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大地の聖女(前)


 マール伯爵領西部、イリーナコーストと呼ばれる海岸に古い要塞があった。今は常駐(じょうちゅう)する兵もおらず、廃墟である。かつては周辺に小さな街も幾つか存在していたが、もうない。


 浜風が潮の香りを乗せて吹く。(さざなみ)の音が絶えず聞こえている。海猫(うみねこ)達は風に浮いてみゃあみゃあと鳴きながら、真っ青な空を飛び交っていた。


 馬に乗った正教軍の若い兵が砂浜に辿り着いた。その男はふうふうと息を荒げながら、水でも浴びたかのように汗で濡れた顔を手で拭い、浜辺から少し離れた松林(まつばやし)へと向かった。


 松の木陰で『第四聖女隊』の兵達が一休みをしている。彼らの殆どが裸で、腰を下ろしたり、寝そべったりをしていた。この所、王国西部沿岸では猛暑が続いている。


「聖地『古城ノーザングラウツ』に向かう、第四聖女隊とお見受けする……」


「王都からの使者か……?」


 気怠(けだる)げに問われて、頷く。


「陸聖メリッサ・サンチェス・デ・ナヴァラはどちらに……」


 若い男も馬を降りて日陰に入る。そして腰につけた水筒の中身を飲み干した。来る途中、名も知らぬ村で水を貰った来たのだが、これで無くなってしまった。


「あそこにおられる」


 指で示された場所を見る。


 眩しいくらいに真っ白な砂浜の上。5人の人間が並び、床几(スツール)に腰掛けて海を眺めている。


 傍には旗が2本。1つは聖鳥章の描かれた盾と、長劔(サーベル)を持つ鷲が描かれた隊旗。もう1つは異国の標語が書かれた流れ旗(ウェクシルム)であった。


「日除けも作らずに暑くないのか……!」


 使者が驚いたように言うと、気怠げな男が頷いた。


「それが汗一つかいていない。砂漠の国カタロニアではこの程度、暑いうちに入らんらしい」


「正気か」


 使者は布で汗を拭い、軽く体裁(ていさい)を整えて、浜辺の5人の元へ歩み寄った。そして、彼らが海を眺めるのを邪魔しないよう、顔を向ければ見えるような位置で(ひざまず)き、様子を窺う。


 5人の中央は女性であった。使者はその(たたず)まいに並々ならぬ風格を感じ取って、それが陸聖メリッサであると気がつく。


 メリッサは白い長衣に身を包んでいた。それには繊細な金の刺繍(ししゅう)がなされている。少し癖のある深い飴色(あめいろ)の髪が潮風に揺れて、金の髪飾りが夏の日差しに煌めいていた。その髪飾りには様々な色の宝石が散りばめられており、特に額を飾る、桃色の金剛石(ダイヤモンド)には現実離れした輝きがあった。


 顔立ちは少女のようでもあり、貴婦人のようでもある。炎天下でも赤らむ事のない薄い杏子色(アプリコット)の肌に、理想的な扁桃(アーモンド)型の瞳。兎にも角にも、心の臓を突き刺して来るような絶世の美女であった。


 使者に気がついて、メリッサの隣にいた男が軽く顔を向ける。その者は浅黒い肌をした、顎髭(あごひげ)を蓄えた老人であった。彼は全身を覆うような長衣を着ているが、様々な模様の布を重ねたようなもので、刺繍はなく華美でもない。頭には布を巻いている。


 使者はその老人のすぐ傍、砂浜に突き刺された身の丈程もある、鉄塊(てっかい)のような大剣を見て仰天した。まさか、この老体が振るうのではあるまいな。


「どうした」


 問われて我に返り、素早く頭を下げる。


「王都『魚肚白社(ぎょとはくしゃ)』より、ご通達が」


 魚肚白社とは王都に存在する、正教軍が有する建造物の名である。最高統帥部(とうすいぶ)、即ち大本営が置かれる。


「申せ」


 兵は書簡を開く。


此処(ここ)より東、スレイローの街にてリトル・キャロルが戦闘に入れり。第四聖女隊に於いては巡礼を続けながら、実態について見定める必要(これ)あり」


「ほう」


「交戦に及ぶなら直ちに援軍を要請し、万事(ばんじ)抜かりなく行うべし」


 老人は歩み寄って、書簡を受け取った。


「この所、近隣で女が消えていると報告があります。隣領ですが、スレイローの件はその一連の騒ぎに関係するとの事。すぐに出立し、リトル・キャロルを追われますよう」


「姫、いかがなさる」


 老人はメリッサを見る。


「放っておけ」


 メリッサは海から目を離さず、言う。思わぬ回答に、使者は目を丸くした。


「しかし、書簡には教皇の封蝋(ふうろう)がありますが……」


「では、()(ほう)で誤魔化せ」


 使者は唖然(あぜん)とする。


「いや、しかし……」


「役目大義(たいぎ)。下がれ」


 これでは王都に戻ったとて何と説明すれば良いかわからない。もう少しまともに検討して欲しいので、控えめに物申そうとした時。老人は大声を上げた。


「くどいッ! 下がらんかッ!」


 使者はすぐに頭を下げ、逃げるようにして走って失せた。それで、老人はどかりと床几に腰を下ろす。


「良いのですかな、姫」


「構わん。(わらわ)に実害があるわけでもあるまい」


 メリッサは紅を塗った唇を緩ませ、言う。


「腹黒の海聖(かいせい)や、なにやらリトル・キャロルに執着する焔聖(えんせい)なら動くやも知れぬが、妾は彼奴(きゃつ)を嫌いではないし、むしろ好いているのだ、爺」


「ほほう。姫をそうまで言わせるとは」


 爺と呼ばれる老人は、感慨深そうに頷く。


 この老人は正教軍大尉アル・デ・ナヴァラと言い、メリッサの大叔父にあたった。本来はナヴァラ朝カタロニア禁軍所属であるが、メリッサが聖隷(せいれい)カタリナ学園に入園する際、正教軍に編入しており、第四聖女隊を纏めていた。


 爺とメリッサの付き合いは長く、妻は乳母(うば)であり、爺は傅役(もりやく)であった。メリッサの物心がついてからは、勉学から教養、武術、魔術、占術(せんじゅつ)に至るまで、全てをこの男に仕込まれている。


 また、ここに座るメリッサと爺以外の三人も、同じく老いたカタロニアの戦士であった。それぞれ弓、槍、魔法に長ける達人で、爺は大剣の扱いに長ける。彼らは四翼(しよく)と呼ばれた。


「キャロルは見た目こそ澄ましてはいたが、己を磨く為ならば麻薬を使うのも(いと)わぬ気狂(きちが)いだ。面白かろう。最後は本性も曝け出したぞ」


「そこまで気に入っておられるならば、何故、学園を追い出される時に(かば)ってやらなかったのですかな? 姫が物申せば、学園も考え直しましょう」


「はは。面白いとて、近寄りたくはない。庇えば、妾の立場も怪しくなる」


「それは失敬」


「キャロルを追わなくても、巡礼を進める事で十分ヴィルヘルム・マーシャルに対しては恩を売っている。偽神となろうという狼藉者(ろうぜきもの)に、これ以上媚びる必要もあるまい」


 異国の姫であるメリッサにとって、一番は祖国カタロニアの事であった。故に、瘴気で滅びかける祖国が再興するにあたり、誰の味方をするか十分に見極める必要がある。


 言うまでもなく、正教会と神聖カレドニア王国は重要。瘴気に蝕まれた土地を解放するのは、未知のこと。何が起きるか分からない。だからこそ、今人類が行使できる最大の戦力を用いなくてはならない。即ち、カタロニアの軍勢だけではなく、正教軍とカレドニアの禁軍、そして諸侯の協力を得る必要があった。


「果たして教皇は、本当に神となるのですかな」


 ヴィルヘルム・マーシャルが神と名乗ろうとしていることはメリッサも知っていた。そしてリトル・キャロルが光の聖女だったということも。正教会幹部に間諜(スパイ)がいる。


「上手くゆけば利用するだけのこと。もし哀れにも失敗するならば、それこそ偽神が敵とする輝聖(きせい)リトル・キャロルが、妾にとっては味方となるやも知れぬ。だから、放っておけ」


 大弓の翁が言う。


「して、姫様。ゆくゆくは、どちらにつくおつもりで。偽神か、輝聖か」


 大杖の翁が言う。


「聞く所によりますれば、リトル・キャロルは健気な巡礼をしているという噂。ですが、第五聖女隊を再編したという噂は聞きませぬ。これ即ち、一人旅と推察する」


 大槍の翁が言う。


「いくら輝聖と言えども一人であれば弱小。かたや教皇は正教軍の全権がその手にあるばかりではなく、国王アルベルト二世の信頼も得ておりますれば、実に強大でありまする。畏れながら、今は教皇に()びてリトル・キャロルを捕らえてはいかがか」


 メリッサは海を見たまま言う。


()いては事を仕損じる」


 爺はメリッサを見る。


「姫は、リトル・キャロルが教皇より力を持つとお考えでござりますか」


「今は風見鶏でよいという事だ。場合によっては、偽神も輝聖も役に立たず、瘴気が祖国を飲み込んでしまうやも知れぬ。再興出来ると確信する時まで、臨機応変に立ち回れる位置に居続ける事こそが一番重要」


「祖国が飲み込まれましたら、どう致しまする」


「知れたことよ」


 メリッサは爺を見返して、冷ややかな笑みを浮かべた。


「──この国を滅ぼし、ナヴァラ朝とする。十把一絡(じっぱひとから)げに焼き尽くし、偽神も国王も家畜に食わせれば良かろう」


 そう言って、その為にこうして準備をしているのではないか、と付け足す。


「まあよい。話を戻すが、その女が消えるという話。妾も気になる。歩き巫女(シビュラ)に扮した聞者役(ききものやく)を放ち、その様子を調べさせよ」


「はっ。直ちに」


 爺が頭を下げた時、大弓の翁が言う。


「この国の民のことなど、放っておけば宜しゅうございます」


 メリッサは戯けるように小さく舌を出して、己の鼻を指差した。


「妾の嗅覚よ。輝聖が関わると言うし、調べておいて損はあるまい。それに解決可能ならそれはそれで、領主のマール伯爵に媚を売っておけばよい。役に立つ」


 そして傍の小机から望遠鏡を取り、それを覗き込むと、青い地平線に白い点を認めた。


「ついに見えたぞ、爺。海賊に襲われなかったらしい」


 爺に双眼鏡を渡す。爺もそれを覗くと、やはりそれは見えた。


 白い点は、夏の光を跳ね返す真っ白な帆。大帆船(ガレオン)である。


 船にはためく旗は三種類。一つは、三角の旗。赤い生地に黒い双頭(そうとう)の鷲が描かれて、脚で持つは二つの長劔。これは『アルモハードの血』と呼ばれる旗で、ナヴァラ朝を象徴する旗であった。


 二つ目は黒い無地の旗。これは禁軍を表す。


 そして三つ目は、メリッサの側に立つ流れ旗(ウェクシルム)と同じもの。カタロニアの文字で『神の民、自由、大いなる国土』とあった。


 満帆(まんぱん)に風を孕んだ船は、輝く夏の海を越えてカレドニアにやって来た。声が聞こえる。海猫の鳴き声と潮騒(しおさい)の音を掻い潜るように、『姫様、姫様』と。

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