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ワーウルフ(後)


 二人は獣人の巣を探した。戦闘地点から5分ほど歩いた場所にある泉、その脇にあった穴蔵がそれであった。


 付近は強烈な臭気が漂っていて、蝿などの小虫も多く飛び交う。


 穴蔵の中に落ちているのは、冒険者が持っていたであろう宝石のついた髪留めや襟飾り(ブローチ)などの光り物、それと少しの装備。あとは獣人達の糞尿がそこらにある。


「妙だな。人間の骨がない」


 普通、獣人の巣には人間の骨が乱雑に放られているものである。または家畜の骨が多い。だが、そのどちらもここにはない。当然、シャーロットの死骸もなかった。


 キャロルは枝で糞を漁る。


「魚を食ってる」


「さ、魚?」


 エリカは首を傾げた。獣人のように人間を襲う類の魔物で、魚を食って飢えを(しの)ぐというのはあまり聞いたことがない。余程食うものに困っていれば食うだろうが、普通は牛や羊などの肉を好む。


 この森は獣人にとって立地がいい。街が近くにあるし、郊外には農場もあった。肉には困らないはずである。それなのに、なぜ魚を食べる必要があるのか。確かに、泉は近くにあるが。


「焼印か……」


 キャロルは気怠げに枝を放り、顎に手をやって考える。


□□


 夕暮れの空の下、二人は街を歩く。


「前に読んだ本で、あの焼印を見た気がする」


 獣人に刻まれた紋章はこうである。盾、その図案はクロスで、左上部のみに『三つ獅子』が描かれていた。盾持(サポーター)も獅子である。上部、雌獅子(めすしし)兜飾(クレスト)に王冠。兜は時代遅れの樽型。枝分かれしたマント。台座(コンパートメント)は海原。その下に標語(モットー)も書かれているが焼印では潰れて読めなかった。


「確か、どこかの家の紋章だ。この国じゃない。ロングランドだったかな……」


 ロングランドとは王国西部の海を越えた先にある半島のことである。かつては一つの国家として栄えていたが、瘴気で土地が蝕まれるにつれて崩壊した。一応の君主は存在するが、それぞれの領は王家を無いものとし、各地で戦を行うなど戦乱の渦中(かちゅう)にある。


「失踪事件と何か関係がありそうだ」


「生きて、何処かにいるかも知れないですね」


「うん。十分、可能性はある」


 キャロルは図書館の前で立ち止まった。


「ちょっと調べてくる。あの紋章が何か分かれば、何となくの目的や居場所が見えてくるかも知れない。長くはかからないと思うから、適当にしておいてくれ」


 そしてふらりと図書館の中に入って行った。


 エリカが思うに、キャロルは気になったことがあると、すぐに調べなくては気が済まないらしい。というより何においても、明日に回すとか、後でやる、とかはあまりない。出来る時にやってしまう癖がついた人間だ。エリカはその逆で、何となく先に伸ばしてしまうから羨ましく思った。


 適当にしておいてくれ、と言われたので、エリカは雑貨屋に向かった。提燈(ランタン)用の油を買い足したかったのと、あと一つ、ついでと言っては何だが、キャロルに何か贈りたかった。


 キャロルが己のために身体強化の術を一から作ってくれていたのが嬉しかった。だから、その感謝の気持ちを伝えたかった。


 雑貨屋に到着し、棚にある硝子細工(がらすざいく)を眺める。動物を形取った置物はどれも可愛らしい。琺瑯(エナメル)の容器などは自分はあまり興味ないが、キャロルはどうだろうか。それとも、そのような調度品ではなく、少し値は張るが象牙の細工でも良いかも知れない。貴族の令嬢達の間では象牙の小さな浮彫(レリーフ)を、家族や思いびとを連想した花と一緒に袋に入れて、お守り代わりに持ち歩くのが流行っていると聞く。


 エリカは悩んで悩んで、悩んだ。


 悩んで一時間。赤く染まっていた空はついに深い青となり、旱星(ひでりぼし)が煌めいていた。雑貨屋の店主も店が閉められずに困っている。


 よしと決めて、申し訳なさげに店主の元へ持って行ったのは真鍮(しんちゅう)の耳飾りであった。きっと、原典の金とよく合うはずだろうと思った。


□□


 エリカは小走りで吊り看板の連なる道を行く。夜になって急激に空気が冷えたのか、夜霧が漂っていた。すでに閉店をしている店が殆どで、あたりは暗い。思ったよりも遅くなってしまったから、キャロルはすでに宿に着いているかも知れない。


 走りながら、手に握りしめたままの耳飾りを見て、また悩む。キャロルはああだが、曲がりなりにも女子ではあるのだから、もっと可愛げのあるものが良かっただろうか。


 人に贈り物をするというのは難しいものだ。これと決めたにも関わらず、頭の中では未だに雑貨屋の中をうろうろとして決めかねている。


 そして肝心の油を買い忘れたと気がついた時、霧がかった道の先から6人の男が近づいて来るのに気がついた。エリカは立ち止まる。あの男達に見覚えがあった。真ん中の男、組合長のウォルターだ。


 嫌な予感がして振り返る。背後からも5人の男達が歩いて近寄って来ていた。


「『トスカの森』はどうだった?」


 ウォルターが手を挙げて、気さくな風に歩いてくる。エリカは警戒し、左手を剣の柄に添えつつ周囲に目をやる。彼ら以外に人気はない。人払いをしたらしい。


「何のつもりですか?」


「うん?」


「会館でも私たちを襲おうしてましたよね? 何が目的ですか?」


「ああ、気が付いてたか。まあ、あれだけ派手に失敗すれば誰でも気がつくか」


 エリカはウォルターの青い瞳がゆらりと不敵に揺れるのを見て、剣を抜こうとした。


 その時、ウォルターが瞬間的に移動をしてエリカに迫り、剣を抜こうとしていたその手を押さえて止めてみせた。


「──ッ⁉︎」


 一体、いまの速さはどういうことか。己とウォルターの距離は30(フィート)(約10m)ほどだった。こんな一瞬で間合いを詰められる距離ではない。どんな技を使ったのか。


「悪いな。お前ら、ただの五等だと思ってたが、どうも骨が折れそうだったので一人ずつやってみることに決めた」


 エリカは反撃の機会を窺う。その手を掴んで捻り、ウォルターがよろめいた所で顎を打てば、切り抜けられるか。それだと周りの男達から攻撃を喰らう。でも、これしかない。無傷で逃げ切るには、かなり厳しそうだ。


「お前が終わったら、今度はあのおっかない女だ。安心しろ、お別れってわけじゃない。すぐに会えるさ」


 今だ。油断している。


 エリカがウォルターの手を取り、捻ろうと力を入れた──、その時。エリカの肩に、刺すような痛みが走った。何事かと、見る。小さめの矢が刺さっている。


(──しまった)


 すぐに息苦しくなり、眩暈がして、膝から崩れ落ちた。矢の飛んできた方向、立ち並ぶ商店の屋根の上、烟る下弦月(かげんのつき)に影を落とす一人の男がいる。その男はボウガンを持っていた。


「……蛇とかいう男」


「まあそういう事だ。高級な(ポーション)を何本も使っても、完治とはいかなかった。あれは、やり過ぎだ」


 エリカは力を振り絞り、剣を抜いてウォルターに切り掛かった。だが、毒が回って緩くなった動きは簡単に見切られ、胃に膝蹴りを喰らって倒れる。


「うぐっ……!」


 衝撃で、涙と一緒に鼻と口から胃液が漏れて出た。握りしめていた手から、真鍮の耳飾りが転がる。


「何だか大事そうに握りしめてると思ったら、こんなものを」


 ウォルターは馬鹿にするようにニヤリと笑って、耳飾りを拾い上げた。


「お前には似合わないと思うがな」


 そう言って、後ろに投げ捨てる。チリンチリンと、か細い音が遠ざかる。


 エリカは剣を握って再び立ち上がろうとするが、膝立ちがやっとで斬りかかれない。強く睨みつける事しか出来ない。


「お前もおっかねえな。これじゃあ運んでる最中に喉を噛みちぎられる。おい、蛇。もう一発くれてやれ」


 ウォルターが手を挙げて合図する。


 もう一度同じ毒を喰らえば、完全に動けなくなることはエリカも分かっていた。呼吸をする事も怪しいかも知れない。避けなくてはならない。が、やはり足が動かない。


 ああ、これでキャロルとの旅が終わってしまうのか。


 悲しいだとか、無念だとかよりも先に、己の不甲斐なさに対して情けない気持ちになった。


(──ごめんなさい、キャロルさん)


 エリカは覚悟をして、強く目を瞑った。


 1秒、2秒、3秒。矢が来ない。それで、目を開ける。


 正面、ウォルターが眉間に皺を寄せて蛇のいた方を見上げている。エリカも追って、見る。


 屋根の上、月を背負って立つ髪の長い女がいる。その女は左脇に3冊の本を抱え、右手で蛇の襟首(えりくび)を掴み上げていた。蛇は力無く吊られている。


 エリカはすぐに、それがキャロルだと気がついた。


 キャロルはエリカを見て、言う。


「見ろ、エリカ。昼間の針を返してやったら、このザマだ。狐手袋(ジギタリス)だな。視界が若干、黄色っぽくなってるだろう?」


 そして、屋根から蛇を放った。頭から地に叩きつけられ、べしゃり、という人から鳴るにはあまりにも残酷な音がした。蛇は海老反りとなり転げる。口からは泡と血の混じったものが塊で出ている。首には針が深く刺さっていた。


「テメェ……」


 ウォルターはキャロルを睨みつける。


「で? エリカに何の用だ?」


 キャロルは煙草に火をつける。その女の(かも)す静かな圧に、男達は冷や汗を垂らした。そして各々一歩下がりつつ、慎重に剣を抜く。


 それを見て、普段と変わらない口調でキャロルは言う。


「答えられんか。まあ良い。なら、答えられるようにするしかない。他に聞きたいことが山ほどあるんだ」


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