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ワーウルフ(前)


 エリカは扉を開け、組合(ギルド)の会館に入る。


 白を基調とした溜間(ホワイエ)は広い。天井は高く、開放感がある。天窓からは陽光が降り注いでいて、一角に飾られた魔物の剥製(はくせい)や展示される剣や鎧が、きらきらと輝いて見えた。


 入り口から正面を見れば、竜と戦う騎馬を描いた巨大な綴織(タペストリー)が飾られている。これは冒険者組合の象徴(シンボル)であり、大抵どこの会館にも飾られていた。強大な敵に立ち向かうことの勇敢な精神を表すものである。


 エリカは、誰もが感嘆(かんたん)の声を漏らすであろう美しい空間にも、輝く剥製や剣と鎧にも、見事な綴織(タペストリー)にも、感動しなかった。というよりも、呑気にそれを楽しむような状況になかった。


 ──目線が気になる。


 溜間(ホワイエ)にいる屈強な冒険者たちが、キャロルとエリカをジロリと見ている。


 確かに冒険者は血気盛んな者が多い。学がなくてもなれる職業であるから、阿呆(あほう)もいるし、野蛮もいる。会館に入ってきただけの冒険者を挨拶がわりに奇襲し、引退させたという話もあるし、それを武勇伝として語る莫迦(ばか)もいる。


 だがしかし、この視線と空気は異様だ。冒険者達の顔は淡白で、罠にかかった獲物をどう調理してやろうかと淡々と考えているようにも見え、薄気味悪い。


 キャロルは受付横にある掲示板を確認する。そこには受注可能な依頼が貼り出されていた。そして、幾つかの依頼書の中から『トスカの森の調査』に関するものを剥がして取った。


「普通、受注されている最中なら依頼書は貼り出されない」


「え?」


 キャロルは受付に依頼書を出す。目つきの悪い受付の男が少しにやけて、依頼書と二人の顔を見比べて問うた。


「認定証は」


 認定証とは自身が冒険者であることを証明する札の事である。王都にある冒険者組合の本部で試験を受けなくては貰えない。ただ、合格率は9割前後といった所で、身体能力や思考能力に余程の欠陥が無ければ合格する。


 キャロルは木札の認定証を出した。これは学園に在籍していた頃に取得したものだった。


 エリカもまた、認定証を出す。旅に出る前、辺境伯から『あって困ることは無いだろう』と言われて渡されていた。試験こそ受けていないが、今のエリカのような事例は珍しいものではないし、場合によっては精度の高い偽物まで売られていて、それで中々に通用してしまう。


「ふぅん……。五等か」


 男は木札で冒険者としての階級を確認した。


 冒険者は一等、二等、三等、四等、五等、以上五つの区分がある。活躍によって階級が上がり、受けられる仕事の種類が増える。


 振り分けは試験時に行われる。以降も、年に2回ある再査定を受ければ、結果で変動する。


 試験時に特筆すべき点が見つかると上の区分へと振り分けられるのは勿論(もちろん)賄賂(わいろ)を渡す事でもそれが成った。再査定に()いては、これまでの活躍を考慮される。賄賂も有効である。


 とは言え、一等、二等になるのは簡単ではなく、その領域は賄賂も通用しない。2つの階級を合わせても全体の一分以下しかおらず、そうした実力者は領も手厚く囲う。


 キャロルもエリカも共に五等である。キャロルは聖女候補であったから冒険者として食っていく気はなく、身分証として欲しかっただけで試験は手を抜いていたし、エリカは渡されたものを持っているに過ぎなかった。


「少し待ってろ」


 そう言って男は受付の後ろにある部屋に入って行った。


 待たされている間、溜間(ホワイエ)にいる男達がヒソヒソと何かを話し始めた。不穏な空気が漂う。


 エリカは、男の入っていった部屋の扉が半開きになっているのを認めて、目を細めて中の様子を(うかが)った。何人かの人影が見える。受付の男は誰かと話し込んでいるようだ。


 目を閉じて耳を澄ますと、微かに声が聞こえた。


『──こっちに連れてこい』


 エリカは目を開き、キャロルを見る。


「逃げた方が良いかも知れません」


 だが、キャロルは特に気にするでもなく、帳場(カウンター)に手をついて、煙草に火をつけた。面倒ごとを前にして、やや怠そうではあるが。


「まあ、付き合ってやろう。かつて遥か東にあった国に『虎穴(こけつ)に入らずんば虎子(こじ)を得ず』という面白い言い回しがあったと聞く」


□□


 通された部屋は、事務所兼応接間であった。4つある机の上には資料が雑多に積み重なっていて、長机と長椅子が2つ置かれている区画は、客人をもてなす場所らしい。


 部屋の中には受付の男を含めて、8人の男たちがいた。エリカは全員が帯剣していることを確認した。


 内一人、壮年の男。庶民(しょみん)風の装いで、白い襯衣(シャツ)に、大きな帯革(ベルト)段袋(ズボン)に、深靴(ブーツ)を身につけている。腰から下げた剣は、鞘の形状的に蛮刀(ファルシオン)。あまりこの国では見ない。風貌は清らかではなく、だらしなく伸ばした髪を後ろで結いていて、無精髭(ぶしょうひげ)が目立つ。


 その男が大袈裟に腕を広げて、歓迎の仕草を取る。


「よお、新入り。ようこそ、葦旗会へ」


 男は笑顔で続ける。


「俺は組合長をやっている、ウォルター。ウォルター・ヘンドリッジ。ここを任されてから日は浅いが、まあ栄光に向けてみんな仲良く邁進中(まいしんちゅう)ってところだ。よろしく頼む」


 エリカはウォルターと名乗る男の挨拶を横目で見やり、周囲を警戒した。部屋に散らばっている男達が、じりじりと近寄ってきているのに気づいたのだ。背後に3人、扉の近くに一人、ウォルターの横に1人、窓際に2人、そして己の横に受付の男。どう考えても、己らを逃さないようにしている。


 ウォルターは戸棚にあるグラスを2つ取り、酒を注ぎ始めた。


「立ち話もなんだな。一杯やるか?」


 その男、笑ってはいるが、目は冷ややかである。仮面のように表情を張り付けているだけだった。


 エリカは冷静に考え始めた。──彼らが何を企んでいるのか全く見当もつかないが、もし襲われたらば、誰から斬るべきか。


 窓際の男。近くに前装式銃(マスケット)がある。おそらく既に薬包(カートリッジ)が詰め込まれていて、少しでもこちらが動けば、それを構えて引き金を引く。この男から始末するべきだ。


「いつまでも立ってないで、こっち来て座れよ。──おい、連れて来い」


 ウォルターがそう言うと同時。顔に刺青をした男がキャロルに近寄った。窓際の男に気を取られていたエリカは遅れてそれに気がつき、ハッとしてキャロルを見る。


 刺青の男は、キャロルを長椅子へ促すようにして、肩に手をやった。


「キャロルさ──」


 エリカが叫びかけたその時だった。


 刺青の男がまるで跳ね返ったようにして、彼女から距離を取ったのだ。


「クッ……‼︎」


 何が起きたのかと、この場にいる全員が刺青の男を見る。


 男の右手、その手首は(ひね)られて曲がり、5本の指は小枝のように折れて、それぞれがあらぬ方向を向いていた。


 刺青の男は片膝をつき、脂汗を流しながらキャロルを睨む。


「テメェ……。な、何のつもりだ……?」


 キャロルは問いには答えない。ただ、人差し指と親指で摘んだ1本の長い針を、気怠げに観察している。


「これで刺されるとどうなる?」


 刺青の男は目を見開く。袖に隠していた毒針を、今の一瞬で取られた。


 その場にいる男達もみな警戒し、剣の柄に手をやる。窓際の男はエリカの読み通り、銃を持って構えた。エリカもまた、キャロルを背にして剣の柄に手を添えた。


「前に1回、友人にキツいのを貰ってるんでね。暗器には用心している」


 沈黙。あまりにも空気が凍てつくので、耳鳴りにも似たキンとした音が鳴っていた。


 10秒ほど経っただろうか、ウォルターは手を捻られた男に向けて口を開く。


「おい、気をつけろ」


 キャロルを見て、続ける。


「気を悪くさせて申し訳ないな。コイツが悪い」


 ウォルターは刺青の男に近寄り、立たせてやった。


「コイツは(へび)と呼ばれていてな。ご覧の通り、毒使いだ。体中に武器を仕込んでいる物騒な人間なんだ。別にお前をどうこうしたかった訳じゃない。そうだよな?」


「あ、ああ」


 蛇と呼ばれる男は青ざめた顔で頷くので、キャロルは鼻で笑って、言う。


「それで? 何か話があって私たちを部屋に呼んだんだろう。このまま要件を聞こう、ウォルター・ヘンドリッジ」


 ウォルターは一瞬戸惑ったように瞳を揺らして、口を開いた。


「一つ、忠告をしてやろうと思ってな。『トスカの森』は危険だ。あの獣人は並ではないぞ」


「それだけか? ご忠告感謝する」


 キャロルは踵を返して扉に向かう。扉の前に立っていた男は、その黄金の目に恐れをなして退いた。


「ああ、そうだ」


 キャロルは立ち止まり、振り向く。


「月影のシャーロットという冒険者を知らないか?」


 ウォルターは片眉を上げて答える。


「知らんな。聞いたこともない」


 キャロルは軽く片手を上げて、それを礼とし、部屋を出ていった。エリカもさっとその後を着いていく。


 ウォルターは煙草を咥え、火縄式の点火器(ライター)を取り出した。


「……アイツ、本当に五等か?」


 そして、考えるようにして顎に手をやりながら、煙草に火をつける。


□□


 キャロルとエリカは、その足でトスカの森に入った。泥濘(ぬかる)んだ獣道を歩き、陽が帯となって降り注ぐ木々の間を行く。


「黒だな。シャーロットを知らないわけがない」


 キャロルは隣を歩くエリカに、よれた台帳を手渡した。先の事務所でくすねたものだった。蛇と呼ばれる男が手を壊された際、みなが彼に注目する中、ひっそりと机の上から盗った。


 この台帳には、冒険者組合の本部を通して救援を要請し、葦旗会に合流した冒険者の名が記されていた。その中に、『マールのシャーロット・フィンチ=ハウス』の名がある。つまり、自ら呼んでおいて知らないは通用しない。


「いつのまに……。あの状況で盗むような隙、ありました?」


貧民街(スラム)で育てば、誰でも達人になるんだよ」


 エリカは歩きながら台帳に目を通す。一番新しく合流したのはシャーロットだが、少し前から冒険者の合流が続いている事に気がつく。


 一つ前は『リューデンのボニー・ピアス』。赫々(かくかく)のボニーと呼ばれる、火の玉を得意とする魔術師であり、冒険者である。次は『王都のリザ・モロー』。いとも華麗なるリザ・モローという二つ名があり、光の魔法と闇の魔法で美しく戦うのが特徴だ。他にも冒険者の名前が連なっているが──。


「全員、女性ですね」


 キャロルは煙草を靴で揉み消した。


「どうにも目的が見えない。何のために練度の高い女冒険者を呼び寄せて、消すのか……」


「あの組合長が出世するのに邪魔だから、ですかね?」


「無くはないが、街の女達が消えている点も考えるとその線は薄い。恐らく、それもアイツらの仕業だろうし」


「奴隷として売るとかはどうでしょう?」


 女が攫われる事件となると、貧困に喘ぐ奴隷商が犯人という場合もあった。


「ないな。そうした場合、被害に()うのは大抵10歳以下の女子だ。それに、手練(てだ)れの冒険者を狙うのは悪手だろう」


「確かに……」


 話していると、がさりという葉の擦れる音を聞く。エリカは気配を察し、剣を抜いた。見つめる先、木々の影、闇の中に光る瞳がある。恐らく獣人(ワーウルフ)である。


「相手の間合いになってしまいましたね」


「そのようだな」


 エリカは闇を見据える。幾つかの光る瞳の中、やや大きな光を発する瞳がある。恐らくこれが、群れの長だろう。


 獣人は亜人と違い、長が先陣を切って仕掛けることが多いから、エリカは重心を低くし、長が飛びかかって来るのに備える。


「待て。アイツら及び腰だな。なら、ちょっと試してみよう」


 キャロルは、構えたままで、と付け足すと、エリカの背中に人差し指を当てた。


「エリカ専用の強化魔法を作るにあたって、身体強化の基礎を学び直していてな。分からない所を細かく調べたり、自己流の部分を矯正(きょうせい)したりしていたんだ」


 そして鋭く息を吸い、気を高める。紺の髪がふわりと浮いた。


「私専用の魔法ですか?」


「うん。身体強化は繊細だ。一から作るのは難しい。少しでも狂えば筋繊維が保たず、暫くは動けなくなる」


 エリカは思い出す。確かに、キャロルはここ最近ずっと、本を片手に紙に術式を起こすなどしていた。まさかそれは、己のために魔法を作ってくれていたということか。


「嫌だったか?」


 エリカは構えをそのままにするのも忘れて、ぶんぶんと首を横に振る。


「嬉しい! 嬉しいですっ!」


 もうなんだか、小躍りしそうなくらいには心弾んだ。素っ気ないと思っていたキャロルは、ずっと私の事を考えて、時間を使ってくれていたのだ。それは私の至らなさによるものだろうから申し訳なくもあったが、それでも随分と喜びの方が勝った。


 キャロルは、エリカの両耳に一度ずつ指を鳴らして聴かせる。次いで錻力(ぶりき)の入れ物から躑蠋(つつじ)の蜜を出し、頸の生え際、合谷(ごうこく)のあたりに2点押し、その中央下がって首の付け根、瘂門(あもん)にもう1点押した。


 その瞬間、エリカの耳に、ドクンと心臓の鼓動が響いた。鼓動の後、風の音、葉の擦れる音、獣人達の息の音、即ち周りの森羅万象(しんらばんしょう)が耳に入ってきた。


 体も軽い。自分が空気になったような、そこに存在していないかのような、そんな感覚に(おちい)る。目に映る景色は、青い硝子(がらす)を透かしたように青ざめていて、暗がりにいるはずの獣人達の姿がはっきりと確認できた。


 初めての身体強化なので、これが正解なのかも分からない。が、とにかく自分が人間という枠を超えた一つ上の存在と化したように思えた。


「すぐに慣れる」


 キャロルの言葉に、エリカは頷く。


 獣人達の息が荒くなる。目の前の獲物の気配が、まるで別のものに変わったからだ。全身の細胞が、それを排除しろと指令を下す。


 獣人の長が刃を片手に跳んだ。空で回転して、飛び掛かる。狙うはエリカの首。


 エリカには獣人の動きが、ひどくゆったりと見えた。


 ──全部わかる。


 獣人が剣を握る指、その力加減、肩の筋肉の張り、腰の捻り、目線、どこに狙っているか、その全てが理解できた。


 エリカは落ち着いて一歩踏み出し、垂直に剣を振り下ろした。それで、文字通り獣人の体は真っ二つになる。


 が、力は思い描いていたものと違った。剣圧が地を抉り、木々を断ち、他の獣人達が潜む木の影ごと破壊した。地は叩きつけた陶器のように弾ける。断たれた木々は悲鳴にも似た轟音を立てて横倒しになり、暗がりは一瞬にして血の霧に変わった。


「えっ」


 エリカは思わず顔を引き攣らせた。


 目の前にあるのは、まるで大砲でも撃ち込まれたように(くぼ)んだ地と、血に染まって倒れた木々、そして獣人達の挽肉である。いつも通り剣を振り下ろしただけで、この有様だった。


「す、凄いですね。身体強化って」


「あー……。ちょっと術の加減を間違えたかもしれない。これじゃ街中で使えないな」


 キャロルは苦笑した。


「少し考え直そう。それより──」


 そして地に落ちた長劔(サーベル)を拾う。これは獣人の長が持っていた武器である。その剣は、綺麗な三日月の形をしている。


「これ、シャーロットさんの剣です」


「となると、彼女はコイツらと戦闘していた事になる」


 キャロルはエリカに剣を渡す。獣人が雑な使い方をしていた為か、刃こぼれが激しい。


 次いで、真っ二つになった長を観察する。


「……何かな、これは」


 キャロルは長の亡骸を指でなぞった。エリカもそこに注目する。脇のあたりに何やら紋章(もんしょう)のような物が描かれているようで、それは盛り上がっているように見えた。


「焼印、ですかね……?」

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