轍(後)
「指を折れ」
エリカはウォルターの左手の小指を掴み、手の甲の方向に折った。
「遠慮するな。もっと大胆にやっていい。指は10もあるし、足も含めれば20ある」
そう言われたので、左手の人差し指から薬指を掴み、一思いに折った。
「グ……‼︎」
ウォルターの額に脂汗が滲む。
「指が終わったら手首、腕、肘、上腕。それが終われば足、脛、膝、腿。このまま端から砕かれて死ぬか?」
「そ、そんな事をしても無意味だ……ッ!」
「ほう?」
「女に騎士は殺せん……!」
ウォルターは気丈に笑む。
「そうか。なら、試してみよう」
キャロルは寝台の上にあった毛布を何枚か手に取り、ウォルターを中心に広く敷き詰め始めた。
「な、何をするつもりだ……?」
「部屋を汚しちゃ不味い」
「俺を殺せば、何も分からなくなるぞ」
「いや、これだけ分かってれば調べはつく。お前から情報を聞き出そうとしたのは効率の問題だ。時間はかかりそうだが、仕方がないな。私も諦めるから、お前も諦めろ。エリカ、口を開けさせてくれ」
エリカはウォルターの顎と額を掴み、グググ、と無理矢理に口を開けさせた。そしてキャロルは腰の袋から小さな丸薬を取り出し、それを彼の口の中に入れた。
「こ、これは、何だ……!」
「心配するな。芥子で作った幸せ薬だ。せめてもの情けだと思え」
キャロルは寝台に立てかけてあった蛮刀を持ち、鞘から抜いた。蝋燭の灯りに照らされ、刃が熱を持ったように赤く染まる。
ウォルターは震える瞳でキャロルの目を見た。黄金の瞳には躊躇も罪の意識も、何も孕んでいない。例えば処刑人のように、人を殺すことを前にしたとて、それを単純な作業として見ているような、至極、淡白な目をしていた。
──この女にとっては人殺しなど、然したる事ではない。
それを理解した時、ウォルターの体は今までに無く震えた。
「怖いなら薬を噛め」
ウォルターは丸薬を勢いよく吐き出す。
「わ、分かった‼︎ 俺の知っていることは話す‼︎」
キャロルは新しく煙草を取り出し、すでに火種が付いている煙草に押し付けて、火を移し、吸う。
「さすが神速。卿の素早い心変わりに感謝申し上げる」
ウォルターは嫌味に言い返す気にもなれず、肩で息をしながら俯いた。顎から汗が滴り落ちるのを見て、それで、生きていることに安堵する。安堵が過ぎて耳鳴りまでしてきた。
「だが、詳しくは知らんぞ。俺は言われたことをやっているだけだ。獣人も貸し与えられたに過ぎない」
「と言うと?」
「──獅子侯閣下は生きている。生きて、神聖カレドニア王国にいる」
「無事にロングランドから逃げ延びたのか」
「そうだ。そして実力のある女を寄越せと、各地にいる百獣軍の生き残りに命を出した。が、何のためかは知らん」
キャロルは腕を組み、考える。領地を失ったロングランドの領主が逃げ延びた。そこで、実力に長ける女を集める意味がわからない。
「どこに女を集めている? どこに獅子侯がいる?」
「集めた女は、スレイローから西にしばらく行った所にあるサハンという小さな漁村まで、俺一人で連れていく」
「一人で?」
「手下を連れて行くと、女に手を出さんとも限らん。あいつらはただの雇われだ」
「なるほど」
「サハンで『馬車引き』と呼ばれる男に、女を引き渡す」
馬車引きとは、材木や土砂などの重い荷物を運ぶ者である。
「そこから先は知らん。閣下がどこにいるかも分からん」
「隠し立ては為にならないぞ」
「これ以上は言いようがない。騎士として誓う」
キャロルはウォルターの澄んだ青い瞳を見て、信じることにした。
「シャーロットさんは無事なのでしょうか」
エリカが心配そうに言うのを聞いて、ウォルターは答えるべきか少し悩んだが、結局口を開いた。
「一目見て、手練れと分かった。だから獣人と戦闘の最中、毒で射り、動けない所を袋叩きにした。それでも抵抗するから、手脚の腱を切った。だが、死んではいないはずだ」
エリカは想像して、しばし言葉を失ってしまった。
「……酷い。酷いよ、そんなの」
そして強く拳を握った。
シャーロットは、不安に思っている人たちの為に戦おうとしていた。その彼女の正義感を、そんな卑怯な手で踏み躙るだなんて。
頭の中で、シャーロットの茶目っけのある表情が浮かんで、目の前の男に腹が立ってしようがなくなった。憎い。もう片方の指を全て圧し折って、剣の柄で歯を全部割ってやろうとも考えた。だが、ここでウォルターを痛めつけてもどうにもならない。それを分かっているから、やるせなかった。
悔しさと悲しさで目に涙が溜まったが、必死に堪え、鼻を啜った。泣いてる場合じゃない、早く彼女を助けなければならないと思った。大して話はしていないし、彼女は私のことなど覚えていないかも知れないが、関係ない。
だが、具体的にどうしたら良いのか。目的もはっきりしないし、敵の正体も見えない。エリカはそれで、ため息をついた。
キャロルは煙を吐き出しながら、言う。
「よし。私たちをそこに連れて行け。それで女として馬車引きに引き渡せ」
「えっ!」
エリカは驚いて声を出してしまった。
「卿が何も知らん愚図な以上、懐に入り込むしかない」
□□
夜が明ける。雲一つない真っ青な空には、白い太陽が輝いている。風は南東から吹く。風速にして22海里。
宿の屋上にある露台には、洗濯物が干されていない。今日は風が強い。
それでも風が吹くと、石鹸と薬品の匂いが運ばれてくる。どこかで修道女たちが洗濯をしているのだろう。
ウォルターは手を縛られたまま、地べたに座らされている。北を向かせられていた。キャロルも向かい合うように座っている。その後ろにエリカが立ち、黒い布で目隠しをした。今から行う魔術は、事故防止のため当事者以外は見てはならない。
キャロルは切り落とされた羊の頭部を持ち上げる。これは炭疽に冒されて処理される予定だった羊で、近郊の農家から安値で買い取った。
頭部を銀の皿の上に置く。銀の短剣を左手に持ち胸の前へ。そして右手で十字を切って目を瞑り、祈りを捧げた。
そして短剣を突き立て、羊の頭蓋を割る。脳が露出する。採取しておいたウォルターの髪の束を、親指で脳に押し付ける。
そして、キャロルの血をふんだんに吸わせた蕁麻を羊の首の周りに撒き、皿の上で首ごと燃やした。ちりちりとウォルターの髪が先から燃え、独特の焦げた臭いを漂わせる。風が吹き付けて灰が舞う。
十分燃えたらば、その後、短剣で手首を切り、血と煮立つ脳とを混ぜた。じゅうという音と共に煙が上がり、鉄の臭いが漂う。
キャロルは最後にそれを刃で掬うと、ウォルターに歩み寄る。
「食え」
ウォルターは躊躇したが、脳を口に含んだ。
「飲み込め」
キャロルはウォルターの頬を押して口を開けさせ、飲み込んだことを確認する。次いで短剣でウォルターの頬を切った。血が滴る。
「失礼」
そして傷に口を近づけ、血を舐め取った。
立ち上がり、蕁麻の燃えかすをウォルターの頭に振りかける。エリカの下へ帰り、同じように蕁麻の燃えかすを彼女の頭にも振りかけた。
「これで終わりだ」
エリカは目隠しを取る。
「ウォルター・ヘンドリッジ。もう、お前は私から逃げられない。私から遠く離れれば、脳が縮んで死ぬし、私が死ねばお前は炭疽で死ぬ。エリカは立会人としての効力があるから、エリカが死ねばお前も死ぬ」
ウォルターはただ静かに前を向いている。
「無事にサハンまで着けば、呪いを解いてやる。道中、騎士らしく女を守れ」
キャロルは残った脳を、丁寧に革袋に入れる。解呪する際に使用するのだ。
□□
正午、二人の少女と一人の呪われた男はスレイローを出立した。目指すは西、漁村サハン。三人は馬を買い、それを移動の手段とした。
馬上、エリカが地図を確認したところ、その村はマール伯爵領にあるらしかった。
ウォルターを先頭に街道を行く。馬はとことこと並足で歩く。
相変わらず空には雲一つなく、陽光は燦々と降り注ぐ。風が強く砂埃が混じるが、キャロルは流石に外套を脱いでいる。簡素な襯衣の上で、原典の金が夏の陽を跳ね返していた。
エリカはその金色を見て、耳飾りのことを考えていた。ウォルターに投げ捨てられたが、その後で拾って、今は掌の中にある。
「どうした、エリカ」
暗い表情に、キャロルが問う。
「え? いや、何でもないです……」
「何でもないわけがあるか」
エリカは観念して、言う。
「あの。強化魔法を作ってもらったので、嬉しくて、キャロルさんに何かを贈ろうと思って、買ったんですけど……。傷が、ついてしまって。それで、私……」
エリカはゆっくりと拳を開いて、耳飾りを確認した。やはり、傷が目立った。
「それを、私に?」
「……はい。でも」
キャロルが笑って手を差し出して来たので、迷ったが、耳飾りをその手に載せた。キャロルはそれを受け取ると、器用にも馬上で両手を放し、耳飾りをつけた。
「ありがとう。どうかな?」
エリカは俯いた。なんだか、申し訳ない。キャロルに気を遣わせているようで。
そうして俯いていると、キャロルは馬の背にかけていた外套から何かを取り出した。小さなもので、それは強い日差しにキラリと光る。
「ただ、被ってしまったな……」
「え?」
「私も、エリカに」
キャロルが渡してきたそれは、耳飾りだった。銀で作られていて、繊細な彫り物がなされている。そこに黒い紐の房飾りがついていた。芸術品のような、見事な出来栄えであった。
「これは……?」
「街で銀が安く売ってたから作ってみた。悪霊は耳から入り込んで脳に触れるから、きっとエリカを護ってくれると思って。房飾りは泥染にしたから、まじないの効力が長く続くはずだ」
「キャロルさんが作ってくれたんですか⁉︎」
エリカは目を見開いて驚く。次いで、笑顔になる。嬉しい。キャロルが私のために手作りだなんて。葡萄酒作りの踊りを披露したいくらいには嬉しかった。
早速、つけてみる。馬は慣れないから辿々しいが、何とかつける事が出来た。
「うん。よく似合う」
キャロルはあどけなく笑った。
「私、悩んでたんです。キャロルさんって凄い人だから、私なんかと旅を続けるのは不釣り合いなんじゃないかって……。もしかしたらそれは間違ってなくて、本当に不釣り合いなのかも知れないけど……。でも、楽しい。キャロルさんと旅をすると、難しいなって思う事以上に、嬉しい事がいっぱいで楽しいです」
「不釣り合いだなんて、そんな事はないよ。上手くは言えないが……。あんまり自分を下げないでくれ。私はエリカに支えてもらっている」
「私が、キャロルさんを……?」
「あの時、エリカがシャーロットを純粋な気持ちで心配していたから、この問題に首を突っ込もうと思った。私1人だったら、きっと深読みをして、動かなかったかも知れない。エリカのお陰で、自分に嘘をつかずに済んだ」
「そんなつもりは……」
「分かってる。でも、エリカは私の持っていないものをたくさん持っているから。いつまでもそのままで、どうか私を支えてくれ」
エリカは黙った。嬉しくて、恥ずかしくて、少しだけ自信が湧いて、このキャロルをそう言わしめた自分が誇らしいような気もして、その煩雑で心地よい感情が泡のように内から溢れてくるのを、整理して言葉に変える所までいかなかった。ただ馬上で微笑み、俯くことしか出来なかった。
キャロルの頭には、いつのまにか花輪が出来ていた。いつか頭に茸を生やしたように、感情によって生命の力が暴走したのだろう。仄かに頬を赤く染めながら、それを取って、そのまま馬の頭に乗せた。
「ただの子供じゃないか……」
1人前を行くウォルターは、会話を聞いて肩を落とした。2人とも、随分と純粋である。
即ち己は、そこらに幾らでもいるような乙女達に酷く拷問された上、呪いまでかけられてしまった、ということか。だとしたら騎士として恥ずかしいというか、情けないというか、全く奇妙なことになってしまった。考えていると虚しいことこの上ないので、ウォルターはひたすらに道の先を見た。
「やれやれ……」
太陽の季節。誰かの轍が、夏の陽炎を破って、遥か遠くまで続いている。
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