい……」
「あの闘技場は悪い大人たちが集まるところだ。お前さんにはまだ早い気がするけど」
振り向き様に睨んでしまった為、頭を優しく撫でてやる。
「あそこに行けば強い人が見つかると思ったから……」
「強い人?」
女の子は勇気を振り絞るように拳を握りしめ、私をじっと見て、こう言った。
「あ、あの! お願いがあります! 亜人を倒してくれませんか⁉︎」
亜人とは、緑色の肌をした人型の魔物だ。大きさは人間の子供程度だったり大人以上にあったりと、まちまち。5歳児程度の知能があって、計画的に家畜を襲ったり、作物を奪ったり、性質が悪いのだと人を攫ったりもする。
一体一体はさほど強くない。慣れた成人男性であれば、農作業用の鉈や鍬でも十分対処出来る。
だが時に奴らは群れる。群れると面倒だ。こちらから攻撃を仕掛けても、仲間を盾にして、数で押し切られてしまう。熟練者たちで組織された傭兵団が油断をして、亜人の群れの前に全滅した、という話も少なくは無い。
込み入った話になりそうなので、大通り沿いにあった小さなパン屋に入り、落ち着いて話を聞くことにした。茶を2杯、それから女の子にと揚げ菓子を1つ頼んで、座る。
「その亜人は何体いるんだ? 何となくの数で良いよ」
10体程だろうか。
「100体……」
「ふぉっぶお‼︎」
思わず紅茶を吹き出してしまった。店主の婆さんがカウンターの奥から出て来て、慌てて布切れを渡してくれた。
「多いな」
「お願いします! お願いします!」
少女の話を総括するとこうだ。
元々、彼女の住む村の近くには、古くから亜人の巣があったと言う。基本的に亜人という魔物は臆病だから、ここの亜人も例に漏れず、人間に直接危害を加えるような真似はしなかった。あったとしても、真夜中に兎や野菜を盗るくらいだったのだそうだ。
が、少し前から亜人達が活発になり始め、昼夜問わず、しかも頻繁に、村の農作物を荒らし回るようになった。理由ははっきりと分からないと女の子は言うが、私が思うに王が変わったのだろう。
一方で隣村も亜人の被害を受け始めた。それで隣村は傭兵団を雇い、対処に乗り出す。
しかし30人程度で組織された傭兵たちは帰ってくる事がなかった。それどころか、装備を奪われてしまう。
武装した亜人はさらに凶暴化し、山羊や羊などの家畜を襲うようになった。家畜を守ろうとした村の若者も何人か殺された。人間の武器や防具を装備されてしまうと農民ではとても歯が立たない。
領軍に討伐の依頼をしているものの他件の対処に追われていて、すぐには出陣できないようだ。縋る思いで冒険者組合にも依頼を出すが報酬に限りがあるからか、なかなか受けてもらえない。
そうして困っている間も、亜人は村を襲う。
■■
その村は、サマセットから歩いて一時間ほどの距離にあるらしい。巣に向かう道中、そんな所から毎日地下闘技場に通ってたのか? と聞くと、女の子はこくりと頷いた。
しばらく歩き、小高い丘を登った所で、小さな広場のある村を見下ろすことが出来た。ここが、彼女の村だった。至る所で火を焚いて、亜人が来るのを防いでいる。離れた場所からでも、焦げた臭いを強く感じた。
この丘から街道を外れ、野っ原に入り、しばらく行くと小さな谷があった。そこを降りた先にある洞窟が、巣らしい。
洞窟を覗くと、黒く塗りつぶした暗がりから肉を腐らせたようなガス臭がした。臭いに混じって、異様な圧も感じる。人殺しに慣れた魔物の気配だ。女の子の言う通り、ここは亜人の巣で間違いはなさそうだった。
「よし、もう村に帰っていいぞ。あとは何とかする」
「あの……、どうして引き受けてくれたんですか?」
「どうしてって……。困ってるんだろ? 事情を聞いておいて無視出来るほど堕ちてはない……、と自分では思ってるんだけどな……」
私がそう言うと女の子は少し恥ずかしそうに手を突き出した。その手に持っているのは、ふわふわとした白い小さな花を集めた花束だった。葉は手のひらのような特徴的な形をしていて、深い緑色。
「……これ。あげる」
頬を赤らめている。可愛らしいものだ。
「ありがとう」
丘を降りる最中『ちょっと待って』と茂みに入って行ったのは、これを摘みたかったからなのだろう。
■■
女の子が帰って行ったのを確認して、洞窟に一歩足を踏み入れる。闇の中で纏わりつく感覚に、相当な数の亜人が潜んでいるのを察する。
さて、女の子の話によると、敵は100体。子供の言う事だから、多少は話を盛っていると思うが、どうだろう。まあどちらにしろ、この場で魔力を最大限放出して、全ての敵を菌糸まみれに出来るかどうかと問われると、流石に自信はない。制圧し終わる前に魔力が尽きてしまったら、多少の痛い目は覚悟しなくてはならない。それは嫌だ。そもそも、洞窟の広さも分からないうちにゴリ押すのは馬鹿のすることだ。
「格闘戦になるかな」
結論、節約しながら戦う必要がある。両腕に魔力を纏って、触れた相手から菌で蝕んでやることに決める。
私がもう一歩踏みだした瞬間、正面から亜人達が飛びかかってきた。正直、助かる。跳んでいる相手は当てやすい。避けることが出来ないからだ。
正面から来た敵に蹴りをかます。当たった場所から茸になって、腐り、崩れて弾ける。
腐敗した亜人が飛ばされて、別の亜人に衝突し、連鎖が始まる。どんどん茸と肉が合の子になって、腐って、ガスで弾ける。
「さあ、遠慮せずにどんどん来て良いぞ。見た目の通り、血の気の多い性格なんでね。一対一より、一対多のほうが気分が乗るんだ」
この調子でいけば早そうだ。
■■
順調に亜人たちを排除し、ジメジメとした洞窟を進む。
が、多少魔力を使い過ぎてしまった感がある。まだいまいち、この力の加減を掴みきれていないようだ。もっともっと力を使って、体に感覚を叩き込む必要がある。
「気分が乗りすぎた。明日は筋肉痛だ」
もう一つ。森に篭っている間、あまり体を動かしていなかったのも良くなかった。例の力を調べるのに熱中しすぎていたのだ。これだけの事で腕や脚が張っている。やれやれ。
ああ、そう言えばせっかく煙草を買ったのにまだ吸ってない、と口の中でごもごもと言ったあたりで、先よりも広い空間に出た。天井が崩れている箇所があり、外が透けて見えて仄かに明るい。奥に道は繋がっているようには見えないから、どうやらここが、最奥の部屋のようだ。
地面には人の死体や家畜の死体が幾つも重なっていて、亜人どもの糞尿や食いカスで覆われていた。おそらく、人の死体は話にあった傭兵団の死体だろう。
そして、壁一面には血で描かれた紋様のようなものが見える。これは亜人流の芸術か。初見ではなかなか理解し難い。
部屋にいるのは、一際大きい亜人の王。およそ13呎(4メートル)。どこからか盗んできたであろう、赤い外套を羽織っている。
あとは、鎧や剣、盾などで完璧に装備を整えた亜人が5体。体躯が良く、6呎(2メートル)。この巣きっての精鋭メンバーでお出迎えだ。
「そうか。私が疲れてここまで来るのを、じっと待ってたわけか」
5歳児程度の知能とはいえ、存外頭がいいものだ。確かに私の魔力はほぼ尽きているから、ヤツらの作戦は成功している。私の気分が乗る部分まで計算してやったのであれば、唸るしかない。
「でも、お前らが思ってるよりも人間様は頭がいいかも知れない」
私は腰に下げていた、女の子から貰った花束を手に取る。そして火の魔法で葉を発火させ、地に投げ置いた。
これは大麻だ。都会では麻薬のイメージが強いが、効能が弱い種なら薬としても良く用いられている。特に、このような山間の地方では。
きっと女の子は知っていたのだろう。遥か昔、魔力疲れを起こした魔術師達は、大麻の煙を吸って疲労を麻痺させていたということを。疲労を打ち消すことで体を騙せれば体はまた魔力を作り出す。
ただ、この匂いを嗅いだ日は夜眠れなくなるのが欠点だ。腹も減らなくなる。健康には良くない。
「さて、来いよ。相手してやる」
そう言ってため息をつき、首を鳴らす。
『──ギャエエエエエエ‼︎』
亜人の王が号令をかける。周りの亜人達が襲いかかろうと、下半身に力を込め、一斉に身を屈める。だが、それでは、もう遅い。
私は掌を開いて相手に翳し、ゆっくり、絞るようにグググ、と拳を握る。
私の前方、壁、天井、床から大量の菌が発生し、亜人の王諸共、塊で押し潰した。
ぱちゅっ、と小さく潰れる音が連鎖して聞こえた。勝負はついた。もはや菌糸を出したと言うよりも、四方から壁を生み出した、と言った方が正確だろうか。
「ようやく落ち着いて吸えるかな」
そう言って踵を返し、私は買ったばかりの煙草に火をつけた。
□□
リトル・キャロルが亜人の王を倒して、一夜が明けた
まだ日の昇り切らない時間、淡い紫色の空の下、亜人の巣に領軍が到着する。
プラン=プライズ辺境伯は、出来るだけ早い段階でこの巣を制圧したかった。だが、ここは辺境の領。兵隊にも限りがある。不眠不休で働かせることも出来ない。当然ながら対処できる案件には限りがある。
「すまないな、通してくれ」
朝の早い時間にも関わらず、巣の入り口には多くの村人たちが集まっている。辺境伯は、その大きな体でのっしのっしと村人達を分け入った。
「こ、こちらです」
村の若い男に洞窟内を案内される。足元には腐って泥状になった亜人の死骸と、同じく泥状になった妙な塊が散らばっている。
辺境伯は眉を顰めながらそれを踏み越えてゆき、ついに最奥の部屋に辿り着いた。
「──これは一体」
辺境伯は不思議に思った。洞窟の中に洞窟があるのだ。茶色く黒ずんで、ぐずついているような、腐っているであろう、柔らかい洞窟。それは溶け出して、汁のようなものになって滴り落ちている。汁はチーズのように糸を引いて伸びて、張り巡らされていた。
若い男が松明で奥を照らすと、潰れて腐った亜人の王の姿があった。
□□
村人たちによると昨晩、『亜人が全滅した』と触れて回った女の子が居るらしい。なので、辺境伯ら領軍は一旦村に入り、今回の件について詳しく話を聞いてみる事にした。
「座ったままで悪いな。いやはや、歳をとると足が重くてね。……君が、巣を制圧した者を知っている子かね?」
プラン=プライズ辺境伯の質問に、赤毛の女の子が頷く。
「さて。それがどんな人だったか、教えてはくれんか」
辺境伯は、『怖くないよ』と聞かせるように、しわくちゃの笑顔を作る。
「……お姉ちゃんだった」
「そうかあ。その人の魔法、見たかい?」
女の子は頷く。サマセットの街、地下闘技場で、妙な魔法を使っていたのを覚えている。
「どんな呪文を使っていたか覚えてるかな? 例えば、神に感謝をしていたとか、血や闇に纏わる言葉を──」
「呪文、使ってなかったよ」
「じゃあ、何か紋様のようなものを地面に──」
「描いてない」
辺境伯の目の色が、変わる。
「本当に?」
「うん」
「──ふむ。そうか。ありがとう」
赤毛の女の子が親の元へ駆けて行った後で、辺境伯はうーんと低く唸り、側近の兵に言った。
「この話が嘘偽りないものだと仮定して……。無詠唱を習得出来る人間など、そうはいまい。すると、誰なのかが、随分としぼられると思わんかね」
髭をさすりながら続ける。
「諸侯のような教育を受けた者だろう。例えば……、そうさね……。聖隷カタリナ学園だとか、そういうのだ。その中でもよほど特別な待遇かも知れん」
聖隷カタリナ学園とは、聖女を擁している学園であるから、つまりこの老人は、少女の話だけでおおよそを言い当てた事になる。
兵が、やや不安げな声で言う。
「今は魔物に対して力を振るっているようですが、この先、我々に矛先が向かないとも限りません」
得体の知れない実力者を野放しにしているというのは、恐ろしいものだ。何が起きても不思議ではないのだから。それこそ、領が転覆するようなことが起きようとも。
「ふむ……。敵となる者か、それとも通りすがりの災厄と見るか……」
辺境伯は顎に手を当て考える。そして、ため息混じりに呟いた。
「いずれにしても、直接話を聞く必要があるわな」
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